2-1 当教会は閉館となっております
「……んあっ?」
なんともふわふわとした心地いい世界を存分に堪能していたはずの私だったが、何の拍子か体がビクンと跳ねる軽い衝撃を感じ、思わず間抜けな声を上げて目が覚めた。
目に入ったのは白い布っぽい何か。どうやら昨夜の私はコイフをアイマスク代わりにしてたようで、それを気だるさの残る腕で取っ払えば薄汚い天井が映った。
ずっしりと重い頭を起こせばクソムカつく神のなんとも胡散臭い像が見えて一気に気分は急降下。盛大な舌打ちをしながら体も起こしていけば、礼拝堂の机の上に置かれた自分の足と大量の酒の空瓶が転がっていた。
「あー……」
意識と一緒に記憶もだんだんと戻ってくる。アレだ、確か昨夜は――昨夜も、だな――浴びるほど酒を飲みながら憎っくき神どもに中指突き立てつつ散々悪態をつき続けて、気がついたら寝落ちしてたんだった。
「ふわぁ……」
あくびをして体をひねればゴキゴキッとうら若き乙女 (二十七歳)にあるまじき音がした。まだ多少アルコールが残ってるようで、頭は少々重く胃も多少もたれてる感がある。
こういう時はあっさりしたスープが飲みたくなるな。壁に掛かってる時計を見れば十時をとっくに回ってる。ふむ、ならブランチといくか。
「シスター・サマンサ。何か胃に入れる物は――」
キッチンの扉を押し開けながらそう言いかけて思い出す。しまった。サマンサはいないんだった。他ならぬ私自身がしばらく一人になりたがために彼女に休みを伝えたわけであり、今頃彼女は故郷についた頃だろうか。おそらくあと一週間は戻ってきまい。
「……仕方ない。ツマミでも食うか」
私だって料理できなくはない。がそんな気分じゃあない。
よし、そうと決まればさっさと準備だ。
いそいそと礼拝堂に戻ると、主祭壇の裏にある床下隠し倉庫の扉を外して、中に保存してあったジャーキーやらチーズやらを引っ張り出す。もちろん酒もだ。
「むふふ……」
両手いっぱいに抱えた酒の重みに思わず笑いが溢れてくる。さてさて、どれから飲もうか――と、よだれを飲み込んだところで突然扉がドンドンと叩かれた。
「……ちっ」
ったく、こんな時間からどこのどいつだ。ドアに掛かってる閉館中の文字も読めない阿呆か、それともそんなのも目に入らないくらい切羽詰まってるのか。どちらにせよ相手にするのは面倒だし暇でもない。私にはな、今から酒を飲むという最っ高に崇高な仕事が待ってるんだ。
無視して酒の蓋を開け、皿にツマミを並べていく。手もみしながらグラスを掴むと、まずはチーズから、と口に放り込もうとした。が、一方で扉はさっきからずっと叩かれまくってて今にもぶっ壊されそうな勢いである。
「……はぁ」
ったく、落ち着いてメシも食えん。どうにもこのお客サマは私の邪魔をしなきゃ気が済まないらしい。面倒だが、適当に追い返すとするか。
「申し訳ありませんが本日、当教会は閉館となっております。またのご訪問をお待ちしております」
教会のシスターらしく、しとやかな声で扉の向こうにいる誰かに声を掛けてやると静かになった。やれやれ、やっと諦めてくれたか。
と思って背を向けた瞬間、また扉が激しく叩かれ始めた。
「ですから本日はお休みでして……」
ガンガン! と叩く音が響いて。
「お静かに……」
ドンドン! と私の声をかき消して。
「あのですね……」
ダンダンと耳障り感が増していって。
「ええ、ですから――」
ブチギレた。
「テメェらの神はバカンスで忙しいっつってんだろうがっ!!」
怒りに任せて扉を思いっきり蹴飛ばしてやれば、周りの壁を道連れに庭の遥か彼方へと吹っ飛んでいった。
「ふぅ……」
ちょっとスッキリした。粉々になって庭に広がる木製の扉の姿に「ああ、また修理しなきゃなぁ」と思うが後悔など微塵もない。どうせ元々ボロボロの教会だからな。
しかしこれでさっきの邪魔な野郎も諦めただろ。さて、やっと落ち着いて今日も酒を浴びるほど飲める――
「あいたたたた……ひどいですよぉ、アーシェさぁん」
聞き覚えのある声に、ピタリと足が止まった。
いやいや、まさかなぁ。そんなはずがあるわけないだろう? だって私の居場所なんて、せいぜいマティアスくらいにしか教えてないんだからな。
うん、そうだ。きっと幻聴だ。昨日だって死ぬほど酒飲んだからな。まだアルコールが抜けきってないだけに決まってる。
だからほれ、振り向いたってどうせ誰もいないに決まって――
「でも元気いっぱいで良かったです! しかもシスター服なんてレアなアーシェさん見れるなんてもう、もう、それだけで私お腹いっぱいです……! クンカクンカ……ああ、なんていい匂い……なんですけどぉ、ちょっと飲み過ぎじゃないですか? 扉閉めてても中からお酒の匂い漂ってましたよ?」
――決まってると思ったのに、どういうわけか変態臭をそこはかとなく漂わせる発言と、「お前は私のオカンか」と言いたくなる説教が頭上から届き、そして気づけば私の顔は柔らかいおっぱいに挟まれていた。
男の子が大好きな人間快楽窒息マシーン一号二号から脱出して呼吸を再開しつつ顔を上げれば、だ。
「どうしたんですか? そんな機械油飲んだみたいな渋い顔しちゃって」
そこには、いるはずのないニーナの不思議そうな顔があって。
顔をひくつかせた私の気持ちは、きっと皆にも理解はしてもらえるはずだ。
「もぉ、そろそろ機嫌直してくださいよぉ」
ニーナの困った声が聞こえてくるが、私が断言してやる。絶対にコイツは困ってない。なぜなら――
「そう思うんなら、とっとと私から離れろ」
「えー」
さっきからずっと私の頭を撫で回しているからである。私を膝に乗せ、後ろから抱きついてベタベタベタベタ、ナデナデナデナデしやがって。私はお前のガキじゃないんだぞ。
「いや、だってアーシェさんって抱き心地が良いんですもん」
「私は抱き枕か」
「あ、それ良いかも……お持ち帰りしても良いですよね?」
「ダメに決まってるだろうが。そもそも私はまだ休暇中だ。ンなことよりさっさと離せ。そして一刻も早く私の目の前から消え失せろ」
未だ撫で回し続けるニーナの腕を振り払って膝から飛び降りる。途端にニーナが寂しそうな顔をしたが知ったこっちゃない。
「それにしても……ここがアーシェさんのおウチなんですね。っていうか、教会のシスターさんだったんですね?」
「別にそういうわけじゃない。ただ単に教会のシスターを装ってた方が色々と都合が良いからそうしてるだけだ」
王国の軍人がシスターやってるなんて誰も思わないしな。
「なんだか良く分かんないですけど……一人で管理してるんですか? こんなボロくておっきな教会を」
「事実だが『ボロい』は余計だ。普段はサマンサって婆さんが管理してくれてる。今は故郷に旅行に行ってるがな。
ていうか、なんでここが分かった? 隊の連中にだってここは教えてないぞ?」
そもそも今日はまだ平日だ。お前、仕事はどうした?
