3-2 一言で表すなら――革命的だね
ドクターに買われ、一緒に過ごすようになってすぐに分かった事があった。
それは、この女が相当な変人だということだ。
彼女に連れていかれたのはどうやらラインラントの西の方にある、ヘルヴェティア王国との国境にほど近い辺鄙な山の中。
私をキャッシュでサクッと買ったくらいだから深々と生い茂る
――と思ったんだが。
「……」
「どうした? こういった家は初めて――ああ、孤児だったからそれはそうか。キミの育ったあの建物とはちょっとばかし違うがなぁに、すぐに慣れる」
唖然とする私を放って彼女が入っていったのは――地面の中だった。
「ちょっと……?」
いわゆる建物の地下室みたいなのならば私もそう驚きはしなかったと思うが、ドクターの住処は例えるなら蟻の巣。地面に直接穴が掘られて、そこから縦に横にと部屋が乱雑に広がっていた。
壁がまだ漆喰で塗り固められでもしているのであればマシなんだろうが、基本的に土がむき出しで、いったいどうやってこの構造を維持しているのかさっぱりだった。
それでもなんとか「こういう家だってあるものだ」と自分を納得させつつ共同生活を始めたのだが、直後に理解させられたのが彼女の家事能力は無さだった。
料理なんて単語は存在してないようで、基本的に街で買ってきた大量の野菜とそこらで狩った獣を鍋の湯に放り込むだけ。まだ孤児院の飯の方が美味かった。おかげで私の料理スキルが磨かれたことは言うまでもない。
ついでに散らかしたら基本的にそのまま。壁にも床にも理解不能な術式メモが貼り付けられて足の踏み場もない。で、生活に支障が出始めたらまた新しい部屋を作るというサイクルなもんだから、すでに数え切れないほどの部屋が地中に存在していた。
「それでも――」
彼女はやはり天才だった。
魔術師である自身のことを「魔女」、「天災」と紹介したが、今振り返ってみてもそう呼ばれるにふさわしい腕前だった。
呼吸をするように無詠唱で道具もなしに術式を行使。飛行術式でまたたく間にどこかへ飛んでいったかと思えば、電話もなしに歩きながらどこかと会話したり、大量の野菜を冷やして長期保存できるようにしてみたり。
はたまた近くを通りかかった獣やミスティック、果ては野盗の集団を顔色一つ変えず術式一発で壊滅させる冷酷さと戦闘能力もあって、無教養だった当時の私でもその凄さに感心するばかりだった。
かと思えば日々どうでもいい新しい術式を思いつきで開発し、失敗して部屋を崩壊させてみたり、料理する私にいたずらをしかけて、結果熱々のスープを自分で頭から被る結果になったりと、まあ飽きない生活だった。
まさに私にとっては天才であり天災だった。そして――
「私にとってこの世界で初めて家族と呼べる人でもあった……と思う」
「そうだったんですね……」
変人ではあったが、一方で理性的な人間でもあった。
彼女が告げた私を買った理由。それは、私に自分の蓄えてきた知識と技術を伝えるためだった。
私にそんな才能があるとは思ってもみなかったし、実際そこまで優秀だったとは今でも思っていない。彼女のスパルタな指導を何日も受けてようやく術式を一つ身につけることができる程度だった。何回も訓練途中に死にかけもした。それでも不満は無かった。
なにせ理不尽な暴力は振らないし (訓練中はずいぶんと理不尽で無茶な要求をされたが)、食事は――味の面を除けば――三食腹いっぱい食べさせてくれる。勉強だってさせてくれるし、劣悪な環境で育った私からすれば非の打ち所がない生活だ。
そう――あの日までは。
「アーシェ……」
「ドクター?」
私がドクターに買われてからだいたい四年くらいが経った日のことだった。
その頃にはドクターから突然要求される無茶にも、死にそうになる術式の訓練にもすっかり慣れ、そして突如始まるドクターの奇行にも何も思わなくなっていた。
その日がやってくる数日前から、彼女は突然食事中にいなくなったかと思うとずっとラボに引きこもっていた。その間は食事も取らず風呂も入らない。完全なる引きこもりと化して、呼びかけにも一切反応しない。けれどそれもよくあることで、だから私もその間は自分の勉強や訓練に勤しんでいた。平和な毎日だった。
「はい? どうしましたか?」
「ちょっと……来てちょうだい」
いかにも疲労困憊という声色と、ボサボサベトベトの髪を晒した姿はまるで幽鬼のようで、そんな彼女の姿に驚きつつも手招きされるがまま私は彼女の部屋へ向かった。
(また新しい術式が刻まれるのかな……?)
