5. Die With Me

 一週間ほど前、腹を下して苦しみ、男子トイレにいた時に盗み聞きした情報。

「――亜澄のやつ。学校別に来なくてよくね? 月一とか、もう来る意味なんてねぇだろ」

「それ。てか、ぶっちゃけドMだったりしてな。あいつ、眼鏡外したらワンチ化けるぞ~ふひひ」

「お前きっしょいなあ、そういう妄想だけはかどるとこ……。てか、くさくね」

 その日、廊下やら隣の教室やらでも騒がれていた、『亜澄あすみ』の名前。「うっわーあいつ、久々に見たなあ」「良く学校来る気になれるよねー」「どうせ出席日数足りねーのにな」「つか見てこれ。あいつの裏垢じゃねって噂」「うっわー病み垢みたい! きもいね」「それ。死にたいとか書いてるしもう実質病み垢」「さっさと死ねばいーのにねー」

 彼女が何をしたかは分からないが、正直に言えばもう、全員地獄に落ちてほしかった。


「――っていうのがあって。本当に彼女が自殺を願っているかは分からないけど、十分探りを入れるべきだと思う」

 誰にも聞こえないよう、適度な音量で華蓮に歩夢は伝える。

「……亜澄さん、か。確かに、聞いたことはあるけどよくよく考えてみたら全然知らないかも」

「最近は登校を続けてるらしいし、話聞くだけ聞いてみようと思ってる」

「と言っても、実際に自殺を望んでるかとかも確実なわけではないから難しいとこね」


 最終下校時刻の鐘が鳴る。

「……あいつ、いつ出てくるつもりだ」

 歩夢はひとり、ずっと昇降口の前で亜澄 弥生が降りてくるのを待っていた。華蓮はといえば、用事があるとか言ってどこかすっ飛んでいった。女子の話を聞くんだから、女子がいたほうが遥かに心強かったが。次に登校してくる日が不規則なのでごたごた言っていても仕方がない。

「――!」

 2年A組1番。盗み聞いた限りでは、亜澄 弥生の出席番号だ。割と小柄で、ほんの少しボリュームがあるボブヘアー。噂によればいじめによって切られた髪らしいが。彼女がこちらへ来る。

「……あ、あの。すみません」

「――?」

 ――声が震えるぞ。何て言えばいい。コミュ障発揮してるぞ、変な目で見られてないか。いや見られてるわこれ。恥じることなんてないパターンだ。

「え、っと……。初めましてですよね!」

「――人の顔、覚えてないんです、すみません……」

 そんなことあるか、といった顔を歩夢は浮かべるが、彼女がその大きな眼鏡越しで申し訳なさそうな顔をしていたのを見て、本音だろうと悟る。

「単刀直入に言うんですけど、その――」


「あっれーいじめられっ子の亜澄さんじゃん! 何? 今度は彼氏とかできたわけ?」

 数人の女子生徒が校舎から出てきたと思うと、歩夢達に絡んできた。

「あ……、心音ここねちゃん。これはその、ちがくって」

「君モノ好きなんだね~。言っておくけど、こいつだけはやめといた方がいいよ? ロクな奴じゃないから!」

 女子の一人が、歩夢にもつっかかる。

「――っこ、この人とは、そんなんじゃないからっ!」

 亜澄 弥生がその場の誰より大きな声を上げたかと思うと、駅の方へ一目散に走って行ってしまった。

「アッハハ、なにあれ!」「今のはツボだわ!!」「亜澄にも振られるのは救い無いわ」

 ……ひとまず、家に帰ることにした。


 その夜、歩夢が風呂上がりにスマホを開くと、『カレン』という名のアカウントからメッセージ通知が届く。「一応、情報共有」ということで連絡先を交換しておいたのだ。久々に来たメッセージの相手があの雨田 華蓮だと思うと色々な意味で恐怖を覚えるほどだが。なんて思いつつ歩夢がメッセージを開く。

「あすみさんどうだった?」

「特に無し

 色々あって逃げられた」

「なにしてんだよ」

 スタンプ付きで怒られる。メッセージといえば、雨田は陽キャということもあって偶然亜澄さんのアカウントも持ってて、話も聞ける!なんてことはないだろうか。

「亜澄さんのアカウント

 とか持ってないの?」

「もってたらいってる」

「明日、君が言ってくれないか?

