4-1 研究所の人たちが怯えてるんですけど

 あれからアレッサンドロも含めてマンシュタイン殿の家中を探したが、結果として目ぼしい手がかりは何一つ見つからなかった。

 ついでというかなんというか、分かっていたことだがマリエンヌ殿とエリーの姿もどこにもなく、結局のところ分かったのは聖教会の装いに似た服の何者かたちが怪しいということだけだった。


「だがそれでも一歩前進、か……」


 それに非公式とはいえ聖教会の協力も得られたし、これは大きな助けだ。


「とりあえず俺は、本国のネットワークを使って同じ様な連中の目撃情報がないかってのと、マンシュタイン家の面々が王国の外に連れ出されてないかってのをあたってみますよ」

「いいのか?」

「良いか悪いかっていうと本業外ですからね。訝しがられるたぁ思いますけど、何とかしてみますよ」


 アレッサンドロがそう力強く宣言してくれた。だからその後の「だから今度、俺のケツをしばいてくれませんか?」などという妄言は聞こえないことにした。ただ、隣のニーナがものすごい気持ち悪そうな顔をしていたことだけ記しておこう。

 その後は詰所に戻り、他の隊員たちと情報を共有してはみたものの残念ながら目ぼしい情報は少なかった。そんな中で唯一有用な情報として挙げるなら、一昨日まではマリエンヌ殿がビラを配っていたという目撃情報だろう。


「ならば一昨日の夜、か……」


 ますます初動が遅れたのが悔やまれるな。とはいえ、過ぎたことを悔いても時間の無駄である。

 なので翌日、私とニーナは今度は王立研究所を訪れていた。

 エリート意識の強い連中だから我々が立ち入るのは歓迎されないだろうと思っていたが、中々どうして、マティアスから渡された捜査協力要請書を見せるまでもなく素直に私の要求に応えてくれたのだから正直、拍子抜けだったのは否めない。

 とはいえ、協力的かと言えば。


「……なんだか研究所の人たちの眼が怯えてるんですけど」


 廊下を歩いていれば、みんなが我々を恐ろしいものにでも遭遇したみたいに足早にすれ違っていく。が、理由は分かる。


「マティアスの強権が発動したせいだろうさ」


 聴覚を強化して聞いてみれば、本日付で所長が更迭されたらしい。さぞ私たちが自分たちの領域を荒らしに来た傍若無人な暴力的存在に見えるんだろうよ。


「えっと、研究所って軍の内部組織なんですよね?」

「連中の認識じゃそうはなってなかった、ということだ」


 実際に軍の階級が与えられるわけでもないしな。戦争に勝つために成果主義を導入して自由に研究をさせた結果、同じ軍にありながらほぼ別個の組織に近い有様になってしまっている。軍もまたそれを黙認してた側面もあるから仕方ないとも言えるが。

 ともかくも研究員たちには要請書の金科玉条のもと、適当な空き部屋を徴発のうえマンシュタイン殿に近い方々に一人ずつ快くご協力頂いて彼の周辺について聴取していった。


 その結果分かったのは、彼がとんでもなく善良な人間だった、という事だ。

 ここの研究員たちは優秀な頭脳を持つが、反面、嫉妬心や野心といったネガティブな面も強い。他の研究員についてどう思うか聞いてみたところ、出てくるのはやれ「運が良かった」だったり、やれ「部下の成果を横取りしてる」、やれ「あの無能がなんで研究所に入れたか不思議」とおしなべて辛辣であった。


「研究所って、こんな場所だったんですね……」


 ニーナがうんざりした顔でそう漏らしたが、マンシュタイン殿に対しては逆に一切そんな話は出てこない。「あの人は優秀な人だった」、「悩んでいた時に助けてくれたけど恩着せがましくない」など、尊敬と悔しさと感謝に溢れたコメントの数々を耳にすることになった。分かってはいたが、私たちは仕事相手に実に恵まれていたらしい。

 しかし、だ。


「……今のところ、ここでも成果は無し、か」


 マンシュタイン殿の足取りに関する情報は無し。まあ予想は半ばしてたがな。

 これまでのコメントから分かるように、コイツらは基本的に他の研究員とは仕事以外でつるまない。マンシュタイン殿にしたって、仕事が終わればあの暖かかった家庭に直帰だ。所外での目撃情報などあるはずもなかった。

 だがまあ、研究員による怨恨の線は今のところ無さそうだな。念の為、血を一滴ずつもらって舐めてみたが、何人かはマンシュタイン殿に多少思うところはあれども、概ね聞いたコメントは本心に近そうな印象だった。あくまで漠然と私が感じただけだが。


