第15話 舞姫選定
春。新たな年が訪れ、人々が浮足立つ季節だ。まだ朝晩は冷えるが、もうすぐそれも終わる。
初夢で不思議な経験をした翌日、優月は正治邸に文を送った。無性に晴に会いたかった。彼が同じような夢を見たのか知りたかった。
丁度中宮に会いに来たあかがねを捕まえ、文を託す。すると目を大きくした後に、彼は笑った。
「ちょっと、何笑ってるの?」
「ははっ。いや、だってさ。……考えてること一緒だぜ、あんたら」
「え?」
ぽかん、と反応が止まってしまった優月の前からあかがねが少し体をずらした。するとそこには、後ろ頭をかきながら晴が姿を見せた。
「よう、優月」
「……は、はる?」
「あほ面、優月」
「あかがねは黙ってて」
あかがねを中宮のもとへと追いやり、優月は晴を現代で言うところの縁側に誘った。
「今、あかがねに文を託したところだったんだ。まさか、晴にすぐ会えるなんて思わなかったから」
「文の件は、物陰で聞いてた。あかがねに案内を頼んだんだけど、優月がおれを待ち構えてるからって待たされてたんだ」
「聞かれてたのか……恥ずかしいな」
頬に手を当て、顔のほてりを冷ます。さっきから不意打ちで晴と会ったせいか、何となく顔が熱い。
「別に照れるようなことは言ってなかった。子犬が二匹で遊んでる感じ?」
「子犬って……」
余計に恥ずかしいではないか。子供じゃないんだから。
こほん。無理矢理咳払いをして話題を中断させる。「それより」と優月は晴に尋ねた。
「……晴は、昨日の夜から夢、見た?」
「見た。おれもそれを聞くために来たんだ。大君のところに行く前にと思って」
そう言って、晴は自分が見た夢について語った。
暗い空間。見たことも会ったこともないはずなのに、妙に懐かしさと親しみを覚える青年。彼が手にしていた赤い刀。そして、『約束を守れ』・『さだめを変えろ』という言葉。
「あの人は、行斗って名乗った。ようやく会えた、って。まるで、昔から知ってたみたいに」
「わたしも内容はほとんど一緒かな。わたしが会ったのは、壱花っていう女の子だったよ。白濁の空間で、二人っきり」
優月も自分の夢の話を語り、晴と二人で首を傾げた。
「……状況は似通ってて、違うのは性別くらいのもんか」
「だね。詳しく聞きたかったけど、何かに邪魔されて聞けなかったし」
「おれも。あいつに気付かれたって。……あいつって誰だ?」
「わからないことにわからないことを上塗りしても仕方無いけどね……」
ふう。晴は息を吐き、優月と事実確認が出来てよかった、と笑った。すぐに大君のところへ行かなければならないのだという。
「今日は位を持つ京人たちを集めての会議だそうだ。だから、あの大納言様や
優月は、前大君と共に自分たちを舐めるように見ていた大納言を思い出して身震いした。
「……わたし、大納言様苦手」
「おれもそれほど好きじゃない。まあ、喋ることもないだろ」
じゃあ、またな。そう言って、晴は香耀殿を出て行った。
清涼殿の空気は少し淀んでいた。大君の顔色が優れないと、傍に控える晴は知っている。しかし、もう休んでください、などと言えるわけもなかった。
現在、清涼殿にて政務の会議がとり行われているのだ。ほとんどの政が過去からの踏襲であると誰もがわかってはいるが、時折、非常事態や思いもよらない出来事が起こる。それに対処するための会議である。
今回の議題は、もうすぐ行われる花祭りに関するものだ。
自分の娘を大君の傍に置き、あわよくば手を付けてもらって未来の大君を我が一族から。そういう下心が見て取れる。そのために、我が娘を舞姫に、と推す親が多いのだ。
しかしながら、今生の大君にそのつもりは一切ない。彼は中宮千夜一人を、と望んでいるのだから。
「大君、白湯です」
「ああ。……助かる、晴」
「いえ」
いい加減憔悴している大君に、晴は白湯を勧めた。それを疲れた笑みで受け取り、音もなくのどに流し込む。大納言たちとは御簾を隔てているために、こちらの小さな動きは見えづらい。
かれこれ、二刻。今でいうところの四時間ほど、舞姫の選定にかかっている。長い。
「……では、そろそろ三人の姫を決めてしまいませんか?」
大納言有彰が皆の意見をまとめようとしている。前大君の中宮の兄であった彼は、未だに権力者である。彼に一睨みされて言葉に詰まらない京人がどれほどいるだろうか。
有彰がその鋭い視線で京人たちを見渡すと、誰もがもの言いたげな顔を隠して俯いた。
その重い沈黙を、軽快に破った
「ええ、お頼みしましょう。大納言殿。これでは一日あっても足りませんからな」
はっはっは。と優雅に笑いながら頷いたのは、内臣の
「公武様、ご同意いたみいります」
有彰は形ばかりの礼をとり、何人か名の出ていた姫の名を改めて読み上げた。その中には当然のことながら、有彰の愛娘で舞の才に恵まれた依子の名もあった。
他に挙げられた名も、舞の名手と呼ばれて久しい姫君ばかりだという。しかし晴は、その誰にも心が動かなかった。
(直接男女が会う機会の少ない平安時代も、ここみたいに噂で相手を決めてたんだろうな)
そんなことを心で思うくらいだ。舞の名手だというだけで、歌の才が突出しているというだけで求婚しようとする宮廷貴族の若者たちを時折目にしているが、その輪には入れそうにない。
以前大君にもそう話したことがある。すると彼は珍しく吹き出して、
「わたしも同じだ」
と言った。げらげら笑うわけにはいかない大君だが、肩を震わせていた。
有彰は挙げた姫の中から二人を推挙し、大君に許可を求める。
「では大君、我が娘と
「……よいのではないか? どちらも美しい舞を神に見せてくれよう」
「はい。ありがとうございます」
ここで会議は終わる、と誰もが思ったかもしれない。その通り、腰を浮かそうとした公達が数名いた。しかし有彰は、もう一人推挙したいのだと場を制する声で言う。
「おや、大納言殿。それはどなたかな?」
「内臣様もお人が悪い。ご存知でしょうに。……前大君に才を見込まれた客人の娘ですよ」
(……!)
