3-3 寝なかったらいいじゃない

――Bystander






 誰しもが寝静まった深夜の街を月明かりと街灯だけ照らしている。吹き抜ける風が心細い音を立て、昼間は王国一の賑わいを見せる首都であってもこの時間だけは全ての時が停止したかのような静寂に包まれていた。

 そんな中、東一番街の、とあるアパートの一室でほんのりと照明が灯り、時折目がくらむ閃光が飛び交っていた。

 中では一人の女性が溶接用の遮光ゴーグルを付け、黙々と作業をしていた。作業机の上には複雑な機構を持つ魔装具が分解された状態で転がっていて、手には小型の溶接用工具。それが魔装具と接するとバチバチと火花を放った。

 他にもドライバー、ペンチにドリル、それに幾つもの魔法陣が描かれた設計図が乱雑に放られていて、床にはそういった工具に加えて動力用の回転式魔素電源コードがうねうねと部屋中を這い回り、さらにはベッドの上やトイレまでも工具類が散らばっていて足の踏み場もない。

 もっとも、部屋の主は第三者が見れば悲惨な状況さえ一切気にした様子はなく、ひたすらに作業に没頭していた。


「ふぅ……んん……

 げっ!? うそぉんっ!? もうこんな時間っ!?」


 ひとしきり作業に集中していたニーナはゴーグルを外して背伸びをした。そして肩のコリを解しながら時計をチラリと見て愕然とした。

 時刻は午前一時半を回ろうとしていた。おかしい、時計が壊れてるのではないか。戦慄に背を震わせながら予備の時計を引き出しから取り出してみるとやはり時刻は同じ。もう一度彼女の体が震えた。

 彼女の感覚ではまだ日付が変わる前であった。どうしよう、まったく眠くないし、仮に今すぐ寝ても朝まともに起きれる気がしない。このままでは二日連続で遅刻である。

 幸いにして今日――いや、昨日か――はなんだか良く分からないが、あの警備隊の隊長がとりなしてくれたから助かったが、そんな幸運が二日連続で起きてくれるだろうか。そんなはずがない。

 さてどうしよう、どうしようとニーナは部屋の中をぐるぐる回りながら考え込んでいたが、ふと妙案が浮かんで彼女は手を叩いた。


「あ、そっか! 寝たら遅刻するんだから寝なかったらいいじゃないっ!」


 もしアーシェが聞いたら「バカか?」というありがたいお言葉を頂戴すること必至な間抜けな案である。だが、彼女はさも名案とばかりに破顔した。


「じゃあ朝までどうしよっかな……」


 さしあたってすることは作業の続きだけなのだが、一度途切れると一気に体の強張りなんかが気になってきた。それに少し気分転換もしたい。


「ちょっと夜風に当たってこようかな?」


 そう決めると彼女は二、三ストレッチをしてベッドのコートをひっつかんだ。朝に食べるつもりだったパンを一つ握りしめ、口にくわえてアパートを出ていった。

 昼間と違い、夜はかなり冷え込んでいた。活気のない静まり返った街の景色がなおさらそう感じさせるのかもしれない。ニーナはパンをモグモグと食べ、夜空を眺めながら自作魔装具のアイデアを練っていく。


「……あそこの魔法陣をこうすれば魔素伝導性が上がって……あ、でもそうするとこうした方がベース性能自体は……」


 一人でブツブツと言いながら適当に歩き回っていく。そうしてふと彼女が我に返れば、見慣れない場所にたどり着いていた。


「あ、五番街まで来ちゃったんだ」


 看板を見て気づく。ちょっと歩くだけのつもりだったがずいぶんと長くなってしまったらしい。

 そろそろ戻ろうと踵を返した彼女だったが、その目になにか白くぼんやりしたものが映った。よく目を凝らしてみるが、なんとも姿がハッキリしない。


「ひょっとして……」


 おばけだろうか。いやいや、そんなまさか。彼女は首を振り、しかし気味が悪いのは悪い。身震いすると、その白い何かから離れようと体の向きを変えた。

 だが突然、彼女目掛けて術式が襲いかかってきた。


「な、にっ……!?」


 とっさに転がって避ける。すぐ頭上を光の線が走り抜けていき、地面に着弾して削り取られた破片が降ってきた。その鋭利な着弾点を見てゾッとしながら、それが飛来してきた方向を見て彼女は顔をひきつらせた。


「よ、妖精種……!?」


 ぼんやりした輪郭が次第にはっきりしてくる。おぞましい醜悪な姿。昔、まだ田舎の村に住んでいた時に見たことがあったので、彼女はすぐに正体に気づいた。


「■■、■■■っ――!!」


 妖精種が獰猛な牙を見せつけるように口を大きく開き、その両腕の先端にある鋭い爪が彼女を八つ裂きにしようとしていた。その姿に脚が震えた。


「いやああぁぁぁっっっっ!!」


 悲鳴を上げながら、それでもなんとか回避するも鋭い爪が彼女の腕をかすめ、コートの袖を斬り裂いた。直撃こそ免れたものの、妖精の一撃は地面を強かにえぐり取っており、まともに喰らえばニーナの命など一瞬で消え去ってしまうことが容易に想像できた。


