3-1 今日は私に付き合え

「んん~……」


 ペンを放り捨てると、大きく背伸びして私は詰所の席を立った。

 あの日から一週間。カールハインツには一度も遭遇せずに実に平和な一週間だった。おかげで溜まっていた書類仕事も一掃できて机の上も私の気分もすっかり晴れやかである。

 時計を見れば夜九時過ぎ。遅番の定時は過ぎてるな。ならちょっと一杯飲んで帰るとするかね。


「……ん?」


 帰り支度をしながらなにげなく奥の方に目をやれば、整備室のドアが開いていて光が漏れていた。もう一度時計を確認するが、やはり夜九時である。ひょっとして。


「ああ、どうせニーナだろ?」


 当直のため椅子に座って本を読んでいるカミルに聞いてみるが、やはりそうか。

 まったく、アイツは暇さえあればすぐ引きこもるな。ため息をついてドアを勢いよく開け放つとニーナの襟首をひっつかんで、いつぞやの様に外へと引きずり出した。


「ふ、ふぇぇっ? アーシェさん?」

「まったく、貴様という奴は……仕事は終わりだ。今日は私に付き合え」


 引きずられたニーナが部品がどうだ、ハンダがどうだとか騒いでるがそんな事知らん。貴様はいい加減魔装具以外のことに興味を持て。

 というわけで、だ。


「いたたたた……って、ここは?」


 文字通りニーナの首根っこを掴んでやってきたのは私が良く世話になるパブだ。パブとは言ってもバーテンダーがカウンターで酒を出すし、テーブルにはホステスをつけることもできる、なんかよく分からん店だ。が、出す酒とつまみの味に関しては確かである。


「えっと、私、お酒はあんまり……」

「飲めないわけじゃないだろう?」

「まあ、そうですけど……あまり飲んだことないですし、お給料前ですし……」

「心配するな。私のおごりだし、酒も店主に頼めば間違いはない」


 不安そうなニーナの手を引いて店に入る。中は薄暗く、表現が難しいがほのかな照明が良い雰囲気を作り上げている。テーブルでは薄着の嬢が客の相手をしていて、ニーナは顔を赤らめるなんて初な反応を見せてるが、別段いやらしい感じじゃなくて客と嬢で楽しく酒を飲んでいるといった様子だ。


「マスター、いつもの奴を頼む。コイツには、そうだな……酒の美味さが分かる、あまり強くない奴を」

「畏まりました」


 カウンターにニーナと並んで座ってなんとも抽象的なオーダーをするが、マスターは微笑むと悩む様子もなく手際よく酒の準備を進めていった。

 程なく私たちの前にグラスが差し出され、ニーナがなんとも言えない顔をしながら恐る恐る一口含む。

 と、表情が一気に変わった。


「あ……美味しい。これ、すごく飲みやすくて美味しいですっ!」

「ありがとうございます」

「気に入ったか?」

「はいっ! お酒ってこんなに美味しいものだったんですね」


 出された酒を気に入ったらしい。一気に飲み干すと、マスターに「おかわりっ!」とグラスを差し出していた。


「金は無くともメシと酒は美味いものを喰えってな。美味いものは心にゆとりと豊かさをもたらしてくれる」

「誰のセリフです?」

「さあ、誰だったかな」


 いつもの酒を飲みながら記憶を辿っていってみるが、誰の言葉だったかさっぱり思い出せない。だがまあ、別にたいしたことじゃあない。ゆっくりと酒を味わえる贅沢に比べれば、そんなこと些細なものだ。

 しかし。


「……ずいぶんと賑やかだな」


 奥の半個室になっているテーブル席をつい睨みつける。カウンターからは見えないが、嬢の控えめな笑い声に混じって男の大きな笑い声が断続的に店内に響き渡っていた。見回せば、ニーナ含めて他の客もそちらを睨んで渋面をしているから、どうやら私と気持ちは同じらしい。


「申し訳ありません」

「いや、気にしていないし、マスターが謝るような話じゃないさ」


 酒の飲み方は人それぞれだ。私みたいに静かに味わいたい奴もいれば、騒ぎながら楽しく飲みたい奴だっているだろう。個人的にはあの下品な飲み方は嫌いだが、かといって相手の楽しむ権利を奪うことも嫌いだ。できれば声のボリュームを落とせと言いたいのは言いたいが。


「ん?」


 とまあ、穏便に酒を楽しもうじゃないかと思ってニーナとグラスを合わせ鳴らしたんだが、突然その半個室から嬢が飛び出してきた。うつむき加減で私たちの後ろを走り抜け、そのまま従業員用の部屋へと駆け込んで消えていった。


「アーシェさん……」

「ああ」


 走っていった嬢の上半身はかなりはだけていた。どうやらあの賑やかな客はここを場末のストリップ劇場と勘違いしたらしい。さすがにこれは看過するわけにはいかないな。

 一言注意してやろうと席を立った私だったが、その個室から出てきた客の姿を見て思わず頭を抱えた。

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