3-3 ネズミに話を聞くとしようじゃないか
「マリエンヌさん、エリーちゃん……」
間違いないだろう。マリエンヌ殿もエリーも何者かに襲われた。夫を探すマリエンヌ殿が目障りだったのか、それとも彼女自身にも狙われる理由があったのかは分からんが、少なくとも自力でここに戻ってくる可能性は低い。
「泣いてる場合か」
「だって……」
「まだ諦めるのは早いぞ」
絶望感に襲われて鼻をすするニーナを一喝し、改めて室内を観察する。
飛び散った血痕はテーブルクロス部分だけ。術式で暗い床を照らしてみるが、数滴の痕はあるものの大量の出血痕は無かった。ならば殺されずにどこかへ拐われただけの可能性は十分ある。
そう言ってやると幾分ニーナの顔色も戻ってきた。ったく、世話の焼ける。ま、気持ちは分かるがな。
半ば呆れつつ頭を掻いたその時、血とは違うよく知った「匂い」が微かにした。
そして何かが動く気配。
「そこかっ!」
即座に捕縛術式を放つ。
室内を紐状の白い線が走っていき、逃げようとした何かを壁に縫い付けるとそいつは甲高い鳴き声を上げた。
「■■■――ッ!!」
「……ちっ、なんだ」
捕まえたのは小さな生物だった。四枚の羽を持った人間っぽい手足を持ち、一見すると可愛くもみえる。が顔を覗きこめば猿みたいな顔で長い舌がうごめいている。少なくとも私はペットにはしたくないな。
「そいつがエリーちゃんたちを……?」
「いや、コイツは単なる小精霊だ。たぶん今回の件とは関係ないな」
凄惨な事件とかが起きて放置してると、こういった類が寄ってきていわゆる「良くない」不吉な場所にしてしまうというのはよくある話だ。とはいえ、窓を開けて新鮮な空気を入れてやるだけでコイツらは嫌がって出ていってしまうからほぼほぼ無害だがな。
しかしコイツらがいるということは、だ。やはりこの部屋の惨状が単なるマリエンヌ殿のドジっ娘属性爆発やエリーの癇癪の結果なんぞじゃなく、明確な悪意を持った何者かが引き起こした事件だということだ。
「なら……」赤くなった眼をニーナが擦りながら息を大きく吐いた。「一刻も早く見つけ出してあげないといけませんね」
「そうだな。だが、その前に――ネズミに話を聞くとしようじゃないかッ!」
目を一度閉じ、見開く。
瞳が金色に染まっていく熱を感じながら、私の内側でこっそりと待機状態にしてあった術式を発動。薄暗い室内を青白く染めると、強化された足が強かに床板を蹴った。
それと同じくして、この家のどこかに潜んでいた何者かの気配が動くのを感じ取る。
「逃がすかッ!!」
巧妙に気配を消してずっと潜んでいたようだがな、いくら気配を消したところで私の鼻はごまかせんぞ。
捕縛術式を放つと、逃げた何者かを追いかけていく。私も追っていけば、白いフードを被った男が術式をナイフで弾き飛ばし、開け放たれた玄関から飛び出そうとしていた。
だが、甘い。ニーナが投げた魔装具が私の頭上を越え、男の横を通過していく。
次の瞬間、男の目の前で魔法陣が展開されて不可視の壁が出来上がると、男は顔面を「びたーんっ!」と強かに打った。おぅ、あれは痛そうだ。
顔を押さえてうずくまる男の後頭部を私の右腕が掴む。そのまま力任せに引きずり倒して馬乗りになり、右手のひらに術式でナイフを作って振りかぶった。
そして。
「ちょ、ちょちょちょちょちょちょストォーップッ!!」
男が慌てて声を上げるが、それを無視してズブリと突き立てた。頭――のすぐ横にな。
組み伏せた男の口から魂が抜けたような情けない声が漏れる。だが、その後ですぐに口をついて出てきたのはよく知った声だ。
「ちょっとちょっとぉっ! どういうつもりですかっ、アーシェさんっ! 俺を殺す気ですかっ!?」
「どうもこうもそういうつもりだが? お前こそどういうつもりだ――アレッサンドロ?」
現場に戻ってコソコソ隠れてた犯人がずいぶんな口の聞き方をするじゃないか。
ナイフを突き刺して動けなくし、死ぬ前に私が喰らう。そうすれば尋問なんざする必要もないくらい手っ取り早く何もかもがまるっとスパッとお見通しになるんだぞ。それの何が悪い? むしろ弁解の機会を与えてやったことを感謝してほしいところだ。もちろん聞く気はないが。
「違いますって! 俺は犯人じゃないですって!」
「犯人はみんなそう言うんだよ」
「ホントですって! あ、そうだ」必死に弁明してたアレッサンドロが妙案を思いついたとばかりに気持ち悪い笑顔を浮かべた。「そんなに信じられないなら俺の血でも肉でもちょっと食べてみてくださいよ。そうすりゃ俺が違うって理解してもらえますよね?」
さっきまでと逆に今度はアレッサンドロの方から「さあ、さあ!」と襟元を広げて首元を押し付けてくる。近寄ってくる顔はだらしなく緩んで鼻息は荒く、「アーシェさんにならいくらでも噛んでもらって大丈夫です」などとのたまってくれる。お前は何を妄想してるんだ?
