第8話 心構え

 宮中を退出し、晴は正治邸に徒歩で帰ってきた。帰り道は雪が積もり、子供らが雪遊びをする姿を横目に、ずっと考え事をしていた。

「お帰りなさいませ、わか

 邸の敷地内に入ると、庭を掃除していた下男が晴に声をかけた。

「ただいま帰りました、さん。ってか、晴でいいですって」

「いえいえ。養子とはいえ正治さまの息子となられたんですから、若と呼ばせてください」

「……むず痒いんですけど」

「慣れですよ、慣れ」

 五十二というこの世界では高齢にあたる年齢で、ようじはかくしゃくとして邸で頼りにされている。カッカッカと大口を開けて笑い、正治は自室にいると教えてくれた。

 寝殿造とまではいかないが、割りと広い庭を持つ近衛大将の邸。晴はその渡殿を歩いて、西の対にある正治の自室を訪れた。

「正治さん、只今戻りました」

「おかえり、晴」

 書き物をしていた正治は文机から体を離して、晴に向き合った。

ふみですか?」

「ああ。いとこ殿にちょいとな」

「いとこというと……公武きみたけさん」

「立場的にはあっちの方が上だが、あの人の性格上、へりくだると叱られる」

 苦笑いをしつつも、正治の顔は優しい。

 公武は内臣うちつおみというまつりごとの要職を勤める男性だ。中宮の実父で、子が生まれれば外戚としての力はより強まると言われている。

 しかし当の本人は権力には興味が薄く、文官として大君の役に立つことに心血を注いでいる人物だ。そのため中宮に皇子を産むよう強要することもなく、ただただ娘の幸せを案じている。

 その点が、有彰とは違う。

「それより、何か私に用かい?」

「ああ、はい。挨拶と……もう一つ、お聞きしたいことがあって」

「聞きたいこと?」

 正治は筆を片付け紙を仕舞って、髭を撫でた。円座わろうだを勧められ、晴はその上に胡座をかく。

「正治さんもご存じの通り、先程前大君にお会いしてきました」

「ああ。会ってみてどうだった? まだまだ健勝で、威圧感さえある方だったろう」

「はい。おれもお目通り叶いました。優月も……けど」

「けど?」

 視線をさ迷わせ、晴は一度目を瞑った。それから深呼吸を一つして、目を開く。

「花祭りの舞い手になれ、と彼女は命じられました」

「花祭りの舞い手に……それはまた」

 驚いて目を見張る正治に、晴は言葉を続ける。

「次の花祭りでは、夏至の祭りで神の巫女となる娘を決めるのだと、中宮様から聞きました。伝説の話も少し。……正治さん」

「……なんだい」

「……おれは、イクドになれるでしょうか?」

 真っ直ぐな瞳で、晴は正治を射抜いた。その目を受け止め、正治は首を横に振った。

「……晴、きみの役目は陰だ。大君とこの国の行く末を守ることが使命だ」

「わかっています」

「巫女は、太陽の化身である国父神の対となる存在。いわば、『』の存在」

 国父は、この国の太陽と同義の存在。晴はこの時初めてそれを知った。

「陰が陽に手を伸ばすことは出来んよ。その光で焼かれてしまう。……それに、まだ決まったわけではないだろう? あの優月という娘が陽の巫女になるさだめを持つ者なのか、不確かではないか」

 花祭りには、他にも何人かの娘が巫女候補として舞台に上がる。優月のようににわかの踊り手はいない。皆、幼き頃より舞の力を積み上げてきた者ばかり。その娘たちに劣らぬ技量を見せられる実力を優月が持っているとは、全く思えなかった。

 だから、心配しなくてもいい。そう笑う養父を前に、晴の顔は晴れなかった。



 シャーン

 神殿の中で、鈴の音が鳴った。

 今年、二回目の音。一つは陰を、一つは陽を。

「ああ。……神が招いた」

 千年の約束を果たさせるため、人知を超えた何かが呼び寄せた。

 男は神の依り代である鏡を顧み、目を細めた。



 翌日。優月は大君に呼ばれ、前大君を諦めさせることが出来なかったと詫びられた。

「すまない、優月。父上は伝説を信じてしまっている。きみの心を慮るような余裕がないらしい」

「そんなに謝らないでください。大君が悪いのではありません。……それに、まだ決まったわけではないでしょう?」

 優月は笑みを貼り付け、大君の顔を上げさせた。

 本当は、不安で不安で仕方がない。もしもを考えてキリがない。

 けれど、晴と共に必ず日本に帰るのだ。それを心に決めてから、優月は自分が少し強くなれたような気がしていた。

「わたしは何の力も持たない子どもです。そんなわたしを、神様が選ぶわけないじゃないですか」

 そう言い聞かせなければ、やっていられない。

「それよりも、きちんと大役を果たせるのかの方が心配です」

「……強いな、優月」

「いいえ、全然です」

 むしろ、臣下に自分の非を認めて頭を下げられる大君こそ、本当は強い心の持ち主だろう。優月はそう確信していた。だからこそ、晴と共に大君と中宮を守りたいのだ。

 清涼殿を退出し、優月は中宮のもとへと向かった。中宮に花祭りの相談をしなければ。

 その前に大膳職だいぜんしきで中宮の食事内容を聞いてこよう。中宮も気丈にはしているが、前大君との対話でストレスを抱えているように見えた。おいしいものはストレスを軽くしてくれるはずだ。

