第11話 大君と陰

 手に温もりを感じる。柔らかくて、愛おしくなるようで、泣きたくなる。

 誰かが自分を呼んでいる。体の感覚が戻ってくる。

 傍で誰かが話している。おれの眠りを邪魔しないように、密かな声で。

「……るはまだ目を覚まさないか?」

「はい。……きさんはもう?」

「帰ったよ。中宮様のお側を長く離れるわけにはいかんだろう」

「ええ……」

 正治と影頼は、ひそひそと会話を交わした。目の前には気を失ったように眠る青年がいる。二人は彼の目覚めを待っているのだ。

「ん……?」

「……晴?」

 晴は、目を閉じたまましかめっ面をして身じろきをした。それにいち早く気付いた正治が、晴の額に大きな手をのせる。少し汗をかいているようだ。

 すぐに手元にあった布で拭いてやる。すると晴は、ゆっくりと目を開けた。

 ぼんやりとした目で視線を彷徨わせ、二人の顔を見つけてようやく焦点を結ぶ。

「まさ、はるさん……? かげより、さんも」

「おお! 晴! 目を覚ましたか!」

「晴、気分はどうだ?」

「えっと……」

「晴、何処か痛いところはないか? 気分はどうだ? 何か食べるか?」

「……まずは、手を離してください。正治さん……頭に響くので」

「お……おお。すまない」

 怒涛の勢いで質問責めにされた上に、晴は両肩を正治につかまれ揺すられていた。起き抜けにこれはきつい。それがわかり、正治は罰の悪そうな顔でそっと手を離した。

「心配してくださったのはよくわかりました。……すみません」

「謝ることはない。きみは、『陰の儀式』にのぞんだのだから」

 影頼が微笑み、お粥を差し出した。それを受け取り、晴は自分がどれほど眠っていたのかと尋ねる。

「丸一日といったところだ。大君にはきみが目を覚ましたと使いを出そう。大層案じておられたからな」

「はい、ありがとうございます。……一日か」

 お粥が温かい。匙で一口ずつすくって食べた。その食事の間に、晴は二人の話をぼおっと聞いていた。

「大君からも、晴の様子を尋ねる文が届いたぞ。気分が落ち着いたら顔を見せに来てほしいと。その時、詳しいことを改めて話して下さるそうだ」

「わかりました」

 正治の言葉に頷いた晴に、影頼がにやりと笑った。

「あの優月という子も来たぞ。中宮様か誰かに聞いたんだろう」

「え……!」

「えらく慌てて、『晴は無事なんですか!?』とこちらが驚くような勢いだった」

「……優月」

 心配かけたみたいですね、と苦笑ぎみの晴に、影頼は「そうだな」と答える。そして優しい顔をした。

「彼女、泣くのを必死で我慢してたぞ。歯をくいしばって、震えて。それでもお前の手を握って離さなかった。……舞の稽古があるから、と迎えに来たあかがねに呼ばれるまで」

「そんな、に」

 夢の中で感じた手の温かさは、優月のものであったのだ。それに呼ばれて、目を覚ませたような気もする。

 己の手を見つめる晴の掛け布団代わりの単を指し、正治は微笑んだ。

「ここ、濡れてるだろ? あのが堪えきれずに落とした涙の跡だ。……本当に大切に思われてるんだな、晴」

 にやりと笑いかけ、正治は表情を改めた。ここはおちょくる場面ではないと思ったのかもしれない。隣で影頼が軽く睨んだことも影響しているだろうが。

 晴は下半身に力を入れた。まだ背中や手足などが痛むが、そんなことよりも今動かなければと思うことがある。

「晴、まだ動かない方が……」

「……いや、行った方が良い。行くんだろ、清涼殿へ」

「はい。大君と、優月に会わなければいけません」

「なら、さらしを巻き直しておこう。きみは何をしでかすかわからないからな」

「……酷いですね、影頼さん」

 影頼の自分に対する扱いに苦言を呈しつつも、晴は大人しく背中の傷を二人にさらした。運よく膿まなかったという火傷に薬を塗ってもらい、さらしを巻く。

 体は正直思う以上に不自由だが、晴は二人に礼を言い、籠を断り徒歩で宮中を目指した。


「優月、一息ついてはどう?」

「いえ。まだ、やれますから」

 香耀殿こうようでんのすぐ前にある小さな庭で、少女が風に髪をなびかせながら一心に舞っていた。

 その舞は、この日本国にもともとあるものに彼女がアレンジを加えたものだ。ゆっくりゆっくりと優雅に舞うものから、少し動きを激しめにしたものだ。初めて見た時、てるは目を丸くしたものだが、今ではそれも舞だと理解している。

