File6 Auf Wiedersehen, Frueher

1-1 こちら、明日中にお願いします







――Bystander





 読み終えた書類にサインをしながらマティアスはちらりと時計を見た。

 時刻は定時近く。そのまま鋭い視線を机の上に移した。積まれた書類はあと僅か。


「……今日は久々にゆっくりと休めそうだな」


 鋭かった視線が自然と緩やかになり、口元が嬉しそうに弧を描いた。

 ここのところ特に忙しかった。ただでさえ忙しい身であるというのに、戦争が終わって幅を利かせ始めた頭お花畑な政治屋や私腹を肥やすことにしか興味のない、貴族出身の名ばかり将校どもとおしゃべりするだけの時間泥棒な会議に参加したり、技術開発局の新型武装開発会議に顔を出したり、未だに政治の実権を一部で握っている貴族連中魑魅魍魎と胃の痛くなるような会食をしたりと目も回る忙しさだった。そして極めつけは先日のリンベルグ事件の後始末だ。

 一日の最後には意識さえもぶっ飛ばしてこの机で寝落ちする日々だった。そんな忙しい毎日のおかげで書類仕事が山となっていたのだが、今日ようやくそれを処理する時間が取れた。

 朝からせっせせっせと片付け続け、残りもあと僅か。これさえ片付け終えればやっと落ち着ける。アーシェもいないことだし、久しぶりに一人でのんびりグラスを傾けようかと思えば自然とペンを握る手にも力が入った。

 と、そこで扉がノックされた。


「ツェーリンゲン准将」

「ああ、レベッカか。どうぞ」


 扉越しに聞こえた声から、ノックの主が秘書官であるレベッカ・クローチェ少尉だと気づくと、浮かれた彼は深く考えず彼女を招き入れた。

 そして後悔した。


「すみませんが机の上を片付けさせて頂きます」


 彼女が抱えて持ってきたのは――新しい書類の山だった。レベッカはマティアスの返事も待たずに机の上に残っていた書類を雑に押しのけると、彼の目の前にズシン……と音を立てて置いた。


「こちら、明日中に処理をお願いします」

「明日……?」


 レベッカが営業スマイルで告げるとマティアスの顔がひきつった。

 これを明日までとか、狂気の沙汰としか思えなかった。少なくとも誰か手伝いが必要だ。


「そうだ、レベッカ。すまないが――」


 そう。たとえば、優秀で愛想の良い――たとえそれが営業スマイルだったとしても――秘書官とか。

 一瞬でひらめいたマティアスは、その整った容姿を無駄にフル活用した「良い」笑顔でレベッカに呼びかけた。

 だが彼が振り向くと同時に定時を告げる鐘が鳴り、それに紛れるように扉が閉じる音が虚しく響いたのだった。


「……そんなに俺と一緒に働くのが嫌かい?」


 書類を置かれて呼びかけるまで、およそ二秒。立ち去る気配さえ感じさせなかったのはひとえに彼女の力量を示しているが、こんな時にまで示してくれなくてもいいのに。

 ぼやき、頭を掻きながらため息。また深夜まで仕事か。毎晩口からこぼれていた魂がいよいよ天に召させれてしまいそうな気がしてならないが、やさぐれても誰も助けてくれないのは知ってるし、なにより神々に魂を差し出すなどもっての外だ。

 マティアスは気を取り直して一番上の書類から処理を始めた。そうして紙ずれとペンを走らせる音だけが響き始めておよそ一時間。厳重に封のされた封書に入った書類を前にマティアスの手が止まった。


「……まだまだ解析には時間が掛かるか」


 やや落胆の混じったため息を漏らしながらも書類の最後まで目を通していく。

 彼の手にあるのは、とある機械の開発状況の報告書だった。否、開発ではなく正しくは「解析」である。

 王国のとある場所の地下深くで発見された「何か」。アーシェの中に宿る知識によってその正体を推定し密かに発掘を行ったそれは、現在は仕組みを解析、修復を行うフェイズに入っていた。

