4-2 二つの選択肢を提示しましょう

 幾分舌っ足らず。だがその声は、無垢な少女が出すにしてはあまりに皮肉と嫌味に満ちていた。

 突然の声に、カールハインツは驚いて鈍重な体を宙に浮かせた。立ち上がってケースをひっつかんで「誰だッ!?」とライトを浴びせると、彼女を覆っていたベールが引き剥がされた。


「き、貴様はッ……!」

「こんな夜更けにデートですかな? いやはや、大尉殿も隅に置けませんなぁ」


 暗闇の中から現れたのはアーシェだった。風に雲が流され、三日月が姿を完全に現す。微かな月明かりが街を照らす中、後ろにアレクセイやニーナたちを付き従え、片側の口端を吊り上げて彼女は嘲笑していた。


「いやぁしかし、異国の交際相手ですからねぇ。気に入ってもらうのに相応のプレゼントが必要だというのは理解します。が、我が国の機密を売り渡すのは感心しませんなぁ」

「な、何を言っておるのだ? 我輩はそんなこと――」

「気づいておられますか? そのケースの中身――全てダミーなのですよ」


 軽く鼻を鳴らしてアーシェがそう言い放つと、カールハインツは目を丸くしてケースから図面を引っ張り出した。


「気づきませんでしたか? まあ気づいてたらそんなに驚きはしないでしょうね。

 それではもう一つ驚いて頂きましょうか。実は図面保管庫の金庫の天井にはカメラが仕掛けられておりましてね。ウチのニーナが頑張ってくれたんですが、人を感知したら自動でシャッターが切られるように術式と回路が組み込まれているのですよ」

「なっ!?」

「同時に、夜中にシャッターが切られたらすぐに我々に信号が送られてくるようになってましてね。

 お気づきになられませんでしたか? ずっと私が空から大尉殿の車を尾行していたことに。だから大尉殿がいつ、どこからどういう経路を辿ってここまで持ってきたのか、全て筒抜けなのですよ」

「う……くっ……!」


 タバコに火を点けながらアーシェがネタバラシをすると、カールハインツは目に見えてうろたえた。

 煙を一吸い。アーシェは三日月を見上げて言葉を続けた。


「ずいぶんとお世話・・・になった大尉殿のためです。こちらの情報もお伝えしておきましょう。

 ――デートのお相手はもういらっしゃいませんよ」

「なん……だとっ……?」

「我々に感づかれたと気づいたのでしょう。踏み込んだ時には潜伏先はすでにもぬけの殻。見切りの早さはさすがはプロフェッショナルと、敵ながら称賛に値しますな。もっとも、それに気づかずノコノコとやってきた間抜けな豚は居たようですし、すでに証拠は押さえてありますから撤収したところで無駄なんですが」

「っ……!」

「さて、大尉殿。私から二つの選択肢を提示しましょう」


 そう言ってアーシェは指を二本立て、カールハインツに近づいていく。


「一つは全てを諦めて罪を認め、然るべき処罰を受けること。そしてもう一つは、ここで我々に全力で抗い、その濁りきったプライドごと食い潰されること。

 さあ、どちらを選ばれますか?」

「貴様ァッッ! 我輩は貴様より格上の大尉であり、名誉あるヘルヴェティア王国アスペルマイヤー伯爵家の三男であるぞッッ! そのような……そのような無礼な扱い、受けるいわれはないわッッ!」


 カールハインツは腰にぶら下がっていた警棒を引き抜くと、アーシェに殴りかかった。が、それを彼女は涼しい顔をして指先で容易く受け止めた。

 青筋をあちこちに浮かべ、顔を真赤にして彼女の手から警棒を引き抜こうとするカールハインツ。それを眺めながら彼女は冷めた口調で事実を告げた。


「ああ、ご存じないのでしたね。もう大尉でも伯爵家でもなんでもありませんよ、大尉殿は」

「なん、だと……?」

「名前が長ったらしいんで未だ『大尉殿』と呼ばせてもらってますが、本日の日付変更をもって陸軍の職を懲戒解雇されました。数日前にも今日と同じ様に機密を盗んだでしょう? さっき教えた魔装具でバッチリ証拠が残ってましてね、伯爵家と懇意にされていた将軍のお歴々もさすがに庇い切れないと思ったんでしょうな。あっさりと首を切る書類にサインしてましたよ」

「そ、そんな馬鹿な……」

「伯爵家にしてもそうです。これまでずいぶんとご迷惑をお掛けしたようですね。ご兄妹で大尉殿をかばう人間は誰ひとりとしていらっしゃいませんでした。話を聞くやいなや、現アスペルマイヤー伯爵様は離縁の決定をされてましたよ。私たちの話の真偽さえ確認せず」


