第6話 約束

 優月が自らの中宮との出会いを話した後、晴も自分がどうやってこの日本国へ来たのかを語った。

 ことり。晴は湯のみを置いて息をついた。

「それから、正治さんのところで刀の扱い方をひたっすら鍛練してたよ。この世界のこととかを学びつつって感じだったけど。影頼さんスパルタだったな……」

「へぇ……。でも、なんで陰になるなんてことになったの? そもそも『かげ』って何?」

「里田は知らないのか。そうだよな、まだ来て一ヶ月だっけ」

「うん。だから、わたしも中宮様や照さんから教えてもらうばっかり。覚えきれてるか不安だもん」

 照がお茶請けにと出してくれた唐菓子をつまみつつ、優月は苦笑いをした。

「大丈夫、生活してけば慣れるだろ。……それで、陰のことだったな」

 晴は一口茶を飲み、天井を見上げた。

「『陰』は、極論を言えば大君の身代わりだ。大君の傍でその身を守り、支えるもの。そして大君の身に危機が起これば、それを代わりに受ける」

「え……」

 言葉を失う優月に、晴は笑いかけた。

「そんな悲しそうな顔するなよ。この役目は誰にでも務まるものじゃないんだ。中宮様たちの様子見ただろ? おれの顔を見た時の」

「うん……」

 中宮と照は、晴の顔が大君とよく似ていると言っていた。それはもう、目を見張るほどに。

「陰は、大君に背格好や特に顔が似ていなければ務まらない。もし刺客に陰が襲われても、顔が似ていなくちゃ間違えてはくれないだろ?」

「そうだけどっ。……でも」

 どうして、客人である晴がその役割を担わされたのか。どうして、別の誰かではないのか。

 膝の上でぎゅっと握られた拳が、優月の心を表していた。

 何も知らない異世界で出会えた同郷の友人。彼を失うかもしれない恐怖は、優月の中に影を落とした。

「……おれさ、夢を見たって言っただろ? 正治さんたちに会うって内容の他に、誰かの記憶の夢もって」

「……うん」

「その誰かも、時の大君の近臣だったみたいなんだ。大君を守る立場の人。夢で見えるのは、いつも『大君を守らなければ』っていう決意の思いばっかりだ」

 実はもう一つ、夢の人物には強い想いがあった。けれどそれは、今の晴には気恥ずかしい。

「おれがその人の記憶を持つ意味は、ちゃんとあるんだと思う。その意味は、同じ立場になって探すけど。……心配するなよ、里田。この一ヶ月でかなり鍛練したからな。おれはそんじょそこらの奴には負けない」

 晴は腰につけた太刀を軽く叩いて微笑んだ。飾りの太刀ではなく、真剣だと言う。それでも不安を拭いきれず、優月は彼の服の裾に手を伸ばした。

「……里田?」

「優月」

「は?」

 優月が何のことを言っているのか分からず、晴は首を傾げた。すると今度はより明瞭な声で、

「名前で、呼んで。この世界には、所謂名字は無いみたいだから。皆川くんだけが里田って呼んでたら、誰のことかわからないよ」

「……お、おお」

 優月の勢いに気圧され、晴は一歩後ろに下がった。その分、優月は足を進める。

「優月!」

「ゆ……ゆづき」

「……うん!」

 にこり、と優月は目を細めた。大それたことを自分からしている自覚はあったが、それよりも晴に名を呼んでもらえたことが嬉しい。

 そこまで考えて、はたと気付く。

(え……? わたし、え……!?)

 耳まで染めて、優月は硬直した。しかしそれには気付かず、晴はポンッと手をたたいた。

「じゃあ、お前もだよな?」

「……えっ?」

「お前もおれのこと、晴って呼べよ。優月」

「う……」

 特大ブーメランが返ってきた。優月は深呼吸して、心臓がおさまるよう願いながら唇を動かした。

「は……」

「うん」

「…………は、はる」

「良くできました」

 ニカッと歯を見せて、晴は優月の頭を軽く撫でた。優月は自分のことで頭が一杯で気付かなかったが、晴の顔も朱に染まっている。それをなんとか誤魔化そうとして、晴は優月がこちらを見ないよう頭に手を置いたのだ。

「おれ、そろそろ行くわ。帰ったら、影頼さんとの鍛練やらなきゃな。……大君と中宮様を守れるようにならないとだから」

「……うん。わたしも、中宮様の傍で守るよ。そうすれば、晴の役割を軽くすることができるから」

「さんきゅう」

 腰を上げ、帰ろうとする晴の前に、優月は小指を立てて出した。

「約束して」

「約束?」

「絶対、一緒に帰るって。二人とも。一緒に日本へ」

「……ああ。約束だ」

 晴も優月の小指に自分のそれを絡め、指切りげんまんをした。


「優月、晴殿は帰られたの?」

 夕暮れが京を包み始めた。優月は几帳や屏風で夜風が室内に入らないようにする。

「はい。お部屋を貸していただき、ありがとうございました」

「いいのよ。……その様子だと、お話はできたようね」

 中宮は御簾を上げて優月の手を取った。泣きそうな顔の優月を見つめる。

「陰について、聞いたのね?」

「……はい」

「そう」

 中宮は優月の両手を自分のもので包み込み、きゅっと握った。

「……陰は、代々の大君を支えてきた大切な役目。その時々の御代には、必ず陰になれる人物が現れる。それは初代の大君から変わっていない」

「わかっています。それがこの国を守ることにも繋がるってことは。……でも、何で晴がって思わずにはいられなかったんです」

「……」

 中宮は何度も頷いた。わかるよ、と優月に教えるために。

 中宮の初恋は、幸せなことに大君であった。まだ彼が皇子だった時、祭りで出会ったのだ。初恋の君が大君になる運命を背負う人だと知った時、何故私の愛しい人はそんな重荷を背負うのかと、思わずにはいられなかった。時には命さえかけなければならない、その運命を。