我ながらガリガリだった体はずいぶんと年相応 (だと思う)に肉付きは良くなっていて、その体には――無数の術式が刻まれていた。
どうやら私の体は魔素の伝導性に優れているようで、それを活かすためにドクター手づから私に術式を刻んでくれていた。術式が刻まれる間はとても痛くて苦しいが、別に嫌では無かった。
詠唱が要らないから一般的な術式は日常生活でとても便利だし、何よりドクター独自のオリジナルの術式が刻まれるのは嬉しかった。
それは彼女に必要とされていることの証でもあるし、彼女に買われた私の意義だと勝手に思っていた。もっとも、天才魔術師であるドクターオリジナルの術式は私なんかではさっぱり理解できなかったのだけれど。
ともかくも、彼女が私の体に術式を刻む前はこの時と同じ様に何日も引きこもった後である事が多かった。引きこもっている間はきっとまたとんでもない術式を思いついて、その設計に没頭しているのだろうし、今回もたぶんそうかなと気楽に考えていた。その証拠に、チラッと見えた部屋中の床や壁には数え切れないくらいにたくさんの魔法陣が描かれていたし。
「新しい術式を刻むんですか?」
「ああ……そう、そうだとも。さあ、ここに寝て」
ドクターの声は疲れを差し引けばいつもどおり理知的で、けれどもなんだか興奮を押し隠しているように聞こえた。顔を見てもマッドサイエンティストよろしくいつ高笑いを始めてもおかしくないくらいに口元がピクピクと動いていて、だから相当に頭がおかしい発明に成功したんだろうなと思った。
指示されたとおり、私じゃ到底理解できない複雑怪奇な魔法陣が刻まれたベッドに横になる。ベッドとは言ってもふかふかのマットもシーツもない。一体いくら掛かったのか聞くのも恐ろしいような巨大な宝石を加工した台座だ。
最初は固くて痛かったそれも、今となってはすっかり慣れてしまった。そしていつもと同じく裸になって、準備を進めるドクターに話しかけた。
「今度はどんな術式ですか?」
「そうだね、一言で表すなら――革命的だね」
今度こそドクターは興奮を隠さなかった。クマのできた目を向け、口元を綻ばせると心底嬉しそうに言葉を重ねた。
「上手くいけば、これが最後の作業になる。もうこれ以上術式を刻む必要はなくなるだろう。そして――私の夢もきっと叶う」
「なんだか凄そうですね」
「ああ、とんでもなく凄いことだ。人類史上例を見ない偉業になるはずさ。さすがは私だ。いやぁ、本当に我ながらこの頭脳が恐ろしくなるね」
それを聞いてとんでもなく凄い発明なのだと私にも分かった。そしてそれを私なんかの体に刻んでくれるという。何と光栄な話だろう。術式の中身は分からなくっても私まで興奮してきた。
「さあ目を閉じて、アーシェ。眠りから覚めた時、キミは間違いなく新たな存在になっているだろう」
その瞬間、きっと私の存在も永遠に限りなく近づくはず。ドクターは最後にそうつぶやくと指をパチンと鳴らした。
雲みたいな術式が頭にまとわりついて視界も暗くなっていっていく。意識が曇っていく。ふわふわとした感覚に包まれ、やがて体が冷えていくのを感じる。
意識が閉じてどれくらい経ったのだろう。
そして。
――体が燃えた。
「……っ、あ、あぁ……!!」
燃えた、というのは錯覚だったようで、跳ね起きて見下ろした私の体は炎に包まれてなんかいなかった。けれども体はそう錯覚するように熱くて、熱くて。
頭の中は沸騰した湯の中に浮かんでるように熱くぼんやりしていて、なのに喉の乾きだけは耐えられないくらいに強くてハッキリと感じる。
「あ、あ、あ……ああああぁっ!!」
