橋を端から端まで走れ!

木沢 真流

橋を端から端まで走れ!

「止まれ、カルロス! 止まらないと撃つぞ」


 そう叫びながら殺気立つ若手を、落ち着いた風貌の男が抑える。


「もういい、あそこに入ったら生きては帰れない。放っておいてもすぐ死ぬだろう」


 若手の男は構えていた銃を収めた。


「でもアニキ、あそこには『勇気の橋』がありまっせ」


 アニキと呼ばれた男はロングコートを翻しながら、鼻で笑った。


「『勇気の橋』か、面白い。今まで渡れた者は一人もいないのに橋とはな」


 カルロスは走っていた。

 ついにここ、ソドム島の端まで来た、もう逃げられない。カルロスは思わずその端から下を覗き込む。この浮遊島から落ちたなら、その先は雲に包まれて何も見えない。きっとそのまま地面に叩きつけられて、ぐしゃっとなるか、ある学者はガスの中に吸い込まれそのまま、くちゃっと潰されると言う者もいた。


 真偽はわからない。

 言い伝えによるとこの星では昔、科学が発達していて、遠い宇宙のことまで知っていたようだ。だがどうせろくな人間ではないだろう、とカルロスは思っていた。何故なら、まともな人間であれば自分たちの星をこんな住めない場所にするはずがないからだ。

 カルロスが物心ついた時、すでにこの星で住める場所は二つの浮遊島しか無かった。それがここソドム島と、モンタナ島だ。なんでこんなことになったのか、今さら恨んでも仕方ないと思わず唇を噛む。

 カルロスは腕の刻印を確認した、囚人に焼かれる刻印だ。ソドム島にはカルロスのような囚人が住んでいる、といっても政府にとって都合の悪い人はみんな囚人だったが。カルロスもそんなあらぬ罪を着せられた一人だった。


 カルロスは「勇気の橋」の前に立った。

 薄黄色の、人二人が通るのがやっとの幅で、そのドロドロとした物体は、島と島とをつないでいた。よくもこの物体を橋と呼んだものだ、とカルロスは蔑んだ。一度足を踏み入れればたちまち足は吸い込まれ、そのまま体ごと全部埋まってしまう。それがこの「橋」と呼ばれる物の実態だということくらいは、いくら下級市民のカルロスでも知っていた。

 遠くにモンタナ島が霞む。この橋の向こうに自由が待っている、愛する家族が待っている。


「待て、死に急ぐな」


 カルロスが振り返ると、そこにはロングコートの男が立っていた。

 

「ただちに投降すれば、悪いようにはしない」

「どうせすぐ殺すくせに」

「やってみないとわからないだろう」


 カルロスの腕が怒りに震えた。


「お前らに脱獄囚として殺されるくらいなら、俺は愛する故郷を目指し、走って死ぬ」


 カルロスは勇気を振り絞り、橋に向かって走り出した。


「待て!」


 男は思った、これでまた目の前で人が死ぬ。いつ見ても良い気分はしない。足がずぼずぼ入り込み、そのままうめき声をあげながら吸い込まれる。そのままいずれその声も聞こえなくなり、窒息死。運良く下から抜けたとしてもそのまま雲の藻屑と消えるだけ。


 しかし次の瞬間、奇跡が起こった。

 何とカルロスは走っていたのだ。夢でも見ているのだろうか、あの底なし沼のような橋の上をただただ走り続ける。雲間からこぼれる光の矢に照らされて、その姿はまるで神からの祝福のように。

 

「そんなバカな」


 カルロスは走った、走り続けた。そしてやがて、モンタナ島に着いた。そうして愛する家族の元へ帰ったのである。「勇気の橋」はカルロスの勇気を受け入れたのだった。



「これがダイラタンシー。分かった?」


 私は小学4年生の息子の顔を見た。今一つピンと来ていない。


「で、カルロスはその後もちゃんと逃げられたの?」

「いや、そこは大事じゃない。これはあくまで架空の話だよ、父さんが言いたかったのは、ダイラタンシーの性質だよ。この性質はゆっくりと手足を入れるとずぼって入っていくんだけれど、走りのような瞬発的な力にはとても強いんだ、まるでコンクリートのようね。だからその上を走り抜くことが出来るんだよ。分かった? もっとそっちに興味を持ってほしい」


 理科の宿題で、でんぷんや片栗粉に代表されるダイラタンシーの話が出たというから、その性質をせっかく分かりやすく教えようとしたのに。もう興味がどこかへ行ってしまった息子は、へえ、とつかみどころのない相槌を打っている。私は今更ながら、例え話を大きく語ってしまったこと後悔していた。

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