8 お見舞いに来た彼女

 体育の授業。


 クラスの中でもひときわ輝きを放つのは、やはり彼女だ。


「桜子ちゃんすご~い、新記録だよ!」


「ありがとう」


 勉強だけじゃなく、スポーツも万能。


 颯爽と走る姿は、その乳揺れさえも男子に意識させないくらい優雅であった。


 俺も我が彼女ながら素晴らしいと思って見惚れていた。


 ていうか、何であんな奴が俺の彼女なんだ。


「よーし、次は男子の番だぞ」


 俺はやれやれと思って立ち上がる。


 正直、50m走とかダルいし、早く終わって欲しい。


 適当に流そう。


 そんな腑抜けた気持ちを抱いた罰だろうか。


 俺は派手にコケて足をくじいた。




      ◇




 仕事の昼休みに親に車で家まで送ってもらった。


 松葉杖がすぐに用意出来なかったので移動もままならず、授業も受けることが出来ないため、早退という形になったのだ。


「はぁ……」


 俺はベッドの上でため息を漏らす。


 時刻は夕方。


 最初は授業をサボれてラッキーと思ったけど、足が不自由であまり動けないので退屈だ。


 本棚のマンガもあらかた読んだし。


 すると、下の方で玄関ドアが開く音がした。


 母さんが帰って来たかな?


 階段を上がって来る音が聞えた。


 部屋がノックされる。


「幸雄、お客さんよ」


 何やらニヤケた顔で母さんが言った。


「え? お客さん?」


「あんたも隅に置けないわね~。さあ、どうぞ入って」


「ありがとうございます、お母様」


 ん?


 何やら聞き覚えのある声がした。


 そこには完璧な優等生スマイルを浮かべる東条がいた。


「じゃあ、後はごゆっくり~」


 母さんは最後までニヤケ面のまま出て行った。


「……よ、よう、東条。どうしたんだ?」


「決まっているでしょ? ケガをした彼氏のお見舞いよ」


「そ、そいつはどうも……けど、何か怒ってない?」


 ケガ人になったら、少しは優しくしてくれるものだと思うけど……


「自己管理が出来ない男は嫌いよ」


「じ、自己管理っすか?」


「ええ。今回のケガだって、不慮の事故じゃなく、あなたの不注意でしょ? 大方『あ~、体育の授業かったりぃ~』とか思っていたとか?」


「おっしゃるとおりです」


「そんな腑抜けた気持ちだからケガをするのよ。これがもし結婚した夫婦だったら、妻である私に負担がかかるのよ? 分かる?」


「確かにその通りだけど……って、まだ結婚とかしてないだろうが」


「いずれするでしょうが。私達は結婚を前提にお付き合いしているのよ」


「そ、そんな話でしたっけ……」


 あぁ、何だよこいつ。


 こんな時くらい、優しい言葉をかけてくれたって良いじゃないか。


「それにケガをしたら……出来ないじゃない」


「何が?」


「その……夫婦の営みが」


 東条は急に照れながら言う。


「あ、ああ……そうだな」


「何よ、そっけない返答ね」


「けどさ、これくらいのケガなら、例えばお前が上になるスタイルだと出来るぞ」


「か、春日くん、あなたまさか、ケガ人だって油断させておいて、この私を……」


「いやいや、しないから」


「何だ、しないの」


「何でちょっと残念そうに言うんだよ」


 俺は肩を落とす。


「あ、そうだ。そういえば、今日はまだしてないよな?」


「何を?」


 東条が聞き返す。


「キスだよ」


 言った直後、東条の顔がみるみる内に赤く染まる。


「……そ、そういえば、そうね」


「1日に1回までなら良いんだよな?」


「え、ええ」


「じゃあ、俺は動けないから、こっち来て」


「で、でも……」


「良いから、早く来いよ」


 俺が少し焦れて言うと、


「……は、はい」


 東条はすす、とベッドに近付き、俺に寄り添って来た。


 俺は彼女の顎をくいと掴むと、それまで強気だった彼女の瞳がゆらぎ、不安げな少女の顔になる。


「大丈夫、優しくするから」


「お、お願いよ?」


 そして、唇を重ねる。


 二度目のキスは、前よりもちょっとだけ慣れていたから。


 舌先で軽く東条の口の中をいじめてみる。


 すると、東条が少しだけ悶えるような顔になって、口の端から弾んだ吐息を漏らす。


 やがて、ゆっくりと離れると、東条の顔はとろけ切っていた。


「……す、すごい……前よりも、頭がクラクラして……」


「実はあれから勉強したんだ」


「ま、まさか他の女と?」


「いや、エロ本で」


「そ、そう……仕方のない男ね」


 東条は俺から離れると、クッションの上に正座をした。


「けど、キスだけでこれだったら……もし本番をした時、お前は死んじゃうかもな」


「し、死ぬ……好きな男に抱かれて、死ぬ……」


 東条はふいに頬を赤らめたまま恍惚の顔で天井を仰ぐ。


「あの、東条さん?」


「ハッ……こ、このふしだら男め!」


「いや、君もエッチな女だよ」


「お黙りなさい! 私はもう帰るわ!」


 怒った東条が部屋から出て行こうとするが、その前にドアが開く。


「ねえ、桜子ちゃん。良かったら一緒に晩ご飯を食べて行かない?」


 また母さんがニヤケ面のままで言う。


「母さん、ノックしろよ」


「あら、ごめんなさい。お邪魔だったかしら?」


「ウザイなぁ」


「あの、えっと……じゃあ、お言葉に甘えて」


「まあ、本当に? 光一、あんたこんな良い子を逃がしちゃダメよ!」


 ていうか、むしろ俺の方が逃げられないんですけど。


 がっちり将来までロックされちゃっているんですけど。


「お母様、安心して下さい。私はずっと、彼のそばにいますから」


「まっ! お母さん、興奮しちゃうわ!」


 ハシャグ母さんに微笑む東条。


 そして、俺はベッドの上で苦笑する他なかった。







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