第4話 将来への道案内

 五月の中旬に高校最初の定期試験がおこなわれた。

 自分で言うのもなんだけど、けっこうできた。

 この前、弁天おねえさんと道祖神さんに誓ったとおり、ちゃんと努力をした成果だ。

 もともと第一希望の高校に落ちたのがくやしくて、次は失敗しないようにと頑張っていたから、努力自体は全然苦にならなかった。

 結局、今通っている海浜高校が自分の実力に合っていたんだと思う。

 授業にもついていけてるし、課題の量もちょうど良くて、あんまり嫌にならずに取り組める。

 気のせいかも知れないけど、ちょっと勉強が楽しいと思えるようになった。

 もし、明倫館高校に行っていたら、翔弥さんみたいな頭のいい人でも必死に勉強しないとついていけなかったくらいだから、私なんか、進級すら危うかったかもしれない。

 だから、第一志望に落ちたのも、きっと神様が、私の実力にあったところに導いてくれたのかもしれないなと、かえって良いことのように思えるようになっていた。

 どこの神様だか知らないけど、お導き下さってどうもありがとうございます。

 導くという言葉から、それが道祖神さんのおかげだったんだろうかとふと思ったりもした。

 でも、知り合う前だったから、おそらく関係はないんだろうな。

 聞いてみたところで、『どうせ、おまえさん、わしのことなんか信じておらんのだろう』なんて嫌味を言われそうだ。

 それでも、いちおう試験の結果を報告しておこうと思ったから、私はまた道祖神さんに会いに行った。

 それともう一つ目的があった。

 翔弥さんの悩み事を解決したときに、ご褒美に神様の力を使わせてくれるという約束だったけど、そのときはお願い事が思いつかなかった。

 今日はそれを言いにいこうと思っていつものように栗饅頭を持ってきてみたのだ。

 ショッピングモール裏の用水路沿いの小道を歩いていたら、いつもの岩のところでちょっとしたもめ事が起きていた。

 岩に腰掛けた女子高生にヤカラ系の若い男の人がからんでいる。

 女の子は私がよく知っている制服を着ていた。

 チェック柄のスカートに紺のブレザー。

 胸ポケットに校章のエンブレム。

 ブラウスの襟にも刺繍がある。

 翔弥さんの着ていたシャツと同じ刺繍だ。

 明倫館高校の制服だ。

 ああ、私も着たかったんだよな。

 数学さえなんとかなればな。

 あと歴史も……。

 あと、英語も、かな。

 もう吹っ切れたつもりだったけど、やっぱり実物を見るとため息が出てしまう。

 でも今はそれどころではない。

 助けてあげなくちゃ。

 女の子は膝の上に本を置いて読書をしていたところらしい。

「ねえ、ヒマなんでしょ。いいじゃん、ちょっとくらい」

 しつこく話しかけるヤカラ系お兄さんに、迷惑そうに手で顔を隠しながら応対している。

「いえ、暇じゃないです」

「だってさ、本なんか読んでたじゃん。ヒマあるでしょ」

「暇だから読んでたというわけじゃありません」

「読書なんてヒマつぶしに決まってるじゃん。それにさ、ため息なんかついちゃって、どうしたの。悩み事あるならマジで相談に乗るからさ」

 黒のダメージワイドデニム、ロンTにパーカー、ストリートブランドのキャップ。

 この前の道祖神さんと同じ格好じゃん。

 ちょっと、何やってんのよ、もう。

 女の子が本気で嫌がってるじゃないの。

 ホント、私も含めて、カワイイ女の子にはすぐ手を出すんだから。

 私は駆け寄って、二人の間に入った。

「ほんと、見境ないんだから。女子高生なら、誰にでも声をかけるんですか?」

「あ?」

 ヤカラ系お兄さんが私をにらむ。

「嫌がってるじゃないですか。いい年して何やってるんですか」

「いい年って、オレまだハタチだけど」

「二百歳だからって、ゼロ消してサバ読まなくていいです」

「ちょ、何言ってんの、おまえ。イミフなんすけど」

 もう、めんどくさいなあ。

「いいから、みっともないことしないの!」

 神様のくせに、と言いそうになってぐっと言葉を飲み込んだ。

 知らない人に正体をばらしてはいけないだろう。

 ヤカラ系お兄さんは舌打ちをして私に向かってあごを突き出してきた。

「チッ、なんだよ、うるせえ女だな」

「言葉遣いも悪いし、それに今日はいったいどうしたのよ、それ」

 私はヤカラ系お兄さんの鼻を指さした。

 鼻ピアスをしているのだ。

 変なところまで若者の真似しなくていいのに。

 ヤカラさんが親指で鼻ピアスをこすった。

「なんだよ。オレの勝手だろ。ファッションだよ。ファッション!」

 もう、神様のくせに。

 あれ、そういえば、インドの神様って鼻ピアスしてるか。

 ん?

 じゃあ、いいのかな。

 ちょっと丸め込まれそうになってしまって、私は女の子に声をかけた。

「お尻触られたりしてない?」

 エッと驚きの声を上げて、顔を赤らめながら首を振っている。

「本当? 失礼なことされたんじゃない?」

 ヤカラさんもあわてて両手を振った。

「んなこと、まだしてねえし。つーか、そいつ座ってるじゃねえか。触れるわけねえだろ」

 どうだか。

 セクハラしたんじゃないの?

 やりかねないんだから。

 あ、でも、こうして姿を現しているってことは、今は岩とは分離しているってことか。

 ん?