 フェイズが変わってからもすでに数年が経過している。外面は完全に新品同様になっているものの、中身については未だブラックボックスの部分も多く、まだまだ相当の時間と費用が掛かるというのが担当責任者からの報告だった。

 費用はすべて、マティアスが別名義で行っている商売からの利益を投資しており、あまり余裕があるとはいえないがまだ融通は利かせられる。追加費用を了承する旨を記載した返答の書類を書き上げると、王国の紋章の入った封書へとそれを放り込もうとした。


「おっと」


 だが手元が狂い、書類は封筒の縁に嫌われて絨毯の上にヒラヒラと落ちていった。マティアスは深くため息をついて立ち上がって拾い上げ、しかしその際に残っていた書類の山を肘がつついてしまった。


「あ、あ、あ、あぁ……」


 手を伸ばすも間に合わない。山が雪崩を起こして崩れていく様になす術はなく、情けない声だけが上がった。そうして今度は床に広がった書類の沼を呆然と眺め、しばらく口から魂が抜けてしまっていたが、こうしていても現実は変わらないという無情さを噛み締めつつ書類を一人、さみしく集め始めた。


「ん?」


 そんな中、マティアスは書類に紛れた一通の封筒を認めた。一見するとどこにでもある封筒だが、その封蝋には王家のそれとは違う、マティアスが独自に考案した紋章が使われていた。

 それを使えるのはマティアスの密命を帯びた人間――つまりはマティアスの「目」であり「耳」である人間だ。

 書類集めを中断し、マティアスはその封筒をひっつかんで椅子に戻ると中身を取り出して読み込んでいく。半ばまでその報告書を読み進め、彼の顔が驚愕に染まった。


「なんだって……!」


 報告書で言及されていたのは、マティアスたちが解析を進めている「謎の機械」がラインラント帝国の地下でも発見された可能性についてであった。幸いにしてまだその正体については帝国も理解しておらず、今のところは古代文明の機械を発掘したという考古学的な興味しか示していないようで、マティアスは読み終えるとため息を吐いて椅子に体を預けた。


「だが……時間の猶予はなくなったということか」


 この報告書が正しければまだ帝国はおろか、神どもも機械の正体を理解していないということだろう。その機械が何物であるか分かっていればまず間違いなく、何をおいても破壊しようとするはずだ。

 それでもいずれ、正体に気づくはず。そうした時に、王国にも同じような機械が無いか探りを入れてくるだろう。今日明日でバレることはないだろうが、早晩地下で眠る機械の存在は知られてしまう。であれば、解析を加速させなければならない。


「最悪の場合……あのミーミルの泉のコピーを使わせてもらうか」


 ミーミルの泉ならば、コピーとはいえ多少なりとも叡智を得られるはずだ。そうすれば解析も加速できるに違いない。

 リンベルグ元大佐の遺品ではあるが、事が事だけにアーシェならば拒みはしないだろう。

 その代わり。


「……何人も犠牲者が出ることになるだろうが」


 ミーミルの泉を使えば、リンベルグがそうであったように人として耐えられない。そうと分かっていて使わせるなど、それこそトライセンにも負けない畜生にも劣る所業だ。


「それでも……計画は成就させなければならないんだ」


 計画が成功すればすべてが無かったことになる。だから、大丈夫だ。

 こみ上げる罪悪感を押し隠すように自分に言い聞かせる。しかし胸の奥にはずっしりと重く苦しいものが残り続けていた。

 マティアスは立ち上がり、戸棚から酒をひっつかんだ。手早くグラスに注ぎ、勢いよく胃へと流し込んでいく。熱く焼けるようなアルコールが、喉元までこみ上げてきたものを胃の奥底へ押し戻していく。

 それでもなお気持ちは晴れない。しばらくの間ソファに座ってうつむき、動けずにいたのだった。






Moving away――







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