島の奉

阿尾鈴悟

島の奉

 不思議な体験だった。

 当時の私は、当てもなく旅をしていた。大学の研究室から逃げ出し、足と気の向くまま、日本各地を彷徨っていた。

 その旅先の一つ──とある島を訪れた時のこと。


 島はお世辞にも観光地とは言えない場所だった。

 漁港と山、島民が暮らす住居がいくつか。学校もなく、子供たちは、毎日、別の島まで通学していた。

 確かに人々が暮らしているのに、鳥の鳴き声しか聞こえてこない。それは、どこか、今も聞こえる、心臓の鼓動を思わせた。


 予約もせずに、島、唯一の民宿を訪れると、女将さんは驚きながらも、快く部屋を貸してくれた。

「ほとんど開店休業ですから」と、女将さんは自嘲した。


 民宿には女将さんの他、料理を担当する旦那さんと、小学校半ばの娘さんが住んでいた。

 滅多に見ることのない島外の人間である私に興味を持った娘さんは、外の話を聞きたがった。訊くと、どうやら、この島と学校のある島にしか行ったことがないらしい。

 幸い、私には旅の話があったから、ロビーのようなスペースで、面白いと思った話や思い出深い話をいくつか聞かせた。

 彼女は目を輝かせて聞き入っていた。


 お互いに時間を忘れ、気付くと、夜の深い場所、一歩手前にいた。女将さんに寝るよう促された娘さんは、興奮冷めやらぬ様子で、最後に私へ向き直る。

「明日、学校、休みなんだ。私が島を案内してあげる!」

 私は微笑む。

「ありがとう。でも、町は一通り見てきたよ」

「それなら、秘密の場所に連れてってあげる!」

 特に予定などありもしないのだから、私としてもその方が有り難い。

 私は視線で女将さんに了承を取り、去って行く二人の背中を見送った。


 翌日、娘さんに案内されたのは、町を外れ、山の下の方を回るように木々を抜けた先──小さいが狭くはない、全くの別世界かのように美しい浜辺だった。

 海の透明度が高い。潜らずとも海底が覗けるほどに。長く見ていると、空気と海の境界が曖昧になって、吸い込まれてしまいそうになる。

 砂は白く、きめ細かい。寝っ転がって風に吹かれるだけでも、気持ちの良い時間が過ごせそうだ。

 けれど、私たちしか人はいない。

 きっと、島民たちは慣れてしまっているから。

 きっと、島の外には知られていないから。

 私はこういう物を探したくて、研究室を飛び出したのだ。


 年に一度、島では祭りが行われる。

 何でも、起源が分からないくらい遙か昔から続いている、島民にとって大切な祭りらしい。

 ちょうど、私が滞在している期間にそれはあった。


 娘さんからその祭りを聞いた私は、見学したい、と女将さんへ何と無しに言った。

 すると、彼女は困ったように苦笑を浮かべた。

「ごめんなさい。それはできないんです」

「どうしてですか?」

「見るのは神様だけだからです。私たちが奉り、神様が見る。そういう祭りなんです」

 なるほど、と私はうなずく。つまり、神でない私には、見学する資格がないということらしい。

「それなら、参加は出来ませんか?」

 私の提案に、女将さんは目を丸くした後、顎に手を当て小首を傾げた。

「いいんじゃないか?」

 聞いていたらしい旦那さんが、厨房から顔を出し話に入ってきた。

「長老には俺から話しておくよ」

「でも……」

「大丈夫だろ。ただ、記録やなんかはしないでくださいね」

 それっきり旦那さんは引っ込んで、再び小気味良い包丁の音が聞こえてきた。


 祭りが始まる。

 夜、人工の光が失われた町の各地に、橙色の暖かな松明の火が灯される。ぱちぱちと音を立てながら揺れる数多の灯火が一カ所に向かって動き出す。

 私も民宿の家族とともにその場所へ向かう。

 目指すのは、例の美しい浜だった。


 着くと、不規則でありながら、規律をもって浜に並び、次々に明かりが消されて行った。

 近くにいるはずの家族の姿も見えなくなる。

 途端、様々な感覚が鋭くなる。

 波の音。枝葉の音。

 草木の香り。海の香り。

 ここは陸と海が交わる場所──

 にわかに奇声が上がった。日本語ではなく、そもそも言語ですらない何か──根本から違っている、うねりのような音だった。

 島民たちの間に、同じ声が広がっていく。次第に大きくなるうねりは、うたっているようにも聞こえた。

 海と、山と、人との合唱。

 それは純然たる神との会話だった。

 すぐ近くから、ずいぶんと聞いた娘さんの声でうねりが聞こえる。女将さんも、旦那さんも、私以外、この場にいる誰もがうたっている。

 だから、私も彼らのマネをしてみる。

 ヘタクソな──それこそ、奇声のような声しか出ない。

 それでも、私はうたい続けた。


 以来、私は、全国を祭りを中心に回るようになった。

 最高の祭りなんてない。

 最低の祭りという物も存在しない。

 神と触れあうこと。それだけで──それこそが祭りには重要なんだ。

 例え、本当は神などおらず、全て我々の自己満足だったとしても、満足できたなら、それだけで素晴らしいと思う。

 だから、私にとって、全ての祭りは、皆、等しく最高なんだ。

 もう、十年以上も前の話だ。

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島の奉 阿尾鈴悟 @hideephemera

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