 じゃあ、やってないってことか。

 なんか、調子が狂っちゃうな。

「ホントでしょうね!」

 勢いがそがれそうで、思わず大声を上げてごまかしてしまった。

「うっせんだよ、めんどくせえ女だな。あーあ、つまんねえの」

 やっと背中を向けてあっちに行ってくれた。

 わざとらしく地面を蹴って砂埃をたてていく。

 ホント、お行儀悪いんだから。

 メンドクサイのはどっちよ、もう。

 せっかく会いに来たのに、なんだかおかしなことになっちゃったじゃないの。

 あとで文句を言ってやるからね。

 ふう、でもまあ、これでひと安心だろう。

「大丈夫だった?」

 声をかけると、女の子が頭を下げた。

「ありがとうございます。知らない人に声をかけられて困ってたんです」

「いいんですよ。本当に何もされてない?」

「ええ、大丈夫です」

 女の子の膝の上に置かれた本には『捕物帖』と書かれている。

 時代劇の小説なんて渋い趣味だ。

 私がじっと本を見ていたら、女の子が岩を指しながら言った。

「あの、ここ、座りますか?」

「え、いえ、べつに。ていうか、そこ、座らない方がいいですよ」

「え、どうしてですか。べつに汚れてはいませんし、意外と座り心地が良いですよ」

「それが罠なんですよ。お尻触られたような感じがしませんでしたか」

「いえ、べつにそんなことは……」

 なんだか今度は私の方が変な人みたいに思われているようだ。

 道祖神さんのことを説明するわけにもいかないし、どうしよう。

 私が言葉を探していると、女の子が言った。

「さっきはこわくなかったですか。ああいう人って、何するか分からないじゃないですか。逆切れされたらどうしようって困ってたんですよ」

「ああ、まあ、そうだけど……」

 知り合いだから、とは言えなかった。

 ヤカラ系の神様と知り合いなんて言ったら、私まで変な人に認定されてしまうだろう。

 なんとかごまかそうとして、思わず樋ノ口屋さんの袋を取り出してしまった。

「ねえ、お菓子食べませんか」

「お菓子?」

 出してから失敗に気づいた。

 いきなり知らない人にそんなこと言われたら、変に思われるだろう。

 尋ねた私の方もなんだか恥ずかしい。

 でも、もう、しょうがない。

「私、鶴咲美森って言います。海浜高校一年生です」

 強引に自己紹介で乗り切ることにした。

「あ、私は新藤絵梨佳です。私も高一です」

「明倫館高校でしょ」と私は彼女の制服を指した。

「はい」

「私、八幡中学だったんだけど、絵梨佳ちゃんはこの辺に住んでるんですか?」

「はい、北中出身です。中学の正門のすぐそばです」

 北中は用水路をはさんで北側の地域にあって、ここから歩いて十分くらいだ。

 交流行事で何度か行ったことがある。

 私は栗饅頭を差し出した。

 本当は道祖神さんのために買ってきた物だけど、まあ、いいですよね。

 あんな騒ぎを起こしたんだから自業自得ですよ。

 絵梨佳ちゃんがにっこりと微笑む。

「これ、樋ノ口屋さんのですね。おいしいですよね」

「あ、食べたことありますか?」

「ええ、よくおじいちゃん達が食べてますよ」

 おじいちゃん達?

「私、ボランティアで老人ホームに行ってるんですよ」

「へえ、そうなんだ」

 絵梨佳ちゃんが二つに割って片方を口に入れた。

 二人そろってもぐもぐ。

 爽やかな風が吹き抜けていく。

 絵梨佳ちゃんが話を続けた。

「私ね、小学生の時、地元の合唱団に入ってて、老人ホームでコンサートをやったりしてたんです」

「へえ、合唱か」

「高校に入って合唱団は引退したんですけど、今も一人でボランティアを続けてるんですよ」

「すごいね」

「私、時代劇が好きでね。おじいちゃんおばあちゃん達と話が合うのよ」

「うちもおばあちゃんが好きだったから、私も結構知ってるよ。印籠出すやつとか、将軍様がお忍びで江戸の街に出るやつとか」

 ああ、定番ですよね、と絵梨佳ちゃんが前のめりになる。

「私が一番好きなのはね、三人組が旅に出る話」

 あ、それ私も知ってる。

「トノサマとセンゴクでしょ!」

 彼女の目が丸くなる。

「え、知ってるの?」

「おばあちゃんと見てたよ。いつもお地蔵さんのお供え物とか食べておなかこわしちゃうんだよね」

 そうそう、とうれしそうに手をたたいている。

「同じ趣味の人がいてうれしいな。私、最近のアイドルよりも時代劇の俳優さんの方が好きだから、学校の友達とかとあんまり話が合わなくてね」

 さっきまで丁寧語だったけど、急に距離が縮まったような気がした。

 私もまさかこんな趣味が合うとは思っていなかった。

 なにはともあれ、おばあちゃんのおかげで友達ができたようなものだ。

 絵梨佳ちゃんは残っていた栗饅頭の半分を口に入れて、右の頬を膨らませた。

 ちょっとハムスターぽくてかわいい。

 保温ボトルのお茶を勧める。

「あ、おいしい。私、苦いのが苦手なんだけど、これは渋みが柔らかくて、なんか甘い感じがするね。すごくおいしい」

 すごくいい人だ。

 私は膝の上の本を指した。

「それ、時代小説でしょ」

「うん。ボランティアに行ったときにね、感想を話すと喜んでくれるんだ」

「えらいね」

 ほめたつもりなのに、絵梨佳ちゃんは急に寂しそうな表情になってうつむいてしまった。

「そう言ってくれるのは美森ちゃんだけだよ」

 どうやら悩み事があるようだ。

 ここに来る人は何かで困っているらしい。

 まあ、道祖神さんの言葉だと、『悩み事のない人はいない』ってことだけどね。

 ボランティアのことで何かあるんだろうか。

「何か困ったことでもあるの?」

 私は率直に聞いてみた。

 翔弥さんの時と違って、同学年の女の子だから、ストレートな方がいいと思ったのだ。

「うん、実はね、進路で悩んでるんだ」

 うわお、いきなり重い話だ。

 明倫館高校の生徒の進路相談なんて、私にできることなんかあるんだろうか。

 でもまあ、翔弥さんの時も話を聞いていただけでなんとかなったから、とりあえず悩み事の内容だけでも聞いてみようと思った。

 絵梨佳ちゃんはぽつりと話し始めた。

「わたし、将来、介護の仕事をしたいと思ってるのよ」

「ああ、老人ホームとか。向いてそうだよね」

 私は率直にそう思った。

 絵梨佳ちゃんが微笑む。

「そう思うでしょ。でも、反対されるんだ」

「え、なんで?」

 だって、今でもボランティアに行ってるくらいなんだから、向いてそうだよね。

「親とか、先生とかがね、やめた方がいいって言うのよ。給料は安いし仕事はキツイし、将来性がないからやめた方がいいって」

 ああ、そういう話は私も聞いたことがある。

 せっかく大学まで行って資格を取っても、すぐに退職してしまうらしい。

 ブラックとかいうやつだ。

 絵梨佳ちゃんがため息をつく。

「ボランティアでやってるのとは違う。そんなに世の中甘くはないって言われちゃってね」

「そうなのかな。私もよくは分からないけど、でも、ボランティアに行ってて、楽しいんでしょう?」

 うん、とはっきりとうなずく。

「すごく楽しくてね、次に行くのが待ち遠しいくらい。おじいちゃん達が話してた時代劇をネット動画で見て、早く感想を伝えたいなとか、一緒に昔の歌を歌うから楽譜探したりとか、そういうことをしてると、本当に楽しいんだよね」

