小狐ともう一つのお祭り
葵月詞菜
第1話 小狐ともう一つのお祭り
夏休みのイベントの一つに欠かせないのが夏祭りだ。
幼い頃は親と、小学生の頃は幼馴染の兄弟と、中学生の頃からは同級生たちと出掛けるようになった。高校の友人たちは住んでいる地域が違うので、今年も中学の時の友人たちと遊びに来た。
久しぶりに会う友人たちとはしゃぎながら存分に露店を冷やかして回り、最後に少しの花火を見て、祭りの余韻に浸りながら解散の時間を迎えたのがつい先程だ。
初音は神社の横の公園のベンチに座り、親に連絡を入れようと携帯を出した。遅くなるようなら迎えに行くと言われていたのを思い出したのだ。
何となく帰路に着く人々をぼんやりと見つめていると、なぜだか物寂しい気持ちになってきた。祭りの終わりはいつもこうだ。そして、小学生くらいの子どもたちが駆けて行くのを見ると、昔の自分を思い出す。
(キリちゃんたちと来た時のことを思い出すなあ)
通っていた剣道場の師範の孫であった兄弟二人に連れてきてもらい、あの子どもたちのように元気に走り回っていた。余程印象に残っているのか、この祭りに来る度に思い出す。特に帰り時、少し寂しい気持ちになった頃に。
そんなことを思っていると、ふと視線が一人の青年に吸い寄せられた。
(あれは……)
背格好と面影がよく知った昔馴染みの
「っ……キリちゃん?」
思い切って声をかけると、青年が振り返る。
その瞬間、すぐに八霧ではないと分かった。
だが不思議そうにこちらを見つめる彼は、明らかにただのそっくりさんではすませられないくらい本人に似通った風貌をしていた。むしろその容姿だけなら八霧本人でも通用するだろう。
初音は訝し気な表情を隠しもせずに尋ねた。
「あなたは……誰?」
青年が驚いたように目を見開く。そして口元に興味深そうな笑みを浮かべた。
「おう、いつかのお姉ちゃんか」
返って来た言葉は関西弁のイントネーション。初音の知り合いに関西弁を喋る人はいないが、記憶を探ると一つだけ心当たりがあった。
「まさか、あの時のきつねさん……?」
「そうや。よう分かったな!」
初音は相手の正体を見抜いておきながら、まだ信じられずにまじまじと見つめ返した。
「何でキリちゃんの姿をしてるの?」
「一番真似やすいからやな。人間の中に紛れる時はよう使わせてもろてる。ああ大丈夫やで、本人の許可ももろとるさかい」
「はあ」
八霧の姿でこのテンションの関西弁を喋られるとものすごく違和感があるのだが、小狐は全く気にした様子はなかった。
「それよりお姉ちゃんは何してるんや? 一人か?」
「さっきまでは友達と一緒だったんだけどね」
八霧の姿をした小狐はじっと初音の目を見つめた。
「何か元気ない?」
「そんなことないよ。ちょっと寂しい気持ちになってただけ」
単にノスタルジーに浸っていただけだ。何でもないと笑ってみせると、
「初音、この後時間あるか?」
「え?」
いきなり名前で呼ばれて少し驚く。小狐は八霧の顔で目を細めてニヤリと笑っていた。その顔は不思議と八霧本人もしそうな表情だった。
「先日のお礼や。ちょっと付き合うてや」
「はい?」
小狐はいたずらを思い付いた時のような悪い笑みを浮かべて初音の手を引いた。
初音の手を包んだ大きな掌は温かくてするりとしていた。
小狐は帰る人々の間を縫うようにしてどんどんと神社の奥に向かって行く。
「ちょ、ちょっときつねさん、どこ行くの!」
「ちょっと楽しいとこや!」
ちょっと、という微妙な言い方は何なのだろう。初音の心の中に不安が広がる。
人間に化けてはいるが、その正体は小さな獣に手を引かれているという非日常に、当たり前のように流されている自分もまた怖い。
本殿の裏に回ると、さらに奥の木立の中に進んで行く。急に暗くなった足元が心許ないが、小狐がぐいぐい引っ張るものだから足を止めるわけにはいかない。
急にピタリと足を止めた小狐は、「そやそや」と思い出したようにどこからか狐の面を取り出した。
「これかぶっとき。まあ他はみんな人間に化けてるんやけど、初音はほんまもんやから一応用心しとこ」
「はい?」
わけが分からないままお面をかぶせられ、ただでさえ周りが暗いというのにまた一段と視界が狭まる。
「ほんなら行くで」
前方から強い風が吹き抜けた。お面の下で目を瞑る。
そして次に開けた時には、眩しい光が目に入った。
目の前には、両側に提灯が連なる一本道が続いていた。少し先には、先程の祭り同様の露店が並んでいるのが見える。
「……!?」
面の下で口をポカンと開けている初音に、小狐がくすりと笑って促した。
「今度はこっちのお祭りや。折角やから見て行き」
そのまま手を引かれてゆっくりと歩き出す。
露店の方に向かうと、そこには人々がたくさん行き交っていた。だが、よくよく見るとその人間たちには獣の耳やふさふさの尻尾が生えている。
「もしかしてみんなきつねさんなの?」
