第12話 孤児と神職

「優月、東のいちに行かない?」

 朝から舞の稽古に勤しむ優月に、照はそう提案した。優月は数日前に晴と話して以来、より舞に力を入れている様に見える。

 わたしが適当なことをすれば、中宮様が何と言われるかわかりません。それに、あの前大君に負けたくありませんから。

 そう言って笑った優月の目が赤かったことを、照は知っている。

「市、ですか?」

 首を傾げる優月に、照は東の市はみやこで一番賑わいを見せる場所なのだと説明した。

「京には、市が二つあるの。西の市と東の市。西の市は京の大路から少し入った場所にあるから、近くに住む人々のための市、という意味合いの強い。対して東の市は、大路のすぐ脇にあるから、地方の商人や貴族の従者等がよく買いに出ているのよ」

「ということは、東の市には京では見かけない珍しいものもあるということですか?」

「ええ。良い気分転換になるのではないかしら?」

 パタン、と舞扇まいおうぎを閉じた優月は、笑顔で「行きます」と答えた。


「いらっしゃい、いらっしゃーい! イキの良い海の幸はどうだい?」

「そこの娘さん、この生地はどうだ? 職人が腕によりをかけて作った力作だよ」

「あ、旦那。北の方にこの菓子はどうです?」

 そこかしこで、商人の呼び声と客の話し声が交錯している。

 ここは東の市。土煙も何のその。一歩歩くのも難しいほどの混雑ぶりだ。

「ほんとにすごい人ですね、照さん」

「ええ。でもこの賑わいが大君の願いでもありますから」

「……大君は、町の賑わいを?」

「そう。この町だけではなく、いつかは地方も含めて人々が笑う声響く国となることを、誰よりも願い動いておられるの。……絵空事だと笑う者もいるけれど、私はそれがいつか本当になると信じています」

「……願いは、動かなければ叶いませんから。願うだけでなく、動いている大君のお心は、共に歩もうとする方々が知っています」

「そうね……」

 照は真顔の優月に微笑みかけると、東の市で顔見知りだという店に向かって優月を誘った。

 そこは年老いた男性が一人で営んでいる甘いもの屋である。唐菓子や果物の類いがところ狭しと並んでいる。

「おじさん」

「おお、照ちゃんか」

「おいしいもの、あるかしら」

「この桃なんてどうだい? 甘くて、疲れを取り除いてくれるよ」

主様あるじさまに良いかもしれないわね……。三つ貰えます?」

「あいよ」

 テンポの良い二人の会話を横目に、優月は売り物を見ていた。元の世界では果物売り場くらいでしか見たことがない、または見たこともない食べ物ばかりだ。加工食品が席巻している現在では、こんなおいしそうな桃や木苺、栗を見る機会は少ないかもしれない。

「ん……?」

 隣の店舗まで視線を延ばしていた優月は、不審な動きをしている少女を見つけた。

 彼女はキョロキョロと何度も人の動きを気にしている。衣服は擦り切れ、ぼろぼろになっている。あまり良い環境で生活できていないのかもしれない。優月の知識では、そこまでしかわからない。

 そして彼女は優月がいる店から何店舗か離れた野菜屋で、店先のいもを素早く懐に入れた。

「あ、待って!」

「……!」

 優月の声に驚き一瞬動きを止めた少女だったが、すぐにきびすを返した。

「優月、どうしたの?」

「照さん、あの子、盗っていきました。追いかけてきます」

「え……優月!?」

 制止しようと手を伸ばす照を振り切り、優月は少女の姿を探した。足を踏み出しやすい服装なのが役にたった。

 こういう時、人混みは視界を奪う。小さな女の子の姿を見つけた、と思ったら違う。そんなことを繰り返す中、市の端まで来てしまった。

 あばら屋がいくつも立ち並んでいる。人影もまばらだ。

 その中で、家と家との間に入って行く見つけたかった少女の姿があった。

(見つけた。……でもなんでこんなところに?)