「じゃあ、やっぱり、そういう仕事に向いてるってことだよね」

「でもね……」とつぶやいたきり、絵梨佳ちゃんは黙り込んでしまった。

 楽しいって分かってることがあって、それが将来の仕事にもつながっている。

 だったら、迷うことなんか無いんじゃないだろうか。

 私は自分から話を切り出さずに、絵梨佳ちゃんの言葉を待った。

 お茶を一杯注いでまずは自分で飲んだ。

 もう一杯注いで、差し出した。

「いる?」

 え、あ、と戸惑いながら受け取ってくれた。

「どうぞ」

 お茶でも飲んで、少し落ち着こうよ。

 そういえば、さっき追い払ってから、道祖神さん、どうしたかな。

 出て来にくくなっちゃったかな。

 いや、あの道祖神さんは、そんな遠慮しないだろうな。

 きっと、姿を現さずに、どこかで見てるんだろう。

 あれ、依り代の岩に戻ってるとか?

 だったら、お尻触ってるってこと?

 私は保温ボトルを鞄にしまいながら聞いてみた。

「ねえ、お尻むずむずしない?」

 絵梨佳ちゃんは急に話題が変わったせいか、ちょっと驚いたような顔で返事をした。

「ううん、べつに、座り心地いいけど」

「なら、いいんだ」

「さっきからお尻が気になってるみたいだけど、どうしたの?」

 変な人だと思われてしまった。

 それはそうだよね。

「あー、あのね、その岩ね、呪いの岩なの」

「ちょ、え、本当?」

 彼女があわてて跳び上がって、スカートをおさえる。

「やだやだ、私、ホラーとか、そういうのすごく苦手」

「あ、ごめん、おどかすつもりじゃなかったんだけど」

 困ったな。

 説明しにくいし、信じてもらえそうもないし、どうしよう。

「あ、あのね、ええと……。あんまり座り心地がいいから、お尻がくっついてはなれなくなっちゃうっていう噂があるのよ」

「ああ、確かに、ちょうどいい大きさだもんね。ずっと座っていられそう」

「ほらー、でしょう?」

「ホラー?」

 絵梨佳ちゃんが吹き出す。

「え、ダジャレなの?」

 私はあわてて両手を振って全力で否定した。

「ち、ちがうの」

 めちゃくちゃ恥ずかしい。

 道祖神さんのことはごまかせたけど、これなら正直に話して不思議ちゃん扱いされた方がましだったじゃないよ。

「美森ちゃんて、おもしろいね」

 口元を隠しながら首をかしげる絵梨佳ちゃんがかわいい。

「私ね、人見知りが激しくて初対面の人と話すのが苦手なんだ。でも、なんだか、美森ちゃんとは自然に話せて、悩み事まで打ち明けちゃったりして、自分でもびっくりしてるんだ」

 へえ、そうなんだ。

 ボランティアに行ったりしてて、人と接するのが得意そうなのに、見かけによらないものなんだね。

「ダジャレで気をつかってくれたりして、優しいよね」

 まあ、これは事故なんで……。

 お願いですから、忘れてください。

 私も真っ黒に塗りつぶしますから。

 そういえば、なんの話だっけ?

