1-3 お前のママじゃないんだから分かるか

「……厄介な野郎が来ちまったな」


 ああ、全く以て同意するよ、カミル。どうせならノアの奴も連れてくれば良かったな。そうすれば貴族社会の悪しき慣習例として「ほら、これが箔付けのための階級と隊長職だぞ」と教えてやれたのに。


「……あの、どなたですか?」

「我々と同じ警備隊の隊長殿だ。第十二警備隊お隣さんだがな」


 そしてアスペルマイヤー伯爵家の三男でもある。当代になって没落してしまった家だが先代は中々にできる・・・御方だったようで、世話になった軍上層部の面々のゴリ押しで将校になったという話だ。もっとも、その当人は未だに伯爵家の権勢が生きている証左だとこのご時世に及んでも勘違いしていらっしゃるようだがな。

 その大尉殿がニタニタとしながらふんぞり返ってこっちに近づいてくる。正直このまま無視して素通りしたいが仮にも上官だ。向こうも私に絡みたいみたいだし、仕方がない。いつもの感じでやるか。


「これはこれは、アスペルマイヤー閣下。ご無沙汰しております。閣下も巡回ですか?」

「ふん、まあそんなところだ。そういう貴様は相変わらず生意気な態度だな。おしめの交換は済ませたのか? んん? さっさと軍服など脱いで御主人様に奉仕でも行ったらどうだ? 王国の紋章は貴様のような女子どもが付けて良いような安っぽいものではないのだぞ?」


 おおっと、いきなりの先制パンチ。年齢の割りに老けたツラで見下して鼻で笑ってきやがった。正直カチンと来るが、この程度でいちいち反応していたら豚……もう豚でいいか。豚の相手などできんし、コイツの思うつぼだからな。


「閣下はご冗談が上手だ。非力ながら小官も鋭意職責を務めさせて頂いております」

「貴様のような女、しかも子どもが伯爵家が三男である私と同格の隊長職だとはな……まったく気に食わん話だが、まあそこは今日はいいだろう」

「そうですか。では小官はこれで。職務に戻ります」


 敬礼して横を通過しようとしたんだが肩を掴まれた。くそ、やっぱパターンAはダメか。


「まあそう急ぐでない」

「しかし……」

「もうそんなに急ぐ必要もなくなったのだよ。察しが悪い女だ」


 私はお前のママじゃないんだから分かるか。というか、今の会話だけで分かったら人間じゃないっての。いや、私ももう人間じゃないんのはそうなんだが。


「どういうことでしょう?」

「ふん、今日からこの区画は我ら第十二警備隊の管轄となったのだ。なので貴様は用済みなのだ。分かったらさっさと私の前から消え失せろ」


 豚の前から消え失せるのは私としてもやぶさかではない。が、さすがに前半部分を聞き流すわけにはいかないな。

 警備隊の担当区域を見直すなんて話は微塵も聞いていないし、そもそも見直す必要もない。ひょっとして私がいない時に通知が来たか、と思って後ろのアレクセイたちに振り向いてみるが、アレクセイもカミルも無言で首を横に振った。


「そのような話は聞いておりませんが?」

「単に女子どもには話を通す必要などないだけではないかね? んん?」


 女や子どもは黙って男に奉仕しろ、などという時代遅れも甚だしい価値観にもそれに全く気づかない豚には、いやもう辟易してくるな。そうして生きてたいなら世の中に出しゃばらず、素直に豚は豚らしく屋敷豚舎で飼われていればいいというものだ。


「ともかく、そういうわけだ。さっさとこの場から立ち去るが……ほう?」


 豚が私から離れていくと隊員たちの方へ近づいていった。何をするかと思えば、その豚足のような太い腕をニュッと伸ばし、ニーナの腕を掴んで抱き寄せていた。


「……っ!」

「……なんだ、腕無しか。まあいい。貴様、今日から私の隊に入れ。私が直々に毎日可愛がってやろう」

「い、いえ……その、遠慮――」

「あ? 嫌と言うのか? なら二度と外を歩けぬ体にしてやってもいいのだぞ?」


 いやらしい眼差しを向け下卑たセリフを浴びせると、脂肪まみれの指を嫌がっているニーナの胸へと伸ばしていこうとする。

 が。


「ぬ?」

「私の可愛い部下です。そのようなことは専門の女性を相手になさるのがよろしいかと」


 汚い指が胸に届く前に掴んで止める。確かにニーナの胸はさぞ触り心地はいいだろう。だが上官といえどもさすがにセクハラは看過できないな。おまけに「腕無し」などと侮辱しやがった。


「ぐ……」


 掴んだ腕に少々・・力を入れて豚をニーナから引き剥がす。正直、この前足も引きちぎってコイツも「腕無し」にしてやりたいところだが、私は寛大だ。それはやり過ぎだと自重しておこうじゃないか。

 掴んだ腕の力を緩めてやる。すると私の腕から引き抜こうとして、勢いあまって豚野郎の前足が露店の柱を強かに叩いた。痛そうに豚野郎がうずくまってクスクスと周囲から忍び笑いが漏れるが、豚が目を血走らせて睨んで黙らせた。いや、最後のは自爆だろう。


「ともかく! 今日からこの辺り一帯は我々の管轄となるッ! 貴様らはとっとと消え失せろッッ!!」

「しかし隊長である私にさえ通知が来ておりませんので。正式な命令が確認できない以上、私も職務を放棄する訳には参りません。至急軍本部に出向いて確認して参りますので、大変申し訳ありませんが本日は大尉殿はお引取りください」