あまりにもアレッサンドロが――分かっていたことだが――変態じみているのでコイツだけは喰うのをやめようと心に誓った。代わりに手早く指先を斬り裂いて滲んだ血をすくい取って舐めてやる。その瞬間アレッサンドロがこの世の終わりみたいに絶望していたような気がしたが私は何も見ていない。
そんな場違いな変態ムーブは別にして、だ。
「……なるほどな。確かに嘘は言ってないようだな」
血に混じった魂の記憶を見る限り、今回の事件にアレッサンドロは関わっていなさそうだった。もちろん全ての記憶が見えるわけじゃないので断言まではいかないが、感覚で判断する限り無関係っぽいな。
「でも隠れてたんですよね? 犯人じゃないならなんでコソコソして逃げようとしたんですか?」
今までのやりとりを見ていたニーナが不潔なものに対するような眼で責め立てる。なんというか、口調にも珍しく棘があるな。まあ気持ちは分かる……隠れてたことに怒ってるんだよな?
「ええっと、ニーナちゃん……であってますよね? そこを責められるとツラいんスけど、なんというか気配を消すのはクセみたいなもんでして……」
コイツは常日頃からこんな感じだからな。だが別に逃げずにいつもどおり私に話しかければ良かっただろうが。
「だってこんな場所ッスよ? 話しかけたって今みたいに絶対めんどくさいやり取りになるじゃないですか。バレてないならこっそり逃げた方が楽だと思ったんスよ」
「結局めんどくさいやり取りになったけどな」
「てか、なんでバレたんですか? いつもならバレないのに」
平時ならともかく警戒してる時だからな。誰の、までは区別つかずとも気配を消そうが独特な魂の匂いは感じとれる。誰かがいるのに気配がないのならお前くらいしか考えられないだろうが。
「しかし関係ないならなんでお前がここにいる?」
「それがですね」立ち上がって乱れた服を直すとアレッサンドロは頭を掻いた。「マンシュタイン家の主人が消えたって話はウチにも入ってまして。それだけなら放っとくんですけど、白い装束の人間がこの家から出ていくのを見たって噂がありまして」
ほう。それは有力な情報だな。しかし白い装束、ね。
アレッサンドロの格好を下から見上げていく。うむ。どこをどう見ても白装束だな。
「言いたいことは分かりますよ? 俺は何も聞いてないッスけど、俺の預かり知らないところで
「なるほどな。本国に問い合わせは?」
「しましたよ、当然。けどやっぱ王国内でそんな指示は出してないって返答でした」
なら聖教会の一部の人間が独自に動いたということか。
いや、待てよ。そういえば……
「この間、私が拐われかけた時の人たちは関係ないんでしょうか……?」
「ん? 何の話ッスか?」
事情を知らないアレッサンドロに先日の事件を話してやる。聖教会と同じ様な白装束に身を包んでいたこと、だが白装束に聖教会の紋章などは入って無かったことを伝えると、腕を組んでうなり始めた。
「そいつは厄介ですね……ウチらに疑い被せて、何かしでかそうとしてる連中がいるのかもしんないッスね。この情報、本国にも伝えて構わないですか?」
「構わん。その代わり、お前が仕入れた情報も逐一私に回せ」
「協力体制を気づくってことですね。了解ッス」
「……良いんですか?」
「マンシュタイン殿たちを見つけ出すのが最優先だ。捜査の手が増えるのは悪い話じゃない」
手を結ぶ相手を著しく間違った気がしないでもないがな。
しかし……捜査の手が増えたのはいいが捜査対象も増えてしまったな。
(貴女が使い続けてくれたから夫は立ち直れたの)
私にとっては取るに足らないこと。にもかかわらずわざわざ招いてまで礼を言ってきたマリエンヌ殿の言葉が不意に頭を過ぎった。
激しく乱れたダイニングを見つめると、先日の光景が浮かび上がってくる。プレゼントを渡すマンシュタイン殿と、それを満面の笑みで受け取る娘のエリー、そしてそんな二人を優しく見つめるマリエンヌ殿の姿。
自然と眉間にシワが寄り、そんな自分に呆れる。
(私らしくもない……)
幸せな家族の姿に憧憬を抱くなんて。
変わり果てた家の中に次々と浮かんでくるあの日の景色。それを何とか振り払うと、他に痕跡が無いか探すとうそぶいて、私は他の部屋へと向かっていったのだった。
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