第4話 再会

 自分とは違うもう一人の客人の存在を知ってから一ヶ月。宮中での暮らしにも慣れてきた。照の許可を得て、優月は少し袴と単の袖を短くしている。袴は足が引っ掛からない程度、袖は中指の最初の関節が出る程度まで。

 今優月は、照のお使いで中務省へ向かって歩いていた。

 幾つかの建物の横を通りすぎ、もう少しで目的地に到着する、そんな時だ。

「おお。これは中宮様傍付きの……」

「近衛大将様、おはようございます」

 渡殿わたどので出会ったのは、近衛府で大将を勤める正治だった。優月は一歩引いて頭を下げる。

「優月殿、でしたかな」

「ええ、覚えておいていただけて光栄です」

 優月は顔を上げ、にこりと微笑む。

 近衛大将は大君の傍で警護を担当する近衛府の長だと照から聞いている。そして正治は、中宮の父親である内臣うちつおみ公武きみたけとは従兄弟同士なのだ。決して無下にして良い相手ではない。

 正治は鼻の下から濃い髭に覆われ、怖い印象を持たれやすい男だ。中宮は以前から「その濃い髭はどうにかなりませんか?」と呆れているのだが、正治は「部下たちには少しぐらい恐れられないといけないのですよ」と笑うばかりだ。笑うと目に笑い皺ができ、雰囲気が柔らかくなる。

「ああ、そうだ」

 ぽんっと手を叩き、正治は自分の後ろに控えていた人影に手招きする。

「これから大君と中宮様にもお目通りさせていただくのだが、きみには先に紹介しておこう」

「え……?」

 目を瞬かせる優月に、正治は一人の青年を紹介した。身長は一七〇はありそうだ。きちんと烏帽子を被り、青い狩衣を着ている。

 青年は優月を前にして、目を見開いた。

わたしの養子である晴だ。近衛府に仕官させようと思っているのでね、きみと顔を合わせることも多くなる。どうか、良しなに頼むよ」

「あ……は、い」

 知ってる。優月は無性にそう感じた。彼を知っている。けれど、いつ、誰?

 胸の前で両手を握りしめ、優月は動揺を見せないように無理矢理笑顔を作った。

 初対面を終え、正治が晴を連れて去ろうとした時、彼を呼ぶ声が近くでした。

「おや、呼ばれているようだ。優月殿、すまないが晴を少し頼むよ。初めて宮中に連れてきたからね。私は呼ばれた用事を聞いたらすぐに戻るから」

「え、あ……はい」

 頼むよ。そう年押しし、正治は同僚のもとへと急ぎ足で向かった。

「……」

「……」

 しん、と沈黙が降りる。

 どちらも、何も発しない。何も発せられない。

 あかがねが優月に言った、宮中で会えるだろうという予測は、彼女が思ったより早かった。

 どうしよう。どうしたらいい? 彼に、わたしを知ってますか? なんて突然聞いたら不審に思われはしない?