「私に口答えをするなぁぁぁッッッ!!」


 激昂した豚が拳を振り回し、それが私の頬にめり込んだ。

 私の軽い体は簡単に浮き上がってぶっ飛んでいき、そのまま建物の壁際にセットされてあった空き樽に激突した。耳元でけたたましく樽が壊れる音が鳴り響き、私の視界には抜けるような青空ばかりが映った。


「あ、アーシェさんッッ!?」

「ふん! いい気味だッッ! これに懲りて二度と私に口答えしないことだなッ!!」


 私に向かって吐き捨てる豚の鳴き声が聞こえる。が、口は開かずじっとしておく。

 そうすると溜飲が下がったのか、やがてドスドスという豚と羊の群れの足音が遠ざかっていくのがなんとなく分かった。大声で部下たちに話しかけているらしく、その声色を聞けばさぞ愉快げで意気揚々としているのがありありと浮かぶ。

 静まり返る辺り一帯。体感時間としてはもういい加減豚たちの姿が全く見えなくなったであろう頃、ニーナの慌てた声がした。


「アーシェさんッ! だ、大丈夫で――」

「アッハッハッハッハッハッッッ!!」


 その直後、カミルの爆笑が響き渡った。


「……へ?」

「クク、あっはっはっはっはっ! やべぇ……クク、は、腹がいてぇ……ひぃっひっひっひっひッ……!」

「いやぁ! あの人には毎度毎度笑わせてもらえるなぁっ! く、ひひ、どうしたらあそこまで道化になれるんだいっ!」

「あひゃっひゃっひゃ……し、知らねぇよ! うくく……!」


 カミルだけじゃあない。周囲にいた街の連中からも笑い声が上がって、辺り一帯大爆笑だ。こら、そんなに笑うと豚に聞こえるぞ。


「な、え、なに?」

「よっこらしょっと」


 ニーナが困惑してる横で空き樽から飛び出すと、軽く首の骨を鳴らす。そしてニーナを見上げれば、ポカンと口を開けて間抜け面を晒していた。まあ、何も知らなきゃそうなるわな。


「だ、大丈夫なんですか?」

「豚に殴られたことか? あんなの、じゃれてきた前足で撫でられたのと変わらんよ」

「でもあんなに勢いよくぶつかったのに……」

「ぶつかったんじゃない、ぶつかりにいった・・・・・・・・んだよ」


 つまり、だ。

 避けられるところをわざと殴られてやって、派手にぶっ飛んでやったわけだ。ついでに樽なんかにぶつかってやれば余計派手に見えるし、豚からはさぞ私が惨めな目にあってるように見えて「気分爽快、メシが今日も美味い」となるわけだ。殴られた瞬間に飛行術式をばれないように展開するのは結構難しいんだぞ?


「クク……いつものことながら人が悪い、中尉」

「笑いながら言っても説得力がないぞ、曹長?」

「いやぁ、あー、マジ笑ったぜ。我らが隊長殿はたいそう演技がお上手であられますなぁ」

「バカとやり合うための必須スキルだ。出世するつもりがあるなら今のウチから練習しておいたほうがいいぞ、カミル」

「あんなのと顔を突き合わせなきゃならねぇなんて、俺はまっぴらゴメンだよ。ずっと下働きで結構」

「あー、えっとぉ……とりあえず今のが全部演技だったっていうのは分かりましたけど……なんでそんなことを?」

「お前はあんなのとまともにやりあえというのか?」


 言葉も通じん豚と延々とやりあうなんぞ、私はゴメンだぞ。どうせ巡回範囲が変更になったというのも、私が気に食わないあの豚のワガママだしな。

 そんな輩にいくら正論を説いたところで自分のワガママが通ると信じて疑ってないから通じるはずもないしな。なら反論するところを反論して、後は気持ちよくお帰りになって頂いた方がよっぽど精神衛生上マシで時間も無駄にならん。


「だから心配はいらん。怪我もしてないし、あの程度痛くも痒くもないからな」

「はぁぁぁ……良かったですぅ」


 ニーナが脱力してヘナヘナとその場に座り込んだ。大げさだな、たかだか素手で殴られた程度だぞ?


「だからって怪我をしたら大変じゃないですか」

「我々は軍人だぞ。この程度でピーピー騒いでどうする」

「それでもです! アーシェさんは確かに強いかもしれないですし、殴られることくらいなんとも思ってないかも知れないですけど、こっちは殴られたら心配の一つくらいしちゃいますよ! だって私たち、同じ隊じゃないですか」


 大真面目に真剣に。ニーナは私を睨むように見つめながらそんなことを言ってきた。

 言ってることは理解できるが……どうにも調子が狂うな。心配し過ぎだと思うんだが。

 とか考えていたら、不意に私の頭がむんずと掴まれた。


「隊長の負ーけ」

「カミル」

「ピンピンしてるって分かっててもアンタがぶっ飛ばされりゃ、嬢ちゃんだけじゃなくこっちはみんな心配すんの。だから隊長は黙って心配されとけって。な?」

「ニーナ以外全員笑ってただろうが」

「ああ見えて心の奥底じゃ、あの大尉様をぶん殴ってやりたいくらいには怒ってたんだぜ?」


 いまいち信じられんが、ま、いいさ。

 私からしてみれば、当分死にきる・・・・のが難しい自分よりコイツら全員の方がよっぽどハラハラするんだが、まあここは私の人望の厚さの表れと受け取っておこうじゃあないか。私のどこにそんな要素があるのかは皆目不明で、全員目が節穴じゃないかと思うがな。

 ともあれ、とんだ災難に遭遇した一日ではあったのだが、意外と悪くない気分で巡回を終えたのだった。

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