第10話 陰の儀式
洞穴に一人で入り、
手の中にある珠が一つ、ぼおっと淡く輝いている。蒼い、空のような光だ。
それを懐に仕舞い、自分を狙う殺気を探す。
大君――
この珠を夜明けまで守り抜くこと、それが出来れば、陰として認められる。
何が認めるのか、それはわからない。陽臣によれば、それは世界であり、神とも呼べる何かだろう、と。
「……この国の神は、あの国父神という神ではないのですか? 巫女を欲しているという」
その神が判断するのであれば、自分が認められるとは思えない。そう疑問を呈する晴に、陽臣は首肯した。
「ああ、そうだな。正直なところ、その矛盾は昔から言われてきたんだ。けれど誰も答えを見つけられない。……神によっていなくなっても良いはずの陰が今日まで存続している訳が、わたしの代で分かれば良いのだけれどね」
苦笑いをして、陽臣はそれ以外の晴の問いには答えてくれた。
広い世界に存在する小さな国の、たった一人の国主の身代わりを務めることに、何故神の許しが要るのか。
神は、それぞれの国を見守り、時には罰を与える。日本国には、日本国の秩序を守り見つめる存在があるのだ。
それが、この世界での神の考え方なのだという。
「晴、わたしは必ずやきみが認められると信じているよ」
そう言って微笑んだ青年の目を、晴は忘れないだろう。
目を閉じ、警戒する。
けれど、何も襲ってこない。
石の一つでも飛んでくるのか、誰か襲い役が刀で斬りかかってくるのかと身構えていた。しかし、一時間経っても二時間経っても何も起こらない。
(……これ、本当に何かあるのか?)
極度の緊張状態は長くは続かない。周りの風景が一切変わらないために感覚でしかないが、もうあと一、二時間もすれば夜が明ける。
眠気が限界だ。
一瞬、コンマ何秒の世界で晴は気を抜いた。
その時、突如殺気が晴を包み込んだ。
「え……うわっ」
晴は咄嗟に太刀の鯉口を切り、抜刀と共に目の前に飛んできた何かを斬り落とした。何かと闇に慣れた目で見れば、鋭利な矢。
これは何処から来たのか、と目を転ずる暇もない。次から次へと矢が晴目掛けて飛んでくる。
「くそっ。あともう少しで夜明けだってのに!」
晴は体を仰け反らせ、また跳ぶことで数え切れない矢をかわし、斬り伏せていく。
矢の飛んでくる方向に走るが、出所がわからない。
「はっ」
叫びと共に数本の矢を太刀で叩き割り、晴は荒い息をした。呼吸を整える暇さえ惜しいとばかりに飛び向かってきた矢の雨は、その数本を最後にぴたりと止んだ。
「はっ……はっ……はっ」
太刀を構えたまま、晴は頬にできた傷を手の甲で拭った。血がついた。汗が傷に垂れ、ピリリと痛む。
「な、何だったんだよ……」
どうにか呼吸を落ち着かせ、懐の蒼い珠を確認する。きちんとあった。これを傷付けることもせず、そのままの状態で陽臣に返さなければならない。
太股が痛む。矢がかすったようだ。体の所々に切り傷かすり傷ができている。矢が直撃しなかっただけ良かった。
しかし相手は、晴が座り込む隙は与えてくれない。
洞穴の奥から飛び出してきたものを見て、晴は思わず叫んだ。
「マジかよ!」
それは火球だ。何処からか、
太刀を振る時の風圧を利用し、目の前の火球を斬る。火の粉が顔にかかるが、それが目に入らないようにするだけで必死だ。
「ぐあっ」
ジュッと音がすると同時に熱さと痛みが走る。どうやら背中に大きめの火球があたって服が焦げ、背中を火傷してしまったらしい。
止めどなく襲いかかってくる火の玉。大量の火で洞穴内の温度は上がり、汗が滴る。
それでも、懐の中身だけは守りきらなくては。
度重なる火傷と疲労で、晴の動きが鈍る。その分、火球の命中率が上がる。
晴は素早く霞む目を動かし、泉を捉えた。闇の中だった洞穴は、火球で明るく照らされている。それが、今まで見えなかったものを見せている。
(……よし、一か八か)
晴は火の雨の中を走り、泉に迷わず飛び込んだ。
水中で自分が飛び込んだことで発生した泡を掻い潜り、水面に目をやれば、おびただしい数の火が泉に落ちてきている。その度に、ジュッと消えてしまう。
次第に火球は数を減らし、晴の肺の空気がなくなる手前で止んだ。
晴は懐の珠を確かめ、水を蹴って水面に出た。
「かはっ……ごほっ」
服が水を吸い、体が重い。そして矢傷と火傷がじんじんと痛む。晴は服を手でしぼる。
