3. motyl   チョウ


 この仕事に就く前に、僕と弟は何度か面接と簡単な試験を受けた。内容は忘れてしまったので、いったい何をどう判断されたのか分からないが、とにかく僕たちは合格した。

 この仕事に就ける人間は少ない。この国で選ばれた者は四十人にも満たないという。同僚たちとの共通点は見つからなかった。みな年齢も外見も性別も出身地もばらばらだった──というより、僕と弟だけがなにもかも同じだった。



 僕とダリューシュは街外れに向かう。そこには褐色のレンガでできた、ずんぐりむっくりの塔のような建物がたっている……かろうじて。一段目はぐるりと支柱が囲い、みっちりとレンガが積まれているが、三階から五階にかけてぽっかりと穴が開いて、窓ガラスも割れて中は野ざらしになっている。穴以外の場所もレンガがところどころ崩れ、無数の黒い焼け焦げが残っている。

 ここは国立図書館だった。しかし数年前に襲撃に遭い、今では廃墟と呼んでいい状態で、いまだに白い灰が雪のように舞っている。

 僕たちはその横に設置されたプレハブ小屋に入る。そこには他の同僚たちがすでにいて、僕たちは挨拶をする。僕たちは全部で九人。元々は十人だった。

 上司の名前はプルトフスキ。背は高くなく、少し腹が出ているが、休憩中に彼がものを食べるところを見たことはない。しかし水筒にこっそり蒸留酒を忍びこませていることを僕は知っている(それに気づいたのは弟だった)。白髪に青い目の、穏やかで寡黙な男。上司というよりもみんなのまとめ役だ。彼の仕事は僕らとだいたい同じで、ただ雇い主への報告書を書いたりだとか、そういう仕事が余計にあるだけだ。彼は事務室を与えられているが、偉そうな態度は取らない。

 プレハブ小屋で、僕たちはロッカーに荷物を入れる。もともと別の場所にあったものを運び入れたらしく、傷や錆や凹みがたくさんあり、蹴りを入れないと扉が閉まらないものもある。僕はこの場所が嫌いだ。窓はなく男たちの饐えた臭いがこもり、そのくせ冬は隙間風で寒い。天井に吊るされた剥き出しの電球の光は不安定に揺らめくのを見ると、僕はとても落ち着かなくなる。なぜかは分からない……。

 僕はそそくさと汚れても良いエンジニアブーツに履き替え、灰除けの帽子をかぶる。マスクや手袋も支給されていたが、付けているのは二、三人だけ……暑苦しいので僕は付けない。この季節は特に。

 かつてはこの国立図書館で女も働いていたが、残されたのは男だけだった。きっともう一個プレハブを建てるのが面倒だったのだろう。女と残りの男は大学図書館か、よその街に行った。

 身支度を整えた僕たちは目の細いカゴを持って、図書館に向かう。


 このずんぐりむっくりの塔は五階建てだ。かつてはみっちりと本が収められていたが、襲撃でその多くは燃えてしまった。無事だった本はすでに大学図書館に運びこまれている。

 無事でなかった本に集まるチョウを採るのが僕らの仕事だ。


 図書館が無事だった頃から、僕と弟はチョウの採集の仕事をしていた。ここの本の周りにはチョウが集まって来ていた。普通のチョウではないが、とりあえずチョウの姿をしている。そして本棚から本棚へ、あちらの本からこちらの本へとひそやかに舞い移る。その数はどれほどになるだろう──ダリューシュは十億羽と言ったが、もっとずっと多いようにも思う。

 チョウがいる理由は知らない。それを採取する理由も。


 さすが国立図書館の蔵書というべきか、多くの本は美しい革装で、箔押しや天金が施されていた。僕は誰も見ていない隙にそっと棚から抜き取って、中を見てみた。見開きは惚れ惚れするようなマーブル紙、インクの香りも市販のペーパーバックとは違うように感じた。少しざらつくページをなぞると、プレスされた活字の凹凸を確かに感じた。そうやってうっとりしていると、近くを漂っていた一羽のチョウがその中に飛びこんだので、僕は慌てて本を閉じた。