「なにか、なにかっ……!」


 死を直感し、助かる術はないかと彼女はポケットをまさぐった。すると、金属の塊に触れる。それが昼間に使った閃光魔装具の残りだと気づいて、考えるよりも早く彼女は妖精目掛けて投げつけた。

 彼女と妖精の間で激しく閃光が迸る。夜が一瞬で昼間に化け、防ぎきれなかったニーナの視力を奪う。だが、それ以上に妖精にとって効果はてきめんで、耳障りな悲鳴を上げた。

 ニーナはよろめきながら立ち上がり、どちらともなく走り出す。直視は免れたので徐々に視力は戻ってきているが、平衡感覚が狂い、まっすぐに進むことさえ覚束ない。

 妖精の方も回復したか、少し距離ができただけですぐにニーナを追いかけ始めた。予想外の反撃を喰らったためか、発せられる奇声にも怒りが込められているような気がしてニーナは必死に脚を動かす。だが妖精の方が速く、容易く追いつかれてしまった。

 再び彼女を妖精が襲う。ニーナはとっさに左腕でガードした。

 だが戦闘用ではないその義手は妖精の一撃に堪えきれなかった。コートの袖ごと、肘から先が呆気なく千切れ飛んで地面をジャリジャリと転がっていった。


「……ぁぁあああっっっ!!」


 義手と繋がっていた神経が瞬間的に絶たれ、激痛に意識が飛び、また激痛によって意識が引き寄せられる。幸いなのは痛みが一瞬で終わることか。ニーナもまた転がりながら、それでもまだ自身が無事であることに感謝した。

 しかし脂汗を流す彼女の目にはなおも自身に迫りくる異形の妖精の姿。そしてさらに向こうからは何かがまた飛んできていた。一瞬それも妖精かとニーナは思ったが、同時に地上を走ってくる人の姿も見えた。


「逃げろっ!!」


 誰かの叫び声が聞こえたことで、それが助けだと理解した。これで助かる。希望が見えて彼女の四肢に活力が戻ってくる。


(そのためにも……!)


 すぐそこに迫る妖精を自力でなんとかするしかない。生身の右手で迷彩ズボンのポケットをまさぐると、彼女はそこにあった物を確認もせずとにかく投げつけた。


「■■■っ!?」


 投げたのはまたしても魔装具だった。小さな三つの魔装具が妖精の前に散らばり、中心で魔法陣が輝く。そして――妖精がバァン!と音を立ててぶつかった。


「や、やった……!」


 出来上がったのは透明な壁。それに激突したせいで顔が歪み、妖精なのに間抜けな醜態をさらす。が、それもほんの少しの時間で、ギョロリと赤い瞳がニーナを睨んだ。

 ニーナはビクリと背筋を伸ばしながらソロリソロリと後退。そして彼女が背を向けた途端、バリンッとガラスが割れる音を立てて壁が砕け散った。


「えっと、えっと……他には……!」


 左腕を無くし、バランスが悪い状態で走りながらニーナは腰の辺りを探る。吊り下がっていた金属片を力任せに千切ると、再び妖精に向かって投げつけた。

 妖精が腕で振り払い、金属片が砕ける。すると今度は小さな魔法陣が大量に一瞬だけ浮かび、まるで餅の様に妖精の手足にまとわりついていった。


「な、なんだ、あの魔装具は……!?」

「よしっ!」


 見たことのない魔装具に、望遠モードのゴーグル越しにアレクセイが思わず声を上げた。

 ニーナが投げたのは彼女オリジナルの魔装具だった。故にアレクセイが目にしたことがないのは当然で、一方のニーナはたまたま持っていた試作品がうまく作動してくれたため大きくガッツポーズをした。

 が。


「うまくいっ――てないぃぃぃッッ!?」


 ニーナが投げた魔装具は所詮、対悪漢用の防犯グッズであった。あくまで足止めのための道具で、相手を撃退したり昏倒させる効果はなく、まして相手は人智を超えた存在。ほんの僅か、妖精を困惑し立ち止まらせただけで足止めとしての効果は殆どなかった。

 ニーナの眼前で妖精が腕を振り上げる。牙をむき出しにし、彼女の柔らかい首元に食らいつこうとした。腰元をまさぐったところでもう抵抗できる道具はない。もうダメだ。ニーナは身を強張らせた。

 だが、彼女の目の前で妖精が動きを止めた。ニーナを睨んでいた顔が恐怖へ変わった。妖精の手も足も、全てが止まっていた。

 けれどもそれも一瞬。不意に拘束が解けると、妖精はもう一度その牙でニーナの柔らかい体に喰らいつこうとした。

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