7 放課後、二人きりの裁判

 努力は必ずしも報われるものじゃない。


 俺は今この時、それを痛感していた。


 コツコツコツ、と。


 隣の席から拳で机を鳴らす音が聞えて来る。


「全く、あなたはバカなのかしら?」


「……はい、おっしゃる通りでございます」


 ちなみに、放課後の教室には俺たち以外、誰もいない。


 二人きりだった。


 だから、何をされてもおかしくない。


 現に、終始苛立った様子の東条は、鉛筆とかコンパスとか、凶器になりそうな物をクルクルと手の内で回している。


「あなた、言ったわよね? 『中間テスト、お前の彼氏として恥ないような点数を取りたいんだ』……って」


「はい、確かに言いました」


「その結果がコレ?」


 東条は立ち上がる。


 バサバサ、と俺の答案用紙が宙を舞う。


「どれもこれも、赤点スレスレのラインじゃない」


「で、でも、赤点は回避したんだし……」


「は?」


「すみません……」


 俺は椅子の上に正座をした。


「こんなことなら、私がもっときちんと勉強を見ておくべきだったわ」


 東条は心底悔しそうに爪を噛んで言う。


「春日くん……いえ、春日容疑者くん」


「よ、容疑者?」


「特別に、異議申し立てを許すわ。さあ、私の彼氏でありながら、こんなにひどい点数を取った訳を言いなさい。その返答次第では……生かしておけないわ」


「た、例えば、どんなことだと許しがたいですか?」


「そうね……私以外の女と遊んで点数がひどかった、なんて言った日には……」


「ないない、それは無いです!」


「あら、本当に? 良かった」


 東条は束の間、ニコリと笑う。


 けど、すぐにまた冷酷な表情になって、


「じゃあ、何でこんなに点数が悪いのかしら?」


「それは……」


 俺は両手を膝の上で強く握り締めて口ごもってしまう。


「黙秘権を行使するつもり? 構わないけど、その間に命を落とすかもしれないわよ?」


 東条が武器を構えようとしたので、


「わ、分かったよ。正直に話すから」


「じゃあ、早く言いなさい。なぜ、こんなにも点数が悪かったの?」


「それは……お前のせいだよ」


「……は?」


 ピクピク、と東条の眉が吊り上がる。


「あなた、この期に及んで彼女に責任転嫁をするつもり? そんなにクズだったなんて、見損なったわ」


 東条が再び武器を構えようとする。


「だって、仕方ないだろ……ずっとお前のことを考えて、勉強に集中できなかったんだ」


「え?」


 俺はわずかに目を丸くする東条を見た。


「だって、お前は学園で一番人気の美少女。片や、俺はボッチ気味の冴えない男子。正直、未だに付き合っているって実感が湧かないんだ」


「…………」


 東条は黙って俺の話に耳を傾けている。


「けど、現にお前は俺の彼女だって言ってくれるし、嬉しくて……美人でスタイルが良くて、おまけに胸も大きいお前とのエッチなことを妄想して……勉強に手が付かなかった、すまん」


 俺は深々と頭を下げた。


 こんなふざけた理由、彼女の怒り煽り、噴火させ、俺は殺されてしまうのだろうか。


 まあ、良い。それも一興だろうと、俺はなぜか悟りの境地に立っていた。


「……ひ、一つ聞いても良いかしら?」


「ん、何だ?」


「その、あなたのエッチな妄想の中で……私はどんな風にされているのかしら?」


「え? そうだな……まずは、おっぱいを揉んで」


「お、おっぱいから揉むの? キスは?」


「まあ待て。それから、首にキスをしながら、おっぱいを揉む」


「く、唇にしなさいよ」


「それから、耳を噛む」


「か、噛むの? 耳を?」


「甘噛みな」


「あ、甘噛み……」


 東条の目がとろんと覚束なくなって来た。


「それから、ゆっくりと……」


「い、いよいよキスをするのね?」


「いや、お前の本丸に手を突っ込んで……」


「もう、いつになったらキスをするのよ!」


 東条はバン!と強く机を叩いて立ち上がった。


 開いた窓から風が吹き込み、同時に運動部の掛け声が聞こえて来る。


 ハッと我に返った東条は、


「……ご、ごめんなさい。つい興奮してしまったわ」


「あ、いや。俺の方こそすまん。何か自分の妄想を語っちゃって」


「良いのよ、私がそうしなさいって言ったのだから」


 東条は澄ました顔で着席し直す。


「コホン。では、被告に判決を言い渡します」


「あ、はい」


「被告を……無罪とします」


「え、マジで? やったー」


 俺はバンザイをする。


「……だたし、一つだけ条件があります」


「え、何か怖いな?」


「失礼ね。至極簡単なことよ」


「どうぞ、何なりとおっしゃって下さい」


 俺は続きを促す。


 すると、それまで淀みなく話していた東条が口ごもる。


「どうした?」


 俺がまた聞き直すと、東条は軽く深呼吸をした。


 そして、俺のことを真っ直ぐに見つめる。


「私にキスをしなさい」


 一瞬、教室に沈黙が舞い降りた。


「……あ、はい」


「何よ、腑抜けた返事をしちゃって。嬉しくないの?」


「いや、嬉しいけど……相変わらず、上から目線だなって」


「つ、つべこべ言ってないで、早くキスをしなさい」


 東条は頬を赤らめながら早口で言う。


「分かったよ」


 俺はそっと東条の頬に触れた。


 彼女はピクっと反応する。


「ど、どうしましょう。もし、あなたのキス顔を間近で見て笑ってしまったら」


「やっぱりやめようか?」


「い、良いから早くしなさい」


「全く、ワガママだな」


 まあ、そんな所が可愛いんだけど。


 そう思いながら、俺は東条と唇を重ねた。


 想像以上に、柔らかくて、繊細な唇だった。


 東条の口の端から「あっ……」と小さな声が漏れる。


 それから、ゆっくりと唇を離した。


「……キスしたな」


「…………」


 東条は放心状態になっていた。


「おーい、大丈夫か? そんなに俺とのキスが嫌だったか?」


 呼びかけると、東条はハッとする。


「そ、そんなことないわ。何て言うか……凄いのね、キスって」


「じゃあ、もう1回する?」


「む、無理無理! もしされたら、私きっと死んじゃう!」


「オーバーだなぁ」


「と、当面の間、キスは1日1回までよ。良いわね?」


「あ、毎日してくれるんだ?」


 俺が少しからかうように笑うと、東条の顔が真っ赤に染まる。


「春日くん……殺すわよ?」


「どうぞ。好きな女に殺されるなら本望だ」


「くぅ~……カッコイイよぅ~……」


 相変わらず情緒不安定な東条さんは、悔しそうに唸りつつも俺にデレていた。







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