第21話 手がかりを探して

 夕刻。

「……とは言え、何処に行けば」

 宮を出て、あかがねと二人で大路に立った晴は呟いた。

 道に人はまばらである。本当に暗闇に閉ざされるこの京では、その夜にかけて出掛ける者は少ない。夜盗に襲われるかもしれないし、もしかしたら恐ろしいなにかに出会ってしまうかもしれないからだ。

「まずは大納言の邸へ行ってみよう。あそこに出入りする仲間はいないけど、もしかしたら本人に話を聞けるかもしれないからな」

「……本気か?」

 あかがねの提案に、晴は少し驚いた。本人が簡単に口を割るとは思えなかったからだ。

 対してきょとんとしたあかがねは、平静の声で言う。

「おれは、いつでも本気だけど?」

 本人に聞くのが手っ取り早いだろう、と笑う。それが早道だということは承知しているが、晴は苦笑いするしかなかった。

「確かに、今は時間をかけている暇はない。正面突破だな」

「おうよ。行こうぜ、こっちだ」

 何度も大納言の様子を調べに行ったというあかがねに引っ張られ、晴は宮の次に巨大な大納言の邸を訪れた。


 太陽が沈みかける頃合い。影が深くなった中、邸はその持ち主の闇を反映しているようにも見える。

 大納言ともなれば、仕事量は多くなる。夜遅く帰ってくる可能性が高いのだが。

「あっ」

「しっ。静かに」

 がらがらと音をさせ、牛車が近付いてくる。二人は塀の影に隠れて様子をうかがうことにした。

 牛飼い童ではなく、烏帽子を被った家人けにん風の男に牛を引かせている。その牛車は、大納言の邸前に停まった。

 降りてきた男は、間違いない、大納言その人だ。

 何かを気にしているのか、周りをちらちらと見ている。そして、足を玄関に向けようとした。

「こんばんは、大納言様」

「……っ。だ、誰だ」

 晴の声に驚いて振り返った大納言は、声の主を見て一瞬、目を見張った。しかし、すぐに冷静な目を取り戻す。

「どうしたのだ、陰の少年よ。こんなところで出会うとは」

「……あなたに、お聞きしたいことがございまして」

「それはご苦労なことだ。答えられることならば、何なりと」

 妙に冷静な態度が気に障る。しかし晴は、背中をあかがねに軽くはたかれて眉間の険を和らげた。

「では、お聞きします。……単刀直入に。あなたに、優月が何処にいるのか教えていただきたいのです」

「優月……とは、きみと同じ客人の少女のことだな。自分の房にいるのではないか?」

「いれば、ここまで来るなんてことはいたしませんよ」

「言う口は持ち合わせておるようだ。だが残念ながら……ふふ、私は知らぬ」

 意味ありげに微笑む。その顔に、本当は知っているが教えるものかという、こちらを下に見る態度が現れている。

 そのまま邸に入ろうとする大納言に向かって、晴の後ろから飛び出したあかがねが飛びかかった。飛び出す直前、何かがプチンと切れた音がしたのは気のせいではないだろう。

「うわっ。……な、にをする! 無礼であろう!」

「無礼だぁ? 力の弱い相手を力でねじ伏せようって考えのやつに言われたかないね。正直に優月の居場所を教えやがれ!」

「……放せ」

「あかがねッ」

 晴が大納言からあかがねを引き離そうとした矢先、あかがねが乱暴に突き飛ばされた。地面に倒れ込んだ彼を助けようとした晴は、あかがねから神秘的な気配を感じて足を止めた。

 大納言も流石に恐れたのか、目を見開いて数歩後ずさる。牛車を引いていた男は「ひゃあ」と情けない悲鳴を上げ、主人を置いて邸の中へ逃げ込んでしまった。

 体についた砂を払うこともせず、ふらりと立ち上がって、あかがねは笑った。目は笑っていないが。驚いたか? と口元だけ微笑む。

「おれには、気付いた時から何か憑いてるらしいんだわ。普段は表に出て来はしないけど、おれの感情に合わせるようにして、気が高ぶると出て来やすい。……公武様は、それを含めておれをかってくれ、娘の傍に仕えるよう頼んでくださったんだ」

「初めて聞いた」

「言ったことないからな」

 晴の声にも平然と答え、あかがねはまた一歩、大納言に近付いた。

「さあ」

「……し、知らぬな」

 大納言は口を割らない。流石、権力の中枢に巣食う人間と言ったところだろうか。夜風が頬を撫でていく。

 その時、大納言の足元に何かが落ちた。あかがねを振り払った拍子に懐からこぼれたのか。それが何かを認識した瞬間、晴の中で何かが沸騰した。

 それは、晴が優月に贈った桜の簪の一部。飾り部分から垂れた紐に二つの珠が付いた、その片方。

 震える指でそれを拾い上げ、胸の前で握り締めた。冷えた珠が、優月の現状を示唆しているように思えてならない。――目が、右目が熱い。

「…………あかがね、どいてくれ」

「……ああ」

 いつもならこんな声は出ない。これほど低く、獣の唸り声にさえ似た声。それだけでも、大納言を怯えさせるには十分な威力を持っていた。

 晴の豹変に目を見張るも、あかがねは素直に晴に道を譲った。

 大納言の前に立ち、その顔を見上げる。妙に落ち着いて考えられているのは、何かを突破してしまったからかもしれない。晴は口元だけで微笑み、大納言の鼻先に拳を突き付けた。そして、拳を開いて紐を見せる。

