すさびる。『夜が消えた日』

晴羽照尊

夜が消えた日


 和紙を通した柔らかい光。スピーカーから流れる囃子。せめてもの救いは、和太鼓だけはやぐらの上で実際に叩かれていること。もちろん、叩いているのはプロなどではない。あれは町内会の会長だ。

 せいぜいが十五メートル四方というところだろう。屋台の出店や、もとからある遊具の占めるスペースを思えば、収容人数は百まで届くまい。そんな小さな町の片隅で、僕は蛍光灯の下、甘ったるいかき氷を舐めていた。サイケデリックな赤が食欲をなくす。

 父親は相変わらず生き生きと声を張り上げている。ときおり僕に目配せをするから気を抜いていられない。僕は可能な限りの笑顔で父に応えた。

 祭りは順調なささやかさで盛り上がっていた。常時二十人弱が、やぐらを囲み、誰一人として整った動きをしていない。走り回る子供。ジュースで乾杯する高校生。お母さんに手を引かれている、泣きじゃくる子供。

 阿鼻叫喚だ。おぞましい。なんだって好きこのんで、こんな人ごみで騒いでいるのだろう?

 ふと、見ると、二つ隣のパイプ椅子に、いつの間にか、誰かいた。

 少女は雰囲気に似つかわしくない赤の着物をしっかりと着込んで、全毛髪を前に垂らして、幽霊になりきっていた。町内会テント内の蛍光灯がなければ声を上げて驚いていただろう。

「あの、迷子、じゃないよね?」

 僕は努めて笑顔で問うた。

 少女はぴくりと肩を震わせて、やがてこちらを向く。怖いくらい目がくりくりだった。

「……お母さんが」

 語る言葉は、言葉以前に、邪気をはらむような暗さとテンポだった。

「え、本当に迷子? 町内会の人にアナウンスしてもらおうか?」

「ちがっ……ます。あの……」

 首だけ生気を取り戻したようにぶんぶん振ると、少女は公園の中央を指さした。

「お母さん、です」

「どれが……」

 クエスチョンマークを言葉に乗せる前に気が付いた。がたがたな盆踊り。がたがたに見える盆踊り。その原因の一つ。

「ああ、あの人」

 ものっそい笑顔で、飛んだり跳ねたりしてる踊り手がひとり。どう見てもあれは盆踊りではない。

「お互い、大変だね」

「お互い?」

「いや、なんでもない」

 彼女が身内の恥を晒してくれたとて、僕まで晒したくはなかった。男の子は恥に敏感なのだ。あの父親も、それくらい解ってほしい。

「おいしい?」

「え?」

 父親を睨んでいたら、今度は彼女から話しかけてきた。

「いちご」

「ああ……いや、おいしくない」

 わざわざ言う必要はなかった貶しだが、とっさのことでつい本音が出た。

「じゃあこっち食べる? ブルーハワイ。……おいしくないけ、ど」

 語尾で彼女はちょっと吹き出した。どこがどう引っかかったかは解らないが、自分で言って、自分で可笑しかったらしい。

「じゃあいちご食べていいよ。……甘いんだよね、屋台のかき氷」

「だよねー」

 朗らかに言う。目を細めると程よい瞳の大きさだ。ありていに言うと可愛い。

 とはいえ、グロテスクな色彩は変わらない。サイケデリックな赤が、サイケデリックな青になっただけだ。崩れていないあたりをさり気なく狙って、一口食べた。感想は変わらない。

 ゆっくりと時間をかけて、僕たちはかき氷を融かした。提灯は、やがて消える。祭囃子が、まだ耳の奥で鳴り響いている。舌にこびりついた、嫌な甘み。

 祭りの後。僕たちは自然とメルアドを交換した。

「あら、男の子と連絡先交換だなんて、成長したのねえ」

 清々しい顔の女性が、彼女に言った。「お、お母さん!」。うろたえる彼女は、やっぱり人間だった。

「お、祭りの日にナンパたあ、俺の息子らしくなってきやがった!」

 父が汗を拭きながら囃し立ててくる。まだ騒ぎ足りないのか、両手に握ったバチを互いに打ち付けるおまけつき。うるせえ、もう祭りは終わりだ。

 しかし、それから僕の毎日に光が射した。それが携帯電話の液晶から発せられるものだとしても、光は光だ。

 あの祭りの後の静けさを、いまでも思い出す。思い出すたびに怖くなる。

 僕はあの日までいったいどうやって、あの暗い時間を越えてきたのだろう?



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