「そうや。何かしらんけど人間の真似した祭りやから当人たちも人間に化けてんねん」
「へえ……」
人間の初音としては、どうせならここは獣姿の狐たちの祭りを見たいところだった。
その時、すぐ近くの屋台にいた年輩の女性に声をかけられた。この人も頭の上に獣の耳が立っている。
「あらあらあなた、上手に化けてるのに狐のお面をかぶっているのかい?」
「え、私?」
そういえばこの場で狐の面をかぶっているのは初音だけだ。
「えらいべっぴんさんやから恥ずかしいんやと」
初音が答える前に小狐が答えると、おばさんは愉快そうに笑った。
「そうなの。じゃあべっぴんさんにりんご飴をプレゼント。隣のカッコいいお兄さんにも」
「あ、ありがとうございます」
おずおずと受け取った初音は、早速りんご飴を齧る小狐と並んでまた歩き始めた。
「これ食べて大丈夫だよね?」
「大丈夫やで」
それを聞いて安心し、面を少しずらしてちびりと舐める。
歩き始めてから、ちらほらと同じ様に面をかぶっている姿を見かけた。それは主に子どもで、面は狐ではなくひょっとこやおかめが多い。
「ねえこれ何の祭りなの?」
「さあ今回は何やったかな。祭りはそう珍しいもんやないし。まあ最近はお盆で人間の世界でも多いやろ? 多分その影響は受けてるやろなあ」
何と適当な理由か。しかし他所の祭りに影響されて浮かれてしまう気持ちは分からなくもない。その狐たちに影響を与えているのが人間だということはよく分からないが。
射的にわいわい盛り上がる子どもたちを後ろから眺める。綺麗に並んだふさふさの尻尾がかわいらしい。
「そういえばキリちゃん射的上手かったなあ」
ぽつりと呟くと、隣で「ほお」と小狐が興味深そうに相槌を打つ――まさに八霧の顔で。
本人がいないところで、本人の容姿をした者を相手に話をするのは、何とも滑稽な気持ちだった。しかも化けているのは狐だ。
「そりゃあわいも見たかったなあ。――お」
小狐の目が見開く。初音もつられてそちらを見た。
悔しそうな表情の子どもたちに割り込むように、一人の茶髪の青年が射的の台に並んだ。
(ん?)
青年が狙い澄まして放った弾丸は、的確に的を倒した。続けて二弾、三弾。全て的中だ。
「兄ちゃんすっげー!」
子どもたちが歓声を上げる中、青年は次々に狙い撃ち、その全てを的に当ててみせた。
店の主人もあんぐりと口を開けていた。
青年は獲得した景品を子どもたちに渡すと彼らに手を振り、そのままこちらに向かって歩いて来た。
今度は初音の口がぽかんと開く番だった。今度こそは間違いない。
「キリちゃん……」
「何で初音がこんなとこにいるんだ?」
八霧は眉を顰めながら、隣に立つ自分と瓜二つの容姿の小狐を見た。
「犯人はお前か」
「偶然会うてん。ていうか、初音にわいの変化が見破られてしもうて」
小狐の困ったような声に、八霧は小さく笑った。
「へえ、初音は誤魔化せなかったのか」
そう言って初音を見る彼はどこか愉快そうな表情をしていた。
「それよりキリも来とったんやな」
「何となく足が向いて気付いたら入り込んでた」
八霧は肩を竦め、それから腕時計をちらと見遣った。
「そろそろ時間だな。初音、帰るぞ」
「え?」
八霧は自然な動作で初音の手を引いた。まるで小学生の頃のように。
初音の手を包んだ大きな掌は温かくて、所々に硬くなったまめの跡でごつごつしていた。昔、彼がまだ剣道をしていた時の努力の名残だ。
(ああ、キリちゃんの手だ)
懐かしくて、嬉しくて、ほっとする。
「そうか。もうそんな時間か。ほなまたな」
気付くと小狐の姿は小さな獣の姿に戻っていた。ただし、二足歩行でコートのような衣服に身を包み、毛糸で編んだ小さな鞄を斜め掛けにしていた。
小狐は「キリがいるなら大丈夫やな」と笑って、手を振りながら人混みに紛れて行ってしまった。
八霧は帰り道を知っているらしく、迷うことなく歩き出した。初音は手を引かれるままについて行く。
「それにしても、お前も変な縁ができちまったなあ」
歩きながら八霧がぼやき、きょとんとする初音を見て苦笑した。
(何かわけわかんないうちにキリちゃんに会えてしまった)
初夏に少し会って以来だった。その時に、夏休みには帰って来てねと伝えたはずなのだが、結局今日まで会えずじまいだった。
「私たちの神社のお祭りは終わっちゃったよ」
ちょっと不貞腐れて言ってみる。本当は八霧と行きたいと思っていたのに。
「ああ、今日だったか?」
「そう。やきそばも鉄板焼きもおいしかったよ。花火も綺麗だった」
「それは良かったな」
飄々と言ってのける八霧が少し恨めしい。
初音はふいと横を向いて、八霧の手をぎゅっと握った。
(キリちゃんのばーか)
それでも、こうして出会えたのだから、初音にとっては最高のお祭りかもしれなかった。
小狐ともう一つのお祭り 葵月詞菜 @kotosa3
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