第19話 花祭り 神がかり
優月が舞台に現れた時、晴は息をのんだ。
何となく、桜をイメージした衣装を着て舞うのだろうとは思っていた。けれど、それは想像を超えていた。
(……あの時と同じだ)
薄く化粧を施され、何処か儚げな雰囲気をまとう幼馴染。その姿に、晴は幼い頃に桜の木の下で佇んでいた彼女の姿を思い起こした。
あの時も、優月が何処かへ行ってしまいそうな気がした。
昔とは全てが違う。場所も、時間も、姿も。しかし不安が晴の心を巣食った。
「美しいな」
「え? あ、そうですね」
「何だ、晴。予想外すぎて声も出ないか?」
前を向いたまま、大君が音もなく笑う。晴は「そうですね」と苦笑しつつも、自分の中の違和感に首を傾げた。
一つ深呼吸をする。こちらを見る人の目が突き刺さる。ほとんどが自分を好奇の目で見ているのが伝わる。高御座とは別に、前大君とその寵臣たちの席も設けられており、そこからも重たい視線が投じられる。
孤立無援。そんな言葉がよぎる。けれど真っ直ぐ顔を上げれば、高御座に座る大君と中宮、そしてこちらを見つめる晴の姿が御簾越しに見えた。
それだけなのに、優月の心は落ち着きを取り戻す。
(大丈夫、独りじゃない)
優月は扇を広げ、腕を伸ばした。
笛の音に誘われ、足を前に出す。最初は従来通りのゆっくりとした舞だ。
筝の音が加わり、くるりとその場で回る。ぎこちなさに失笑が聞こえるが、それを気にしても始まらない。
少しずつ少しずつ、リズムに乗る。奏者には申し訳ないが、ここからはこの国にはないメロディーで舞わせてもらおう。事前に譜面を渡した時、難色を示されたとも聞いている。
ぱちん、と扇を閉じ、その手を口元に移す。次に両腕を広げ、くるくると回る。回っても目が回らぬように訓練はしてきたつもりだが、自分を鼓舞しないと続けられない。回り終わっても千鳥足にならないように気を付けて、手元の扇を大きく開いた。
いつの間にか、見物客が皆優月の舞に目を奪われていた。奇異な動きと音楽の舞をまうマレビトの少女。そう高をくくっていた人ほど、桜の舞姫の舞に何も言えなくなっていた。
ステップを踏み、帯が翻る。もうすぐ舞い終わる。息も上がり、緊張で気を失いそうになりながらも、懸命に舞うのはもうすぐ終わりだ。
(――え)
その時、視界の端で、何かが動いた気がした。まさか、と否定する。
だって動くわけがないではないか。神の依り代である鏡が。
そう思って最後の振り付けに移ろうとした矢先、優月はガクリと膝を折った。
優月の中で、ふわりと何かが立ち上る。それは彼女の意思とは関係なく動き、いつしか心を縛り付けた。
「何だ、どうした?」
「緊張が限界に来たんじゃないか?」
「早く立て」
そんな声が大広場を埋め尽くす。
晴も何かがおかしい、と高御座のある奥を出て、視界の開けた外へと走り出た。そこで見たのは、何か透明な帯のようなものが優月に巻き付き、無理矢理動かそうとしている場面だった。優月の体が不自然に傾ぎ、また立ち上がって舞い始める。彼女の目は、焦点を結んでいない。
(おかしい、おかしい。どうしたってんだ、優月!)
大声で呼びかけるわけにもいかず、晴は歯噛みして優月を見つめた。
再び舞い始めたことで観客は喜んだが、次第に彼女の動きの不自然さに不安を感じ始めたらしい。ざわざわと「どうしたんだ」という声が漏れ聞こえる。
それまで優月がまとっていた空気と明らかに違う。柔らかく優しく、それでいて楽しさも感じさせていたのが、一変して人々を緊迫させる神々しさを帯びるようになったのだ。
誰かが叫んだ。「神がかりだ」と。
大君も中宮もあまりの出来事に言葉も出ず、動けない。それは前大君の陣営も同じで、誰もがこの場をどうすればいいのか考えあぐねていた。
「!」
不意に透明な拘束が解け、ゆっくりと優月の体が倒れ込んだ。晴は柵を跳び越え、身に着けた身体能力をフルに使い、彼女が床に打ち付けられる前に抱え起こすことに成功した。
「優月、優月!」
「……」
晴が何度呼び掛けても、優月は目を覚まさない。やがて典薬寮の官人が数人やって来て、晴に優月と共についてくるよう促した。
「ここでは何もしてあげられない。共に来てくれるかい?」
「……はい」
春を喜ぶ祭りの場が、一変して緊張感に支配される。
大君は公達に命じて民の誘導をさせ、混乱を収めようと動き出した。それに応じた正治や影頼が動き、混乱を最小限に留めていく。
同じように舞姫の二人にも護衛がつけられ、不安げにする彼女らをいなし慰めながら帰宅させる。
依り代の鏡は、それらのことが起きている間も、これまで通りに沈黙していた。
誰もが今の出来事を理解出来ない中、一人の男が心を震わせるほどに感動していた。
「素晴らしい。ようやく見つけた、あれが一人目の“共有者”だ」
そうであるならば、ほぼ確信を持って二人目もあの人物だと特定出来る。
なんということか。私は、神の奇跡を目の当たりにしたのだ。