 ええと、悩み事を聞いていたら、ダジャレの大惨事に巻き込まれたんだった。

 そうだ、介護の仕事を目指すのを反対されているって話だったんだ。

 笑いもおさまったのか、絵梨佳ちゃんが咳払いをしてから、さっきの話の続きを言い始めた。

「まわりの大人の人がね、みんな言うのよ。いい高校に行ったんだから、いい大学を目指して、いい会社に入れって」

「ああ、なるほどね」

 それは分かるな。

 明倫館高校だもんな。

 翔弥さんみたいに東大に合格する人も珍しくない高校だ。

 絵梨佳ちゃんがため息をつく。

「でもさ、いい高校ってなんだろうね」

 うーん、私にも分からない。

 返事に困ってしまう。

「いい高校とか、いい大学って、偏差値だけで決まるわけじゃないでしょう」

 まあ、大人の人は、それで判断するんだろうな。

 明倫館高校は江戸時代の藩校から続いている歴史のある学校で、卒業生にも有名な政治家やら学者なんかがたくさんいる。

 勉強だけでなくスポーツや芸術活動にも熱心だ。

 でも、地元じゃない人に紹介するとしたら、偏差値とか東大合格者数みたいな数字が一番分かりやすいんだと思う。

 我が海浜高校と来たら、歴史は浅いし、有名な卒業生もいない。

 偏差値だって、普通より上あたりで、良くもなく悪くもないと微妙な顔をされるようなポジションだ。

 だからといって何もないわけじゃなくて、野球部は去年の夏の県大会でベストフォーまで進んでいたし、今年もけっこう期待されているらしい。

 学校説明会の時に先輩達は応援団やブラスバンドで盛り上がって楽しかったと話していた。

 数字では表せない良さもある。

 実際にそこで学んでいる生徒にしたら、自分に合う高校が良い学校なんじゃないかな。

 今の私がそうだ。

「実はね、私、明倫館高校落ちたんだ」

 え、と彼女が驚いたような声を上げた。

「今は海浜高校に通ってるんだけど、でもまあ、自分の実力に合ってるみたいで、結構居心地は良いんだ。今回のテストもけっこうできてたし」

「そうなんだ」

「もし、明倫館高校だったら、勉強、勉強で嫌になっちゃってたかも」

「そうかもね。課題がたくさん出て、もうついていけないって言ってる子もいるからね。頭はいいのに、やる気がなくなっちゃってたりとか」

 翔弥さんが言っていた話と同じだ。

「この前ね、明倫館高校の卒業生の人と知り合ったんだけど、その人もそんなことを言ってたかな」

「へえ、そうなんだ」

「うん。その人、東大に進んだんだけど……」

「東大って、あの東京大学?」

 と、その時、思いがけない人がやってきた。

 谷翔弥さんだ。

 話題に出したとたん本人が現れたのでびっくりした。

「あれ、どうしたんですか?」

「うーん、自分でもよく分からないんだけど、なんだか呼ばれたような気がして」

「なんですか、それ」

「さっき、大学から帰ってくる途中に、ふと、ここに寄ってみようかなと思ったんだ」

「ストーカーですか?」

「ちがうよ。勘弁してよ。また新しい秀太の動画見せるからさ」

 それならいいか、許してあげよう。

 もしかしたら、道祖神さんが呼んだのかもしれない。

 人と人を結びつけるのも仕事だって言ってたもんね。

 翔弥さんを呼びにいってて、姿が見えなかったのかな。

 お尻触ってるなんて疑ってごめんなさい。

 私は絵梨佳ちゃんに翔弥さんを紹介してあげた。

「この人ね、谷翔弥さん。さっき話した東大生の人」

「ああ、そうだったんですか。新藤です。明倫館高校の卒業生なんですよね。先輩ですね」

 翔弥さんを見上げる絵梨佳ちゃんの瞳に尊敬の念がこもっている。

 すごいな東大ブランドは。

 翔弥さんが微笑みを返す。

「懐かしいな、その制服」

「えへ、そうですか」

 絵梨佳ちゃん、耳まで真っ赤だ。

 あれ、何、この感じ。

 翔弥さんまで赤くなってるし。

「た、担任の先生は誰?」

 非モテ男子が精一杯ひねり出した感じの話題だな。

 笑っちゃいけない。

「滝沢先生です。数学の」

「ああ、バーコードか。お世話になったな」

「バーコード先生ってやっぱり昔からそう呼ばれてたんですか」

「うん、結構長いんじゃないかな。僕が一年生の時にもういたからね」

「最近は、バーコードが読み取れなくなりそうだって、いつも頭押さえて嘆いてますよ」

「マジか。そりゃヤバイね」

 なによ、二人で盛り上がっちゃって。

 ま、いっか。

 これも人助けになるのかな。

 ……縁結びか。

 なんか私まで顔が熱くなってきた。

 それにしてもいいタイミングで来てくれたものだ。

 私はさっきまで話していたことを伝えた。

「ちょうど今、翔弥さんの話をしてたところなんですよ」

「え、僕の?」

 勉強についていけなくなる話をしたら、翔弥さんがなるほどね、とうなずいていた。

「まあ、みんなどこかでそういう悩みにぶつかるんだろうね。僕の場合は高校で怪しくなって、大学で完全に崩れたって感じなのかな」

「先輩みたいに頭のいい人でも勉強で悩むんじゃあ、私なんかには解決できませんね」

「そんなことはないと思うよ。壁にぶつかったってことは、そこに何か大切な意味があるんだよ」

 どういうこと?

 私にはさっぱり分からない話だ。

「これは鶴咲さんに言われて気づいたんだけどね、できないとか、分からないっていうのはいけないことなんだとずっと思って勉強を頑張ってきたわけだけど、逆なんだよ」

 私、そんな話しましたっけ?

「勉強ができると、子供の頃はほめられたりうらやましがられたりして気分がいいけど、そのうちその程度で満足していてはいけないっていう時期が来るんだよ。知らないことだからこそ知りたい。分からないことだからこそ考えたい。そういう自分の中にある探求心に気づくことが学問への第一歩なんだよ。ね、鶴咲さん」

 あの……。

 もしかして、それって、「『犯人は俺だ! 全部白状するぞ!』と冒頭で宣言しちゃう推理小説はつまらない」のことですか?

 私の説明と翔弥さんの説明はレベルが違いすぎて、聞いてて恥ずかしいんですけど。

 なんだろう。

 今日は災難の日だな。

 さっきはダジャレ事故。

 今度は言ったようで言っていない名言事故?

 あれだ、『パンがなければお菓子を食べればいいじゃない』と言ったと決めつけられているマリー・アントワネットなみの悲劇だ。

 ……それこそ比べたら失礼か。

 絵梨佳ちゃんまでキラキラした瞳を私に向け始めた。

「へえ、すごいね、美森ちゃん。同い年とは思えないね。すごいしっかりした考えだね」

 いやいや、だから、違うんですって。

 私はもっと低レベルな話をしただけなんですって。

「この世には知らないことがいっぱいあるんだよ。前はそれをおそれていたけど、今はそれが楽しくてしかたがなくてね。本に書いてあることとか、学校で教わることを吸収するだけだと、新しいことなんて何も見つけられないしね」

 朗らかに語る翔弥さんの顔を見つめて絵梨佳ちゃんが真剣に聞いている。

「おかげで僕も今は大学に行くのが楽しくてね。鶴咲さんにはすごく感謝してるよ」

 顔から火が出そうだ。

 私が何も言えなくなっていると、絵梨佳ちゃんが翔弥さんに進路の悩み事を持ち出した。

 介護のボランティアに行っていて、将来の仕事にしようとしたこと。

 大人から反対されたこと。

 翔弥さんも真剣な顔で聞き入っていた。

「……それで、いい高校に行って、いい大学に進んで、いい会社に入れって言われちゃって悩んでたんですよ」

「なるほどね。うーん、どうなんだろうな。僕は自分の職業のことはまだ何も思いつかないから、逆に、やりたいことがはっきりしていてうらやましいけどな」

「先輩はまだ考えていないんですか」

「勉強しかしてこなかったからね。でも、鶴咲さんのおかげでいろんなことに興味を持つようになったから、これから自分に合いそうなものが見つかるかなって思うんだ。まだ見つかっていない何かがあるんじゃないかって、期待しちゃうくらいだよ」

 いや、だから、私のことは放っておいてくださいよ。

 あとは若いお二人で……。

 と、思ったら、「美森ちゃんは?」と絵梨佳ちゃんが急に私に話を振った。

 改めて考えてみると、返事に困ってしまう。

「私も自分が何に向いてるかなんて全然分からないな」

 かろうじて言葉を絞り出すと、翔弥さんが思いがけないことを言った。

「鶴咲さんは子供の相手がうまいよね」

 子供の相手?

