カブトムシ食べ放題
二石臼杵
食うか、吐くか
カブトムシにはマヨネーズが合う。
目の前の大皿に群がり積もるカブトムシの一匹を鷲づかみにして、もう一方の手で俺はマヨネーズの容器を手に取った。
容器を押すとチューブからマヨネーズがひねり出て、手の中でうじゃらうじゃらと動くカブトムシに覆い被さる。黒い羽根の上で白いマヨネーズはよく映えた。
そのまま一気にカブトムシを口の中に放り込み、頬張った。カブトムシの脚の何本かが口周りに引っかかったが、気にせず口を閉じ、歯を噛み合わせた。
まずカブトムシの硬い前羽がチョコレートのようにぱっきりと折れ、次いで薄い後ろ羽は玉ねぎのごとくしゃりしゃりと口の中で折りたたまれる。やがてゴムに似た弾力が歯を押し返し、そして抵抗むなしくぷちゅっと爆ぜた。
ぎぢり、ごぐりとこの世のどの食べ物とも異なる咀嚼音をBGMに口を動かす。
カブトムシはどんな味がするかって? 知らない方がいい。おおよそ想像通りか、あるいは想像以下の味だ。ひょっとしたらベジタリアンならお気に召すかもしれない。
とにかく苦いとだけは言っておこう。そこでマヨネーズの出番というわけだ。マヨネーズは全てを中和する。苦みを抑え、主張の強いカブトムシ味を気持ちまろやかにする。それでも、鼻を貫く山臭い匂いは消えることはないのだが。正直、味よりも匂いの方がつらかったりする。
ただ、角は個人的に好きだ。かりんとうのように食べ応えがあり、中からうっすら甘い汁が滲み出てくる。どうやら歴戦のカブトムシの角ほどいい味がするらしい。相手を弾き飛ばしてきた分だけ、角の旨味は増すのだ。
「さあ、いよいよ決勝戦となりました。第三回カブトムシ大食い大会を制するのは誰でしょうか。審査員の皆さんはどう思います?」
「僕はね、初めてこの大会の審査員を務めさせてもらったのですがなんでしょう、こう、見ていると一周回って美味しそうに見えるかなーと思ったんですが駄目ですね。吐きます。うぇろろろ、失礼」
「伊藤さん、一周目じゃまだまだ序の口ですよ。私はもう三周目に入ったところですが、いまだに胸がむかむかします」
「勝った。俺は六周目ですよ」
正面のテントの中にいる司会者と、その隣で審査員席に座る三人の声がうるさい。審査員席の脇にはバケツが人数分置かれてあって、その中にはカブトムシよりもおぞましい液体が波打っていた。「この大会は有料チャンネル『KING64』にて中継されています。R-15指定なのでご視聴の際はお気をつけください」と司会者が言う。
そう、これは大会なのだ。
悪魔が思いついたとしか思えない世にも奇妙で下劣なカブトムシの大食い大会。開催第一回のときに大会の創始者とやらに会ったことはあるが、覚えているのは顔ではなく、むかついてそいつをぶん殴ったときに折れた鼻の軟骨の感触だけだ。まだ入院していれば御の字なのだが。
もちろんカブトムシを頬張っているのは俺だけではない。俺の座る長机の両隣にも勇気あるチャレンジャーが座っており、それぞれ目の前には俺の分と同じように活きたカブトムシの盛られた皿がある。さっき横目で見たが、右隣のやつは涙目だった。
なぜ俺がこんな大会に出場している羽目になっているかというと、始まりは悪友が勝手に応募したからだった。そいつの鼻の軟骨も脆かった。
もちろん辞退することも考えたのだが、憎たらしいことに優勝賞金だけはやたら立派ときた。それだけで一年働かずに暮らせるほどだ。だから俺はここ二年間働いていない。
まったくの不名誉なことに、俺は第一回及び第二回大会の覇者になってしまった。一生埋もれていればよかったものの、どうも俺にはカブトムシ食いの才能があったようだ。
カブトムシ食いの秘訣は、無理やり違う料理の味を連想することだ。
例えば今食べている日本でもっともポピュラーなカブトムシは、どぎついピーマンを食べていると思い込めばいい。
俺は次に手にしたヘラクレスオオカブトの角を強引にこじ開ける。じーじーという鳴き声が途切れたところで、むしった角を口の中に放り込んだ。こいつは見た目がほぼカニ爪だ。だから実質、山に住んでいるカニを食べているのと同じだ。マヨネーズのおかげでカニカマに偽装できる。
今度は皿からエレファスゾウカブトを掴み取る。ずっしりとした重みが自己主張してきた。歯で噛み千切ると中にぎっしりと詰まった肉がぷりっぷりの弾力を返してくる。こうなるともはや海老と変わらない。エビマヨだ。俺は今、エビマヨを食べているはずなのだ。そうでなきゃ困る。
左隣の参加者が異様に前脚の長いノコギリタテヅノカブトを手に顔をしかめている。ばかだな、だからカニの脚を食べるつもりでいけばいいんだよ。むしゃっと。右隣のやつはとうとう吐き出した。
だがライバルなどどうでもいい。これは自分との戦いなのだ。吐くか、食うか。カブトムシの命と人間の尊厳をかけた真剣勝負だ。
