第20話 折れた心

 花祭りから一週間後。

 どことなく落ち着かない宮中の雰囲気にげんなりしていた晴は、久し振りに香耀殿を訪れた。大君の文を中宮に渡すためだが、もう一つ、優月の様子も知りたかったからだ。

「あら、晴。どうしたの?」

「照さん、こんにちは。中宮様に文をお持ちしました」

「ありがとう。そちらは変わりなく?」

「はい。……優月の様子はどうですか?」

「一応、元気だし明るく振舞ってはいるわ。だけど、気が付くとぼおっとしてることが増えたわね」

「そう、ですか」

 それではあまり変化なしということだろう。奥にいた中宮も優月を心配しているらしく、今日は暇を与えたのだとか。

「暇はいらないと言っていたけれど、心ここにあらずなことが多いから。それなら少しでも気持ちを落ち着かせることに気を配った方がいいかと思ったの」

「それも一つの手ではありますよね。……では、優月は何処へ?」

「自分の房か、図書寮かもしれないわ。晴、時が許すのなら優月と話をしてあげられないかしら? ……あんなことを言われた後だもの。心が塞ぐはずだわ」

「……はい。大君にも気にかけてやってほしいと言われていますから。今は、自分よりも彼女の方が危うい、と」

 あの日、晴と別れた後、優月は真っ直ぐ香耀殿に帰って来た。それから彼女を心配していた中宮と照に、目覚めてから聞かされたことをぽつぽつと話したそうだ。

 二人は驚くと共に、珠樹の行動に怒りをあらわにした。何故体調を崩して倒れたかもしれない少女にそんな重い話をするのか。そして、個人では決して片付けられないことを、何故大君を通さずに話したのか。

 中宮も照も、涙を流して優月を慰めた。運命に怒りをぶつけた。それしか出来ないから。

 しかし、優月は二人の前では泣かなかった。悲しげに微笑んで、「照さんと一緒に今夜は寝てもいいですか?」と尋ねただけだ。

 晴は優月を探し、宮中を歩いた。図書寮で顔見知りに声をかけたが、今日は彼女を見ていないという。彼女の房を覗くことは流石に出来ないが、外から声をかける。しかし返事はなく、人の気配もない。

「あいつ、何処ほっつき歩いてるんだ?」

 次に向かったのは、時折二人で話をする座りやすい石が並ぶ庭。遣り水が流れ、春先の今、ぽかぽかと日当たりが良い。けれどそこにもいない。

 気付けば日が傾いている。まだ寒さは続いているから、何処かで凍えていなければいいが。

 晴は一度清涼殿に戻ることにした。雑用を片付けて、もう一度優月の房を訪ねる。そう決めた。

 それを報告しようと香耀殿に足を踏み入れた瞬間、あかがねとぶつかった。

「痛っ……、あかがねどうし……」

「あ、晴。お前今まで何処ほっつき歩いてた!?」

 何処かで聞いたセリフだ。あかがねの頭突きを食らった腹をさすりながら、晴は答えた。

「……優月探して宮中歩いてたんだよ」

「じゃあ、勿論優月は見つからなかっただろうな!」

「なにハイテンショ……興奮してるんだ?」

 あかがねが何かを怒っている。その怒りを自分に向けているのは納得いかないが。

「何、だと?」

 火に油を注いだらしい。あかがねは背的に届かず諦めたが、晴の直衣なおしの袖を引っ張った。

「優月が消えた」

「は?」

「だから、今朝からいないんだ。おれもお前と同様に朝から優月を探してた。宮中はくまなく、東の市にも足を延ばした。けど、何処にもいない」

「……まさか」

 一つの可能性が頭をよぎった。まさかそんなはずはない、と思ってはいても止められない。

 青い顔をする晴の表情から読み取ったのか、あかがねは頷いて見せた。

「おれも、それを疑ってる。まずは大君と中宮様に相談しよう」

「わかった」

 数えの十三歳とは思えない力で引っ張られながら、晴はただ優月の無事を祈った。


「……というわけでございます」

「なるほど。まさか本当にあの娘が巫女だとは思わなんだ」

「私も、まさかとは思いました。けれど、あの奇跡は、あなた様もご覧になりましたでしょう」

 ふと目を覚ますと、そこは何処かの室内だった。

(……何か、聞こえる)

 体中が痛い。動かそうにも両手は後ろに回って、しかも縛られているようだ。立とうにも両足首も縛られている。

 どうしてこんなところに転がされているのか。記憶を辿れば、早朝に遡る。

 まだ暗い時間帯。最近眠りが浅く、早めに目が覚めてしまう。仕方がないから外に出て、日の出を拝むのが日課だ。

 今朝も早く目が覚めた。しかし体を動かそうとした矢先、何者かに口を塞がれ、薬を嗅がされた。その瞬間、気が遠くなり、今に至る。

 部屋は暗く、わずかに開いた壁の穴から隣室の光が漏れている。

 優月は芋虫のように這って穴に近付き、その穴に片目で覗き込んだ。

「……!」

 隣の部屋には、二人の男がいた。そのどちらともに見覚えがあり、優月はのどを鳴らした。

 一人は国父神宮の宮司である珠樹、そしてもう一人は大納言有彰。二人は小さな灯りを頼りに酒を酌み交わしているようだった。

「しかし、これで我らの前大君様の願いを叶えることが出来よう。無事に神事が執り行われれば、神の積年の望みを叶えて差し上げることも出来る。……ふっふっふ。一石二鳥とはこのことかのう」

