1-2 やってきたのは――豚だった

「エダ婆」

「ひゃっひゃっ、元気でやってるかい? たまには買い物に来なさんね」


 声を掛けてきたのはエダ婆という、この先を少し行ったところで小さな商店を営んでる店主だ。歳は六十を過ぎているが溌剌とした元気な婆さんで、人の良さそうな外見をしているがこの時間帯はこうして露店を出しては観光客にいけしゃあしゃあと怪しげな品物を売りつけるとんでもない傑物である。


「買い物くらい、いくらでも行ってやるさ。黒魔術に使うような怪しいもの以外を売ってくれるならな」

「はじめまして、お婆ちゃん。私、ニーナ・トリベールっていいます。この間からアーシェさんの部隊でお世話になってるんです。宜しくお願いしますね」

「ひぇっひぇっ、どうぞ宜しく。

 まったく、どうだい? アーシェと違って愛想があるいい娘じゃないか。どこの村からだまくらかして連れてきたんだい?」


 人聞きの悪い事を言うんじゃない。

 だがまあ、こうして言葉を交わすのは大切だ。せっかくなのでしばらくそんな他愛のない会話を続けていたが、不意にエダ婆が「あいたた……」と苦しそうに声を上げた。


「なに、大したことじゃないさ。ちょいとばかし腰を痛めただけさね」


 よく見れば確かにいつもと違ってエダ婆の腰が曲がって前かがみになってるな。ひょっとしてだから最近見かけなかったのか?

 エダ婆を観察してみる。この婆さんもまた右脚の膝から下が義足だが、その義足の動き方がどこか妙な感じで気になった。もしかして、と思ってニーナを見てみればアイツも気になるのか、じっと義足を見ながら首を捻っていた。


「ニーナ」

「はい?」

「エダ婆の脚をちょっと見てやれ」


 指示してやるとニーナは嬉しそうにスキップしながらエダ婆へと近づいていってた。エダ婆は顔を引きつらせて逃げ出そうとしたものの、あえなくアレクセイとカミルという大男連中に捕まって強制的に着席となった。

 なぁにエダ婆、サービスだ。遠慮はいらんぞ。まあどちらかというと工具を手に持ちながらニタニタしてるニーナが怖くて逃げ出した感はあるが。


「い、いいんだよ。そんな事しなくって」

「まーまー、いいじゃないですか」


 エダ婆の声が若干震えてるが無視。ニーナは腰のポーチから取り出した右手の工具、そして義手の左手が変形したドライバーを使ってエダの義足をまたたく間に分解していった。


「あー……関節部のネジとか軸心が錆びちゃってますね。結構歩きづらかったんじゃない、お婆ちゃん?」

「ん、まあ、ね……ひょっとして治るのかい?」

「はい。ちょっと待っててくださいね」


 ニーナが笑顔でうなずくと手際よく作業を進めていく。義手のドライバーが高速回転して錆びたネジと軸心棒をあっという間に取り外し、いつの間にか取り出した錆取り剤を吹き付けて周辺の錆を削ぎ落としていった。錆びたヤツの代わりに真新しい部品をポケットから取り出したら手際よくエダ婆の脚に取り付けていった。


「はい、終わりましたよ。具合はどうですか?」


 とまあ見る見る間にニーナは作業を終えてしまった。なぜお前は当たり前のように錆止め剤や新しいネジを持ってるのかとか色々ツッコみたいところではある。が、それはさておいてなるほど、コイツの作業は初めてちゃんと見たが見事な手際だ。分解から数えて十分くらいしか経ってないんじゃないか? 思わず私の口からも感嘆の声が漏れた。


「……おや、ずいぶんと滑らかになったねぇ。それに心なし、腰も楽になった気がするよ」

「その義足が腰痛の原因だろうよ。脚の動きをカバーするために腰に余計な負担が掛かってたんだ。痛い部分と違う場所が原因なんてよくあることだからな」

「ひぇっひぇっ! ありがとうよ! 若いのにずいぶんと腕が良いこと。ならこれからガタが来た時はニーナのお嬢ちゃんにお願いするとするよ」

「バカ言え。今日は特別だ。ニーナも、このババアに頼まれたって安請け合いするなよ。貪りとれると思ったらすぐ調子に乗るからな」


 義肢職人連中から総スカンくらうのもたまったもんじゃないし、ニーナのことだからな。釘を差しとかないとこのお人好しの趣味人はすぐ押し切られるに決まってる。

 で、エダ婆はといえば、私が睨みつけたところで暖簾に腕押し、糠に釘。「カッカッカッ!」とより一層元気な笑い声を上げてごまかしやがった。

 ちっ、と舌打ちを思わずすると肩がポンッと叩かれた。


「なんであれ、エダさんが元気になるのは喜ばしいことですよ、中尉」

「ひぇっひぇっ、どうだい、アレクセイ? アンタもたまには店においでよ。良ぃい娘っ子がアタシの知り合いにいるんだ。紹介したげるよ」

「……遠慮しておきましょう」


 調子が出てきたエダ婆には、さすがのアレクセイも閉口するしかないらしい。


「アーシェも、アンタにもなんならいい男紹介してやるよ」

「余計なお世話だ、クソババア」


 悪態をついても一向に堪えた様子がないから腹が立つ。もう一度舌打ちして強引に話をぶった切って巡回を再開すると背中越しに笑い声とともに「今日の御礼に安くしとくよ!」とかいう呼び掛けが聞こえてくるが、適当にあしらっておいた。

 そんなこんなで本日も珍道中爆進中だが、ふと行く先が妙に静まり返っているのに気づいた。


「何か事件でしょうか?」


 さあな。事件であってほしくはないが何かが起きてるのは確かだろうよ。

 鬼が出るか蛇が出るか。静まり返った先を注視して待ち構えていると、人の海をかき分けてやってきたのは鬼でも蛇でもなくて――豚だった。

 いや、そんなことを言うと豚に失礼だな。まるまると太った体を大きく揺らしながらやってきたのはカールハインツ・アスペルマイヤー大尉殿その人だ。

 腹は突き出て顎は二重どころか三重になっていて全く以て軍人らしくない体格。せいぜい軍人っぽいところを挙げるなら、どこに気を遣ってるんだと言いたいくらいにピシッとしたカイゼル髭くらいか。そんなデブ、じゃなかった豚――じゃない、大尉殿が従順な羊どもを従えてこちらへ近づいてきていた。

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