第14話 初夢の出逢い

 数日後には新たな年を迎える。

 白い息を吐きながら、晴は大君の乗る牛車を護衛していた。

(今年中には日本に帰ってるといいな、なんて甘いこと考えてたけど、全然そんなことはなかったな)

 夏休み期間中にこの世界へ来てから何か月も経ち、状況は変わった。晴は大君の傍で陰の役割を担い、幼馴染の優月は中宮のもとで夏至の祭りへ向けて舞の習得にいそしんでいる。

 お互い、春まではこんなところにいるなんて思いもしなかった。

 馬の上からは、遠くまでよく見える。これから大君が向かう国父神宮まではもう少しだ。

 道端を見れば、小さな新芽が顔を出している。少し急ぎすぎではなかろうか。

「影頼さん、国父神宮では何があるんですか?」

 晴は同じく神宮へ向かって馬に乗って前を行く影頼に尋ねた。影頼はちらりと晴を振り返り、少し歩を緩めて彼の横につける。

「神宮にて、今年一年の感謝を神にお伝えするんだ。その神事は大君がおられなければできない。……この神事はできる限り少ない人員で護衛する決まりだ。この時を狙う不届き者が多いと記録にはある。何人か、この御幸がもとで命を落とした過去の大君もいるそうだからな」

 確かに、大君の護衛は晴と影頼の他は三人の近衛府所属の武士のみだ。彼らは牛車から少し離れた後方に並び、警戒している。普段の仰々しさとは比較にならない。

「……わかりました。怠らぬようにします」

「ははは。私もいる。気負いすぎる必要はない」

 力を入れた晴を笑い、影頼は一足先にと目前に迫った国父神宮の石の鳥居をくぐって行った。宮司に大君の到着を告げるためだ。

「晴」

「はい?」

 牛車の小さな窓から大君の目が見える。そこに顔を近づけた晴に、大君は呟いた。

「昨日、久し振りに夢を見た」

「夢、ですか」

「ああ。……神と対する少年と、巫女のなりをした少女の姿が見えた」

「……未来夢みらいむですか?」

 未来夢とは、過去夢かこむと対をなす大君に授けられた力だ。未来または過去を垣間見られるが、それを使う時を選ぶことはできない。その力は、晴と優月がこの世界に来る前にも発動した、と以前聞いたことがある。

 晴が首を傾げると、大君は「わからない」と首を振った。

「これが先のことなのか後のことなのか、判断はつかない。ただ幼い頃読んだ神話を夢の形で見たのかもしれないから」

 ただ、夢の内容を晴に告げなければと思った、と大君は困り顔で微笑んだ。

「不安にさせてしまったら申し訳ないが……」

「いえ、大丈夫です」

 晴は笑って、声のトーンを落とした。

「……陽臣はるおみ様が意味もないことをいうとは、おれは思っていませんから」

「……ありがとう、晴」

 柔らかく微笑む大君の表情は、自分と同じ顔をしているとは思えない。そう、いつも晴は考えている。後方に控えている三人は、晴が眉をひそめて変な顔をしていると思っているかも知れない。

 再び窓が閉じられてから数分後、馬を降りた影頼が神職の白い着物を身に着けた男性と共にこちらに向かって歩いてきた。彼が宮司なのだろう。

「大君、今年もお越しいただき感謝申し上げます」

 深々と頭を下げたのは、まだ三十代半ばの男性だ。柔和な顔立ちは、人好きするだろう。ただ晴には、少し胡散臭く感じられた。

「晴、こちらが国父神宮の宮司、珠樹殿だ」

「珠樹、と申します。……きみが噂に聞く晴くん、ですね」

「はい。晴、と申します」

 こちらを探るような珠樹の目つき。晴は居心地の悪さを感じた。

 しかしその目つきも一瞬のことで、珠樹は再び柔らかな微笑みを浮かべて大君の牛車を境内に招き入れた。そこで牛車を降り、大君は主殿へと歩を進める。

 神事が行われる境内は人払いされ、大君と珠樹、そして警護として影頼と晴のみが通された。三人の武士は牛飼い童と共に車止めがある建物で休んでいる。

 警護を薄くして大丈夫なのかと晴が尋ねると、

「大丈夫。ここには国父神のお力が満ちています。悪しきものを寄せ付けることはありません」

 と、珠樹は微笑んだ。そう言われてしまっては返す言葉もない。

 主殿は、国父神の依り代を祀る場所だ。神の依り代は鏡。それこそ古代、神話の時代に定められたと伝わる。

 境内には多くの樹木が植えられているが、それも主殿の手前まで。主殿は小石が敷き詰められただだっ広い空間に立つ大きな建物だ。その形は現代日本の神社の神明造しんめいづくりに似ている。