「神もお喜びになりましょう。……あとは、あなた方にお頼み申しましたぞ」

「任せよ」

 大納言が笑い、珠樹は彼の杯に酒を注いだ。

 何が話し合われているのかはわからない。けれど、ここにいてはいけない。早く逃げなければ。

(……逃げて、どうするの?)

 はたと気付く。優月は既に陽の巫女と決まっている。夏至の祭りで神に捧げられるのだ。その身は、どうなるかもわからない。天に上るというのは、死ぬことを意味するのかもしれない。

 運命は、これほどにまで残酷なのだろうか。

 優月は歯を食いしばり、泣くまいと踏ん張った。

(……ごめんね、晴。わたし、約束守れないや)

 優しい晴の笑顔を思い出す。彼は不器用かもしれないが、人のことをまず考えて動く面も持ち合わせている。昔から、励まされるばかりだ。

 晴に言えば、それは逆だと言うだろう。実際に言われたこともある。

 ――おれが、里田に元気づけられることの方が多い。絶対に。

 思い出すだけで涙が出そうだ。心が痛い。ぼろぼろだ。

 がたり、と隣で音がした。見れば、大納言が席を立ったところだ。

「では」

「ええ。お気をつけて」

 珠樹は大納言を見送り、何処かへ去って行った。

 チャンス。だが両手首と両足首の拘束を解く手立てはない。

 長くは生きられないかもしれない。別れが近付くのは怖い。だけど、もう一度会いたい。

(誰か。……晴、助けて)

 乾いた唇が、そう動いた。


 晴とあかがねは清涼殿にいた。大君と中宮、そして照、正治と影頼にも集まってもらい、現状を報告する。そして、晴たちが気付いた可能性についても。

 普段は冷静な大君の表情が険しくなる。

「……もしもそれが本当なら、許すことは出来ない」

「はい。私も、同じ気持ちですわ。大君」

 珍しく中宮が語気を強めた。花祭りの後から常に優月を気にかけ続けていた女性だ。まなじりが上がっている。

「すぐにでも本人を問い詰めたいところだが……どう思う、近衛大将?」

「……正直、『私は知りませぬ』と言われてしまえば終わりでしょう。証を提示せねば、言い逃れられてしまう」

「相手は、それくらいのことは考えていような。しかもわたしは立場上、表立って動くことが出来ない。中宮も同じだ」

「ええ。……口惜しいことですが」

 歯噛みする中宮の肩を抱き寄せ、大君は目の前の若者二人に視線を合わせた。

「だから、晴とあかがねにこの件を任せる」

「お任せください」

「え、でも……」

 即答するあかがねに対し、晴は迷った。

 自分は大君の陰だ。その自分が任を離れていいのだろうか。そう告げると、大君は笑った。

「確かに、晴の気遣いはありがたい。だがここだけの話、わたしの命を狙っているのは父上でありその手足である前宮の武だ。その彼らが今標的にしているのが優月であるならば、わたしの守りは近衛府に任せなさい。前宮の武の頭は大納言だと誰もが知っている」

「……それ、笑って言うことではないと思いますが」

 思わず呆れ顔で指摘すると、大君は「だから心配ない」と言った。

「晴とあかがねの言う通り、、必ず二人の前に敵は現れる」

 晴は、優月が倒れた直後に珠樹に優月を迎えに行くと宣言されている。

 あかがねは、それを中宮に聞いた後、珠樹の行動を日夜観察していた。その中で、珠樹と大納言がつながっていることを突き止めたのだ。

「花祭りの数日後には二人で神宮で会ってたからな。難しくはなかったよ」

 そう言ってあかがねは笑う。

 それに、と大君は言う。

「この件で大納言に一撃を与えることが出来れば、わたしの身の危険が減るんだよ。これは、陰の任にも通じるんだ」

 そこまで言われれば、晴も頷くしかない。

「私たちに任せろ。晴は、彼女を必ず助け出せ」

「そうだぞ。大将も私もまだまだ腕は衰えていないからな」

 正治も影頼もそう言って笑う。ばしばしと晴の背中を叩いてくる。

 晴はなんだか嬉しくて泣きたくなった。

「――はい。必ず、無事に連れ帰ります」




 優月、きっときみは自分の運命を悲観しているだろう。

 何処かに閉じ込められて泣いているかもしれない。

 だけど、必ず迎えに行くから。

 運命を変えろ。――ふたりでなきゃ、意味がない。

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