 優月は、自分の両目から何かがこぼれ落ちたことに気付いた。いけない、千夜様を心配させてしまう。瞬きを繰り返し、それを止めた。

「ごめんなさい、千夜様。ご心配おかけしました。もう大丈夫です」

「本当に?」

 優月の顔を覗きこみ、中宮は再三確認した。それら全てに笑顔で答えた優月は、反対に彼女に問いかけた。

「そういえば晴から聞いたのですが、この国に危機が迫っているって本当ですか?」

「危機……。晴殿ということは、正治殿も気付いているということね」

「千夜、様?」

「優月。貴女にはこの国に伝わる巫女の伝説を話したことがあったかしら……?」

「みこ? いえ、なかったかと」

 この一ヶ月、学んできたのはこの世界の常識と宮中での作法が中心だ。歴史なども照に教わったが、伝説や神話の類いは手をつけていない。

 優月が首を横に振ると、中宮は彼女に顔を近付けた。

「千夜様、何を」

「約束してくれる?」

「約束、ですか?」

「今から話すことを知っているのは、私以外は大君と照、そしてきっと近衛大将正治殿と晴殿くらい。……まだおられるかもしれませんが。そこに優月が加わります。その意味がわかりますか?」

「……それ以外の人には決して言うな、ということですか?」

「その通りです」

「……わかりました」

 こくんと頷いた優月に満足し、中宮は一本の巻物を紐解いた。


 この国は、国父こくふと呼ばれる神と巫女みことの間に生まれた。

 初めて大君となったもの、国父との間に約定を交わす。

 神に娘を捧げよ。さすれば毎年の国の弥栄いやさかを約束しよう。

 選ばれた娘は、夏至の日に神を称える舞をまい、その神のもとへと上った。

 それからというもの、国は栄えた。

 毎年毎年、娘が一人、神の妻となった。

 百年後も、巫女が選ばれた。

 かの巫女の愛する男がいた。

 男は時の大君に仕え、娘を取り返すために神との戦いに身を投じた。

 戦いは長く続き、神は根を上げた。男を称賛して。

 曰く、これより千年、国の栄華を約束しよう。

 巫女は娘に戻り、男と結ばれた。

 ために千年、娘は巫女とはなっていない。

 男の名は、いくど。


 巻物を閉じ、中宮はそれを仕舞った。

「……これが、国に伝わる始まりの物語。千年間、神との約束で確かに国は栄えました。けれど、それは千年前のこと。つまり、来年はその千年後にあたります」

「あっ……」

「わかりますね? この国は今は栄えています。けれど来年の夏至、祭りで神に巫女を捧げなければ、神との約束を守ることはできない」

「つまり……、国の栄華は途絶え、神の加護は得られなくなると?」

「そうなるわ」

 それが国の危機なのだと中宮は言った。神との約束を守らなかった時、何が起こるかはわからない。そうしなかったことが未だかつてなかった。

「今年の祭りは、夏至に行われたわ。国父神宮の巫女が三人、神に捧げる舞をまった。千年間の感謝を込めて。……来年の花祭りの日、夏至の巫女を決めるのだと聞いているわ」

「花祭り?」

「花祭りは、春に行われる祭りよ。その年がまた巡ってきたことを神に謝し、美しい草花を愛でるの。一年で一番和やかで華やかな祭り」

 そこでも舞が行われるのだ。何人もの未婚の女子が舞をまい、大君を始めとした京人たちがその出来映えを精査する。その場で、神に相応しい娘を探すのだという。

「普段の花祭りは、舞の一番巧い娘を決めて褒美をとらすだけ。でも此度は、裏にそういう事柄が隠される」

「でも、神に捧げる娘って、夏至の祭りでその舞をまえば役目は終わりですよね? ……わたしの世界でも祭りはありますが、あってもそれで役目は終わります」

 優月が楽観視しようとしてそう言うと、中宮はふるふると頭を振り、悲しげに息を吐いた。

「いいえ。確かに今まではそうでした。けれど次は違う。本当にでしょう。……方法はわからないけれど」

「そんな……」

 絶句する優月に、中宮は笑いかけた。

「なんて言ったけれど、千年前のことよ。もうきっと、誰も本当のことはわかりはしないわ。私の考えが、取り越し苦労であれば、何にも言うことはないわね」

 言葉とは裏腹に、中宮の目は悲しみをはらんでいる。優月は照が二人を呼びに来るまで、彼女の手を握って離さなかった。

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