「うちの秀太が泥まみれにしても怒らなかったし、よく分からないことを言ってても、ちゃんと真剣に相手をしてて、『たっち』が何の意味なのかを理解してあげてたじゃないか」

 翔弥さんがスマホを取り出して新藤さんに動画を見せた。

 積み木を両手に持った秀太君が、「ふたっち、ふたっち」と言いながら突進してくる動画だ。

 最後は撮影しているお母さんと一緒にひっくり返ってウケケケと笑っている。

 あいかわらずかわいいね。

「『ふたっち』って、『はひふへほ』がちゃんと言えるようになったんですね」

「そうだね。『ふたっち』だと、さすがに『ふたつ』っていう意味なのは分かるね」

 翔弥さんが絵梨佳ちゃんに秀太君の『たっち』のいきさつを話すと、ものすごく感動していた。

「すごいね、美森ちゃん。私だったらやっぱり『立つ』とか『タッチする』くらいしか思いつかなかっただろうな。名探偵だね」

 そんなにすごくないですって。

 ホームズじゃないですから。

 私がにやけていると翔弥さんがスマホをしまいながら言った。

「だからさ、子供相手の仕事に向いてるんじゃないかな」

 言われて初めてそんな特技に気がついた。

 確かに私は子供が好きだ。

 友達の弟妹の世話をするのが楽しかったし、街で小さな子供とすれ違うと、なんだかそれだけで心があたたかくなる。

 でも、そういうのって、ふつうのことで、特技とは違うと思っていた。

「僕なんかは、小さい子供とどう接したらいいのか全然分からないな。だから、秀太と散歩するのも最初は困ってたんだよ」

 そうか、そういう人もいるのか。

 絵梨佳ちゃんもうなずいている。

「私も、施設のおじいちゃんおばあちゃんとは話が合うけど、小さい子供の言ってる事ってなんだか分からないですね」

 なんだかいいことを聞いたような気がする。

 私は子供の相手が得意なのか。

「人それぞれ、普通だと思ってることが特技だったりするんですね」

「そうなんだよ。だからさ、新藤さんは今の段階で特技とか好きなことが分かってるんだから、それをやればいいんじゃないかな」

 先輩の言葉に、彼女もうれしそうにうなずいていた。

 翔弥さんがもう一言付け加えた。

「他人のアドバイスって、相手をよく見た方がいいよ」

 どういうこと?

 私の顔に疑問符が浮かんでいたのか、翔弥さんが説明してくれた。

「介護の仕事に反対する人の意見は、それを実際にしている人なのか、そうでないのかで、重みが変わるだろ」

「ああ、ただのイメージで言ってるだけかもしれないってことですか。食わず嫌いみたいな感じ」

 言っちゃってから、ちょっと違うかと思ってしまった。

 翔弥さんも苦笑している。

「うーん、なんていうか、食べ物の場合も、実際に食べた時に、まずいと言う人もいるし、おいしいって言う人もいるし、でも、それって結局、その人の味覚の問題だよね。甘い物が好きな人もいれば辛い物が好きな人もいる。自分とは違う基準っていうだけで、どちらも間違っているわけじゃないし、かといって、どちらも当てにはならないんじゃないかな。相手の基準が分からないと参考にならないんだよね」

 翔弥さんの言葉に絵梨佳ちゃんがうなずく。

「まずいって言われてたお菓子を食べてみたらおいしかった時って、なんか損した気分になりますよね。なんでもっと早く食べなかったんだろうとか、けなす人の意見のせいでありがたみがなくなったような気分にもなっちゃったりして」

 うん、あるある。

 私も友達とアイス屋さんに行って季節限定フレーバーを食べようと思ったら、やめた方がいいって言われたことがある。

 別の日にお母さんと行って、試しに食べてみたらめちゃくちゃおいしくて、でも、もうその日だけで終わりだったから、もっと食べておけば良かったって後悔した。

「学校の先生ってさ、先生しかやったことがないだろ。親もさ、そんなにいくつもの職業を経験したわけじゃないだろ。どうしても、高校生くらいまでは、大人っていうとそのくらいの範囲の人にしか話を聞くことってないから、判断が狭くなっちゃうよね。本物の宇宙飛行士に『宇宙飛行士になるにはどうしたらいいか』って直接話を聞くのって難しいもんね」

 そう言われてみれば、私も家族とか学校の先生以外の大人と進路の話なんかしたことないな。

「介護の仕事ってさ、ブラックだとか、いろいろ言われているけど、でも、全員がその仕事を辞めちゃうわけじゃないだろ。実際にはさ、ほとんどの人がちゃんとその仕事をしているから日本中に介護施設があるわけだよね」

 翔弥さんの言葉に絵梨佳ちゃんがうなずく。

「そうですよね。待遇が悪いとか、体力的にきついとか、問題はあるんだろうけど、みんながいやいや仕事をさせられているわけじゃないんですよね」

 私はふと思ったことを聞いてみた。

「絵梨佳ちゃんは、介護施設の人から話を聞いたことないの?」

「うん、あるんだけど、やっぱりみんなあんまりおすすめはしてくれないかな」

「そうなんだ」

 やっぱり大変な仕事なのかな。

 すると、翔弥さんが横からたずねた。

「一人くらい、やってみたらって言ってくれる人はいないの?」

「施設の所長さんが、将来はうちに来てねって言ってくれます」

 なんだ、じゃあ、決まりじゃん。

 翔弥さんも同じ事を思ったらしい。

「その仕事をしているベテランの人から誘われるくらいなんだから、たぶん、能力だけじゃなくて、人柄とかも評価されてるんだと思うよ」

 先輩に言われて絵梨佳ちゃんが思いっきり首を振っている。

「ええっ、いえいえ、私なんか、そんな」

 見てる私が恥ずかしいです。

「結局、賛成も反対もどっち側の意見も自分じゃなくて他人の考えだから、参考にはならないんだろうね。決めるのは自分だから、自分の気持ちに向き合うしかないんじゃないかな」

「そうですね」

「何味のアイスにするか決める時って、そんなに迷ったり、不安に思ったりする方?」

 なぜか翔弥さんが私の方にたずねた。

「ああ、私は結構、その時の新商品とか試しちゃいますね。失敗しても、話の種になるかなって」

「私、いつも同じのしか頼まないですね」と絵梨佳ちゃんがつぶやく。「失敗したら嫌だとか、お金がもったいないとか、小さいことを考えちゃうんですかね」

 まあ、人それぞれだろうね。

「でも、アイスを選ぶのと、職業を選ぶのって、レベルが違うんじゃないですか?」

 私が言うと、翔弥さんがにこりと微笑んだ。

「そうかな。逆かもよ」

 逆?

