第17話 桜の簪
花祭りがあと十日後に迫っている。
この日、優月は照と共に国父神宮を訪れた。
花祭りが行われる舞台は宮の大広場となっている。その時、この神宮から神の依り代である鏡を持ち出し、
歴代の舞姫は、花祭りの前に国父神に挨拶を兼ねて神宮を参拝するのが恒例だといわれる。優月もそれに倣うことにした。
朝早く香耀殿を出たはずだが、徒歩で向かったために到着は昼前になってしまった。牛車でもよかったのだが、あの揺れが辛いと優月が徒歩を願った。
昼前とはいえ、境内は静謐な雰囲気に包まれている。参拝者はまばらだ。数人で手をつないで囲まなければ一周出来ないほど太い幹を持った大木が、数本の若い木々に囲まれ立っている。注連縄に幾つもの
砂利が敷き詰められた境内を歩く。照に建物の一つ一つを説明してもらいながら、優月は本殿までやって来た。
「ここの宮司様を探してくるわ。少し待っていて」
「わかりました」
照を見送り、優月は本殿を見上げた。日本でよく目にしていた神社によく似ているな、と思う。拝殿があり、その先に、参拝者の入れない神様がいます場所がある。
そして、何故が心のどこかで悲しみに近い感情が震えている。何故かはわからないけれど。
ぼおっと神宮を見渡していた優月は、社務所から箒を持って出て来た少女と目が合った。
「あ」
「あっ、あなた……清ちゃん?」
「あのときの……」
少女は巫女装束を身にまとい、一見してはあの時の少女と同一人物とは思えないほど変わった。顔の血色がよくなり、目の光が明るくなった。
優月は笑顔で彼女に近付き、目線を合わせた。
「元気そうでよかった」
「はい。あの」
「ん?」
「わたし、じぶんでかせいだおかねで、このまえ、ともだちにおかしをかったの」
「そっか。喜んでくれた?」
「うん! だからね、わたしもっともっとがんばるの」
にっこりと笑う清。本当に笑顔の似合う女の子だ。
「清、何処へ……おや?」
「あなたは」
清と同じく社務所から顔を出したのは、清を見つけた時に出会った神職の男性だった。名は、珠樹と言ったか。
「珠樹さん、ですよね」
「ええ。ここでお会いするのは初めてですね、優月さん」
「ここの方だったんですね」
「この国父神宮の宮司をしています。先程、あなたのお連れ様ともお会いしましたよ」
「照さんと。じゃあもう」
「来られるかと」
その時、タイミングよく照が優月を見つけた。手を振られ、こちらも振り返す。
「照さんは、舞姫の札を受け取りに来られたんです」
「舞姫の札って、何ですか?」
「札は、その年の舞姫となる方に渡す護符のようなものです。舞姫となった女性は、その年一年の無病息災を約束されると言われています」
だから、お部屋に置いてください。珠樹はそう微笑んだ。
照に呼ばれ、優月はぺこりと二人に頭を下げてその場を去ろうとした。その背中に、珠樹が「ちょっと」と声をかける。
「はい?」
「……最後に、お聞きしておきたいことがあるのですが」
「なんでしょう?」
「あなたは、ここに来てどう思われましたか?」
「え……?」
「この場所を知って、何を感じられましたか?」
重ねて尋ねられ、優月はつと考えた。ここに来たのは初めてですが、そう前置きをする。
「妙に、来たことがあるような気がしました。元の世界に同じような場所があったからだと思いますけど。それから、何となく悲しいなって」
「既視感と、悲しさ……」
「すみません、変なこと言って。でもそんな感じでした」
「わかりました。こちらこそすみません。また、いらしてください」
「はい。清ちゃんもまたね」
「うんっ」
大きく手を振る清に見送られ、優月は今度こそ照と合流することが出来た。
「驚いたわ、宮司の珠樹さんと一緒にいるんだもの」
「すみません。あ、お札を貰ってくださったんですよね、ありがとうございます」
「いいのよ。国父神宮をあなたに一度見せておかなきゃって思っただけだから」
姉妹のような二人を見送り、珠樹は清を連れて社務所に戻った。
「たまきさま?」
「気にしなくていいよ、清。箒を向こうに片付けておいで」
「はい」
素直に駆けて行く清に目を細め、珠樹は文机の前に座った。そうして、優月の言葉を反芻する。
「……前に会った男の子もそうだったけれど、今世、とても面白いかもしれないな」