 しかし、優月がここ数刻の間一切動きを止めないことには渋い顔をしている。何度も何度も休むよう言ってはいるのだが、優月は全く受け入れない。

「照、優月はまだ休まないの?」

 御簾の内側にいた中宮が、一枚単衣を羽織って照の横に立った。

「中宮様。……はい、そうなのです。正治殿の邸から帰ってきてからずっと」

「ずっと、なのね」

 それはいけないわ。中宮はそう呟くと、庭に降りた。それから舞う優月の前に立ち、彼女の頬に両手を添える。

「優月」

「え……、中宮様?」

「今は千夜ちやでいいわ」

 動きを止めて目を瞬かせる優月に、千夜は幼い子に言い含めるように言う。

「休みなさい、優月。今おいしい菓子を持ってきてもらったから、共に食べましょう。でないと、あなたが壊れてしまう」

「わたしは……。はい」

 いつもは見せない千夜の強い瞳に、優月は白旗を揚げた。

 大人しく庭石に腰を下ろし、千夜に手渡された甘栗を口に入れた。ほろりと砕ける栗から、甘みが湧き出す。隣に座った千夜もおいしそうに口を動かす。

「……中宮様が、こんなところで菓子を食べても良いのですか?」

「良いのよ。ここには今、わたくしたちしかいませんもの。大君だって、一人の時や乳兄弟と共にいる時はもう少し気を抜いておられるわ」

「あまり、想像出来ませんね」

 いつも凛とした大君に、そんな側面があるのかと思うと、少し親近感が増す。ふふっと笑う優月に、千夜は安堵の顔を見せた。

「ようやく、笑ったわね」

「え……」

「あなた、帰ってきてから一度も笑っていなかったの。思い詰めた顔をして舞をまっていて。……晴殿の様子を見てきたのでしょう? だから、目を赤く腫らして、懸命に舞い踊っていたのでしょう?」

「……はい」

「あかがねによれば、あなたが帰ってすぐ目を覚ましたそうよ。だから、安心なさい。彼は、無事だから」

「……っ、はい」

 拳を握り締め、優月はようやく笑った。

 千夜は手を伸ばし、優月の頭を抱きかかえる。そうして、大丈夫と繰り返した。の子に控えた照が、二人の様子を穏やかな顔で見つめている。

 その時、別の女房が客人が来たことを告げるために来た。それを照が受け、一瞬驚いた顔を見せる。女房が下がった後、

「優月、隣の間へ行きなさい。あなたへの客です」

「客?」

「行けばわかるわ」

 そう促され、優月は隣室へ移動した。

「え……」

 そこそこ広い板張りの部屋。そこに胡坐をかいていた人物を目視して、優月は言葉を失った。

「……晴?」

「なんだよ、その珍獣見つけたみたいな目は」

「え、だって。わたしが帰ってから目を覚ましたって。まだ、本調子じゃないだろうから、ここまで来るなんて」

「思いもしなかったってか? おれは、大君に会わなきゃいけなかったからな。……それに、お前にえらく心配をかけたらしいから」

「し、心配したに決まってるじゃん! 現代日本の女子高生だよ、わたしは!」

 現代日本で、友人が槍や弓矢や火の玉に襲われて怪我をするなんてことがあるだろうか。いや、ない。少なくとも、日本においてはない。そんな非現実が現実として目の前で展開されたら、不安にならない方が貴重だ。

 わめき詰め寄る優月に、晴は「悪かったよ」と微笑んだ。少し目線の低い優月の頭をぽんぽんとたたく。「やめてよ」と言いながらも、優月は泣きそうな笑顔でその行為を甘んじて受けていた。