「アイスなら自分で決められるのに、職業だと決められないっていうのは、もしかしたら、価値基準がぶれているからなのかもよ」

 価値基準?

 なんかアイスの話が急に難しくなった。

 カチカチに固い高級アイスみたいだ。

 とけるまで少し時間がかかりそう。

「簡単に言えばさ、難しく考えすぎるっていうことだよ。確かに、アイスは失敗してもまた別のを食べればいいわけだけど、職業は一度選ぶと、変えるのは難しい。だから慎重になるのは当然だよね。でも、絶対に変えられないわけじゃない」

「じゃあ、なんで迷うんですかね」

 私がつぶやくと、翔弥さんが首をかしげながら答えた。

「面倒くさいからじゃないかな。案外、それだけかもね」

「でも確かに、面倒って意外と大きな理由になる気がしますね」

 絵梨佳ちゃんもその言葉に同意していた。

 私にもなんとなく分かってきた。

 ふだんいろいろなことを決めるときって、好き嫌いとか、やる気が出るか出ないかで決めていることがほとんどかもしれない。

 ああ、そうか。

 私は思いついたことを言ってみた。

「頭のいい人は理由を見つけようとするけど、たいていのものには理由なんかないですもんね。好き嫌いがあるだけで。それってアイスと同じか」

 私の言葉に翔弥さんがうなずいている。

「うん、そうだよね。で、理由があると偉くて、好き嫌いだけだと、わがままだって言われちゃう。そのくせして、立派な理由で選んで失敗したら、引っ込みがつかなくて、変えられないんだよ」

 本当にそうですねと相づちを打つ絵梨佳ちゃんに向かって翔弥さんが続けた。

「逆に言えばさ、失敗したなと思ったときに、変える勇気があれば、間違った方に行っても、戻ってこられるんじゃないかな」

 うん、そうだ。

 失敗したら終わりって考えるから、自分で選べなくなるんだ。

 失敗っていうのは、間違いを一つ確かめたっていうことなんだ。

 勉強だと答え合わせをして間違いを直すとほめられるのにね。

「でも……」

 絵梨佳ちゃんがため息をついた。

「……他人の意見でも、自分の考えでも、失敗したら、『ほら、やっぱりだめだったじゃん』って言われるじゃないですか」

 うわあ、私も人に言っちゃいそう。

 そういう哀れみの視線に耐えるのが一番大変な気がする。

「結局、失敗して、『そんなのうまくいくはずがない』とか『世の中甘くないんだ』って言われて自分が間違っていましたって謝罪しないといけないんでしょうかね」

 絵梨佳ちゃんがしょんぼりとしている。

「でも、人の意見を採り入れると、失敗したときに、なんか後悔しますよね。自分の思うとおりにすれば良かったって。でも、自分の思うとおりにやってみて失敗したら、やっぱり自分が愚かだったって思っちゃいますかね。だから結局どっちも同じなのかな」

 絵梨佳ちゃんの話を受けて、翔弥さんが首を振った。

「いや、同じじゃないよ。自分で選んで失敗したら、自分で責任を取れるけど、他人の意見を採り入れたときは、その人をずっと恨み続けるし、原因が自分の外にあるから、自分では絶対に解決できないだろ。だから、自分で自分を許せなくなるんだよ」

「ああ、それは苦しいですね」

「そうすると、自分で選んで決める方が、失敗してもそこから学べるし、切り替えもできるんじゃないかな」

 結局、自分が自分に責任を持つっていうことが大事なのかな。

 私は、今まで、自分で決めたことって何があるんだろうか。

 今思えば、高校だって、なんとなく偏差値の高い高校が良い学校だと思って明倫館高校を受けただけだし、アイスですら友達の意見に流されたくらいだ。

 まわりとか、なんとなくでずっとやってきたようなものなのかもしれない。

 一瞬重苦しい沈黙に覆われた。

 大人は少しだけ長く生きているから子供より多くのことを知っているはずだけど、正解を知っているとは限らない。

 少なくとも、成功したことのない人は正解を知らないんだ。

 挑戦しようとする人に対してやめた方がいいという大人は、昔自分が間違えた答えが正解だったんだと思い込んでいるんだろう。

『俺ができなかったんだから間違いないよ』と。

 そういう大人の意見を受け入れないと社会に認めてもらえないなら、それはその社会の方が間違っているんだろう。

 でも、そんな大げさなことに、いちいち立ち向かうのは疲れるね。

 一人の人間VS世の中全部。

 逆らわずに生きていく方が楽なんだろう。

 そういう意味では世の中甘くないというのは正しいんだ。

 なんの経験もない今の私にでも、それだけは分かる。

 だから、絵梨佳ちゃんも迷っているんだろう。

 風が吹き抜けていく。

 さわさわと葉桜が音を奏でた。

 翔弥さんが絵梨佳ちゃんにほほえみかけた。

「だけど、新藤さんなら大丈夫なんじゃないかな」

「え、そうですか?」

「だって、もう自分で答えを見つけたんでしょ」

 顔を赤くした彼女が翔弥さんに満面の笑みを向ける。

「はい、先輩と美森ちゃんのおかげですね」

 うわお、なんてこと。

 背中がむずむずする。

「なんかすっきりしました」

 すっかり明るい笑顔を取り戻した絵梨佳ちゃんに、翔弥さんが思いがけないことを言った。

「鶴咲さんのおかげなんだよ」

 え?