 つまり、それだけ縁を切りたがっていたということ。事実、すでに没落して金も権力もなくなった伯爵家では、カールハインツが毎度もたらす醜聞や借金の肩代わりにうんざりしていた。

 何があっても伯爵家なのだから何とかなる。幼い頃に刷り込まれたそんな感覚を未だに引きずっていたカールハインツは、アーシェからもたらされた話に衝撃を受けて自失していた。

 呆然と立ち尽くし、膝をつく。地面に両腕をついてうつむき、やがて体を震わせ始めた。


「さて」アーシェが改めて尋ねた。「諦めるか、抵抗するか。どちらにしますか?」

「……ふ、ふふ、ふ」

「もう夜もだいぶ遅いんです。明日も遅番とはいえ仕事なのでさっさと決めて頂けたら助かりますが」

「ふざけるなぁぁぁッッッ!!」


 激昂。その言葉がまさに当てはまるというような怒鳴り声を街に響かせると、カールハインツは拳を地面に叩きつけて立ち上がる。そして二つのアタッシュケースをこじ開けて、図面が風に舞う中、彼は金属の塊を取り出した。

 二つの部品を組み合わせる。すると見るからに重厚で凶悪な武器が組み上がった。

 太腿の上に筒状になった部分を乗せる。そこから伸びる銃身は長く、アーシェの半身ほどもありそうだ。一つ一つに術式魔法陣が刻まれ、それが円周上にいくつも並んでアーシェを威嚇している。


「っ……!」

「それは……」

「フハハハハハッッッ! 慄いたかッッ!? 開発部が開発した最新の多重連続発射式術式銃だっ!! コイツで貴様らなんぞ消し飛ばしてやるわッ! そしてこれさえ持っていけば、どこの国であっても我輩の亡命を受け入れて――」


 一気に優位に立ったと見たか、高笑いを響かせる。そして、それまでから一変して下卑た笑みを浮かべて余裕ぶった口上を述べ始めた。

 だが。


「あ、アーシェさんッッ!?」


 アーシェはタバコをくわえたままカールハインツへと近寄っていく。そこに恐怖も怯えもなく、ただ冷めた眼で彼を見据えるだけだ。


「き、貴様ッッ! それ以上近づくと――」

「どうぞお撃ちください。撃てるものなら」


 涼しい様子で挑発。小さな体で見上げているのに、カールハインツにはまるで見下されているかのような錯覚を覚えて、カールハインツの頭にあっという間に血が昇っていった。


「きぃぃさまぁぁぁぁぁッッッ!!」

「アーシェさんッッ!」

「死ねぇぇぇぇッッッッッッッッ!!!」


 奇声じみた叫び声を上げて、カールハインツは引き金を引き絞った。

 結果――何も起こらなかった。


「ぬっ!? なんだとぉっ!?」


 トリガーを引いてもカチカチと虚しいスイッチ音が夜空に響くだけ。カールハインツは焦りながら銃口を覗き込んだり、武器のあちこちを叩いたりしているが何も起きはしなかった。

 そして――その顔に小さな拳がめり込んだ。


「ぶべッッ!?」


 巨体が真横に吹き飛び、顔面が強かに地面を滑っていく。

 カールハインツは分からなかった。なぜアーシェという、男に比べて貧弱なはずの小娘に転がされているのか、なぜ口から血を流しているのか、なぜ――なぜ自分は地べたを這いつくばっているのか。

 何もかも分からないまま口から流れる血を必死に押さえていたが、そこに小さな月影が覆いかぶさる。

 見上げれば、金色に輝く瞳が笑って彼を見下ろしていた。


「おやおや……どうやら大尉殿は自国の武器の使い方さえ知らないと見える」


 口元が弧を描き、真っ赤な舌が覗いている。三日月が彼女の背後で輝き、その形はアーシェと同じく彼をあざ笑っているようであった。

 アーシェを見上げ、カールハインツの体が震えた。彼は気づいた。気づいてしまった。アーシェが自分を見下ろす瞳。それが最早、人として見ていないことに。


「さて――それではどちらにするか選んで頂いたと理解しました」

「や……やめろ……頼む……! か、金なら幾らでも用意する。だから……」

「金など要らん。そんなもの、貴様を見逃すほどの価値などない。

 だがな、アスペルマイヤー大尉。貴様には感謝しているよ。なにせ最後に――私にとって上等なエサになってくれることを選択したんだからな」


 アレクセイやニーナは二人から背を向けると、アーシェの顔がカールハインツに近づいていく。

 獰猛に笑い犬歯がむき出しになる。その口が大きく開かれていって、そして――


「やめ、ろ……それ以上近づくな……! や、やめ、やめて――」


 喰らいつかれた悲痛な断末魔が、月夜の空に吸い込まれて消えていったのだった。







Moving away――

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