「大納言様。これを、何処で手に入れられたのか、お教え願えますか?」

「――ひっ」

 明らかに、先程のあかがねに対するものと態度が違う。それは何故だろうと冷静に考えつつ、晴はもう一度手を前に出した。

「……ねえ、どうでしょう?」

「わ、わかった。言う、言うから!」

 

 そう叫ぶと、大納言は優月が閉じ込められている座敷牢の場所を喋りだした。

 場所を言い終わると、大納言は「もう用はないな!?」と這う這うの体で家人の男の後を追った。

 大納言を見送り、晴は幾分落ち着いた気持ちで後ろにいたあかがねを振り返った。

「……行こう、あかがね。神宮裏の宮司の邸だ」

「それはいいけど、晴」

 あかがねが晴の右目を指差した。

「その目、どうした? 光ってる」

「え……?」

 確かに右目の熱は落ち着いてきたとはいえ、まだ熱い。近くにあった小さな池に顔を映し、晴は息を呑んだ。月光に照らされ、よくわかる。

「紅い……」

 晴の右目の紋は彼岸花より紅く、輝く光を放っていた。




 一方の宮中側。晴とあかがねの報告を待っているだけでは気が休まらない。そう言って照は、政務に忙しい大君とそれを支えんと繕い物をする中宮に許可を貰って動いていた。

 中宮は大君の召し物を作りつつ、別の布地も用意している。それは何かと照が尋ねると、彼女はふふっと微笑んだ。

「晴と優月に。二人ともよく動くからすぐにほつれてるの。優月が無事に帰って来たら、贈ろうと思ってるのよ」

 だから早く仕上げないとね。中宮はそう言いながら休まず手を動かしていた。

 香耀殿を出て、照は昨日の夜から今朝にかけて優月を見た者はいないかと聞き回った。

「優月殿、いないんですか? 昨日は……昼過ぎに図書寮で話しましたけど、その後は見てないですね」

「そうですか。ありがとうございます」

 顔見知りの図書寮官人に頭を下げ、照は別の場所へと急ぐ。優月が立ち寄った可能性のある場所は手当たり次第に。

 月が出る時刻になり、照は手掛かりを掴めずに香耀殿に帰ることにした。

 いそいそと、衣擦れの音をさせて簀の子を渡る。その途中、中庭に下りて周りを何度も確認する女房を見つけた。その手に握られているのは、何度か折られた紙らしい。

「ちょっと、あなた……」

「ひわっ!!」

 珍妙な叫び声をあげ、女房は照の制止を振り切って立ち去った。

「……何だったの?」

 唖然と女房の後ろ姿を見送り、照は彼女が落として行ったものを拾い上げた。それは文のようで、墨の香りが立つ。書かれてそんなに経っていないのだろう。

「……あら?」

 文を開く。そこに書かれた文字を目で追い、照は眉間にしわを寄せた。

「早く、中宮様に知らせなければ」

 普段宮中で走るのはご法度なのだが、誰も見てはいない。許してもらおう。


「……『まれびと、優月はひの巫女として預かった。返してほしくば大納言の娘よりこをちゅうぐうとしろ』ね」

「はい。……正直申しまして、どう判断すべきかと」

「わからないというわけね」

 脅し文を折り直し、中宮は息をついた。

「依子様といえば、わたくしに代わって中宮になると息巻いておられる方ね。父上の大納言様も権勢を取り戻すべく動いておられるけれど……。このお話は、以前大君がお断りしたはず」

「そうですね……。あの時の大君は、いつにも増して素晴らしかったですわ」

「……わたくしは、思い出すだけで胸がいっぱいです」

 頬を染め、思い人に焦がれる少女のように、中宮は微笑んだ。

「ご馳走様です」

「もう……。そんなことは良いの。今はその女房が誰についておられる方かということね」

 中宮は無理矢理話を元に戻すと、女房に見覚えはないかと照に尋ねた。

「いえ、思い出そうとしているのですが。……ただ、大納言様の邸に仕える女房だとすれば、私の記憶にはございませんわ」

 大納言の姫君が個人的に連れて来た女房。時折宮中に出入りするだけの存在ならば、知り合う機会もない。そして、あの挙動不審さにも頷ける。

「だからといって、依子様のところに行くことはお勧めしないわ、照」

「あ……ばれましたか」

 いたずらが見つかった子供のように笑う照に、中宮は微笑んだ。

「当たり前でしょう。何年共にいると思っているの?」

「流石でございますわ」

「……向こうも自ら尻尾を出してきた。あとは、晴とあかがねを待ちましょう」

「わかりました」

 二人が話す香耀殿を見守るように、満月が明るく輝いていた。

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