ドラゴン乗りは空を飛べない

きざしよしと

ドラゴン乗りは空を飛べない

「Uターンをしようとしたら空に放り出された事はある?」

 ”ドラゴン乗りでありながら何故空を飛ばないのか”と尋ねられた時、ジンジャー・ドイルは決まって自嘲気味にそう答えた。


 その時何が起きたのか、ジンジャーにはわからなかったという。

 目の前に見えていたのは腹ただしい程に透き通った空と、先ほどまで自分を背にのせていた相棒が狼狽えて旋回している姿。真っ赤な小型のレッドスカードラゴン。空の青に映える美しい相棒。

 次いで内蔵がせりあがって、背筋が震えるような浮遊感を感じて漸く、掠れたひどい悲鳴が出た。


 どうやって助かったのかジンジャー自身にもわからない。

 けれどその日以来、彼女は空を飛ぶ事が出来ないでいる。


   ■


 魔術と騎士の国"アンドレア王国"の辺境には、ドラゴンを飼育している竜舎がある。

 炎で燃えることがない特殊な木材で建てられた頑丈な竜舎の中には、大小様々なドラゴンがギィギィと喚きながらも暮らしていた。

 ジンジャーはこの竜舎の管理を任されていた。十数頭のドラゴンを1人で見る。楽な仕事じゃない。


 彼らは気性が荒くて獰猛だ。その上種族の半数以上が肉食である。この竜舎のドラゴン達には人を傷つけないよう魔術が施されているが、恐ろしいものに違いなかった。昔は悪魔の手先の害獣だとされてきたこともあり、こうして移動手段として確立し始めた昨今でも進んで彼らの面倒を見たがる者はいない。


 その点ジンジャーは生まれた時からずっと彼らと暮らしてきたので手慣れていた。同時にそれが原因で他に行く宛がないとも言える。

 彼女は他の所で生きて行こうにもその術を持たなかったのである。長年連れ添った相棒と離れる気も起きず、惰性で今の仕事を選んだに等しい。


「王都から客人、ですか」

「ああ。なんでも武官長の3男坊がドラゴン乗りの試験を受けたいんだと……空を飛びたいなら他に手段があるだろうに物好きだな」

「はあ、そうですね」

「お前、飛べなくても指導くらいできるだろ」

「は?」

「明日の10時からな」

「は!?」


 いきなり呼びつけた上に押し付けられた案件に、ジンジャーは思わず素で声をあげた。

 そんな重大な仕事を自分にやらせるつもりなのかと目で訴える。しかし鈍い上司は「年も近いからいけるだろ」と雑な皮算用を拡げて豪快に笑うばかり。

「どうなっても知りませんからね」

 諦めて肩を落とすしかなかった。


   ■


「ザカライア・カルバード……14歳!? と、年下じゃん」

 予約票に書かれた情報を見ながら目を剥いた。

 ちなみにジンジャーはすでに成人している。おっさんは年の数え方も雑なのか。


「身長は148㎝……軍人一家の子なのに結構小柄なんだなぁ。これならかなり小型のドラゴンでも大丈夫かな。最初はおとなしくて小さい個体で慣らして、それから希望を聞いてみて……やっぱり戦闘力重視だったりするのかな。文句とか言われたらどうしよう……」

 ぶつぶつと呟きながら考え事をするのはジンジャーの癖だった。ドラゴン以外に話し相手がいないと独り言が増えるのだと思う。


 戦々恐々とした面持ちで竜舎に赴くと、扉の前で佇んでいる小さな人影を見つけた。

 黒いベストにパンツを合わせたシンプルな恰好だが、皺1つない白いシャツとピカピカの革のブーツからは育ちの良さが滲み出ている。彼がくだんの人物とみて間違いないだろう。


 声をかけるより前に人影は振り返った。そうしてジンジャーの姿を見止めるとぱっと破顔して「あんたが先生?」と駆け寄って来る。

「俺、ザカライア。ザックって呼んでくれ」

 およそ教えを乞う態度ではないが、「今日はよろしくな!」と素直に手を差し出すザックに素直そうな子だと胸を撫で下ろした。高慢で鼻につく態度のクソガキだったらどうしようと不安に思っていたのだ。


 軽く自己紹介を済ませた後、まずは小さなドラゴンを地面に繋いだ状態で基礎的な事を説明することにした。


「ドラゴンに乗るのに必要なのは信頼関係だ。この子は訓練を積んでいるので初対面でも人間を乗せる事に抵抗はないけど、彼らは基本的に自分が嫌な事はしない。無理やり手綱などで誘導しようとすると、力負けして振り落とされるからな」

「おお、だから手綱がないんだ。サドルに取手はついてるけど……」

「それは飛行中に姿勢を保つための物だよ。ドラゴンは多少言葉を理解するし、背中や頭、角に触れたり、足で軽く腹を蹴ることで誘導できる。こればっかりは慣れだから反復練習しよう」


 座学が得意でないらしい事に目をつぶれば、ザックは非常に優秀な生徒だった。元々の身体能力や素直さに加え天性の勘もあるのだろう。半日が過ぎる頃には命綱なしで飛べるまでになった。


「凄いね。普通の人は飛べるようになるのに1週間はかかるのに」

「がっはっはっ! まーな!」

 豪快な笑い声をあげた後にふと真面目な顔になって、

「でもこれって訓練してあるドラゴンじゃないと無理だよな? 王都には竜舎がないんだよ」

 と悔しそうに呻く。


「自分で訓練するっていう手もあるけどお勧めはしないな。1番早いのはウチで気に入った子を買い取るとか。時間がかかるけど捕まえて来て訓練を依頼するっていう方法もある。火災に気を付ければ普通の小屋でも飼育はできるよ。かなり広いものが必要だけど」