「えっと……次の人で最後ですね」


 ニーナがそう言うと、ちょうどドアがノックされた。返事をすると、くすんだブロンドの髪の、疲れた顔をした痩せぎすの男が入ってきた。


「ヴェラット・トライセン上席主任研究員、で間違いないですね?」


 尋ねると男――トライセンは無言でうなずき、正面の椅子に腰掛けた。そしてややタレ気味の眼と特徴的な鷲鼻を向け、それを見て彼が以前に会議に遅れたマンシュタイン殿を呼びに来た人物だと気づいた。


「ああ、以前にお会いしましたね。我々が試射に訪れた時に」

「……そうですか? すみません、あまり人の顔は覚えていませんので」


 なんとも冷たい返事なことだ。しかもずいぶんとご機嫌斜めな様子で。だがまあ、目元のクマもひどいしかなりお疲れのようだしな。加えて仕事の邪魔をしてるから煙たがられるのも当然か。

 そんな対応に気にすることなく手元の書類から顔をあげると、トライセンは横目でチラチラとニーナを見ていた。ふむ、私はともかくとしてニーナは覚えがあるのかね。だいたいは私の容姿の方が目を引くと思うが。

 まあそれはそれとして。トライセンからも一通り話を聞いていったのだが、彼がマンシュタイン殿と一緒に仕事を進めていたらしい。またトライセン自身が元々受け持っていた仕事の一部をマンシュタイン殿に引き継いだりもしたとのことで、それに関するやり取りも頻繁に行っていたということだ。


「最近、マンシュタイン殿に変わった事は?」

「そうですね……明るい方ですから分かりづらいですが、どうも最近はかなり研究のことで悩まれていたみたいですよ」

「ほう? そうなんですか?」

「はい……それでもあの人のことですから、いずれ解決したでしょうけど」


 そういうトライセンの口調にはどこか棘があるように思えた。本人は至って平静なつもりだろうし、見た目上に変化があったわけじゃないんだが、他の研究員だと弱かったマンシュタイン殿に対する嫉妬心的なものがコイツの場合はちょっと強いように私は思った。

 ……ちょっと煽ってみるか。


「そうですか。確かにマンシュタイン殿は優秀な人ですからね。

 ――他の人なら難しい課題だって、彼なら簡単にやってのけてしまいそうだ」

「恥も外聞もなく周りの手を借りて、ね」


 食いついた。

 トライセンの表情をちらりと見てみれば、落ち窪んだまぶたの奥で悪意が滲んでいた。


「ふむ、貴方なら一人でやってのけるとでも言いたそうですね」

「当然。多少の手伝いならまだしも、研究者なら一人で解決するくらいの気概は見せてほしいと思ってます」


 吐き捨てるようにそう言うとトライセンは席を立った。


「もう宜しいですか? 私の仕事が立て込んでますので」

「これからまだ働かれるので?」


 懐中時計を取り出すと、もう五時を回っていた。


「もちろんです。考えなければならないこと、結果を出さなければならないことが山積してますのでね」


 軍と違って我々は忙しいんですよ、とありがたい皮肉を頂いて、トライセンはとっとと出ていってしまった。


「最初に血をもらっておいてよかったですね」

「だな」


 うなずきながら、最初にもらった血を一滴舐めてみる。するとぼんやりとだが、これまでの研究員たちと違って、やはりマンシュタイン殿に対するドロリとした感情が渦巻いているような感覚がした。


「さて、どう動くかな……」


 なんとなくトライセンは何かしら事情を知ってそうな気がするな。証拠はないが……隊員の誰かにしばらく張り付かせてみるか。

 しかし……


「こういう時――」


 正直言うと、私の魂まで腐ってしまえば楽なのに、と思ってしまう。

 喰われて美味く感じるほどに私が畜生ならば、本能に忠実な「魂喰い」であれば問答無用にトライセンを襲ってしまえるのに。そうすれば事件の全てが即座に露わになるだろうに、未だ「人間」であるという自意識が邪魔をしてそうできないでいる。こんな、一刻を争うような状況であっても、だ。


「どうしました?」

「……いや、なんでもない」


 だがそれでいい。でなければ、私は「私」でなくなってしまう。たとえマティアスと進めている「事」を成し遂げたとしても、そうなったら意味がないからな。

 気持ちを入れ替える。今はしかるべき手順でマンシュタイン殿たちを見つけ出すだけだ。為すべきことを為せ。自分にそう言い聞かせて、私たちは誰もいなくなった部屋の明かりを消したのだった。

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