 女子の方が話せると思うし」

「パス」「はらおかにがて」

「はらおか?」

「原岡」「あすみさんいじめてるやつ」

「原岡ここね?」

「しってんのかい」「ノリがにがて」

「愚痴はいいから

 どうしても行けないの?」

「はらおかがいなければ」

 ……色々と言いたいことがあるな、この陽キャ女。

「明日来るかも分からないんだぞ

 そもそも今日だってモデルとか

 忙しかったのかもしれないけど」

「もでる?」「何?」

 ――あ、なるほど。飽くまでも噂ってワケね。どういう過ごし方したらこんな尾ひれがつくんだろうなおい。


 ……翌日夕方、昨日と同じ時間、同じ場所。そしてもう一人の協力者。

「昨日言ったよね!? 私、嫌だって言ったよね!」

「そうは言ってもそいつが来るとは限らねえじゃん!」

「大体そっちが昨日逃したのが悪いんでしょ!?」

「そうさせないために呼んだんだろ、が……あ」

 ガミガミと言い合う歩夢の目の端に、彼女あすみ やよいの姿が映り、彼女もまた、こちらに気付いているようだった。

 そしてゆっくりと昇降口から出てきたかと思った瞬間に全速力で走り出した。

「いや思いっきり覚えてんじゃねエかコラ!!」

 ――十秒で捕まえた。


「きょ、今日はっ、何の用? ですか」

 震える小さい声で亜澄が目の前の男女二人に尋ねる。

「え、っと――。その、昨日はさ」「亜澄さんさ、自殺しようとしてるの?」

 黄昏の時間。ビビッドな夕日の陽に差されたその場に、風が流れる。

 いきなりか、と驚く歩夢はおろか、彼女でさえも目を見開いていた。

「な、なんで――」

「やめてほしい」

 食い気味に答える華蓮だが、その声は、目は、とても真っすぐなものだった。


 少しの静寂が風と共に流れると、弥生は小さく「ごめん」と言って、先ほどとは比にならない速さで駆けて行ってしまった。

「――あの、もっと順序ってものを」

「だって、死んでほしくなんかない」

 少し震えたように聞こえた彼女の声に、歩夢は言葉を無くした。

「……嫌だなあ、この感じ」

「――そうかよ」



「――っは、追い、ついた、あ!」

「ぇ……?」

 しばらくして、歩夢は青木駅までの道のりでとぼとぼと歩く姿を見つけて、華蓮を置いて彼女に向かって全速力で走った。

「なんでさ、こんな帰るの遅いの?」

「コ、コンビニに……」

 歩夢は彼女を真っすぐ見るようにするが、弥生は彼を見ず、目を泳がす。

「あなた、こそ……。その、まだ、わたしに何、か」

「――あのさ」

「ふぇ」

「本当に死のうとしてんならさ」

 彼女の表情が曇る。

「え……と、も、もう行くから――」


 また。


 強い風が吹く。

 藍色がかる空から、強い陽が差す。

 それでも世界は、静寂に陥った気がする。


「俺と、一緒に死のう」



 ――え? この人、今なんて……?


 この瞬間でその言葉だけは、彼女にとって海底に沈んでいく中で上から差し続けた光のように鮮明だった。

「そ、それって」

「んじゃ、またな」

 風と共に、彼はまた走り去っていく。

 彼の後ろ姿を見ながら、ごめんねと心の中でつぶやく。

 ――決心したんだ、揺るぐな、亜澄 弥生。



 それから約一週間ほど、弥生は学校に姿を現さなかった。

 歩夢は亜澄 弥生のいじめの元凶であろう原岡 心音とも関わりを持とうとしたが、いつも妙に彼女には会えず終いだった。

 毎日「どうする?」「まつ」のメッセージのやりとりを歩夢たちは繰り返しながら、彼女ともう一度会って根本的解決を試みようとしていた。


 そして来たる、六月のある日。その日はやってくる。

 昼休み。いつものように一人で虚しい昼食タイムを送ろうと、歩夢が弁当をバッグから取り出す。すると、勢いよく教室の前のドアが開き、汗を垂らした、笑顔か緊迫か良く分からない顔の男子生徒が大声を上げた。

「おい。やべえぞ、亜澄が屋上で」

 言い切る前に、華蓮が席を立つ音で遮る。

 そしてその音が鳴る前にもう彼は、屋上に向かい全速力で走り出していた。


 階段を上り、屋上の勝手口を何故か手こずりながら開く。

 かなりの数の生徒が一点を見つめながら大きくどよめいている。駅で見た光景のようにスマートフォンをその方向に構える人間もいたが、大半はその方向に驚いているように見えた。

 右に振り向くと、多くの生徒が何かを囲うように集まっている。その最前線に、原岡 心音のような高等部も見えた。


「亜澄ィ!!」

 腹にたまっていた怒りをすべて吐き出すようにその名を叫ぶと、周りの雑音がぴたりと止み、何人かの目線がこちらに集まり始める。肝心の亜澄 弥生の姿は囲まれて見えない。

 ――走れ。走れ!


 転びそうな勢いで体を前に倒しながら、なるべく全速力が乗るような汚い走り方をする。たすけるんだ。絶対。

「どけ! どけよ!!」

 人ごみの中を除けようとしても邪魔で仕方がない。声がおそらく通っていないのだろう。

 だが、その間から弥生のシルエットがフェンス越しにあるのが見えた。

「――!」




 ――遺言書も書いた。きっと、こうなるってことも分かってた。でも、すごく。すごく、悔しい。わたしは、本当にもろくてみじめな生き物なんだ。


 後ろの観衆に煽られながら、亜澄 弥生は憂いを帯びたような、それか捨てたような表情を浮かべたままだ。

「ね~、うちらに迷惑かけてないよね?」「おーい、やめた方がいいんじゃねえの?」「テレビの取材とか来るかもね!」「何でそういうことしてんの~?」「ま、どうせ落ちないっしょ!」「じゃ~ね~、亜澄ちゅわ~ん」

 こんなことになったのは、きっとわたしが悪い。きっかけを思い出せないわたしが、一番悪いんだ。

 ――そうでしょ、心音ちゃん? いつも貴女が正しいって、そう思って来たから。これで、貴女も楽になるんだよね? ばいばい――



「亜澄」



 声が、した。



 ふと振り向けば、真っすぐとこっちを見ている目が、そこにあって。



「向こうのフェンスから来た。おまたせ」



 光がまた、そこにある。

「――ぁ」



 感じたことのない浮遊感と、内側からの衝撃。

 ――足を、滑らせた。 もうそこからは覚えていない。いや、覚えていた……?




 数回しか見たことがないはずの、よく見知った顔の彼が、手をこちらに伸ばしていた。

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