エビマヨモドキを完食した俺は次のカブトムシに手をかける。皿の底には何倍にも濃縮された樹液の成分が塗られていて、カブトムシたちはそれを舐めるのに夢中で逃げようとも思わずに大人しく盛られているというわけだ。自分が餌食になっているとも知らずに。その虫の愚直さが、たまに羨ましくなる。
俺は口を開け、新しい獲物を平らげようとして、ふと違和感に手を止めた。こいつは――
そのまま固まる俺と、手の中で蠢くカブトムシ。
「おおっとどうしたことでしょう、チャンピオンの動きが止まりました!」
「うぇろろろろ、えっなにうええええ」
「伊藤さん、仕事はちゃんと選んだ方がいい。もうバケツが二杯目じゃないか。私をご覧なさい。まだ一杯目ですよ」
「俺はそろそろ十五周目にいきそうだ。なんだか腹が減ってきたなあ」
「あなたは周回のペース配分が狂っている」
審査員席がどよめいているが、俺はじっと手の中のカブトムシを見つめ、それからそっと手を離した。自由になったカブトムシは羽を広げ、大空へ逃げていく。
「あっ、あれは!」
審査員の一人が笛を吹いた。
「失格ですか?」
司会者が訊ねる。眼鏡をかけた初老の審査員はゆっくりと首を振った。
「とんでもない。あれはね、サタンオオカブトですよ。ワシントン条約の附属書Ⅱに載っている、貴重なカブトムシです。食べるなんてもってのほかだ」
「と、いうことは先ほどの笛は……?」
「カブトムシは食べるものではない。それを我々に再確認させてくれたエントリーナンバー二番の選手に、栄誉と優勝者の座を贈ります。この大会は終了したんですよ」
「なんと!」
二、三十人ほどしかいない観客席がわっと沸いた。両隣のやつはげっと吐いた。
「優勝おめでとうございまーす!」
あれよあれよと言う間に表彰式に移り、俺の手にトロフィーが渡される。
しかし、俺は別のものを求めていた。
表彰の言葉もぼんやりと聞き流しながら、サタンオオカブトの飛び去って行った空をじっと眺める。カブトムシを食べているうちに日はすっかり暮れ、鮮やかな茜空になっていた。
そう、この赤が必要だったんだ。
「さてこれで三連覇というわけですが、何か一言お願いできますでしょうか」
「……なかったんだ」
俺のぼそぼそ声をマイクが拾い、拡げる。
「そう! そうなんですよ! カブトムシは食べ物じゃなかったんですよね! まさか大会の趣旨そのものを覆して優勝するとは前代未聞のことでございます! みなさん、彼に盛大な拍手と祝福を!」
会場内に三十人分の拍手が鳴り響く。その音にかき消されて、俺の声は誰の耳にも届かなかった。
「なかったんだ。……ケチャップがなかったんだよ。あのカブトムシの角や体に生えている毛にケチャップを染み込ませて、リング状になった角を持って食べるといい感じの味になりそうな気がしたんだ。マスタードを足してもいいかもしれない。とにかく、ケチャップじゃなきゃとても食えたもんじゃない。なのにマヨネーズしか用意されてなかった……これはフェアじゃない。スポーツマンシップに則っていない……」
もっとも負担の少ないカブトムシの食べ方が直感でわかってしまうあまり、より良い味を求めてしまったがゆえの不戦勝。それが妙にもどかしかった。
カブトムシは食べ物じゃない? そんなことはばかでも知っている。俺はただ、俺のルールに従おうとしただけだ。
あのカブトムシ、ケチャップで食べたらどんな味がしたのだろうか。
夕焼けは何も答えず、ただ俺を照らす。
いや、違うな。俺は静かに頭を振った。
今回の勝因はもっとシンプルなものだ。
俺はただ、マヨネーズに飽きただけなのかもしれない。もっと言えば、カブトムシを食うこと自体にも。
この二年間、裕福で贅沢な生活を送ることができた。だが、さっきケチャップがなかったことによって、物足りないという感覚を思い出してしまった。確かに今の暮らしは楽だが、何か大事なものが欠けていることにはっと気づいたのだ。
今の自分の暮らしがカブトムシ食いの賞金によってもたらされていると思うと、どこか後ろめたかった。カブトムシの屍の上で食う料理は、どんなに美味しくてもほのかにカブトムシの味がする。カブトムシは不味いし、それ以上に味気なかった。
今日がやめるには潮時だったし、俺が再び真人間の側に戻れる境界線でもあった。
結局、これが俺の出場した最後の大会になった。それ以降、このふざけた大会が開催されたかどうかは知らない。カブトムシを食うという趣向そのものを根幹から否定されて中止になったのかもしれないし、今でもしぶとくどこかでひっそりと続いているのかもしれないが、俺には関係のないことだった。
なにせもう、カブトムシはお腹いっぱいなのだから。
カブトムシ食べ放題 二石臼杵 @Zeck
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