 頭を抱えたくなり悶々としていた優月に、晴は「あの」と言葉をかけた。

「……正治さんが戻ってくるまでまだある。だから、少し話さないか?」

「あ、うん……。じゃあ、そこで」

 優月は、渡殿から降りてすぐの庭にある二つの石を指差した。丁度椅子になって良いだろう。

 二人で並んで座り、再び沈黙になりかけた。それを止めたのは、晴の一言だ。

「里田、だよな……?」

「―――っ」

 その瞬間、優月の中で全てが走馬灯のように思い出された。

『里田、おはよう』

 夢の中の空席は、彼のものだ。

『里田っていうのか、きみ。……これからよろしくな』

 小学生の時、垣根を作らずに話しかけてくれた男の子も彼だ。

 そして自分は……。

「み、皆川みながわくん……?」

「ああ。よかった、気付いてくれて」

 晴は目を細め、微笑む。あまり笑わないと言われ、友達が少ないと眉を潜めていた少年が、今目の前にいる。

 彼が時々、笑う練習をしていたことも思い出した。指で唇の両端を吊り上げていた。

「……」

 感極まる、とはこういう時使う言葉なのかもしれない。優月の心は、再会の嬉しさと覚えていなかった申し訳なさで溢れかえった。

「え……っ、里田? 大丈夫か?」

「ふっ…、っえ……。ごめ、ん。皆川、くん。わたし、なぜか皆川くんのこと、忘れてたっ」

 ボロボロと大粒の涙を流し、それを袖で何度も拭う優月。そのか細い肩が震え、ごめんと謝罪を繰り返す。

「ごめん、ごめんね。ごめっ……!?」

「わかったから、落ち着け」

 優月の頭に手を乗せ、晴が大きくため息をつく。その手の温かさに、優月の心臓が跳ねた。

 晴は彼女の心情を知ってか知らずか、ぽんぽんと軽く優月の頭を撫でた。

「泣くのはいいんだが……ここで泣かれるとおれが泣かしてるみたいだろ。新参者が宮中で女官泣かしてるとか、京人の格好の餌だから」

「……あ、うん。そう、だよね……ふふっ」

「笑うなよ」

 泣き止んで微笑んだ優月に安心し、晴はほっと息をついた。

「にしても驚いた。里田が宮中で女官なんてな」

「そういう皆川くんこそ、近衛府で働くんでしょ?」

「らしいな。けどおれの場合は……」

「晴」

 晴の言葉を遮ったのは、養父の正治だ。用事は終わったらしい。晴を手招いている。

「もう時間らしい」

「うん……。またね」

「またな。次会った時、里田がこっちに来た時のこと教えてくれよ」

「皆川くんもね」

「勿論」

 ふっと息で笑い、晴は軽く手を挙げた。それを挨拶にして、正治のもとへと歩いていく。優月は彼を見送りながら、不自然に拍動する胸を押さえていた。


「では、近衛大将の所にいる客人とは、優月の友人だったのですね?」

「はい。……本当に驚きました」

 用事を終えて中宮のもとへと戻った優月は、すぐに晴と会ったことを中宮と照に伝えた。中宮も照も、優月が以前の友人とこちらで再会したことを喜んでくれた。

 中宮は優月の様子を見てふふっと笑い、

「先程、近衛大将がこちらへ来られたと聞きました。お通ししますから、優月は照と共に控えておいてくれますか?」

「はい。……お通しするとは、ここにですか?」

「いいえ。大君と共に会います。清涼殿に行きましょう」

 優月と照は中宮に続き、渡殿へ出た。

 ちなみに、中宮が住まうのは香耀殿こうようでんという建物だ。清涼殿へは渡殿を通ってすぐである。

 中宮は大君のいる御簾の後ろへ行き、優月たちは御簾の前方右側に並ぶ。清涼殿には既に正治と晴がおり、優月は晴と一瞬だけ目が合った。

「よく来てくれたな、近衛大将」

「大君、そして中宮様におかれましては、ご健勝で何よりでございます」

 そう言って短い挨拶を終えると、正治は自分の後ろに平伏する晴に目をやった。

「こちらが、養子の晴でございます。そちらの優月殿と同じ世界から来たと本人が言っておりました」

「ほお。……客人が二人、しかも同じ世界から、か」

 大君に促され、晴が顔を上げる。その瞬間、中宮と照が同時に声を上げた。

「えっ……」

「う、嘘でしょう?」

「お二人はお気付きのようですな」

 正治が意味深な言葉を吐く。大君は何も言わず、沈黙を通した。

「中宮様、お分かりですね?」

「ええ。……大君に瓜二つ、です」

 信じられないことに、と中宮の呟きが続く。優月も驚いて完全に顔を上げた。

(皆川くんと大君が瓜二つ? そんなことあるの?)

 晴の顔は知っている。小学生の頃からの腐れ縁だ。しかし大君とは御簾を通しての対面しかしたことがない。この国で最も高貴な身分にある男性が、易々と他人と直に顔を合わせることはあり得ない。

 声質が違う。雰囲気も違う。生き方も違う。けれど、顔が、表情がよく似ているという。

 ぽかん、と優月が見詰める先には、晴の横顔がある。その緊張に彩られた中に、決意の色が見えた。

 ふう、と大君が息を吐く。 脇息きょうそくがぎしりと鳴った。

「……。正治、そなたは晴をどうするつもりなのだ?」

「はっ」

 正治は平伏し、「大君の『かげ』を勤めさせたいと考えております」と応えた。

「……そうか。確かに、朕とよく似たお主なら、陰が勤まるだろう」

「そう考えてくださるなら、有り難いことでございます。晴を大君のお側においていただき、陰としての役目を果たさせてくださいませ」

「わかった。……。晴、お主はそれで良いのか?」

 大君の問いかけに、晴は間髪を入れずに頷いた。

「はい。お……わたくしが、ここへ来た意味はまだわかりません。しかし、わたくしの容貌がこの国の大君の役に立つというならば、それをしたいと決めたのです」

 それが、拾ってくれた正治の願いならば。行くあても生き抜くあても持ち合わせていなかった自分を拾ってくれた恩は、返さなくては。あのまま捨て置かれていれば、日本に帰ることも出来ずにのたれ死んでいたに違いない。

「ですから、大君を必ずお守りします」

「……頼もしい。こちらからも願い出よう」

 大君が居ずまいを正した気配がある。次いで、深く頭を下げた。

「や、お止めください。お……わたくしは……」

「よい。朕の気持ちだ。……時と場合によっては命にかかわる役目だ。これでも足りぬ」

 二人の会話を聞いていた優月は、この時、鈍器で頭を殴られたような気がした。「命にかかわる役目だ」とはどういうことか。

(陰って、何なの?)

 血の気が引いた。これは気のせいではなく、冷や汗が背中に流れる。駄目、今倒れるわけにはいかない。優月は拳を握り締めた。

 そんな優月をよそに、晴と大君たちの初対面は無事に終わった。

 大君と中宮が退出した後、正治と晴も清涼殿を去ろうと立ち上がった。優月はたまらなくなり、晴の衣の裾に指をかけた。

「ん?」

「……ま、待って」

「里田……。正治さん、先に行っていてもらえますか?」

「わかった。私は仕事に戻るから、好きな時に邸へ戻りなさい。出仕は明日からだ」

「承知しました」

 養父を見送り、晴は震える優月の手を自分のもので柔らかく包んだ。

「行こう。おれも里田に聞いてほしいことがある」

「うん……」

 二人は連れ立って、香耀殿にある空室に入った。先に戻っていた中宮が、ここを使うようにと指定してくれたのだ。

 そうして晴は、自分に何があったのかを一つずつ話し始めた。

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