 僕は本が好きだが、中に詰めこまれた言葉には興味がない。僕は本そのものを愛する。


 焼けた後も、チョウはここを去らなかった。灰の中の本の破片に群がり、ひらひらと舞ってはまた灰の上に降り立つ。

 チョウは群れをなしていることもあれば一匹しかいないこともあった。黒いものも、空色のものも、赤や黄色の斑点のあるものも、目のような斑を持つものも透き通った翅を持つものも、ふわふわの触覚を持つものも、両手ほど大きなものも小指の爪ほど小さなものも、想像できるあらゆるチョウが飛んでいた。

 中には危険なものもいた。僕たちははじめに注意を受けたが、僕は実際にそれを見たことはない。


 作業は下の階から順に行われた。

 一階は本の他に、立派なエントランスや司書のいるカウンターや学習スペースなんかがあった。でも今では多くの残骸が取り払われた、黒く灰の積もったがらんどうだ。たまに残った燃え滓が助けを求めて手を挙げるが、みんな気づかないふりをしている。燃え滓のいくつか──例えばかろうじて燃えなかった柱の彫刻とか、金属の猫足とか、僕にはひどく魅力的に映るものがあったのだが、持ち帰るのはダリューシュに止められた。

 このフロアのチョウはあらかた採り終えているので、別の作業に使う。


 二階はやっと半分が終わったところだ。

 本棚は七段のものが三つほど重ねられていて、上に行くには梯子を登る必要があった。それが壁沿いにぐるりと立ち並んでいた──今では部屋中が黒や灰色になって、見事な彫刻が跡形もない。本棚も半分近く燃え殻となり、他のものも倒れたり崩れたりしている。柱がぐらついたり床が抜け落ちたりした箇所は業者に頼んで補強をしてある。これ以上の崩壊は避けたい。

 僕たちは新しく梯子を持ちこんで、せっせとチョウたちを捕まえる。南側の棚から西側の棚にかけて作業が終わっている。

 風が吹いても灰は塔の外まで飛んでいくことはない──ただくるくると舞い上がり、奇妙なスノードームのように塔の中に落ちていく。チョウたちは本から離れない。彼らがどこから来るのか、僕は知らないし、同僚の誰も知らないだろう。

 チョウは僕たちを恐れない。そっと捕まえると、彼らはぴたっとおとなしくなる。ただ、微かに呼吸をするように震えているのが指先から伝わってくる。僕はこのチョウたちが好きだ──尋ねたことはないけれど、きっと同僚たちも。僕たちはチョウを傷つけないように細心の注意を払う。もし翅がちぎれたり触覚が折れたりしたら、僕は涙を流してしまうだろう……僕は一度だってそんなへまをしたことはない。


 籠がチョウでいっぱいになると、僕たちは一階まで下りて行く。そこには長机と羊皮紙のような大型の厚紙が持ちこまれていて、僕たちはチョウを一羽ずつ丁寧にピンで刺し留める。ピンはありきたりな鋼でできていて、頭にはマチ針のような小さなガラス玉が付いている。ピンで磔にされたチョウたちは紙の中に溶けこみ、まるで大昔の写本のような、美しい絵になってしまう──でも彼らは死んだわけではなく、そこで静かに翅を震わせている。全部のチョウにピンを刺し終えると、僕たちは紙をくるくると巻いて紐でくくり、用意された箱に納める。そして、籠を抱えて二階に戻る。

 燃えた蔵書はあまりにも膨大なので、上の階まですっかり作業を終えるには何年もかかるだろう。

 薬を撒いた様子はなかったが、この塔でドブネズミや虫が湧くことは不思議となかった。チョウ以外の生物は、それを捕らえる僕たちだけだった。


 僕たちは交代で休憩する。僕は小腹を満たすため、近くの出店でサラミを挟んだパンを買って食べる。僕やプルトフスキはタバコを吸う。本の灰に群がっているにもかかわらず、チョウはタバコの煙が嫌いだ。彼らが逃げてしまわぬよう、僕たちは塔から十分な距離を置く。タバコを忘れた日は、プルトフスキが一本分けてくれる。彼のタバコは僕のものより苦い香りがするので好きではないが、僕は断らない。なんとなく彼が傷つくような気がするから。プルトフスキには僕と同じくらいの息子がいたが、戦争で死んだらしい。彼は同僚の中でも若い僕やダリューシュに親切だ。


 定刻間際に大学図書館のバンがやってきて、チョウを留めた巻紙を回収する。

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