「やっぱりそうだよなぁ」

 ううむ、とザックは唸った。


「なんでドラゴンに乗りたいと思ったの?」

 飛行手段は他にもあるのにと疑問に思っていたのだ。魔術による飛行もそうだし、箒や絨毯に乗ってもいい。風の民と呼ばれる一族は特殊な凧で空を飛ぶらしいとも聞く。


「まずカッコいいだろ?」

 ザックが指を立てた。実に男の子らしい理由だ。

「あとは両手が開くからかな。……薄々気づいてるかもだけど、俺は戦う時の移動手段にしたいんだよ。箒や凧じゃ両手が塞がるし、絨毯じゃ遅いんだ」

「その点、ドラゴンは満点よね。頑丈で早くて自分で動いてくれる」

 明るい声で相槌を打つと、「火も吹くしな!」とにやりとした笑みが返ってくる。

「……折角だから、ウチの子達見てみる? 気になる子が見つかるかもしれないし」

 気分が良くなったジンジャーの誘いには「おう!」と気持ちの良い二つ返事が返ってきた。


「こいつは?」

 竜舎でザックが指したのは真っ赤なドラゴンだった。

 4足歩行を常とするためシルエットはトカゲに近い。頭の後ろに固い鱗の飾りを持つ彼は客人には目もくれない。

「この子はレッドスカードラゴンのジールよ。炎袋が足の裏についてるの。足跡が燃えるみたいに赤くなるから”赤い傷跡レッドスカー”」

 昔は空を自由に飛び回ったジンジャーの相棒でもある。

「こいついいな。貫禄あって」

 ザックの言葉に思わず肩を揺らした。一瞬、ジールをザックの元へ送り出す自分を想像してしまった。飛べないドラゴン乗りの相棒なんてしているよりも有意義だろう。だろうけども、何だか嫌だ。

「でも、俺の言う事は聞かなそう」

 苦笑交じりの声に内心でほっとする。それに応じるように”当然だ”とジールが鼻を鳴らすので、ザックは再び豪快な笑い声をあげた。


 その声に驚いたのはこぶし大の小さなドラゴン、ティンキークロー。情けない悲鳴をあげて梁から落っこちた。落下した先は真っ黒な細身のドラゴン、ティミッドガストの頭の上だ。このドラゴンは臆病な事で有名だった。

「ああっ!」

 ジンジャーが止める間もなく驚いた黒いドラゴンが竜舎の中を駆けまわり、入口を踏みつぶして飛び出していく。

「早く捕まえに行かなきゃ……ザック!?」

 気が付けば彼の姿は何処にもない。まさかティミッドガストに轢かれてしまったのではと顔を青くしていると、予想外の所から声が聞こえてきた。


「嘘でしょ!?」

 ザックは竜舎よりも遥か高くの空にいた。咄嗟にティミッドガストの身体にしがみついたのだろう。

 けれども一度パニックを起こした臆病者が、突然現れた乗り手を受け入れられるはずもない。大きく旋回した拍子に彼の小さな体は空へ放りだされた。


 ひゅ、とジンジャーの喉が鳴る。

 同時にその横を大きくて熱い何かが通り過ぎた。

 地面には赤く燃える爪痕だけが残されている。はっとして空を見上げると、見慣れた赤いドラゴンが弾丸のように飛んでいくところだった。

 大きく広げられた翼が風の間を滑る。ジールは瞬く間にザックに追いつくとその両手で彼の身体を引き寄せた。


「あっ」


 その時ジンジャーに蘇る記憶があった。

 自分が空に放り出された、あの時の記憶だ。

 落ちてゆく自分を助けたのはジールだった。彼はあの後すぐに垂直に飛んで来て、同じようにジンジャーを両の手で受けとめたのだ。着地の際に頭を打ったために気絶してしまったが、まさか記憶まで無くしてしまうなんて。


 ジールはザックの身体を懐に抱くと身体を丸めた。そのまま雑木林に落下する1人と1匹を見て慌てて駆け出す。

「ジール! 無事!?」

 折れた木の枝をクッションにして赤いドラゴンはくつろいでいた。心なしか疲れたような表情で翼を持ち上げると、ぽかんと口と目を開けたまま呆けているザックがいる。

「ザック、怪我は?」

 恐る恐る彼の様子を確認した。顧客に怪我をさせてしまったかもしれないという事より、彼が自分のように空を飛ぶことを怖がってしまわないか心配だった。


「今の凄かったなぁ! もう1回やりたい!」


 ジンジャーの心配をよそにあげられた能天気な声に言葉を失う。それはジールも一緒だったようで、目をぱちくりとさせた後呆れたようにぐるると唸った。

 「あの黒いの捕まえて来る!」と言って駆け出して行った背中を見送っていると、だんだんと可笑しく思えてきた。

 ”どうしたの?”とばかりにジールがすり寄ってくる。その背を撫でながら、「この場合、あの子が凄いのかしら? それとも私が臆病なの?」と尋ねる。当然返事はなかったが満足だった。

 ひらりと赤い背にまたがってみる。少し驚いた後、ジールは平静を装って歩き出した。


 今なら空も飛べる気がした。

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