3-5 ――ようこそ、地獄へ

 さて。銀行強盗やら妖精やらの騒ぎから約十日が過ぎた、至って平々凡々な一日になるはずだったある朝のことだ。


「――はい、ああ、そういうことですね。なるほど、年齢を考えれば仕方ありません。いえ……正直大丈夫、とは言えませんがこちらでも人を当たってみます。

 わざわざご連絡ありがとうございます、大尉殿。それでは失礼」


 朝っぱらから私の机に設置された魔導電話が鳴り響き、コーヒータイムを妨害してくれたのはいったいどこのどいつだ、と受話器を取ってみれば、相手は第一警備隊長の大尉殿だった。

 用件を聞いていくにつれて私の可愛らしい顔が渋面に変わっていったのが我ながらよく分かった。第一隊長殿直々の話ではあるから一応の理解を示しはしたが、舌打ちは禁じえない。

 思わず受話器をぶん投げるようにして電話を切ると、ガチャン、と耳障りな音を奏でた。天井を仰げばついため息が出てしまう。部下たちの視線を感じるが気にしてる場合ではない。これは急ぎ対応せねばならん。


「お疲れですね、中尉。何か問題でも?」


 電話の様子からトラブル発生だと気づいたのだろう。アレクセイがカップにおかわりのコーヒーを手にやってきた。彼に感謝を伝えつつ受け取り、気を鎮めるために一口熱々のそれを流し込む。うむ、うまい。アレクセイの一杯は苦味と酸味が絶妙にマッチして私好みの味なんだ。ちなみに淹れ方を一度教えてもらったが、未だにこの味にはたどり着けていない。


「そうだ、曹長。非常に由々しき問題が発生した。全員傾聴しろ。貴様ら全員に関係する問題だ」

「ずいぶんと大事おおごとそうですね」

「今度はなんだってんだ? どっかのバカが国境で魔導兵器でもぶっ放したか?」

「カミル伍長。それも中々にユニークなジョークだが、事態は我々にとってもっと緊急を要するぞ」

「もったいぶんなって。んで、何がどうしたんだ?」

整備士ヘルマンのジジイが引退するそうだ」


 ヘルマンはウチの隊の魔装具や術式装備などの一切を扱っていた整備士だ。結構な老齢だが腕は間違いなく、彼のおかげで日々の任務を無事にこなせていると言っても良い。もっとも、気まぐれで出勤したりしなかったりするあのジジィにはかなり振り回されはしたがな。


「……そうか。まあいつ辞めてもおかしくねぇとは思ってたが、とうとうその時が来たってわけか。で、いつから来なくなるんだ?」

「今日だ」


 詰所が静まり返った。ああ、そうだろう。気持ちは分かる。私だって聞いた瞬間は気が遠くなったからな。


「それは……急な話ですな」

「ぎっくり腰で当分動けないんだと。歳も歳だからこれを期に引退するということだ」

「……後任は?」

「決まってるわけないだろうが」

「おいおい、んじゃこれからメンテはどうすんだよ!?」

「当分は自分たちで点検するしかないだろうよ」


 とはいえ、隊員ができるのは簡単な点検くらいだ。術式銃の構造は複雑だし、魔法陣が十全に動作するかなどは専門家が本来チェックするものだ。前線帰りの私とアレクセイ、カミルは一通り本格的なメンテナンスはできるが、隊の全員分をこれから毎日するとなると相当な骨だぞ。


「ともかく、私は私で後任候補を当たってみる。貴様らも誰か心当たりがあれば教えろ」

「承知しました」


 しかしだ。魔装具の技術者はただでさえ人手が足りんのが現状だ。どこだって人員確保に躍起になってるし、特に開発畑には優先して持っていかれる。我々の様な末端の部隊に回ってくるのはヘルマンのような引退間近のジジイか、役に立たなさすぎてたらい回しにされた厄介者くらいだ。果たして、都合の良い人間をスカウトできるか――


「あ」


 頭の中で電話を掛ける相手をリストアップしているとひらめいた。そうだ、アイツならいけるんじゃないだろうか。偶然にしろ、私のことを知ってしまったからな。それを盾にすればマティアスも強引に引っ張ってくるしかないはず。それに先方は先方で少々扱いに困っているだろうから、こちらから持ちかけてちょっと押してやれば乗ってくるだろう。


「どなたか、思いつきましたか?」

「ああ。一人だけな。喜べ。十中八九ウチへ配属させられるぞ。ついでに言えば、曹長や伍長も知っている人間だ」

「そんな人材が……ああ、なるほど。確かに我々にはうってつけの人材ですな」


 私がニタリ、と笑うと、アレクセイも察したらしい。さすがだな。ま、思い当たる相手など限られてるからな。

 さてさて、どう攻めようか。頭の中で論を組み立てながら受話器を取り、私は先日新たに加わった連絡先の番号を回していったのだ。






「まったく、私だって暇じゃないんだぞ?」


 電話をかけたすぐ翌日。私は目の前で仏頂面を浮かべている上司の前に立っていた。

 ただの軍人が使うには豪華過ぎる程に豪華な内装の執務室。私が使っている、ちょっと叩けば壊れてしまいそうな安物とは比べ物にならない立派な机に頬杖をついてジトッとした視線を向けてくる。が、私にそんな目を向けられたって困る。