思わず腰を浮かせる晴を目で制し、大君は大納言に先を促した。
「もう昨年の話となりますかね。大君もご存知かと思いますが、異世界からやってきて、中宮様のお傍に仕える優月という娘でございます。彼女の参加は前大君の望まれること。まさか、ここへきてどなたかが異を唱えるなんてことはございますまい?」
ちらり、と大納言が晴を見た。すぐに視線は外れたが。それに気づいたのは、晴の隣にいた大君もである。感情を抑えた平静の声で、答えを返した。
「……。前大君様がお決めになったことだ。朕にとやかく言う権限はない」
「……では、彼の者も加えて三名とさせていただきます」
そこで、ようやく散会した。
その日の夕刻。香耀殿に来客があった。
「お父上!」
「久しいな、ち……中宮様。お元気であったかな」
「はい、お蔭様で」
御簾を隔て、中宮が声を弾ませる。御前会議ともいうべき会議に出ていた彼女の父・内臣公武が久方振りに娘のもとへやって来たのだ。
公武は烏帽子の下から白髪が数本覗く男性である。常に笑みを絶やさず、宮中で彼を悪く言う人はいないなどと噂されている。和歌の才に長け、名のある歌集を選定するなど、文化面の造詣が深い。
その代わりに、政務に関して決して熱心ではないのが玉に瑕だ。
中宮の傍に控える照と優月にも元気であったかを尋ねる公武からは、政治のどろどろとした裏の部分は垣間見えない。それでも無能なのではなく、すべき仕事はきちんとなさっているのよ、とは娘の言である。
中宮の実家の話や季節のことなど、父子の会話は穏やかだ。それを見ている照と優月の気持ちもふわふわとしてくる。
「おお、もうこんな時刻か」
公武は外が暗くなっていることに気付き、扇をポンっと鳴らした。
「お母上によろしく伝えてくださいませ」
「ああ。可愛い娘は元気だと北には伝えよう」
そう微笑んで退出しようと腰を上げた矢先、「そうだ」と公武は再び胡坐をかいた。
「どうなさったんです、お父上」
「昼間に行われた話し合いの中身を教えようと思っていたんだ。……そこにいる優月殿にとても関係するからね」
「わたしに……?」
「ああ」
公武の表情が改まる。少し目に力が入っただけなのに、目力が一気に増した。相手を緊張させるには十分だ。
「……花祭りの舞姫のことだ。大納言殿と大学頭殿の娘の二人。そして君に決まったよ、優月」
「……そうだろう、とは思っていました」
「そうか。あの前大君様が命じられたから、と大納言殿は言われていたがね。……優月殿、気を付けなさい」
「気を付ける?」
まさか命でも狙われるというのか。そうこぼすと、公武はそうかもしれないと真面目な顔をした。
「大納言殿は前大君様に心酔しておられるからね。
「前宮の武?」
公武の話によれば、前大君の身の回りの警護を一手に引き受け独占する非公式の存在だという。その中には腕っ節の強い者も多く、前大君に害をなすと判じられた者に制裁を与えたという噂もある。
「きみは少なくとも、花祭りが終わるまでは何も心配はない。前大君のご意向なのだから。……けれど大君の陰である彼を、彼らがどう考えるかは見通せないんだ」
その言葉に、優月はハッとさせられた。
「……晴」
「彼は今、最も大君に近い立場にいる。……前大君様と大君の間には確執があるからね。大君を陥れるために利用されるかもしれない。それだけ気に留めておくよう、晴殿に伝えてくれないかな」
「わかりました。伝えます」
「ありがとう」
ようやく穏やかな笑みを取り戻し、公武は香耀殿を去っていった。
「……優月、大丈夫?」
公武がいなくなってもその場を動けない優月に、中宮は声をかけた。優月はぴくり、と肩を震わせると、
「大丈夫です。わたしより、晴に伝えないと」
文を書いてきます。そう言うと、優月はぱたぱたと自分の房へ向かって駆けて行く。その後姿を、中宮と照は心配そうに見つめていた。
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