第9話 うごめき

 みやこ郊外。京の賑わいから少し離れた場所だ。

 とある神社の鎮守の豊かな森の傍に、広大な敷地を持つ邸地がある。

 門番の武士に取り次ぎを頼み、有彰は牛車を降りた。

「大納言様、こちらへ。あるじがお待ちです」

「わかった」

 邸に上がり、幾つかの渡殿を歩く。すれ違う人はほとんどいない。いたとしても、大納言の道を阻む者はいない。

 実質、大君を除きまつりごとに関心のない内臣うちつおみに代わっての、最高権力者なのだ。

 広間に通され、御簾の前に平伏する。

 しばらくするとさっさっと衣擦れの音がして、御簾の向こう側に誰かが腰を下ろした。

「よく、来たな。大納言よ」

「……はっ」

 より深く頭を下げる。姿は明確には見えないが、そこにいるのは前大君というこの国そのものと言っても良い存在であった人物だ。その重々しい声色が、有彰を緊張させる。

「前大君、ぶしつけで申し訳ないのですが…」

「良い。朕がそなたを呼び寄せた訳を聞かせろと言うのであろう」

「その通りにございます」

「……」

 パチン、と扇が閉じられた。数呼吸をおき、前大君は人払いをした。これでこの部屋にいるのは前大君と大納言の2人だけだ。

 否、前大君の側近中の側近が2人だけ隣の部屋に控えている。彼らはこれからの話を聞いてもどうということはないのだろう。

 前大君はじり、と御簾に近付き「大納言」と呼んだ。

「はっ」

 有彰は少し上半身を上げ、前大君の言葉に耳を傾ける。

「そなたが以前申した、あの伝説はまことであろうな?」

「あの、国父神のでございますか?」

「その通りだ」

「私の所蔵します書の一つに、そう記されておりました。曰く……」

 国父神、その怒り治めし者、彼の力により願い叶えられん。

「怒り、とは伝説に聞く巫女の喪失でしょう。その巫女を奪った若者から取り戻すこと、つまりは巫女を神に今度こそ奉ることが肝要かと思いまする」

「……前回の巫女から千年、であったな」

「はい。次の夏至、巫女となる人物……その心当たりはおありで?」

「そなたもわかっておろう」

 笑みを含んだ声で問われ、有彰は「ええ」と頷いた。数日前に清涼殿で対面した娘の怯えた姿が目に浮かぶ。

「あの娘を巫女に?」

「……まずは花祭りで京人たちに認められるか否かだな」

 そもそも、彼の娘が巫女としての素質を持つのかどうかもわからない。ただ異なる世界から来たというだけが特別な娘。しかし、何かこちらを不安にさせる。

 前大君は扇を広げ、自らを扇いだ。

「あの娘もさることながら、朕は陰の男も気にかかる。……あれは消さずとも良いのか?」

「陰は大君をお守りするためにいつの世も置かれてきた、名の通り陰の役。あの何の力も持たぬ若者に、それほどの価値がありますでしょうか」

 そう言って、有彰は首をかしげた。

 晴、と名乗った若者は、優月と同郷だという。同じ世界から客人としてこの京に降り立った。

「もしもあなた様の行く手を遮る者だとしたら、我ら『前宮さきみや』が壁であれ石であれ、取り除きますのでご安心を」

「ふん。心強いものだ」

「お誉めに預かり恐縮でございます」

 前宮の武、とは今で言うところの親衛隊のような存在だ。前宮、つまりは前大君を守り追従し敬い奉る集団なのだ。

 彼らの強さは、宮中を裏で操ると噂されるほどに巨大なものになりつつある。前大君の孫の一人であった輝臣の即位を反対した側の主格が原因不明のまま死んだのは、京人の間では記憶に新しい。だれもその話題に触れることはないが、前大君に反すればどうなるのか、人々を怯えさせるには十分だ。