 そう考えて渡殿を歩き大膳職を目指していた優月は、曲がり角で人にぶつかってしまった。

「ご、ごめんなさい!」

「も、問題ありませんわ」

 勢い余って尻餅をついてしまった優月は、足を踏ん張って耐えている女房姿の女性に頭を下げた。

 切れ長の目を持ち、緑の黒髪は床まで流れている。十中八九が美人だと太鼓判を押しそうだ。

「急いでいたのでしょう? 気にせず行ってちょうだい。次は気をつけて」

「はい。ありがとうございます」

 貴族らしく、扇で口元を隠して言う女性に、優月はぺこりと再び頭を下げた。女官よりも女房姿の女性の方が身分が高い。

 走らず早足でその場を去る優月の後ろ姿を、女性は見送った。

「……あれが、まれびとの優月」

「どうしたのだ、依子よりこ。こんなところを姫であるお前が歩き回ってはいけない」

「申し訳ありません、父上」

 女性を見咎めたのは、大納言の有彰だ。依子は謝りつつも、その顔には後悔の色はない。

「丁度気になるものが来ましたので、出てみただけですわ。邸とは違い、はしゃぎすぎました。すぐ戻ります」

「そうか。……けれどお前は、大君に仕える身として育ててきた。もうすぐ、それも叶おう」

「楽しみにしていますわ、父上」

 ふふっと含み笑いをし、依子は父と共に自分にあてがわれた房へとしずしず戻っていった。

 そんなことがあったとは知らず、優月は大膳職に寄った後すぐに、中宮の待つ香耀殿へと足を向けた。

「中宮様、夜は甘い唐菓子をつけてくださるそうですよ」

「ふふっ。優月はそれが好きね」

「中宮様もですよね」

「ええ、楽しみよ」

 少し疲れを残した中宮の顔がほころぶ。それだけでこの話を持って帰ってよかったと、優月は思えた。

「それはともかく、大君に呼ばれたのでしょう?」

「はい。……昨日のことでした。止められなかった、すまない、と」

「あの方は……必要なら身分に関係なく頭を下げる方よ」

「はい。……だから、その誠意が伝わりました」

 優月はにこりと笑い、

「でも、わたしと決まったわけではないですし、そもそも満足に舞うことも出来ません。……だから、見られる程度まで教えてもらえませんか?」

「……選ばれれば、どうなるかわかりませんよ?」

「それもわかってます。でも、もしもを考えても仕方ないじゃないですか」

 わたしは、できることをやりたいんです。そう微笑む優月を、中宮は抱き締めた。

「ちょっ……、千夜様」

「……泣きたい時は、泣いていいのよ」

「……はい」

 ifを考えても仕方がない。その気持ちは本当だ。そして、大切な友人でもある千夜や大君、そして晴を守ることになるかもしれないなら、と考えていることもまた事実。

 整理しきれない感情を抱え、優月は舞の稽古に集中することでしか、気をまぎらわせることが出来ないように思えた。


 次の日。霜が降りた。

 その冷たさを足の裏で感じながら、優月は房の前にある板張りの床に座り、ぼおっと庭を見つめていた。

「おい。何やってるんだよ、優月」

「……あかがね」

「しけた面してんなぁ。聞いたぞ、前大君も無茶なこと言い出すもんだな」

「……前大君に対してそんな口の聞き方していいの?」

「本人がいないんだから、いいだろ? それに、おれみたいな牛飼い童はいないのと同義だしな」

「?」

 首をかしげる優月に歯を見せ、あかがねは彼女の隣に座り込んだ。

「花祭りで舞うんだろ? 照さんに教わるのか?」

「うん、そのつもり。中宮様も師にするなら照さんをって勧めてくださったし」

「おれもそれがいいと思う。……あの人は昔、宮中の宴で舞をまう舞姫だったんだぜ」

「え、そうなの!?」

 びっくりして思わずオーバーリアクションをしてしまった優月を笑った後、あかがねは照の過去を教えてくれた。

 照は幼い頃から舞をまっていた。実家が舞を得意とする家柄だったのだ。しかし政争に巻き込まれて家が傾いた時、白拍子しらびょうしになって京で舞っていた。

 その照を自分の傍にと招いたのが、中宮だった。自らの舞の師匠として、友人として。私の傍に、と。

 我が儘な主人だよ、とあかがねは笑った。

「そういえば、あかがねは?」

「おれ? ……おれのことはいい」

「よくないよ」

 問い詰めようとした優月だったが、あかがねはそれ以上語ろうとはしなかった。

「……それはそれとして。おれがまた、前大君の様子なんかを見といてやるよ。何かあったら知らせる」

「わかった。ありがとね」

「じゃあな」

 あかがねは片手を振ると、軽い身のこなしで塀を乗り越えていった。

 気付けば、霜は溶けている。優月は照との舞の稽古に赴くため、その場を後にした。

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