64 バカな二人

 最近、少し不安になっている。


「ねえ、光一。たまにはデートしない?」


 私は彼を誘うけど、


「悪い、ちょっと用事があるんだ」


「そう……仕方ないわね」


「また今度な」


 彼は淡く微笑みながら言ってくれる。


 私も受験勉強があるから、そちらに没頭しようとするけれども。


 中々、上手く行かない。


 この前、彼に愛の言葉をもらって、頑張るって決めたのに。


「……もしかして、光一はもう、私に飽きたのかな?」


 大学に行って、他の男にNTRされても構わないとか、冗談でも言っちゃうし。


「……だったら、本気でNTRされてやろうかしら」


 何て自分でも冗談で言ってみるけど、絶対に嫌だと思った。


 愛する光一以外の男が私に触れるなんて……本当に嫌だ。


「あっ……」


 いけないと思いつつも、自分で自分を慰めてしまう。


 この前、彼に電話で優しく指示をされた時のことを思い出して……


「んっ……あっ……」


 あの時は禁じられた所にも触れて……


「んああああああああぁん!」


 勉強机にグッタリと倒れる。


「はぁ、はぁ……」


 今日は休日で、両親は出掛けていた。


 そのおかげで、遠慮なく大きな声を出してしまった。


「……最悪だわ」


 快楽は一瞬だけで、その後に激しい自己嫌悪に苛まれてしまう。


 こんな調子で勉強をしても身に入らない。


 そう思った私は、気晴らしに外に出ることにした。


 春ももうすぐ終わる。


 だから、桜の花びらが散っていて、少し寂しい。


 ――桜子、別れよう。


 あの時、桜が舞い散る中で彼に言われた言葉を思い出して、ドクンとする。


 軽く動悸がしたから、どこかお店に入って休もうとした。


 その時、ふと視界の端に引っかかる物があった。


「えっ……光一?」


 彼は街中を歩いていた。


 今日、用事があるって言っていたけど……


 私はいけないと思いつつも、彼を尾行することにした。


 彼はこちらに気付く様子はなく、変わらず街中を歩いて行く。


 一体、どこに行くのだろうか?


 もしかして、浮気とか……


 いや、それはないだろう。


 今までも、何回か未遂はあったけど。


 きっと、彼は……


「……えっ」


 その光景を見て、唖然としてしまう。


 光一が、女性と待ち合わせをしていた。


 私とは違って、女の子らしい、可愛い子だ。


 二人は並んで歩いて、近くに喫茶店に入って行った。


 私は先ほどよりも動悸がひどくなる。


 え? 嘘? 何で?


 ――桜子、愛しているよ。


 あの言葉は嘘だったの?


 私は今すぐこの場から逃げ出そうとした。


 けれども、何とか踏ん張って、彼と見知らぬ女が入った喫茶店に足を踏み入れる。


「いらっしゃいませ、お一人さまですか?」


 私はぎこちなく頷くと、適当に空いている席に座った。


 どうしよう、勢いで入ってしまったけど。


 顔を隠す帽子も何もない。


 もし、彼にバレたら……


『お前、キモいな。マジで別れよう』


 ……そうしたら、私はもう死ぬだろう。


 確実に。


 チラ、と彼の様子を伺う。


 何だか、イキイキと話している。


 どうして? 私よりも、そんな女と話す方が楽しいの?


