電車に揺れは

阿尾鈴悟

電車の揺れは

 ──帰るのは何年ぶりだろう。


 電車に揺れは、どうでもいいことを考えさせる。


 ──中学進学からだから、もう、六年になるのか……。


 鈍行しかない路線、田んぼしか移さない窓、人の居ない車内。

 小学校の頃、毎日見ていた景色と変わらない。違うのは広告だけ。


『次はァ──』


 間延びした車掌の声が聞こえる。

 それなのに、脳が理解をしようとしない。

 きっと、僕は、未だに現実を受け入れられていない。

 だから、進んでいる先も受け入れようとしていない。



 数か月前、僕は受験に失敗した。

 ……いや、正確に言うと、受験に成功し、進学に失敗した。

 自分で決め受かった大学を、父は土壇場になって否定したのだ。

 何でも父の要求していた偏差値の大学じゃなかったから、らしい。

 嘘のような、本当の話。信じられない、信じたくない話。


 試験が巧く行こうと、お金を出す予定だった父が否定したんじゃ意味が無い。

 てっきり応援してくれていると思っていたから、二重でショックだった。

 訂正。それに、父が大学を『やりたいことを学ぶ場所』ではなく、『偏差値』でしか考えていないこともあるから、三重だ。

 これは、父との会話不足が招いた悲劇だろう。

 会話していても、この結果になったと思うけど。


 立ち上がるには時間が掛かった。

 重要なのは、立ち直るじゃないこと。

 とりあえず、これからどうしよう……、と考えるまで、一か月掛かった。


 僕の目の前にあった選択肢は、概ね三つ。

 一つ。父を説得し、来年、同じ大学を受験する。

 二つ。父と話し合い、折り合いの付いた大学を受験する。

 三つ。働く。

 奨学金は取れそうになかったから、この三つ。


 結局、選んだのは、地元の小さな会社にUターン就職することだった。



『次はァ──』


 今はどのあたりまで来たのだろう。

 風景が変わらな過ぎて、分からなくなっている。

 連絡を取った小学校の友人は、ずいぶん開発が進んだ、と言っていたが、すっかりコンクリートの色に染まった街に慣れてしまった僕には、同じ景色としか感じられなかった。


 ──そういえば、六年前は、向こうに対して、同じことを思ったんだよな……。


 懐かしい、こんな様になるなんて、微塵も想像していなかった頃の記憶。

 あの頃の僕は何になりたかったんだろう。

 本当にあの大学に入りたかったのかな。

 いや……、大学じゃなくて、何に……。


『次はァ──』


 立ち上がり、ドア上の路線図をぼうと眺める。

 Yの字を横にしたみたいな線と、その上を並ぶ駅名の羅列。

 今はまだ幹の部分だった。枝の部分──それも、枝の先まで行かなければならないから、まだまだ時間が掛かりそうだ。


 再びソファに沈む。

 電車に揺れは、どうでもいいことを考えさせる。

 だから、何も考えないように、考えないように、考えないように──



『次はァ、終点──』


 車掌の声で目を覚ます。

 慌てて降りる。

 直後、電車のドアが閉まり、何処かへ消えて行った。


 ──アレ……? ここって……。


 降りたのは、田んぼの真ん中もいいところの駅だった。

 人の気配はなく、風と土と草の匂いしかしない。


 駅名看板には、『杵月きづき』と書かれていた。

 僕が向かっていたはずの『日花ひのはな』ではなく、杵月と。


 ──もしかして……。


 ホームを歩き回り、路線図を確認する。

 と。


「あっ」


 簡単な話。

 ここはもう一つの終点。

 俯いていたがために起きた、あまりに単純なミスだった。


 ふっ、と声が漏れる。

 あまりにくだらない。


 けれど、そのくだらなさも久しぶりだった。


『まもなくホームに──』


 列車が来る。

 何にしろ、一度、乗換駅に向かわなければいけない。

 確認する必要もなく、ドアをくぐる。


 ソファに座り、息を吐く。

 しばらくして、列車が動き出す。


 路線図を眺める。さっきまでいた『杵月』と、これから行く『日花』の間の駅名に目を滑らせる。


 ──こっちの方が、Uターンっぽいな。


 やはり電車に揺れは、どうでもいいことを考えさせる。

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