6. Leave the Depth of mind

 亜澄弥生と原岡心音は親友だった。

 まだ幼い頃に青木市へと越してきて不安でいっぱいだった弥生を、迷わず最初に手を差し伸べてくれたのが彼女だったからだ。

 分からなかったことを、彼女が答えてくれた。いつも一緒にいて、たくさん遊んだ。


 そんな関係にも、ヒビは入る。


「弥生! 今日うちであそぼうよ!」

 元気いっぱいな印象を受ける少女が、落ち着いているとも言えるし、おどおどとしているとも言えるようなもう一人の少女に話しかけた。

「うん、心音ちゃん」

 迷うような仕草もなく、間髪を入れずに少女も応えた。


 次の光景。

「ただいま」

「ああ、おかえり。弥生」

「あのね、今から心音ちゃんのい、えに……」

 頭が痛む。甲高い轟音が、頭の中で暴れまわっている。

「弥生? 頭痛むのか?」

「う、ぅ……」

「背中、乗れるか」

 背の高い、顔から若い印象を受ける男に、少女は痛みに苦しみながらもおぶられる。

 少女は昔から体が弱く、頭痛も頻繁に起こっていたようだ。


「ああ……そうだ、ちょうど今から薬をもらいに行く所だったんだ」

 シンクの上にかけてあるカゴを漁ると、しかめた顔で男性は言った。

「弥生、ごめんな。薬切らしてるから、もらいに行こうか」

「で、も……、ここねちゃ……」

「また今度、遊べばいいだろ? 自分の体を、少しは心配しなさい」

 男性はソファーに苦痛の表情を浮かべながら倒れている少女を、そっと持ち上げて玄関から車に乗せた。


 空が段々と赤みがかって来た頃。

 『A.clinic』の文字が書かれた看板が見える建物から、親子と見られる男性と少女が手をつなぎながら、笑顔で外に出てくる。

「院内処方で助かったな……。少しは、楽になったか?」

「うん! ありがとうお父さん!」

「そっかあ。よかった。帰り、そこで買い物寄っていい? 母さんに頼まれててさ……」

 建物の向かいに、市の大型のショッピングモールがある。

「うん、いこういこう」


 全てを焼き払う業火の如き燃ゆる色の夕陽が、二人の親子を照らしていた。



 学校。

 なんだろう。いつもとちがう、ふいんき。

 あ、心音ちゃんだ。

「おはよう、ここねちゃ」



「うわ出た、亜澄チャンだ」

「何?」

 ――いや、『何』て。そんなこと今まで――

「え、っと」



「いいよ。亜澄さんなんてほっとこ」


 ――? え? 何? どうしたの?

