2-5 本命は――そちらの荷物か

 銀行強盗たちが第十三警備隊たちと激しい戦闘を繰り広げている頃、一人の男が家々の屋根の上を疾走っていた。

 義足に刻まれた最新の術式を利用して一足で四階建て、五階建ての建物を飛び越える。一度足場を蹴れば数十メートルもの距離を跳び、地上を歩く人々が頭上を素早く通り過ぎていく影に首を傾げるも、彼らがそれ以上不審に思うことはなかった。

 なぜならば、その姿は誰にも見えなかったからである。太陽の影にはなれど、彼の姿を捉えようとしても見えるのは青空と、幾ばくかの白い雲、それと薄汚れた赤茶色の屋根だけだ。

 彼が見つからないのは偏に被っているマントによるものだ。新たに開発されたばかりの特殊術式を組み込んだそれは、ぱっと見ただけでは分からない程にその姿を周囲の景色に溶け込ませていた。おかげで彼は誰にも見られずして、脇に大きな荷物を抱えて一人逃走することができていた。

 銀行からある程度距離が離れたところで彼は立ち止まると、後ろを振り返った。視線の先では仲間たちが軍警察と術式の打ち合いをしている。捨て駒・・・にされていることも知らず、ただ札束のみを後生大事とばかりに守っているのを見て鼻を鳴らして嘲笑した。


「ふん……間抜けな奴らだ」


 軍警察とまともに戦って勝てるはずもないのに、せっせと時間稼ぎをしてくれている。そのことに感謝の気持ちはなく、ただ侮蔑だけがその顔に浮かんでいた。喉を鳴らして笑い、再び前を向く。


「あんなグズどもは放っておいて、さっさと依頼主にコイツを――」

「持っていきたいのだろうが、そういうわけにはいかんな」


 だが、彼の目の前にはアーシェ・シェヴェロウスキーが腕を組んで立っていた。

 アーシェが男に向かって貫通術式を放つと、頬をかすめてマントを貫く。するとマントは迷彩の効力を失い、金髪をオールバックに撫でつけた男の姿が顕わになった。


「なっ!? が、ガキが見破っただと……?」

「ふん。なるほどな。銀行強盗アイツらは囮で、本命は――」アーシェは鋭い視線を男が抱える箱に注いだ。「そちらの荷物か」

「っ……!」


 看破したアーシェに、男は荷物を後ろへ隠した。その様子を見てアーシェは「図星か」とつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「仲間のフリ・・をして銀行強盗に誘い、派手に暴れさせる。その隙に自分は本来の目的を盗み出す。なるほどな、うまく考えたものだ」

「……」

「さて、王立銀行に預けられ、かつ目標にされそうなものと言えば――大陸歴一七五三年作の巨匠エルガーの名作、『戦士を導く女神』というところか。確かに巨匠の作品ともなれば世界各地にコレクターも多いからな」


 アーシェは腕組みしたまま、下から見下す・・・様に背の高い男を睨みつけた。


「まともに強盗するよりは依頼の方がよっぽど金になるだろうよ。そして、貴様らに分不相応な武器を支給できるほどの財力。となると依頼主は貴族……いや、違うな、急に金を持った――」

「クソがっ!」


 まったくの無防備で自身の推理を口にする彼女目掛けて、男は不意打ちで爆発術式を炸裂させた。隠し持っていた、いざという時用の虎の子の魔装具。金属でできたそれをアーシェに叩きつけ、一気に彼自身にも爆発の衝撃が襲ってくるが、咳き込みながら爆風を受け流すと彼はニヤリと笑った。