「仕事はお休みもらっちゃいました。アーシェさんのところに遊びに行くって言ったらアレクセイさんもカミルさんも快く送り出してもらえましたよ」
アイツらめ……まあ、確かにコイツはほとんど休みなしで働いてるようなもんだしな。仕事の半分以上が趣味なのはおいとくとしても、たまに休みを取るのは別に良いだろう。だがもう一つの質問の答えは聞かせてもらってないぞ?
「えっとぉ……言わなきゃダメですか?」
なんで言い淀む? なんだか猛烈に嫌な予感がしてきたぞ。目は分かりやすく泳いでるし絶対ロクな答えじゃない。ちょっと待て、心の準備をするから……よし、良いぞ。さあ、ぜひとも聞かせてもらおうじゃないか。
「あはは、実は……アーシェさんって普段どこに住んでるんだろうって気になってまして。アーシェさんの荷物にこっそり発信器を付けちゃいました」
「ガチのストーカーじゃねぇか」
予想以上にとんでもない答えだった。よし、ニーナ。お前もう私の半径百メートル以内に近づくの禁止な?
「いや! 私も流石にそれはやり過ぎだと思ったんです! だから取り外そうと思ったら、アーシェさんが急に早退して休暇に入っちゃって……」
「外せないまま今に至る、と?」
「はい……でも可愛らしいアーシェさん見れたので後悔はないです!」
「やかましいわ!」
スパーンとニーナの頭を叩いた。だいたいだな、隊員だろうがなんだろうが私はプライベートをさらけ出す趣味はないんだ。すぐに発信器を片付けろ。そして即座に帰れ。
「えぇ……私、今日完全にここに泊まる気だったんですけど……」
そう言ってニーナはバカでかいリュックを持ち上げてみせた。お前、何日泊まるつもりだったんだよ。
「ともかく帰れ。私は一人で心ゆくまで休みを満喫するんだ」
不機嫌さをにじませながら、礼拝堂のベンチに座ってそっぽを向く。ニーナだろうが誰だろうが知るか。私は一人でいたいんだ。後ろからニーナがこっちの様子を伺うような気配を感じるが無視だ。
しばらく互いに無言の時間が流れる。が、やがてニーナが落胆したようにため息をついて席を立つのが分かった。
「分かりました……そうですよね、お休みのところに突然スミマセンでした」
「……分かればいい」
「突然お休みだって言われたんで心配でしたけど、でも思った以上に元気だったんで安心しました。ベルンでお帰りを待ってますね」
そう言って風通しが良くなった入口に向かっていく。ふぅ、これで静かになる。
と思ったんだが。
「あーあ、これどうしよっかなぁ……」と、ニーナから聞こえよがしな声がした。「アレクセイさんとカミルさんが『二人で楽しんでこい』って、せっかくお土産くれたのにな」
分かっている。これは罠だ。だがそうと分かっていても振り向かざるを得ない。
ニーナの方をそっと振り向くと、あいつの手には滅多に出回らない高級ウイスキーがあった。
(くっ……まさかそんな隠し玉を用意してたなんて……っ!)
だがしかし、だ。その程度で今のこのやさぐれた心を絆せると思うな。
鉄の意志で以てニーナから目を逸らす。だが。
「せっかく……喜んでくれるかなって思ったのにな……」
ポツリとニーナが漏らす。その声色に思わずまたしても振り返り、そして私は見た。
(なん、だと……!?)
ニーナが手にしていたのはただでさえ名高いアイリッシュウイスキーの、しかも幻中の幻と言われる三五年物。おまけに最高級のスモークチーズまであるじゃないか。
「どうしよっかなぁ……帰りながら一人で飲んじゃおっかなぁ……」
袋に完全に目が釘付けになっている私を見て、ニーナがほくそ笑んでいた。
「一晩でも泊めてくれる人がいたら、一緒に楽しめるのになぁ――ねぇ、アーシェさん?」
向けられる悪魔の微笑み。
私が抵抗するまでもなく無血開城したことは言うまでもない話だった。
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