 ひとしきり再会を喜び合い、ふとじゃれあいが恥ずかしくなって二人は人一人分くらいの距離を取った。

「で、大君とはお話し出来たの?」

 改めて向かい合って座り、優月はそう切り出した。晴は頷く。

「ああ。おれもあの人の体調が心配だったから。けど、お元気そうだったよ」

「どういうこと?」

「……中宮様から知らされていないのか? というより、あの方もまだ知らされてないのか?」

「待ってよ、何が?」

 大君と晴しか知らない何か。それが一体何を示すのか、優月には見当もつかない。

「おれは一昨日の満月の夜、陰の儀式に挑んだことは聞いてるよな?」

「うん。大君に渡された珠を夜明けまで守り切ることが儀式の条件だって」

「……その珠は、大君ご本人でもあったんだよ」

 晴は、既にそこにはないはずの蒼い珠が手のひらに乗っているかのように眺めた。

「これは、きっとほとんどの人が知らない。おれも洞穴で聞いても信じられなかったからな。……大君と陰は、運命共同体。大君の命にもしものことがあったら、陰がそれを負う。だが、違う時もある」

「違う時?」

「ああ。……蒼い珠に自身の魂の一部を込めた時、おれの怪我は大君に伝染する。真実、さっき会ってきた大君の背中には大きな火傷があったし、腕や足に切り傷があった」

「……」

「何故そんなことをしたのか、って問い詰めたら、大君はこう言った」

『この儀式は、わたしの身代わりを選ぶ試練のようなものだ。そんな他人ひとの命を食い物にしてまで、わたしは生きたくはない。……けれど、生きなくてはならない。きっと歴代の大君も同じ思いだったのだろう。大君の血筋には、魂を満月の夜だけ体から切り離し、何かに籠められるという力があるんだよ。陰となる誰かにだけ、その運命を背負わせないために』

 そう言って、笑ったのだという。

「びっくりしたなんてもんじゃない。嘘だろって叫びたかった。命をかけて守らなきゃいけない人が、おれの後ろではなく肩を並べて戦うと言ったんだから。……だからこそ、あの人はこの国の大君たり得るんだろうな。中宮に言えば過度に心配されるから、数日は夜会いに行かないと言われてたぞ」

 晴は伸びをして、部屋の外を見た。まだ冬らしい寒々とした空気が流れてはいるが、青い新芽が顔を出しているところもある。

「……おれは、この国に陰として認められたらしい」

 そう言って笑った晴の右の瞳に、刻印のような模様があった。この『日本国』の紋章である、太陽をいだいた竜を模した紋。

「だから、あまりお前に会いに来られなくなるかもしれない。折を見て様子を見には来る。けど、長い時間顔を合わせることは難しい」

「……うん。わかった」

 気丈に顔を上げ、優月は頷く。彼を困らせてはいけない。そう心を強く踏ん張る。

 そうやって自分を抑えているのに、晴は優月に近付いた。手を伸ばし、頬に触れる。

「……優月が花祭りでの舞を猛特訓していると聞いた。おれのことばかり喋ってしまって悪いな。泣くのを我慢して、寄り添ってくれたんだよな」

「……そうだよ」

 ぽろり、と抑えたはずのものが流れ落ちる。

「どれだけ心配したと思う? 正式に陰になるための儀式だって聞いたけど、元の世界じゃ負わないような怪我して、気を失って倒れて」

 自分がこれほど泣き虫だとは思わなかった、と優月は言った。

「でも、応援してる。晴が自分のすべきことをするなら、わたしも今自分に課せられたすべきことを全力で。そうやって、わたしもあなたの隣に立ちたい。強くなって、晴の助けになる」

「……なら、おれは優月と自分自身、そして大君を守るために強くならなきゃな」

 優月の涙を拭い、晴は立ち上がった。

「花祭りまでまだ時間はある。倒れない程度に、全力でやれよ。何かあっても、必ず助けるから」

「倒れはしないよ。それに、わたしはきっと巫女じゃないから」

 そう信じて、舞うだけだ。

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