「はっ! ガキが正義の味方ごっこなんかするからこうなんだよっ!!」


 ニヤリと興奮気味に男は吐き捨てた。彼としては焼け焦げたか、激しく損傷した遺体が屋根に転がっている姿を想像していた。


「訂正だ」


 しかし、現れたのは汚れ一つなく、変わらず彼に冷徹な視線を向けるアーシェの姿だった。


「私はこう見えてもガキだという歳ではない。まして一応は正義の味方……と言っていいか自信はないが、まあそういう職に就いてるんでな」

「っ……」

「伊達に軍の制服を着ているわけではないんだよ」

「……ひっ!」


 アーシェの瞳が男の瞳に映る。まるで人を人として見ていないような、冷たさ。そこに根源的な恐怖を覚え、男は思わず悲鳴を上げた。そして膝を曲げると、一気に跳躍する。

 足の術式が発動し、アーシェの頭上を軽々と超えていく。小脇に抱えていた荷物を今はしっかりと両手で抱きしめ、家々の屋根を足場にして凄まじい速度で逃げていく。


「なんなんだよ、あの――」


 化け物は。子供の姿をしてはいるが、あれは全くの別物だ。男の額から流れた脂汗が風に流されていく。一刻も、一刻も早く、アレから逃げなければ――


「どこに逃げようというのかな?」


 だが逃げ続ける男のすぐ耳元でアーシェの囁きが響いた。振り向くと男の顔が恐怖に染まった。対象的にアーシェは鋭い犬歯を見せ、笑いながら大きな目で男を見据える。


「残念ながら貴様を逃がすわけにはいかないな」


 そう告げるとアーシェは拳を男の腹に深々と突き刺した。男の体が大きく「くの字」に折れ、そのまま意識を失ってぐったりと倒れた。

 アーシェは男を受け止めると、すぐに急降下していく。そして男が落とした荷物を地上ギリギリでキャッチすると、一気に再上昇した。


「……まったく、ずいぶんと派手に暴れてくれたものだ」


 二つの荷物を持ちながら飛行し、アーシェはため息をついた。予想以上に犯人共が暴れまわったせいで事後処理が大変そうだ。

 本日の昼飯は抜きだな。そう考えると気が滅入ってくる。しかし仕事は仕事だ、とアーシェは頭を振って気持ちを入れ直し、事件現場の銀行へと戻っていった。

 銀行の姿が大きくなり、やがて戦闘の様子も見えてくる。予想以上の武装と人質のせいで、部下たちは苦戦しているようだが、果たして自分が介入するべきか。アーシェは空中で立ち止まると考え込む。


「……ん?」


 だが彼女が結論を出すよりも早く事態が動いた。男の一人が単なる銀行強盗には明らかに不相応なバズーカを取り出し、魔素が注がれていく。


「まずいっ……!」


 ここにきてアーシェが初めて焦りをみせた。あれは明らかに軍用、しかも大規模な遠距離攻撃用である。ともすれば、戦車でさえ一撃で破壊しかねないものだ。アーシェならともかく、隊員たちの装備で防げるものではない。

 しまった、敵の装備をみくびっていた。部下の成長などと悠長な事を考えている場合ではない。アーシェは瞬時に防御術式を構成し、警備隊の各々の前に張り巡らせた。

 敵の攻撃が放たれ、昼でもはっきり輝きが分かるほどに光が一閃。それがノアを飲み込もうとしていく。


「……なに?」


 しかし光がノアを飲み込むことはなく、アーシェの作り出した防壁よりも前で展開された術式が攻撃を受け止めていた。術式が破壊されたものの威力は十分に削がれており、アーシェの術式が無くとも無傷で済んだだろう。すぐに彼女はその立役者へ視線を向けた。

 見られているとも気づかないニーナがもう一度防御の魔装具を放り投げ、ノアの手を引いてカミルたちと合流。その後にアレクセイたちと相談したかと思えば状況が一気に収束に向かっていく。最後はアレクセイの狙撃が決定打になったが、ニーナの働きもまた非常に重要な役割を果たしていたのは間違いない。アーシェはニーナに対する評価を改めた。


「ふむ、単なるアホなドジっ娘かと思ってたが」


 魔装具の性能といい、物怖じしない度胸といい、なかなかどうして、やるじゃないか。

 兵士としては未知数だが、見た限りまだ若そうであるし、特技兵ということを考えれば戦いの場での立ち回りは十分。アーシェは感心した。


「ノアも助けてもらったし、これは感謝せねばならんな」


 スコッチの献上はノア一人にさせるか。

 頑張ってくれたニーナに謝意を表して本日の無礼の責任を部下一人に背負わせてやろうと、彼女は地上に向かって再び飛行していったのだった。






Moving away――



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