 主殿に近付き、晴と影頼は足を止めた。この先、主殿に入るのは大君のみ。宮司でさえ、付き添えるのは主殿の扉の前までだ。

 中で何が行われるのか、大君以外は誰も知らない。一説には、依り代である鏡を綺麗に拭き上げた上で、神に感謝を捧げる祝詞のりとをあげるという。

 静かな神事は何事もなく終わり、再び神宮の外へと出た。

「晴くん」

 大君が牛車に乗り込み、晴も影頼に続いて馬に乗ろうとした時だった。見送りに来た珠樹が彼を呼び止めた。

「なんでしょう?」

「少し見せてください」

 そういうが早いか、珠樹はぐっと晴に顔を近付けた。じっと右の瞳を見つめられる。どうしたら良いかわからず固まっていると、すぐに珠樹は晴から離れた。

「申し訳ありません。とても珍しいものを見せていただきました」

「珍しい? 歴代の陰は皆、目に紋が現れると聞きましたが……」

「確かに。ですが、ので」

「……はあ」

 意味がわからない。それが顔に出ていたのだろう。珠樹はにこりと微笑んだ。

「あまり気にしないでください。記録は、不確かなものですから」

「……はい」

 なんとも言えない気持ちのまま、晴は馬に飛び乗った。

 大君とその従者たちを見送り、珠樹はぽつりと呟いた。

「きみは、どちらなのでしょうね。大君を守る存在か……神が待ち望む因縁か」

 その声は、まだ冷たい空気に溶けて消えてしまった。




 除夜の鐘が鳴る。この世界にもあるんだなあ、とぼんやり考えていた優月は、いそいそと寝床にもぐり込んだ。

「日本国には、初夢に関する言い伝えがあるんだぜ」

 そう教えてくれたのは、久し振りに長話をしたあかがねだった。よく文の使いを頼んでいるが、中宮に用事がない時は何処かに消えていることの多い少年だ。未だに住んでいるところも家族構成も教えてはくれない。

「今年と来年の間で見る夢は、次の年を占う夢なんだってさ」

 現代日本では一日と二日の間に見る夢とされることも多い初夢だが、この世界では年の狭間の夢を言うらしい。

「次の年を占う?」

「ああ。来年その身に起こることを見る人がとても多いって言われてる。確かにおれも、宮中の夢を見た翌月には中宮様に仕えていたしな」

「そうなんだ……。とても興味深いね」

「だろ? だから大事に見ろよ」

 そんなことを言われたら、何となく期待してしまうではないか。あかがねにその言い伝えを聞いたその日のうちに、晴にも直接伝えている。二人で、来年には元の世界に戻れている夢を見れたらいいね、と笑い合った。

 灯りを消し、目を閉じる。睡魔はすぐにやって来た。


 誰かに呼ばれている。この声は、京に来る直前に聞いた声と同じ気がした。

「誰……呼ぶのは……?」

『……ようやく、届いた』

「……え」

 声がすぐそばで聞こえ、優月は目を開けた。目の前には、女の子が立っている。長い髪も瞳も真っ黒で、しかし着物は白と薄桃色の装束を着た少女。薄桃の髪飾りが、ないはずの風に揺れている。

「あなた、誰? というか、ここ何処?」

 周りを見渡せば、白濁の空間が何処までも広がっているのみ。限りが見えない。慌てる優月に、少女は『大丈夫』と微笑んだ。

『ここは、夢とうつつの間。わたしの名は壱花いつかです、優月』

 あなたに会いたかった。そう微笑む少女は、優月と同年代に見える。そうなのかと尋ねると、笑みを浮かべて頷いた。

『わたしは、あなたたちに伝えなきゃいけないことがあるんだ』

「あ、あなたたち?」

『そう。……時間はなさそうね』

「え?」

 見れば、白濁の空間が渦を巻いている。と壱花は歯噛みした。

「待ってよ、あいつって……」

『説明してる時間はない。……これだけは、言わせて』

 壱花は微笑むと、真っ直ぐに優月を見つめた。

『心して。わたしたちが残してしまったある縁が、あなたたち二人を縛る運命を作り出した。……座り込みそうな時は、彼との約束を思い出して』

「縁? 約束?」

『今はわからなくてもいい。……わたしとあなたは違う。同じく、あなたはわたしじゃない』

 忘れないで。そう言い残し、壱花は霧のように姿を消した。

「待って!」

 手を伸ばしても、つかめるものは何もない。

 空間はそのまま歪み、優月を飲み込んだ。


 同じように眠りについた晴は、誰に呼ばれるわけでもなく目を覚ました。

「ここは……」

 黒と灰色が入り混じった空間。地面の感触はないのに、晴は真っ直ぐに立つことが出来ていた。

 きょろきょろ周りを見ていた晴の背後で、突然青年の声が聞こえた。

『……ここは、狭間だ』

「うわっ」

 驚いて振り返ると、そこに立っていたのは自分と背格好の似た青年。黒を基調とした狩衣姿で、赤い意匠が美しい刀剣を手にしている。鞘から抜くと、赤い刀身が現れた。

「それ……」

『お前は知っているだろう、晴』

「なんで、名前……」

『知っているさ。おれの名は行斗いくと。ようやく、会えたな』

 懐かしげに、そして寂しげに行斗は微笑んだ。

『さて、積もる話はあるわけだが、そんな時間はない』

 行斗に促されて周りを見渡せば、空間にねじれが生じていた。もうもたないということなのだろう。

『晴、きみは大切なものを守りたくて選んだ。けれどそれは、おれたちが残してしまった縁、運命にのっとったもの。……その限られた縛りの中で、手を伸ばせ。必ず、彼女との約束を果たせ』

「何を、言っている?」

 混乱する晴に、惑わせてすまない、と行斗は頭を下げた。

 そうしている間に、空間のねじれは乱れ、行斗の姿が薄くなっていく。

「行斗!」

『忘れるな。おれとお前は同じようで違う。つながりは深いが、さだめは変えろ』 

 行斗が消えた場所に手を伸ばすが、空間をつかめるはずもない。

 そのまま、晴の意識は渦に巻かれて狭間から消えた。

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