神棚を見上げ、祖先に感謝した。命がつながったおかげで、自分はもしかしたら歴史の岐路に立っているのかもしれない。
「あの娘は、もしかしたら……」
もしもそうであるならば、急いであの方に報告しなくては。
判断材料は決して多くない。しかし、断定する日は近い。
「全ては、花祭りでわかる」
珠樹は口端を上げ、筆を取った。
国父神宮から帰り、優月は夕方、図書寮に書を返却するため宮中を歩いていた。すると近衛府の方から歩いてくる見知った人物を見つけた。
「優月」
「やっぱり晴だ。これから清涼殿?」
「ああ。優月は」
「図書寮に用事。これを返したくて」
そう言って示したのは、歴代の舞姫について書かれた巻物。どんな舞をまったのか、どんな衣装を身に着けたのかを詳細に書き記してある。CDやDVDがあれば便利なのだが、贅沢なことは言えない。
「文字だけだからわかりづらいところもあるけど、衣装は絵があってまだわかりやすいかな」
「ふうん……。優月は何を着るのか決めたのか?」
「まだ。明日にでも中宮様と照さんに相談して決めてしまおうとは思ってるけど」
「なら、さ。これ使ってくれね?」
そう言って晴が優月の手のひらに乗せたのは、柔らかな薄桃色の生地で作られた山桜の簪。色合いは控えめだが、あふれそうな花びらが簪を彩っている。本体から垂れた紐にも萌黄と桜色の玉がついている。この世界で女性はあまり髪を結わないようだが、昔の名残で細々と作られ続けられてきたという。
以前東の市で見つけたんだ、と晴は頭をかいた。
目を瞬かせ、優月は晴の顔を見つめた。
「これを、わたしに?」
「ああ。……梅のもたくさんあったけど、おれたちには桜の方が馴染みがあるし。それに……似合うと思った」
最後の言葉は消え入りそうな声だったが、優月にはちゃんと届いた。顔を真っ赤にしてそっぽを向く晴に、優月は桜の花のような笑みを向けた。跳ねるように、心臓が脈打つ。
「ありがとう。大事にする。これに合うような衣装を考えるね」
「ああ。じゃあな」
ほっとしたような笑顔で手を顔の横まで挙げ、晴は大君のもとへと速足で歩いて行った。
優月は再び簪を見つめた。確かにこの辺りでよく見かけるのは梅の花だ。白梅も紅梅も美しく、和歌に何度も読まれる人気の花である。
「だけど、桜もきれいだよね。お花見、したいな」
お弁当を広げ、友だちとわいわい話しながら桜の花を見るのだ。もし元の世界に帰れたら、きっと花見をしよう。その時、晴と一緒に行けたら嬉しい。
「……さあ、図書寮に行かなくちゃ」
今やるべきは、花祭りで役割を全うすること。そう思い直す。
巻物を返したら、早速照に相談しよう。中宮千夜もいれば心強い。優月は晴から貰った簪を大切に懐に収めた。
晴は火照った体の熱を冷まそうと、清涼殿に入る前に遣り水の傍で水の流れを見つめていた。すると数枚の桜の花びらが、何処からか流れて行ってしまった。
少し離れた山から水を引いて作った遣り水だと聞いているから、きっとその山に咲いている山桜の花弁なのだろう。
ふと、自分たちが小学生だった頃のことを思い出した。
校庭にあった大きな桜の木。その下で桜を見上げていた優月の姿を。
「……あの頃には、だったんだろうな」
「何がだい?」
「っ」
声も出ないほど驚いて、晴は振り返った。そこに立っていたのは、刀の師でもある影頼。にやにやと笑う彼に、晴は突然声をかけないでほしいと願った。
「おや、私はただ声をかけただけだ。何か物思いにでもふけっていたのかい?」
「……そんなことはないですよ」
少し不機嫌な声で返答し、晴は「急ぐので」とその場を離れた。図星を指されて気まずかったということもあるが、大君が待っているから急がなくてはいけなかったことも本当だ。
晴は歩く中で風を受けながら、徐々に熱を冷ましていった。
あなたは、覚えているだろうか。
小学生の時。散った桜の綺麗な花びらを、わたしにくれたこと。
きっと、わたしがそれを押し花にしてずっとランドセルのポケットに入れていたなんて、知らないでしょう。辞書で重しをして作ったから、長くは綺麗な姿を保てなかったけれど。
ちょっとしたことだったと思うけれど、とても嬉しかったんだ。
この桜の簪も、きっと一生の宝物になる。
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