 有彰は口端をわずかに吊り上げた。

「必ずや、前大君の願いを叶えましょうぞ」

「……期待している」

「叶えられし際は、我が娘のこともお願い致しまする」

「お前の関心はそちらであろう。わかっている、必ずや娘を中宮にしよう」

「ははっ」

 行幸するという前大君を見送り、有彰は静かに邸を後にした。

 牛車に揺られ、自宅へと辿り着く一本前の通り。邸地の陰から出てきた者を、有彰は呼び止めた。

「……手はず通り」

「御意、にございます」

 それだけを交わし、牛車はすぐにガラガラと音をたて始めた。

 牛車が去った後には、車の跡のみが残った。



 朝から雪がちらついている。朝の鍛練を終えて自室で書を読んでいた晴は、外から自分を呼ぶ声に気が付いた。

「晴、お前に文が来ているぞ」

「あ、ああ……。きみは」

「おれはあかがね。中宮様に仕える牛飼いだ」

 庭先に立っていたのは、髪を後ろで結った少年。ぞんざいな言葉使いだが、それも含めて優月から話だけは聞いていた。

 あかがねは懐から一通の文を出して、晴に手渡した。

「これは、大君からのものだ」

「大君だって!?」

「声が大きい」

「……すまない」

 冷静に突っ込みを入れられて頭をかき、晴は文を開けながらちらりとあかがねを見た。

「……返事は、すぐすべきか?」

「おれは中身を知らない。けど、あまり待たせるのは良いとは言えないな」

「わかった」

 良い香りが立ち上る。香が焚き染められているのだろう。そして紙も上質なものだ。

 晴は文章を丁寧に追い、段々と顔を険しくした。

 簡単にまとめると次のような内容だ。曰く、次の満月の夜、清涼殿に来るように。

 意味がわからない。

 晴は文を再び折り畳み、あかがねに「少し待ってくれ」とだけ言い置いて自室に戻った。

 筆と紙を机に並べ、墨を筆につけた。この世界には墨汁なんて便利なものはないから、字の練習用に毎朝墨をすっている。

 丁度その時、正治が顔を覗かせた。

「晴、大声を出してどうした?」

「正治さん。……実は、大君からの文を預かってきたと言われたので」

「大君から? ……ああ、あかがね殿か」

 ちらりと庭を見て、正治は合点したようだ。

「正治さんもあかがねをご存知なのですか?」

「ああ。彼は中宮様付きだが、顔が広くてね。様々な事柄を調べて報告しているそうだ。……っと、すまない。邪魔をしてしまったね」

「いえ」

 正治が部屋からいなくなって、晴は再び紙と向き合った。

 筆で文字を書くのは苦手だ。もともとそこまで綺麗な字を書くことが得意ではない。この世界に来て、武術以上に頭を悩ませていると言ってもいいのではないか、と自分では思っている。

 それでも返事を書き終え、あかがねに渡した。

 行きます、と。

「確かに受け取った。……と、忘れるところだった」

「?」

「ほら、優月からだ」

 軽い動作で放り投げられた文を慌ててつかみ、晴はあかがねと文を見比べた。

「なんだよ?」

「……いや、ありがとう」

「…………。どういたしまして」

 たっぷりと間を置き、あかがねはにやりと笑ってその場を去った。

 晴自身も気付いてはいないが、彼の目が明らかに喜びを受けて輝いていたのだ。


 満月が夜空に昇りきりそうだ。

 晴は見回りの近衛府の者たちの目を避け、清涼殿へ向かっていた。大君からの文の中で、決して誰にも見つかってはならない、という無茶な条件が書かれていたのだ。

 正治には報告した。すると彼は目を見張った後、

「そうか」

 とだけ呟いた。その痛みをこらえるような目は、晴の中に残った。

 清涼殿に上がり、大君がいるはずの御簾の前に座る。

「大君。晴です」

「……来たか」

「!」

 後ろから声がして、晴は驚き振り返った。そこには、月明かりに照らされた一人の青年が立っていた。

「よく、来た。晴」

「は、い……」

 本当に、自分とよく似た顔をしている。晴はそう思わずにはいられない。

 それでもその身からあふれる雰囲気は、自分とは違う。雄々しく、それでいて沈着。国という重荷を背負いながらも、優雅なものをまとう大君なのだ。

 大君は月を背にして晴と向かい合って腰を下ろし、

「晴、きみにこれから共に来てほしい所がある」

 そう告げて大君は晴を先導し、清涼殿を出た。

 慌てて後を追うと、大君は宮中を出てしまう。

「出て、良いんですか?」

「よい。見回りの歩く道は全て頭に入っている。見つかることはない」

「……それって」

 大君は、実は奔放な部分も持っているのかもしれない。何故なら、見回りの道順全てを記憶するなど、それが自分の行動に必要だから覚えたのに違いないからだ。幼い頃、宮中を探検したくちなのだろう。

 それを指摘すると、大君は「そうだな」と肯定した。

 少し、親近感がわいた。

 しばらく京を歩き、次第に人家がまばらになってくる。こんなところまで大君が来て良いのか、と不安になった頃。

「晴。きみは、もとの世界に帰れるまで、陰になると言ってくれたな」

「……はい」

「……。その心は、変わらぬか?」

 尋ねられ、晴は真っ直ぐに大君と目を合わせた。

「変わりません。おれは、優月と帰るんです。それまで、おれと彼女がいることを許された、大切にしたい人たちを守ると心に決めました」

「……わかった。朕も……いや」

 大君は目を伏せ、何か迷う様子を見せた。しかしすぐに顔を上げた。

も、その思いに応えていきたい」

「大君……!」

「朕、というのは言い辛いんだ。お父上は好んで使われるが。……きみの前では、嘘はつきたくない。中宮と同じく、きみの前でもわたしで通させてもらおう。いいかな、晴」

「はい、大君」

 晴が首肯すると、何故か大君は眉を潜めた。その理由を晴が問おうとした矢先、

「……晴、わたしのことは陽臣はるおみと呼んでくれると嬉しい。これからの難局に、共に立ち向かう……無二の友人なのだから」

「陽臣……さま」

「様、はなくてもいいが……取るかどうかは任せよう」

 陽臣は少し頬を緩ませた。それは、彼が大君という鎧を脱いだ瞬間にだけ見られる本来の姿かもしれない。

「晴、わたしについてきてくれ」

「はい」

 陽臣と晴が共に少し先へ行くと、そこには夜空の中では頂上の見えない山があった。自然のままの山は、人の侵入を拒絶している。その山の麓に、ぽっかりと洞穴が開いていた。

「ここは……?」

「晴、ここで真に陰となるための儀式を行う」

 満月は真上に輝いている。陽臣は、懐から一つの蒼い珠を取り出した。

「この珠を、日が昇るまで守り抜け」

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