遥かなるサウィン祭

碧美安紗奈

遥かなるサウィン祭

 世界中に死者の霊が戻りだしたのは、その年の十月下旬のことだった。

 最初、人々は今や世界的に浸透したハロウィンのいたずらかと思ったが、すぐにそうでないことを悟った。

 死者たちはあまりに多数だし容姿も記憶も故人と瓜二つ、科学的な観測を超えたいわゆる生物ではない霊的な存在で、決して誰かの仕掛けではあり得なかった。


 かといって、全員がよみがえったわけではない。戻ってきたのは、今存命の人が再会を望んでいる故人たちだけだった。


「また会えてよかった」

「言い残したことがあったんだ」

「あのあとどうしてたの?」


 もとより争う理由の少ない生者と死者の再会は、そんなことを語り合う穏やかなものだった。ためにか、さして大きな混乱にもならなかった。


 ある著名な超常現象研究家は、この事態についてメディアでこんな推測を披露したものだ。


「ハロウィンはもともと古代ケルト人の、一年の終わりと始まりを祝うサウィン祭が起源。この時期は、現世と霊界が繋がれ、死者たちが生者を尋ねてくるとされていました。望ましくない霊も徘徊するため、ケルトの人々はそれを遠ざける工夫をしていたともいいます。この祭り自体にその効果が残っていたため、生者が望む霊魂だけが現れたのではないでしょうか。なぜ今頃になってこんなことが起きたのかは不明ですが」


 釈然としないところはあるものの、多くの人々はそんな解釈を受け入れ、故人との再会を喜びあった。

 が、まもなく新たな混乱に陥ることにもなった。霊たちは、なぜ自分たちがかつてない規模でいっせいによみがえったかを直感的に自覚していたからだ。

 その理由を、やがて彼らは言いにくそうに生者たちへと語った。


「あの世との境界が曖昧になる効果がかつてない規模で、どうして起きたのか。それは、生者もみんな死んで、死後の世界にいく日が迫っているからなんだ」


 つまり、人類滅亡の日が近いとのことだった。


 しかし、生者たちも薄々それに感づいてはいた。死者たちもまた、生前の経験上理由をなんとなく自覚していたのだ。

 人類の度重なる愚行、それがついに限界に達したのではないかと。帰還を望まれなかった死者たちの怨念もそんなことを物語っていた。


 今回のハロウィンが最初で最後、最大で最高規模のサウィン祭になるのだろうと。全人類が絶滅を迎える記念となるのだから。


 このことを聞かされた人々は絶望しただろうか。自暴自棄になって荒れ狂ったのだろうか。


 わたしは、そうではなかったのではないかと思う。

 あくまで個人的な観点でしか世界を眺められないので、死者たちとの再会が生者たち全体にどんな変化をもたらしたのかは詳しくは知らない。あまり留まって世の行く末を眺めてもいられなかったので、どうやったのかも具体的に知らないが、生者たちは諦めずに、何とか破滅を逃れたらしい。


 それだけは確かだ。

 なにせ十月三一日のハロウィン当日を越えて、十一月になっても人類滅亡の日は訪れず、死者たちは黄泉の国に帰ったのだから。


「まだこっちにくるには早いよ」

「やり残したことがあるんじゃないの」

「現世の問題はわたしたちには変えられない」


 死者たちのそんな言葉に、生者たちは動かされたようだった。

 現世がこのときどんな苦境に立たされていたのか、故人たちには把握しきれなかったが、生者たちは何かに向けて努力し始めていたように見えた。


 そんな死者の一人として再び現世を去ったわたしにも詳細はわからないけれど。

 いずれ彼らが天寿を全うしてこちらに来たのなら、いったいどうやって絶望的な状況を回避できたのか、聞いてみようと思っている。


 わたしたちには関与できない。死んでからまた会えたとはいっても、結局別れは再度訪れたのだから。

 現世の人々の難局を乗り越えられるのは、今生きているあなたたちなのだから。

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