何処からか、朝の匂いが流れてくる。洞穴に入った直後、出入り口は出られないように岩の戸を閉めたはずだ。それでも爽やかな空気が感じられるということは、別の通路があるのかもしれない。
「……」
しかし晴は、そんなことを呑気に考えてはいられなかった。目の前に新たな敵が立っていたからだ。
「まだ、陽臣さまとの約束は、果たしきれない、か……」
『……』
「なあ……あんた、誰だ?」
『……』
ぼろぼろの擦りきれた衣服をまとい、晴は尋ねた。相手は何も答えない。
そこにいたのは、晴に見た目はそっくりな何か。姿形は晴そっくりなのに、そこには殺気以外の感情が感じられない。生命の温かみのない、人形のようなもの。
その人形は晴の手にあるのと同じ太刀を構え、突然斬りかかってきた。
同じ頃、
昨日も一昨日も晴に会えなかった。ふ、と息をついて、彼女は
房の外に出ると、ひんやりと冷たい夜の空気が足元から伝わってきた。
「さむっ」
単を一枚羽織り、優月は空を見上げた。
今夜は満月。夜明け近くなっても、その白い月は輝いている。優月は、自分の名にも字が入っているためか、月を見上げるのが幼い頃から好きだった。
太陽に照らされて輝くという月に、儚い美しさを感じていたのかもしれない。
(この月を、晴も正治さんの邸で見上げてるのかな……?)
数日前、優月は晴に初めて文を送った。あかがねに手渡した時の彼のにやにやした顔は、こちらの全てを見透かした顔だった。
文には、こんな内容で
次の満月は、一年で最も綺麗な月なんだって。その月を、別の場所からでいいから、一緒に見上げられたら嬉しい。
この国の神様は太陽かもしれないけど、月もわたしたちを見守ってくれるから。
どんな月に見えたか、どんな音が聞こえたか。そんな話を、会ったらしよう。
世間話だ。内容があるようで、ない。
けれど、これが今の精一杯。墨で書く文字は、まだまだ練習中だ。揺れる文字は許してほしい。
その日の朝、照に「文字の習いのために、文を書いてみませんか?」と誘われたのが始まりだ。
それから半日夢中で練習を積み、照から及第点を貰った。
晴からの返事は期待していない。返答は、次に会った時にわかるから。
その時、話すのだ。月のこと、舞が少しうまくなったこと。きっと、舞い手として花祭りを成功させると。
「……必ず」
月に雲がかかった。その雲を払うように、手を振る。
「必ず、一緒に帰ろう」
斬。
空気が斬られた。
一瞬、息が出来なくなったような錯覚を覚える。
晴はすぐにそれに対応し、太刀を片手で構えた。
太刀は、重い。始めは両手ですら振り回すことなど出来なかった。
けれど、今なら自分のものとして使える。
ヒュン、と空気を払い、真っ直ぐに相手を見た。上がった息は、簡単には戻らない。
晴は、無理矢理唇の端を片方上げた。
「悪いけど、こっちはぎりぎりの状態なんだよ」
『……』
「そして、夜明けはすぐそこだ」
『……!』
「お前は、おれだってんだろ?」
体の熱が、痛みを忘れさせる。
晴は何度も何度も、太刀を振るった。同様に、相手もそれを受け止めて攻めるように太刀を振るう。
金属音が空気を震わせた。
刃こぼれも気にせず、晴と晴の影とも言えるものは、打ち合い、斬り合う。
晴の呼吸は乱れ、影の呼吸はない。
わずかに、日の光の気配を感じた。
次が最後だ。
「はあっ……!」
真っ直ぐに斬りかかると見せかけ、それに対応しようとした影の隙を突き、太刀筋を曲げた。
胴を斬った。
影を斬った手応えはなく、砂を斬ったような感覚だった。
晴の太刀には、血も何も付いていない。鞘に太刀を収め、晴は酸素を求めている胸をつかんだ。
「はあ……はぁ……。やった、か」
もう殺気はない。夜の冷たさもない。きっと、朝が来たのだ。洞穴の暗闇が少し柔らかくなっている。
「戻らなきゃな。……てるおみさま、がまって……」
ぐらり、と晴の体が傾ぐ。その彼を支え、名を呼ぶ者がいたが、晴は意識を保ってはいられなかった。
夢を見た。
夢でなければ、幻を見た。
美しい青年が、壮絶な笑みをこちらに向ける。
自分も、いつも使っているものとは違う刀を彼に向けた。
こんな、綺麗な刀は知らない。炎のような、赤い刀身。燃えるような気配が立つ。
青年は、ゆっくりと唇を動かした。
声もないのに、それははっきりと届いた。
わたしは、お前を待っていた。
お前と、みこを。
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