 盗みは悪いことだということは変わらない。しかし理由もなくやるのだろうか。走り回って冷静になった今、優月の中に疑問が生まれていた。

 とりあえず、あの子の様子を見に行かなければ。そう思い直して再び走り出そうとした。

「わっ」

「おっ」

「す、すみません」

 背の高い誰かに思いきりぶつかった。慌てて頭を下げた優月に、相手はふふっと笑った。

「問題ありませんよ。あなたは怪我をしていませんか?」

「はい」

 優月が顔を上げると、柔らかな物腰の男性がいた。その服装を見て、優月は首を傾げる。

「神職さん、ですか?」

「はい。子供を追いかける女の子を見かけたので、来てみました」

「あ……。それ、わたしですね」

 急に恥ずかしくなって顔を下げた優月だったが、男性の「気にする必要はないですよ」という言葉に顔を上げた。

「あなたは市で盗みを働いた女の子を追いかけた、それだけなのですから」

「はあ……」

「ふふ。では一緒に行きましょうか」

「え」

 声を失う優月を誘い、彼は真っ直ぐに路地へと入って行った。

 そこには数人の子供たちが集い、それぞれが集めた食べ物を分け合っていた。男性が彼らに近付くと、子供たちはおびえることなく、反対に笑顔で駆け寄って来た。

「たまきさま!」

「きょうもきてくれたの?」

「あのね、あのね……」

 わらわらと集まってくる子供たち。男の子も女の子もいるが、どの子も粗末な着物を着ている。彼らは「たまき」と呼ばれた神職の男性からお菓子や食事を貰っている。

「あなたのお名前は、たまきさんとおっしゃるんですね」

「ええ。珠樹たまきといいます。初めましてですね、“優月さん”」

「わたしの名前を……」

 どうして自分の名を知っているのか。それを尋ねようとしたが、珠樹はにこにこと微笑むのみだ。

「あのっ」と問い詰めようとした矢先、輪の中にいた少女がててて、と優月に近付いてきた。見れば、自分が追っていた万引き少女。

「あ、あのね」

「うん」

 もじもじしている彼女は、悪いことをしたという自覚はあるのだろう。優月が膝を折り視線を合わせて待ってみると、「とってごめんなさい」と小さな声で言った。

「うん。素直に謝れて偉いね」

「……えらいの?」

 びっくりした顔でこちらを見上げる女の子。大声で怒られるとでも思ったのだろうか? わたしは盗まれた店の店主じゃない。ここで言えることは怒鳴ることではないはずだ。

「偉いよ。でも、謝るのはわたしにじゃないよ。謝れるあなたならわかってるか」

「……うん」

「……生きるため、この子達は必死です。けれど人のものを盗ることはよくない、ということも承知しています。だからわたしはこの子達が明日を考えられるよう手助けしたいのです」

 突然自分語りを始めかけた珠樹は、女の子の前に膝を折った。

「……きよちゃん、私のところで働きませんか?」

「はたらく?」

「そう。私が宮司を務める『国父神宮』で巫女さんをやらないかな。丁度一人、嫁ぐ子がいて、一人必要なんだ」

「……いけば、たべものもらえる?」

「働けば、それに見合ったお金を渡すから、それで食べ物を買えるよ。みんなに分けて、それぞれが働く場を見つけられれば、ここを出られる」

「……いく。おねがいします」

「ありがとう。よろしくね、きよちゃん」

「うん!」

 目を輝かせて仲間たちに報告に行く清を見送り、珠樹は微笑む。

「……」

 彼の隣でその横顔を見つめ、優月は『国父神宮』という言葉が引っ掛かった。

(国父神宮。この国の神を祀る場所。……そして、夏至の祭りで陽の巫女が舞い踊って神に嫁ぐ場所)

 彼が、その神宮の宮司だという。それならば、花祭りで巫女の候補となる少女の名を知っていてもおかしくはない。

 ひとしきり別れを惜しんだ清の準備ができ、珠樹は彼女を連れて帰るという。途中、あの店に寄って代金を支払うのだそうだ。

 東の市の通りに戻って来た。時刻は既に夕暮れに差し掛かっている。「それでは」と去ろうとする珠樹に、優月は一つだけ尋ねた。

「……珠樹さんは、誰が陽の巫女になるか、ご存知なんですか?」

「……いいえ。全てを選ばれるのは、国父神のみです」

 またお会いしましょう。そう微笑み、清の手を引いて姿を消した。

 しばらくその場にたたずんでいた優月は、「よかった、見つけた」という聞きなれた声を聞いて振り返った。そこには、呆れ顔でこちらを見つめる照の姿があった。

「照さん」

「もう、何処へ走って行ったのかと……。探したのよ」

「すみません。探してくださってありがとうございます」

 照の服の裾には土がこびりついている。方々を探し回ってくれたのだろう。

「……見つかったからいいわ。帰って中宮様と共に木苺でも食べましょう」

「はい」



 優月が珠樹と出会っていたのと同時刻。

 警護と鍛錬ばかりの晴を心配し、大君が休憩時間をくれた。

「東の市が賑やかだろう。その様子をわたしに教えてほしいんだ」

 表向きは任務の一つだと笑い、大君は晴を送り出した。

「……ほんとにすごい人だな」

 視界を遮られるほどの人の数。黒山の人だかりとはまさにこのことだ。

 昼過ぎで夕飯の食材を買い求めているのか、女性が多いように感じる。商人側には男性もまた多く、活気が少し離れた場所からも伝わってくる。

 腹は減っていない。食べ物を売る店の主人が声を張り上げているが、晴はその前を素通りして市の賑わいに目を配っていた。

 その時、視界の端にきらりと光るものがあった。見れば、桜の花をかたどった飾りのついたかんざしである。薄桃色で染められた布が、桜の花びらの形に整えられ、幾重にもなっている。山桜を表しているのか、小さな黄緑色の葉っぱもついているのが愛らしい。

 その簪を手に取って見ていた晴に、売り主が声をかける。

「お兄さん、それに目をつけるなんて珍しいね」

「そうですか?」

「ああ。ここいらじゃ桜よりも梅が良いと言われて好まれているからね。あっちの梅の髪飾りの方が、数も意匠もたくさんあるんだよ」

 確かに美しい梅をかたどった簪や櫛が所狭しと並べられている。その数と豪華さから見れば、桜や他の花々は見劣りするのかもしれない。

 けれど晴は、幼い頃から花見といえば桜だった。梅の美しさも重々承知しているが、これをつけるであろう少女には、梅の美しさは似合わない。

「……おじさん、これください」

「あいよ。誰か、意中の相手にでもあげるのかい?」

「えっ……」

「はっはっは。若いってのはいいもんだねぇ」

 思わず顔を熱くした晴の反応を楽しみ、店の主人は桜の簪を丁寧に包んで手渡してくれた。

 太陽が西に傾きかけている。そろそろ大君のもとに戻らなければ。

 懐に忍ばせた桜を思い、晴は無意識に目を細めた。

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