帰郷
葛城 惶
※
「う~ん」
苔むした石段を上がると、青々とした樹叢が視界いっぱいに拡がる。俺はひとしきり伸びをして、石段に積もった枯れ葉を払い、どっかと腰を降ろす。
あたりには、人の気配は無い。背中に背負った竹皮の包みを開き、握り飯を頬張る。
眼下に見下ろす集落には、まだ幾らかの人間は残っているだろうか......。
この社から少し歩いた集落に、俺は生まれた。すぐ傍らの小川の脇には大きな桜の木があった。花の時期には皆で集まって花見をした。童達は皆、笹舟を作って競いあった。
竹筒の水筒を取り出し、水を含む。谷あいの滝の水は、いつも冷たくて美味かった。
ごろり......と土の上に寝転がると、色褪せた鳥居と、それを押し包むように繁った木々が、どんよりとした空を隠していた。眼を瞑り、ふぅ.......と息をつく。
親父は早くに亡くなった。お袋も十の歳には死んだ。小さかった弟妹を置いて、俺は里を出た。親戚も貧しく、育ち盛りの子供を三人も面倒みきれる甲斐性など、あるわけがなかった。
俺は村長に頼み込み、町場に出稼ぎに出た。幸いにも馬喰の仕事にありついて、少しも稼げるようになった頃、あちこちで、戦が始まった。
俺も馬を牽いていた時、山の中で侍達に出くわし、危うく殺されかけた。けれど、物好きなお殿様に山道を案内した褒美に、下働きに使ってもらえることになった。
五年経ち、十年経った。
俺は懸命に働き、上役にも可愛がられた。
殿様が都に登ることになり、俺も付いていくように言われた。
―侍にならないか。―
と言われた。けれど、俺は首を振った。
―お暇をください―
願い出た俺に、上役はカンカンに怒った。
けれど、俺は知っていた。少し前に里が焼き討ちにあったこと。焼き討ちしたのは、殿様の配下の侍だったこと。
それを聞いた時、俺は怒りに震えた。俺を可愛がってくれた殿様や上役が憎くてたまらなくなった。
俺は黙ってお城を抜け出し、里へと向かった。
久しぶりに帰ってきた里......だけど俺は、その中に入っていく勇気は無かった。里の人の骸を、弟や妹たの骸を見るのではないかと思うと、怖くて怖くて仕方が無かった。
いや、みんなが無事に生きていたとしても、俺は里に火をかけた殿様の配下だ。合わせる顔などあるわけがない
里の鎮守の稲荷さまの山に登り、里をじっと見つめた。歩けば一里も無いはずなのに、遠く遠く思えた。
―おや、十郎兵衛じゃ......―
―十郎兵衛じゃ.....―
ふと気がつくと、耳許でひそひそと囁く声がした。
―妖かし.....?―
俺は身を固くして、耳を澄ました。くすくす......と子どものような笑い声がした。
―帰ってきよったか―
―きよったか―
薄目を開けてあたりを伺う。が、視界に見えるのは、濃い緑の葉陰とキラキラと揺れる木漏れ日だけだった。
―里が恋しゅうて戻ったか.....―
―いや、恋しいのは里ではあるまい.....―
童のようなその声は、揶揄するように耳許で囁いた。
―十郎兵衛は臆病者じゃて.....―
―臆病者じゃて......―
つんつん......と何かが頬を突っついた。
―俺は臆病者じゃねぇ!―
と、がばりと起き上がろうとしたが、身体が動かない。声も出ない。......と、頭上からふぅわりと優しい風が吹き、さやさやと葉ずれの音に混じって、綺麗な女の声がした。
―これ、お前達、止めなさい。十郎兵衛は臆病ではない。自分の大切なものが何かを知っているだけじゃ......―
―でも......―
―でも......―
と童のような声が応える。
―心配はいりませんよ......―
かろうじて、もう少し眼を開くと、頭上に眩しい光の
―き、きつね....?―
俺を見下ろしていたのは真ん丸な目の小狐だった。
小狐どもは、うふふ、うふふと笑って言った。
―もう来るかな?―
―来る頃じゃ―
何が来るんだ、鬼か?―俺は、覆い被さる小狐どもを振り払い、渾身の力を込めて立ち上がった。
「じゅうろべ
立ち上がった俺の眼に入ったのは、鬼じゃなかった。ふっくらとした紅い頬をした娘っこ。もしや隣の家の、幼なじみの......
「おたね...ちゃん?」
「そうじゃ。おたねじゃ。あぁ、本当にじゅうろべ
ぱんぱん、と勢い良く、俺の肩やら背中やら叩きながら、娘っこはほろほろ涙を流して言った。
「......お願いしとったんじゃ。ずうっと、ずうっと...!!
娘っこ......おたねは、一気呵成に言うと、俺の袖を掴んでぐいぐい引っ張った。
「みんな待っとるで。家さ帰ろう!」
「みんなって?」
「皆んなは皆んなや....佐吉も、お加代も待っとるで...さぁさぁ......」
俺は、娘っこに手を引かれて石段を駆け降りた。束ね髪が揺れて、キラキラ光を弾いて、とても眩しかった。
―――――――
「やれ気の毒なことじゃのぅ......」
旅姿の僧は眼を伏せると、はや骸となった男の傍らにしゃがみ、手を合わせた。
焼き払われた里近く、稲荷の社に辿り着いた時、男の寿命は尽きていた。苔むした石段に寄りかかり、横たわる骸骨。その頬が仄かに微笑んでいるように見えたのは、早い春の柔らな陽差しの見せた幻....かもしれない。
眼下に拡がる青垣の中、不如帰の幽かな音色が風に零れた。
帰郷 葛城 惶 @nekomata28
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