 私?

 今日は私じゃなくて翔弥さんのお手柄じゃないですか。

「僕もこの前鶴咲さんと話をして、もやもやしていた悩みがすっきりしたんだけど、さっき言ったみたいに、誰の話を参考にするのかって大事なんだと思うよ。鶴咲さんは自分の言葉で僕たちの気持ちを引き出してくれるから、なんか素直になれるんだよね」

 え、そうなんですか?

 私、ただ話を聞いて首をひねってるだけなんですけど。

 それに今日は、私の方も自分の特技を教えてもらっちゃったわけだし。

 お互い様ってやつですね。

「美森ちゃん、ありがとう」

 絵梨佳ちゃんにまでお礼を言われると、照れてしまう。

 話し込んでしまって、だいぶ時間が過ぎていた。

 そろそろ帰らなきゃならない時間だ。

 私たちはみんなでスマホの連絡先を交換しあった。

「翔弥さんはどの辺に住んでるんですか」

「北中の近くだよ」

「あ、じゃあ、ちょうどいいじゃないですか。絵梨佳ちゃんを送っていってあげてくださいよ」

「え、僕が?」

「さっき、ヤカラみたいなこわいお兄さんに絡まれてたんですよ」

「ああ、この前いた人か。君の近所の知り合いだよね。ええと……、名前なんだっけ?」

 東大生なのに、人の名前だけは覚えられないんだよね。

「道端守夫さんです」

「ああ、そうそう」

 でも、あんなのと知り合いだとバレたら、せっかく友達になれた絵梨佳ちゃんに嫌われてしまう。

「でも、あの人とは別です。あれよりもっと態度が悪いし」

 つい、ごまかしちゃった。

「あれ以上か、それはこわいね」

 この前は私をおいて逃げちゃったんでしたよね。

 まあ、それは言わないでおこう。

「だから、しっかり守ってあげてくださいね」

 私、世話焼きオバチャンみたいだな。

「あ、あの、よろしくお願いします」

 絵梨佳ちゃんがしどろもどろになりながら頭を下げている。

 分かりやすくてかわいいなあ。

「じゃあ、さようなら。またね」

 二人が手を振って並んで去っていく。

 さて、じゃあ、私も帰りますか。

 と、思ったら、ちょうどそこに弁天様と道祖神さんが二人そろってやってきた。

「あら、美森ちゃんじゃない」

「おう、来てたのか。すまんな留守にしておって」

 私は早速抗議した。

「もう、さっきのはいったいなんだったんですか?」

「さっき? なんじゃそりゃ」

 弁天様も不思議そうな表情をしている。

「あたしたち、今来たところだけど」

「向こうの神社に参拝客が多すぎるからって、わしは、こいつに無理矢理連れていかれてな」

 え、じゃあ、さっきのヤカラ系お兄さんは誰?

 もしかして……。

 本物?

「ああ、あいつか。おまえさんに若者姿を見せてやろうと思ってな。いつだったか通りかかったときに、服装を参考にさせてもらったんじゃよ」

「勘違いしちゃったじゃないですか」

 本物だと分かった途端、急に震えが来てしまった。

「じゃあね、モリオちゃん、あたしはこれで」

 弁天おねえさんが手を振って煙のように消えた。

「あ、あいつ、逃げおったな」

「もう、いるんだかいないんだか、分かるようにしておいてくださいよ」

「無茶なことを言うな。どこに『CLOSED』の札を出しておく神様がおるのだ。『アヤカシ坂のまぼろしカフェ』じゃあるまいし」

 なんの喫茶店よ、それ。

「あれ、じゃあ、翔弥さんは? 道祖神さんが呼んできてくれたんじゃないんですか?」

「この前の大学生か? わしゃ、知らんぞ。あいつが勝手に通りかかっただけだろ」

 え、そうなんですか?

 じゃあ、やっぱりストーカー?

「それはあいつがかわいそうだというものだ」

 私の心を読みとったのか、道祖神さんが笑う。

「あの二人を結びつけたのはおまえさんだ。人と人を結びつける。おまえさんもわし以上に、なかなかやるじゃないか」

「偶然ですけどね」

「出会いなんてみな偶然だろ。偶然に意味を持たせるのが相性というやつだ」

「ということは、あの二人はもともとそういう運命だったってことですか」

「おまえさん、あの大学生を取られてガッカリしておるのか」

「べつにそんなことないですよ。いいことしたなって思ってますよ」

「おまえさんにはイケメンカレシの『二次元君』がおるしな」

 ああ、ハイハイ、そうですよ。

「で、おまえさん、今日はどうしたんじゃ。栗饅頭もないようだし」

 さっき絵梨佳ちゃんとおいしくいただきました。

「この前テストがあったんで、結果を報告に来たんですよ。ほら、勉強頑張るって誓ったじゃないですか。結構良かったんですよ」

 道祖神さんは全然興味がなさそうだった。

「べつにわしは何もしておらんぞ。テストの答えを教えてやったわけでもないし」

 うん、自分の力で頑張りました。

 だからちょっとはほめてくれてもいいんじゃないですか。

「まあ頑張ったではないか。次もしっかりな」

 道祖神さんの言葉は淡々としたものだった。

 なんか期待していたのと違うんだけどな。

 まあ、いいや。

「あの、実はですね。前にお願いを一つかなえてくれるっていう約束だったじゃないですか」

「考えてきたのか?」

「はい」

 私は願い事を言った。

「おばあちゃんにもう一度会いたいんです」

 道祖神さんは目をつむって、ふーむと長く息を吐いた。

「残念だが、それは無理じゃ」

 え?

 どうしてですか?