そっと特別席を見れば、前大君や大納言が目を丸くしている。彼らにとっても、これは想定外だったのだろう。しかし、男は笑いたくなった。
どうして自ら望んだ奇跡の兆候を前にして、そんなに驚くのか。不思議だ。
後で教えて差し上げなくてはなるまい。
千年前の因縁が、確実に動き出しましたよ。と。
もう一人、この混乱の中でも比較的落ち着いている男がいた。
商売の途中で京に立ち寄ったという男だ。
自分の作った商品を身に着けて舞う少女がいると聞いて来てみたわけだが、まあすごいことになった、と笑う。
「あれは、ここでは滅多に見かけんものだからな。どう使われるかと思ったが……いや、素晴らしく使いこなしたもんだ」
男は呵々と笑い、人波に沿って宮を出た。
彼がその後何処へ旅立ったのか、知る者はいない。
目を開けると、何故か外ではなく室内にいた。天井の木目が見える。何処かに寝かされているようだ。頭につけていた簪が、枕元に置かれているのが見えた。
「う……」
「気付いたか、優月」
「晴……?」
ぼんやりとした優月の視界に、ほっとした表情の晴の姿が入る。何故自分は寝かされているのか、それを尋ねると、晴の顔がこわばった。
「覚えてないのか……」
「うん。花祭りの舞台で舞をまってたのに……」
「その時、急に倒れたんだ」
「倒れた?」
驚き上半身を起こそうとする優月を助けてやり、白湯を手渡した晴は頷いた。
「もうすぐ舞の終盤ってところだったと思うけど。優月が膝を折るようにして倒れて……すぐに、おれには透明な帯が見えた」
「帯?」
「ああ。それがお前を絡めとって、無理矢理舞わせてるように見えた」
何か自分でわかる変化はなかったのか。そう尋ねられ、優月は「そういえば」と自身の中で起こったことを口にした。
「鏡が動いたな、って感じた。そのすぐ後に何かが、ふわって立ち上る感じがした」
「ふわっ?」
「うん。それを感じて、気が付いたらここで寝てたよ」
「何が起こったっていうんだ……?」
鏡が動くということも、何かが体の中で立ち上るというのも理解しがたい。だが自分は優月に透明な帯が巻き付き操る姿を目にしている。理解の不濃度は同じだ。
二人して首を捻った時、典薬寮の官人が来客を告げた。
「二人に会いたいというご仁が来ておられるが、どうする」
「誰、ですか?」
「国父神宮の宮司、珠樹殿だ」
「珠樹、どの?」
顔を見合わせても、何故珠樹がここへ来たのかはわからない。ただ花祭りの主催者の一人として状況を聞きたいだけだろう。優月の許しを得て、晴は珠樹を招き入れた。
現れた珠樹は、「体は何ともありませんか?」と優月の身を案じた。
「大丈夫です。珠樹さんはどうしてここに?」
「私は……あなたに言わなければならないことがあって来させてもらいました」
「わたしに、ですか?」
首を傾げる優月に、珠樹は手間は取らせないと微笑んだ。
「一つだけ。……あなたは選ばれました。夏至の祭りの巫女に」
「え……」
「なん、だって?」
二人の戸惑いを受け止めつつも、珠樹は「落ち着いて聞いてください」と表情を崩さない。
「あの時、神の御業によって、あなたは舞っていた。それこそが、神に選ばれた巫女だという証です」
神話にも書かれているのだと言う。
「『巫女になりしむすめ、神のみわざによりて人をはなれた舞をまい、神の巫女とみとめられん』とあるのです。この通りのことが、千年後の今起こった。あなたは、初めの巫女の共有者なのです」
「共有者?」
「共有者とは、初めの存在の記憶や性質を引き継いだ存在のこと。あなたは選ばれた人なのです、優月さん」
今にも抱きつかんとする熱心さを見せる珠樹から優月を守るように腕を伸ばした晴は、それで、と尋ねた。
「あんたは優月を何処かに連れて行こうってのか?」
「何処か、ではありませんよ。国父神宮の巫女の間でお預かりしたいのです。そこで神に嫁ぐにふさわしい潔斎を行い、天へと行っていただかなければなりませんから」
なんてすばらしい。興奮気味に言う珠樹を横目に、晴は呆然と動かない優月を心配していた。きっと自分は巫女ではない。そう言って笑ったはずの幻が、今目の前に突き付けられている。
晴は優月の手を握った。血の気が引いている。早くこの宮司を遠ざけなければならない。
「……申し訳ないのですが、優月は今疲弊しています。お話はまた次の機会にしていただけませんか?」
「ああ、そうでしたね。……では、遠からず迎えに参りますので、そのつもりで」
珠樹は一礼すると、さっと部屋を出て行った。
しばらく、晴も優月も言葉を発しなかった。発せなかった。
「……今日は、一人で寝るな。照さんのとこで寝る方が良い」
「……うん、そうする」
たくさんのことが一度にありすぎた。わずかに震える少女の肩を抱き寄せ、晴は奥歯を噛み締めた。
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