 女の方も、何だか心を許したように笑って話しているし。


 光一……どうして。


「お待たせしまして、ブレンドです」


 置かれたコーヒーから香る湯気が私の顔に当たる。


 しばらく、俯いたままその湯気を浴びていた。


 そうしている間に、椅子の動く音がした。


 こちらに足音が近付いて来る。


「あれ、桜子?」


 呼ばれて、ハッとした。


「お前、どうしてこんな所に居るんだ?」


 彼は私の気も知らず、いけしゃあしゃあと言ってのける。


「……最低よ」


「え?」


「やっぱり、他に女が出来たから、私と別れたかったのね」


「おい、どうしたんだ? 何の話だよ?」


「惚けないで。今となりにいるその女が、新しい彼女なんでしょ?」


 もう、泣きそうだった。


 けれども、せめてもの意地で、必死に彼を睨む。


「いや、違うけど」


「嘘おっしゃい! あんなに楽しそうに……」


「あー、何て言うか……仕事なんだよ」


「……仕事?」


 私は睨んだまま聞き返す。


「何よ、それ? もしかして、エッチな商売とか? 女を抱いて喜ばせるとか?」


「当たらずとも遠からずだな」


「ふざけないでよ!」


 私はついテーブルを叩いてしまう。


「バカみたい……もう嫌よ……何でこんな男のことを……」


 とうとう、私は涙腺が崩壊してしまう。


「桜子」


「触らないで!」


 私は彼の手を振り払う。


「良いわよ、別れましょう。せいぜい、新しい彼女さんとお幸せに」


 そそくさと立ち上がって、この場から離れようとした。


「待てって!」


 彼が私の手を掴む。


「何よ、まだ何か言いたいことでもあるの? これ以上、私を傷付けて楽しむつもり? とんだドS野郎ね」


「桜子、落ち着いて聞いてくれ」


 彼が言うも、私は興奮が冷めない。


「あ、あの……」


 すると、それまで黙っていた女が口を開く。


 私はその女を睨んだ。


「な、何か、私のせいですみません」


「は? 謝ってんじゃないわよ」


「けど、違うんです。私は相談に乗ってもらっていたんです」


「何の相談よ? 今夜、どんな風に抱いてもらおうかっていう相談?」


「まあ、当たらずとも遠からずと言うか……」


「ふざけないで!」


 私はまた声を張り上げてしまう。


「違うんだよ、桜子。本当は、彼女が来るはずじゃなかったんだよ。彼氏が来るはずだったんだ」


「は? どういうこと? もう訳が分からないわ」


「だから、この人の彼氏が来るはずだったんだよ。で、俺は彼にエッチのテクを教える予定だったの」


「…………はい?」


 私は怒り顔のまま首をかしげた。


 彼はため息を吐く。


「本当はちゃんと形になるまで黙っていようと思ったけど……俺、起業しようと思うんだ」


「えっ?」


「もちろん、まだ先の話だけどな。実は、今ブログで性に関する悩みを解決するようなテーマで書いていて。広告の収入ももらっているんだ」


「そ、そうなの?」


「ああ。まあ、昨今はエロに対して厳しいし、何より俺は未成年だから。親の同意をもらった上で、エロ系で収入を得られるサイトを探して、結構苦労したな」


「じゃあ、受験勉強は……」


「していないよ。俺、大学には行かないから」


「でも、そんな……」


「たぶん、大して目的もなく大学に行っても、時間と金の無駄だ。俺にはそんなことをしている余裕はない。一刻も早く、稼げる男になりたい」


「どうして?」


「バカじゃないのか?」


 いきなりそう言われて、ムッとしてしまう。


「ちょっと、あなた……」


「お前と結婚するためだよ」


 彼の言葉にハッとする。


「……け、結婚?」


「何だよ、お前から言い始めたことだろ?」


 彼は少し照れ臭そうに言う。


「俺は早く稼げる男になって、堂々とお前を俺の嫁にする。そうしたら、誰にもお前を渡さない。NTRなんて言語道断だ」


「こ、光一……」


「結婚しよう、桜子。近い将来、必ずな」


 私はまた、泣いてしまう。


 けど、さっきとは意味合いが大きく違う。


「……バカ、こんな人前で」


 すると、彼がハンカチを出してくれた。


「拭けよ。泣いたお前を見て良いのは、俺だけだ」


「もう、バカ。本当にバカ……」


「バカバカ言うなよ」


 そう言って、彼は私を優しく抱き締めてくれた。


「お二人とも、素敵です。私も彼氏とこんな風になりたいです」


 私はまたハッとした。


「み、見世物じゃありませんので」


 光一から離れて、コホンと咳払いをする。


「すみません。あ、今回の相談料です」


 女は光一のお金を渡す。


「はい、どうも。また困ったら、連絡して下さい。今度は、彼氏と一緒にね。疑われるといけないから」


 光一がチラと私を見て言う。


「はい、そうですね」


 女は会釈をして、笑顔のまま去って行った。


「……とりあえず、出ようか」


「……ええ」


 私は彼に手を引かれて喫茶店を出た。


「お前って、頭が良いけどバカだよな」


「なっ、あなたの方がバカよ」


「じゃあバカ同士、バカップルでいようか」


「バカップルって……」


 正直、ちょっと嬉しい。


「桜子」


 彼は立ち止まると、私を真っ直ぐに見つめた。


「そういえば、さっきの返事をもらっていないけど」


「え?」


「俺と結婚してくれるのか?」


 彼はいつになく真剣な顔で聞いて来た。


「本当にバカね……言うまでもないでしょ?」


 私はきゅっと彼に抱き付く。


「一生、あなたに付いて行きます」


「じゃあ、俺は……一生お前とエッチしているよ」


「な、何よそれ」


「疲れちゃうか? 大丈夫、ちゃんと休憩はするから。箸休めにお前の巨乳を揉みながら」


「も、もう! 本当にバカじゃないの!」


 私はまた大きな声を出してしまう。


「そんなに大きな声が出したいのか」


「あ、あなたのせいでしょ?」


「じゃあ、将来はきちんと防音性能のあるマンションに住もうか」


「へっ?」


「あ、でも待てよ。あえて壁の薄いアパートで、毎晩、声を押し殺す感じも堪らないな」


 彼はまた真剣な顔でふざけたことを言い始める。


「桜子はどっちが良い?」


「ぶっころ」


「何だよ、怒るなよ」


「ふん、許さないんだから。私にこんな思いをさせて」


「じゃあ、どうすれば許してくれる?」


 彼は言う。


「……今日は朝から夜遅くまで両親が出掛けているの」


 私は言う。


「そっか。じゃあ、いっぱいエッチが出来るな」


「ちょ、ちょっと。人がせっかくぼかしたのに」


「悪いな、まどろっこしいのは嫌いなんだ。俺はお前とエッチをしまくりたいんだ」


「こ、この変態……」


「こんばんは寝かさないぞ?」


「ズキュン……って、そうしたら親にバレるでしょうが!」


「良いじゃんか、もう公認なんだし。思い切り、可愛い娘のエッチな声を聞かせてやれよ」


「それどんな拷問よ。絶対に嫌なんだからね!」


「よし、帰る前にラーメンでも食って行くか。この前、萌葱から割引券をもらったんだよ」


「ちっ、そんなの捨ててしまいなさい」


「何なら、あいつも誘うか?」


「は? ぶっ殺すわよ?」


「冗談だよ。味玉トッピングおごるから、許せ」


「ふん、メンマも付けなさい」


「分かったよ」


 彼は呆れたように笑いながら、私の手を握った。


 私はまだ不機嫌そうなそぶりを見せながらも、胸がトキめいていた。


「あ、しまった。左手を繋いでくれ」


「え、どうして?」


「いや、実は家を出る前に、右手でスッキリしていたからさ」


「なっ」


 やっぱり、私の大好きな彼は、バカだった。


 けど、可愛い。


 ズキュン。







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