たとえば

九十九 那月

たとえば

 たとえば。


 矢が、何百本も続けて、ほとんど無限に降り注いでくるとして。

 きっとそれは、速かったり遅かったりするだろう。絶え間なく飛んでくる時もあれば、長い間隔をあけてくる時もあるだろう。

 だからきっと、そのうちの何本かを避けることはできても、全てを避けきることはできなくて。

 だけどそれでも、死にたくないから必死で矢を避けようとする。


 そうして、矢の雨が止んだとき。

 ふと周りを見渡して気づく。私以外にも、矢の雨に打たれていた人が何人もいたことを。


 私と同じように、色々なところに傷を負っている人が何人も立っている。それに交じって、運悪く頭や胸に矢が刺さって倒れている人もいる。中には誰かをかばって、そのせいで背中に何本も矢が刺さっている人だっていた。


 すぐに、助けがやってくる。

 けれど、それだって限りがある。だから彼らは、真っ先に傷の深い人の方に向かう。助けられる人だけでも助けようとする。

 あるいは、助からなかった人を弔ったりも。


 そうして、気づくとまた、矢の雨が降り始めている。

 その頃には助けにきてくれていた人の姿はなくて、そしてまた私は必死になってその矢を避け続ける。

 身体中におった微かな傷は治療されないままで。


 そんなことが、何度も続く。

 助けにくる人たちも、ただ治療するだけじゃなく、盾を持ってかばったり、一緒に安全な場所に連れて帰ったり。

 ただ、その手はいつも、全員には届かない。


 私は理解する。そうか、人手が足りないのだな、と。

 だから、できるだけ重傷の人から助けようとする。

 当たり前のことだ。


 だから、比較的軽傷の私は、痛みを堪えながら、ただ矢を避けることに集中する。

 何度も、何度も。


 そして、そのうちに。

 ふと気づく。右腕が、動かなくなっている。


 断続的な痛みに耐えながら、どこかで人ごとのように私は思う。同じ場所に傷を負いすぎて、筋がとうとう切れてしまったのだ、と。

 だけど、私に助けの手はまだ届かない。だって周りには、もっとひどい傷を負っている人もいるのだから。


 だから私は耐え続ける。痛みを堪えながら、ただただ矢の雨を避けていく。

 繰り返し、繰り返し。


 そして、私は徐々に失っていく。

 反対の腕を、足を、その他色々なものを。




 ふと気がついたとき。

 私は、地面に横たわっている。

 体はもう、どこも動かない。出血がひどい。痛みは絶えず襲ってきて、それで逆に麻痺してしまったような感覚になる。


 そして、人が次々と去っていく気配がする。

 あぁ、次の雨が来るのだな、と私は思う。そして今回も、比較的軽傷な私は負いていかれたのだ、と。


 だけど。

 そんな比較的軽傷な私も、もう体は動かないのだ。


 そして。

 目の前に、矢が迫ってくる。少しずつ、少しずつ。

 避けようがない。私は理解する。だって、体が動かないのだから。


 だから、あぁ、きっと私は、ここで死ぬのだろう。




 そのときに、私は何を思うのか?

 後悔だろうか、恨みだろうか。誰も手を差し伸べてくれなかったことに対する怒りだろうか。


 違う。

 ただ私は、悟るだけだ。もうどうしようもなく手遅れな状況の中で、ただただ一つのどうしようもないことだけを。


 そう。

 私は、こうなるよりもっと早く、「助けて」と叫ぶべきだったのだ、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

たとえば 九十九 那月 @997

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る