「死んだ人間は生き返らない」

「それは分かってます。最初にここに来たときにおばあちゃんとお話しさせてくれたじゃないですか。あんな感じでいいんです」

 雨の日の桜の話だ。

 あのときの心の中の映像をなんというのか知らないけど、あんな感じでお話が出来ればそれでいいのだ。

 でも、道祖神さんが首を振った。

「あれは鶴咲さんの残していった伝言だ。あれで終わりだ」

 そんな。

「じゃあ、もう二度と会えないんですか」

 すまんがなと道祖神さんがうなずいた。

「わしにはたいした力はない。鶴咲さんにはいつも草取りをしてもらったり、栗饅頭をごちそうになったり、世話になっておったからな。あれが精一杯のわしからのお礼じゃ。わしにできるのはそこまでじゃ」

 なんだ、そうか。

 がっかりだなあ。

 困ったなあ。

 他にお願いしたいことって、何かあるかな。

「すまんな。せっかく考えてきてもらったのにな」

「いえ、また来ますよ。それに、今日は新しい友達もできましたし、いい話も聞けましたから」

 新藤さんと知り合えたし、私の特技が子供の相手だということも分かった。

 なにより、翔弥さんと新藤さんを結びつけることができた。

 まあ、それでいいや。

「じゃあ、帰りますね」

「栗饅頭をよろしくな」

「はい、分かりました。」

 空の色が濃くなっていて、天にぽっかり穴があいているようだった。

 少し暗くなっていたから、私は大通りを歩いて帰ることにした。

 ショッピングモールの南側にできた新しい道路は広い歩道もあって街灯もついている。

 仕事帰りの人たちの買い物で車の出入りも賑やかだ。

 大通りに面して、大きな鳥居が立っている。

 弁天おねえさんの神社だ。

 小さい頃に来ていたときと雰囲気が変わっている。

 昔は道路がなかったから、南の公園側に小さな鳥居があって、そちらから出入りするようになっていたのに、新しく大通りができてからは、北側の方が正面みたいで立派だ。

 ただ、狭い境内は変わらなくて、赤く塗られたおやしろというか祠というのか、建物もそんなに大きくはない。

 クスノキにうろがあって、小さなお地蔵さんが置かれている。

 前に来たときはこんなのなかったような気がする。

 違うのはそのくらいだった。

 忙しいと言っていたわりに、もう夕方遅い時間だからか、人は誰もいない。

 すっかり暗くなった境内は、違う何かが出そうな雰囲気だ。

「失礼ね。出るわよ、あたしが」

 弁天様だ。

「あ、すみません。暗かったもので」

 言葉とは裏腹に弁天おねえさんは微笑んでいる。

「美森ちゃん、おばあちゃんに会いたいんだって?」

「さっき、聞いてたんですか」

「ごめんね、隠れて聞いてたの。だって、気になるじゃない。モリオちゃんとどんな話をするのかって」

 女の勘とかってごまかさないんだな。

「会わせてあげようか、あたしが」

「え、できるんですか」

 弁天おねえさんが微笑みながらうなずいた。

 やったあ。

 ありがとうございます。

「でもね」

 私に顔を近づけて、人差し指を立てる。

「あなたの望む通りになるとは限らないけど、いい?」

「どういうことですか」

「今言った通り。あなたの望む通りになるとは限らない」

 だから、どういう意味なんだろう。

 おばあちゃんに会える。

 でも、それは望む通りにはならない。

「会わない方がいいっていうことですか」

 弁天おねえさんは返事をしてくれなかった。

 少し不安になってしまった。

 おばあちゃんに会うのはいけないことなんだろうか。

 ちがう。

 そんなはずない。

 そんなはずないよ。

 だって、私、おばあちゃんが大好きなんだから。

 そりゃあ、栗饅頭なんか大嫌いなんてわがまま言っちゃうような孫だったけどね。

 でも、私が迷ってたら、おばあちゃんに悪いよ。

 決めた。

 会うんだ。

 私はおばあちゃんに会いたいんだ。

「会うにはどうしたらいいんですか?」

 弁天おねえさんは私の胸を指した。

「まずは、心の中で願うの」

 え、それだけ?

「願っていれば、会える。いつかね」

 いつかっていつだろう。

「それはあなたしだい。そしてね、モリオちゃんには内緒」

 さっき断られたんだから、そうしておいた方がいいんだろう。

 私がうなずくと、弁天おねえさんが微笑んだ。

「それと、あと一つ……」

「何ですか?」

「おばあちゃんのお財布の中を見てみること」

 え、お財布?

 私は病室でおばあちゃんからお金をもらった時のことを思い出してしまった。

 罪悪感がわいてきてしまう。

 今でも気持ちの整理がついていない。

 あれは素直に受け取って良かったんだろうか。

 あれが正解だったんだろうか。

「大丈夫よ。心配ないから」

 心配ないって言われると、よけい心配してしまう。

「おばあちゃんがお金をくれていたことにはちゃんとわけがあるの。だから、それを知るためにも、見てみなくちゃ」

 お金をくれたわけ。

 理由……。

「そんなのがあるんですか」

「あのね……」

 弁天おねえさんが私の頬をそっとなでてくれた。

 気がつかないうちに、私は泣いてしまっていたらしい。

「おばあちゃんと最後に会った時の言葉、おぼえてる?」

 なんだっけ。

 なんか不思議なことをつぶやいたんだった。

『さんばんめ』

 そうだ。

「『さんばんめ』って言ったんです。でも、もしかしたら聞き間違いで、『さんまんえん』だったのかも」

 弁天おねえさんがほほえむ。

「どちらもはずれ。おばあちゃんはね、『さんにんめ』って言ったのよ」

 三人目?

 そうなのか。

『さんにんめ』だったのか。

 でも、何が三人いたんだろう。

 誰のことなのかな。

 私の頭の中に疑問が渦巻く。

 混乱していると、弁天おねえさんが私をぎゅーっと抱きしめてくれた。

 不思議と気持ちが安らぐ。

「じゃあ、またね、美森ちゃん」

 またぽわんと消えてしまった。

 いい匂いだけが漂っている。

 もう夕飯の時間だ。

 早く帰らないと。

 それにしても、どういうことなんだろう。

 おばあちゃんのお財布を見るのはあんまり気がすすまない。

 べつに泥棒をするわけじゃないけど、人のお財布をのぞくのは良くない気がする。

 でも、そこに何か意味があるのなら、私が自分で確かめなくちゃいけないんだろう。

 弁天様の言っていることはそういうことなんだと思う。

 翔弥さんも言っていた。

 自分で決めて自分で責任を取る。

 そうしよう。

 私が決めたんだ。

 調べてみよう。

 私は鳥居を出て一礼してから家路についた。


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