「人一人を異動させるのだって相応に手続きが必要なんだ。それを昨日の昼間に『明日までに頼む』と言われたって困る。お前だって管理する側の人間なんだから分かるだろう?」

「文句なら急に辞めたジジイ本人に言え、マティアス。それに何とかなったじゃないか」

「何とかなった・・・じゃない。何とかした・・んだよ」


 ぞんざいな口調で返事をすれば、マティアスはよりいっそう憮然とした顔をしたが、その恨みがましい視線を涼しい顔で受け流す。

 マティアス・カール・ツェーリンゲン准将。我々下っ端軍人から見れば雲の上の人物と思える厳つい肩書の持ち主で、本人を知らなければ睨まれたら竦み上がってしまうだろう。が、なぁに、会ってしまえば緊張するほどの人間じゃぁない。

 さらっさらの金髪で、いかにもな優男風の見た目。背は高く、体こそ鍛えられてはいるが、まだまだ私より二つ年上・・なだけの若造だ。凄んでみたところで威厳などなく、城のバルコニーから国民に手を振っている方がよっぽど様になる。

 というか、むしろそっちが本職のはずなんだがな。マティアス王子殿は。ま、コイツが軍籍にいてくれたおかげで私が戦場にいる人間を喰らい尽くさず・・・・・・・にすんで、今も堂々と表を歩いていられる。コイツはコイツで私というを手に入れられて共犯関係になるのだから、いやはや、人生とは分からないものだな。


「……まあいい。それで、お前が要求したとおり手続きは急ぎ済ませたが、本当に使えるのか? 軍属とはいえ、魔装具関連の扱いがメインの特技兵だ。表の仕事だけに付き合わせるなら問題ないだろうが、裏の――本来の仕事にも付き合わせるんだろ?」

「なに、大丈夫だろうさ。兵士としては無謀だろうが、肝も座っているし判断も悪くない。おまけに普通は見えないミスティック共の姿もハッキリ見えていた。素質は十分だ」

「お前が言うなら心配ないだろうが……せっかく骨を折ったんだ。くれぐれも簡単に死なせないようにしてくれよ。色々と面倒だからな」


 おいこら、ちょっと待て、マティアス。


「さっきから聞いてればずいぶんと苦労したみたいな言い草をしてくれるじゃないか。だが根回しも直属の上司との交渉も全部やったのは私だぞ? お前にそこまで恩着せがましく言われる筋合いは――」


 鼻持ちならない物言いに言い返そうとしたところで扉がノックされた。チッと舌打ちしたらマティアスも舌打ちをし返してきやがった。よし、後でちょっとはっきりさせてやろうじゃないか。

 バカ王子と言い争いを止めて身だしなみを整える。せっかく呼び出した客人がやってきたんだ。知らない相手ではないとはいえ真面目に出迎えてやらねばな。

 制帽を被り直し、襟元のたるみを整える。直立し、体を扉に向けたところでマティアスが「どうぞ」とそれまでの態度をおくびにも出さずに穏やかな口調で入室を促した。

 さて、扉が開けば、呼び出した人物がカチッコチに緊張した様子で鯱張って敬礼をしていた。


「し、失礼しますっ!! ニーナ・トリベール一等兵、さ、参上致しましたっ! ほ、本日は如何なる御用で――」

「ああ、トリベール。別にそんなに畏まらんでいいぞ」

「お前が言うのか……」

「そ、そういうわけには……って、シェヴェロウスキー中尉? どうしてこちらに?」

「決まっているだろう。貴様に用があるのは私だからな」


 話が読めない、と怪訝な表情を浮かべるニーナを手招きする。そしてマティアスの机の上に置いてあった書類を拾うと、それを差し出しながら私はにっこりと満面の笑みを浮かべた。

 この私の可愛らしい少女然とした笑顔にニーナは顔を赤らめているが、マティアスがコソッと「この悪魔が……」とささやくのが聞こえた。


「ニーナ・トリベール一等特技兵。貴殿は本日付で警備・警察部第十三警備隊所属となる。これが辞令だ。受領後、速やかに荷物をまとめて第十三警備隊の詰所までやってくるように」

「……は、はい?」

「つまり、だ。本日からマティアス准将、そして私が貴様の上司というわけだ。

 ――ようこそ、地獄へ。貴様を心より歓迎しよう」


 これから楽しく私とお仕事しようじゃあないか。

 そう皮肉っぽく付け加えてやるとマティアスが頬杖をついてため息を漏らした。

 だが対するニーナはといえば予想に反して、口元が段々とほころんでいき、


「はいっ! これから宜しくお願い致します、シェヴェロウスキー中尉!」


 最後には元気な声で嬉しそうな返事が響いた。おかしいな。こないだ危険な目にあったから多少は嫌がると思ったんだが。

 まあいい。とにもかくにも、これで必要な人間は揃った。しばらくは人手に困らんだろう。もっとも、死ななければ、という条件が付くがな。


「ではこれから宜しく頼む。期待しているぞ、トリベール――いや、ニーナ」


 手を差し出しながらファーストネームで呼んでやると、ニーナの顔が一層嬉しそうに崩れた。そして私の手を彼女は力強く握り返してくれたのだった。




File.2 「第十三警備隊」 完

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