「え? っと、おはよう……?」

「なに? 約束無視したくせに、友達風やめてよ」

 もしかして昨日のことだろうか。それならば誤解なのだが。

「あ、……ごめんなさい。昨日は、病院に行ってて」


「嘘つかないでよ! 昨日、誰かといっしょに遊びに行ってたんでしょ!?」

「あ、あれは買い物に付き合ってて……」

「じゃあなんで教えてくれなかったの!?」

「え、と……それは……」

 途端、鐘の音で遮られる。

「じゃーね」

「ここねちゃ――」



 たった、それだけ。

 そこからわたしは、地獄を散々味わった。

 教科書やらペンやら、わたしの所持品が無くなるなんて慣れっこ。

 学校では散々悪口を言われた。それはもう、見たことのない顔の人にも、年月が経てば下級生にも陰口を言われていた。

 進学すればもっとエスカレートしていく。「バレたらマズいっしょ」と薄気味悪い笑い声とともに、服で見えない部分に手を出された。

 おかげで体中に痣や瘡蓋だらけだった。

 親や大人には言えなかった。言って状況が変われば良いが、もう慣れたし、何よりそうなれば大人たちは一瞬でも「原岡 心音は悪者」という意識を持ってしまうだろう。


 たぶん、わたしは彼女を恨んでなんかいない。


 わたしは、彼女とまた。

 もう一度。

 あの日々が戻ってきてほしいって。

 一緒にまた笑えればいいなって、思っている。



 また、そんな思いもきっと。




 「「――建前かも、しれない」」


 ――気が付くと、真っ黒な空間に浮かぶ大地に投げ出され、転がっていた。

 彼の目の前には、その人生を見て来た彼女が、自分と一緒に泣いている彼女が大地の端で何かを見つめながらその小さな体で立っていた。

「――これが心音ちゃんの望むことなら、もう……。そうするしか、ないのかな」

 歩夢に気付いているのか、はたまた独り言か。そんなボリュームで発した声は、震えていた。

「自分で、決めらんねーのかよ」

 起き上がりながら、きっと届いていないだろうとは思いながらも尋ねる。

「わたしが何言ったって、もう、無駄なんだよ……!」

「なんでそこまで抱え込むんだよっ……! たった一人で」

「話したって! わたしの心がちゃんと伝わるわけじゃない……、どうなっちゃうのかなんてわからないからっ――」

「俺ら……気づくのが遅くなっちまったんだよ。本当に申し訳ないって、思うんだよ。――気づかさせてくれよ」


 弥生の影が歩夢の方へ向くと、眼鏡のない顔をグシャとゆがめ始める。


「この気持ちは……あなたにだって」

「あぁ、俺にだって伝わってねえよ」


 歩夢が右手を勢いよく開く。


「だれにだって……ッ!」

「あぁ、分かるはずがねぇよ――人じゃなく死を友達として選ぶやつのことなんてなぁ! 『神器』ッ!!」

 途端、彼女の悲鳴と共に轟音が世界に響き渡り、彼女の姿を無数の黒い物体、即ちヨコシマが一気に覆い尽くす。同時に、歩夢の右手にも白く丸い球体、即ち神器が現れる。


「「「ワタシはベツにッ!! タスケテ、ほシクなんテ、ナイ!!」」」

「っ――! んな犯行声明みてぇなボイスで言われても困るんだよ!」

 ヨコシマの塊は彼女を包んで上空に浮遊していったかと思うと、やがて彼女を中心に、蛇のような形へと変貌していく。

「神器展開――『大槌ハンマー』!」

「神器を展開します、ワイルドは『大槌』を起動」

 歩夢の号令と共に、右手に握られた球体が腕ごと巻き込み、七色の弾け飛ぶ光と共に手先に白いハンマーのようなものを形成する。


「――――――――!」

「ふッ――ゥぉアぁ!!」

 その巨体を引きずる音と放たれる覇気のような轟音を合図に、ヨコシマは目の前にいる獲物を喰らいつこうと地を物凄い勢いで這いずり、一気に近づいて行く。

 歩夢は居合のような間を取り、ヨコシマが近づいてきた瞬間を狙って両手で槌を振るい、巨大蛇の顔面らしき部位に大ヒットさせるが、巨大蛇はひるまずに直進を続ける。

 歩夢が地面に沿って平行移動をしていく。足元が熱い。両足を地面から離すと、大きく逆方向に吹っ飛んでいく。

「――ッが!」

 不格好に吹っ飛ばされた彼は、肩から地に触れ、大きな波を作りながら転がっていく。

「っ――ああ! そンなもんかよ、あんたの『気持ち』ってのはァ!?」

「「「うウううウウウルサい!!」」」

 土煙と爆音を立てながら、ヨコシマが方向転換をする。

「神器変換、『剛腕ナックル』!!」

「神器を変換します、『大槌』から『剛腕』へと構造を移行」

 蛇とぶつかる寸前で、歩夢の腕に白く顕現した神器は形を変え、禍々しい形状をして連なった巨大な『腕』となる。


「うゥ――ルルるァ!!」「――――――!!」

 神器とヨコシマの正面衝突により、時空が歪む。禍々しくも神々しい力の漏れが彼らをうず巻き、衝撃波を生む。

 ――押され気味だ、まずい!

 歩夢が腰をひねり左手を蛇に勢いよくぶつけると、やがて神器が左手にも装着されていく。

 力を込めているはずなのに、肘が徐々に曲がっていく。体のあちこちが、筋線維か何かがブチブチと音を立てて切れていくのが分かる。


「「「――んデ、そコまで」」」

 徐々に歩夢の体への負荷が強まり、ヨコシマに上から押しつぶされるのを下から拒もうとしている姿勢になる。

「っんで、人を……たよれ、ねぇんだよ……! おまえ、らはァ!!」

「「「ひトが、シンジらレナいのッ!! ヒトと、カカわレなイノォッ!!」」」

 悲痛な叫び声とともに、圧がまた一層増していく。

「だからッて……あきらめ、てんじゃぁ――ねぇ!」

「「「アなたガワたシをトめルノハなンデ!? ドうせあナタモそウ! タダのタテまエデしカナイんダッ!!」」」

「あんたが、親に言ってねぇなら尚更だろうが……! お前が死んだとき、お前を失った人はどうなンだよ――! ――」

「「「ソんナノ、シルか! しルカぁァァァああ――――――――!!」」」

 巨大蛇の勢いはついに下からの抵抗する力に勝り、その巨躯で歩夢を半端ではない圧で押しつぶすことに成功した。




「「だってみんな知らないから――。わたしのことなんて」」

 ヨコシマは彼女を開放しようとし、また大地の端へ向かいだそうとする。

「――――いるぞ」

「「――まさか」」

 その一瞬、その小さな声を彼女は捉えたが、ヨコシマたちは緩んだままで、臨戦態勢を早急に取ることが出来なかった。

 この事実は即ち。


「俺が、いる――! あんたの全部を見た、俺がここにいる!!」

 あらゆる方面へ煌びやかで鮮やかな、翡翠色の光が漏れ出し、溢れ出し、また彼のもとに集まり出す。

「あなたがいるから、何だって――」

 瞬間、突風が吹く。

 歩夢が右腕を振りかざす。

 この事実は、即ち。


「俺といれば、死んだ気になれると思うよ」

「――」

 ヨコシマの挙動が、弥生の表情が、一瞬だけひるむ。

 即ち。ヨコシマは排除される。

 歩夢が振りかざした右手から、光が放たれていく――。


 ――颪砲台エメラルドインパクト



 太く、長く一直線上に放たれた翡翠色の光線は、蛇の形をしていたヨコシマを一気に殲滅する。

 そして、亜澄 弥生までも巻き込まれ、やがて――




 ……そう、次にわたしが覚えている景色は、わたしは宙ぶらりんで、彼に、手を握られていて――。

「――。手間、かかりすぎッ……!」

 彼はもう片方の手でフェンスを掴みながら、わたしも彼も落ちないようにして、身を乗り出していた。

 キツイのを精一杯我慢したような笑顔で彼はそう言ったが、バレバレだった。

「わ、たし――……」

「手を全部尽くしてから死ねよ」

 何とも言えない顔をして、彼はわたしを引き上げる。



 引き上げられたから、わたしも狭い足場に膝を片方ずつついた。




 そうしたら、音がして。




 フェンスが破れて。







 彼が、







 落ちていった。

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ビギニング・ザ・デス あおみどり @SPIeCAr

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