涙でぼやけた眼で自分の手足を見下ろす。手足が、全身が青白く光っていた。皮膚の下で何かがうごめいているような感覚があって、それが次第に痛みに変わっていく。
「く、う、うぅぅぅ……」
全身の骨が、肉が、作り変えられている。私という存在が変わっている。細胞と細胞が無理矢理に引き剥がされて組み替えられていく。
体の奥底に何かが埋め込まれていく。それに伴って鼓動がとてつもなく早く脈を吐き出し、脳は肥大して頭蓋に押し付けられた。きっとそれは感覚の話でしかないのだろうけれど、これまでに受けたどんな術式手術の痛みよりも遥かに痛くて苦しくて、それだけでも気が狂いそうで。
けれどなによりも。
「……あああああああああっっっ!!!」
苦しかったのは猛烈な飢えだ。何もかもが足りなかった。何でもいい、何でもいいから食べたい。飲みたい。止まらない衝動に突き動かされてベッドから墜ちる。何も考えられない。ただただ、ひたすらに何かを食べたい。それしか考えられない。食糧を探して、血の涙を流して文字通り血眼になって辺りを見回す。
そして、見つけた。
「っ……」
何も考えず、本能の赴くままにそれに食らいついた。
仄かに温もりのある肉の味が舌から広がっていく。瑞々しい血が喉を潤していく。少し力を入れて硬い骨を噛み砕けば滋味が体全体に広がっていくようだった。
満たされていく。満たされていく。肉を噛みしめる毎に私の脳が喝采を叫び、血を飲み干す度に細胞が喜びの咆哮を上げた。
体の中心で荒れ狂っていた巨大な何かが飢えを満たされて大人しくなる。けれど、そこからは統率されたものが滲み出ていた。それが膨大な知識と魔素なのだと私は直感で理解した。体は食事という本能に任せ、意識の中でそれに触れる。すると突如として視界全体が光に塗りつぶされていって――
「……え?」
私は目を覚ました。
立っていたのは、意識を失う前と同じくドクターのラボだった。後ろでは寝ていた宝石のベッドが変わらず淡い光を放っていて、壁には無数の術式のメモが書き殴られ、床にも変わらず紙が散らばってる。
けれども様相は全く違っていた。壁には血しぶきが飛び散り、文字で黒かった紙は赤く塗りつぶされてた。まるで惨劇の跡みたいだと他人事のように思いながらふと自分の頬を掻いて。
その手がぬちゃりとしていた。驚いて頬から手を離すと――その両手は真っ赤な血で汚れていた。
全裸のままの体も血まみれ。それどころか、顔までが真っ赤に染まっていた。
「ど、ドクター……?」
不安から私はドクターを呼んだ。けれど返事はないし、気配もない。だけども、自分の内側で何かがうごめいた気がした。
血まみれのまま歩きだして、だけどすぐに脚に何かがまとわり付いて止まった。何だろうと視線を落とし、そこで私は固まった。
血に汚れた白衣とズボン。それはいつもドクターが着ているお決まりの服で、当然さっきまで着ていた服でもある。けれども「中身」が無かった。
ドクターはどこへ? そんなこと、問うまでも無かった。
足元の血溜まり。飛び散った血しぶき。血まみれの衣服、そして私。あらゆる状況が一つの事実を示していて、何よりも私の「中」の感覚が如実に真実を示していた。
先程食べたのは何か。先程飲んだのは何か。先程しゃぶったのは何か。決まっている。
つまり――私が
「ああああああああああ■■■■■■■ぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ――!!!」
自分の悲鳴が、世界が壊れる音に聞こえ、そのまま私はまた意識を閉ざしたのだった。
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