最後のパンデミックフェスティバル

乱輪転凛凛

第1話

あの誰かに握られるのを待っていたかのような右手。


花火が彼女を照らす。


あの右手に届くことが出来たら、僕の運命は変わっていたかもしれない。


出来なかった。


あと10センチほど左手を動かすだけの勇気が僕にはなかった。


最後の花火が終わった。



「新型肺炎の影響で宇治川の花火大会は中止の見込みです」テレビのキャスターが言った。


「感染拡大予防の観点から仕方ないとはいえ、少し寂しいものがありますね、しかし自粛が過度なような気がします」別の出演者が言う。


「仕方ねーだろ。お祭りに行ってウイルスが拡がったら寂しいところの騒ぎじゃねーし」

僕はテレビを見ながらつぶやいた。


しかし、僕は内心ホッとしている部分もあった。僕は一年前友達と一緒に宇治川の花火大会に行った。


その連れ添った友達の中には僕が好きな子がいた。好きと言っても付き合ってもいない、完全な片思いだが。


その子と花火大会で集まってまた会えるという期待と、集まってもまた会えただけになるという不安が渦巻いていた。


「みんな大学生なんだからお祭りでもやってくれねーと、誰も地元に帰って来ないって……」


それでも中止


ま、ただでさえ惨めな僕たちの青春はこのウイルスで完璧にトドメを刺されるわけだ。


僕は自嘲した。


スマートフォンに通知が入った。


それは彼女からのメッセージだった。一年前花火大会で集まる時に作成したLINEグループ。最後のメッセージは一年前のものだ。そのグループチャットに新しくメッセージが入った。



久しぶり! 花火大会みんなでしない? ネット上で


と書かれていた。


どういう事だよ、と思った。昔から発想がエキセントリックな奴だったが……


ま、そう言えばこんな奴だったよな。僕はなぜだか一人納得した。


チャットは続いた。


みんなで集まるってどういうふうに?


一人一人お酒とか花火とか買ってきてそれをSkypeとかテレビ電話でみんなで共有しながら楽しもうよ


ヤバ。面白そう!


ほら、私達大学生になってからみんなバラバラだし、集まるのも大変だし


花火大会があるならみんな集まるかもって思ってたけど中止になったよね。だったら私達だけでネットの花火大会をしよう!


絶対参加する!


チャットは盛り上がっていた。


僕はチャットは一旦放置して大学に行くことにした。


「はぁ? 休校?」僕は大学の校門の前で思わず叫んだ。


大学の門は閉ざされ「新型肺炎ウイルスのため臨時休校します」との張り紙があった。


僕が友達の多いリア充なら友達からの連絡で早めに分かったのだろうが、いかんせんボッチ学生。ここに来て情報収集能力の低さが露呈したわけだ。


僕は家に帰ることにした。駅のホームに着く。ほぼ全員がマスクをしていた。僕だけがマスクをしていなかった。思わずカバンからマスクを取り出して顔につけた。


謎の同調圧力というやつか。もともとサージカルマスクを日常的につけてる日本人がパンデミック気味になると、そりゃこうなるわな。僕は思った。


電車に乗る。


座席に座ってスマホを取り出し、さっきのグループチャットを見た。


彼女……春奈がメッセージをしていた。


直人くんもくる?


どうやら僕がなかなか返信をしないのでしびれを切らしたらしい。


僕は


めちゃくちゃ面白そうじゃん! 行くよ当たり前じゃん


と返した。


そしてスマホの電源を落とした。


目の前には幽鬼のように顔面蒼白で不機嫌そうなサラリーマン達がいた。全員マスクをしていた。こんな時でも出勤しないといけない。遠からずの未来に僕もこの幽鬼の仲間入りをするわけだが。


電車が動き出す。僕は人知れずマスクの中、誰にも分からないようにため息をついた。


再びスマホを見た。僕以外のメンバーのチャットは盛り上がっていた。ネット上での花火大会か。なんでまたよりによって今年が中止なんだ。心の中で愚痴を吐いた。


しかし、愚痴ってばかりはいられない。せっかく春奈が前向きになるように企画してくれているんだ。そう頭を切り替えた。


当日までに僕は準備を整えた。僕は実家暮らしだったが、母親に庭で花火をしたい旨話したら母親はいい顔をしなかった。


「ご近所様からなに言われるか……」まぁ心配するのはごもっともだ。僕は宇治川の花火可能な河川敷まで自転車で行きそこで花火をすることにした。


準備はノートパソコン、花火一式にモバイルバッテリー、ランタン、強力な蚊取り線香、ソフトドリンクやお菓子などを揃えた。


あとは当日を待つだけだった。


春奈は東京の大学に行った。そう聞かされた。ネットの画面越しでも彼女の姿が見れるならそれでもいい。そう思った。


スマホを見た。春奈の友人の友美からメッセージがきていた。


ごめん。春奈のことでみんなに言わなくちゃいけないことがあって


春奈結婚するんだって、だから今度するネットでの花火大会に出れないって


春奈も突然プロポーズされたから……2年間の付き合いみたいで……みんなには申し訳ないって


みんなには春奈の結婚祝ってあげて欲しい


僕はスマホを見ながら微動だにしなかった。意味が分からなかった。


静かに心臓だけがバクンバクンと打っていた。


僕はその日眠ることが出来なかった。


朝になり再度スマホを見た。


花火大会どうする?


春奈いなくてもやろうよ。じゃないと逆に春奈が気を使っちゃうじゃん


どうせみんな準備してたんだからやるか!


など、春奈が不在でもみんな実施するみたいだった。


僕はスマホを電源を落とし、ため息をついた。


結婚ってつくづく卑怯な単語だと思う。


おめでとう! 以外の言葉を認めてくれない。それしか言うことが出来ない。その言葉によって誰かが傷ついても結婚式場のチャペルの鐘が全てを有耶無耶にする。


僕はメッセージを返さなかった。そして冷静になるため深呼吸をした。今日は1時限目から講義がある。


僕はカバンを持って大学に行くことにした。


「はぁ? 休校?」校門は閉ざされていた。そうだった。学校はこの前からずっと休校だった。


駅に行き電車に乗った。目の前には幽鬼のようなサラリーマンがいた。いつまでこの光景が続くのか。


僕はスマホを見た。そして返信した。


結婚するんだったらしょうがないよな。俺たちは俺たちで楽しもう!


メッセージを送った。


花火大会当日の夜、僕は電車のカゴに荷物を載せ宇治川まで自転車を走らせた。人っ子ひとりいなかった。


僕はランタンをつけながらノートパソコンを広げた。


「えーやば。みんな集まってる?」


「俺家の庭でやってるわ。もうビールいただいてまーす」


「えっ? 凄いオードブル食べてんじゃん」


「自分で焼きそば作ったわ」


各々食事を持ち寄り画面内で集合した。


「カンパーイ!」僕はソフトドリンクで乾杯した。


蚊取り線香をつけながら宇治川を見る。新型肺炎が広がってなかったらこのあたり一帯、人の山だっただろう。


「でも、春奈もひどくなーい? だってあの子が言い出しっぺなのに参加しないって」


「えっ? 春奈って誰と結婚したのかな? 同じ大学の彼氏とかかな」


「なんでも有名企業に勤めてるエリートらしいよ。先輩の紹介で知り合ったって……」

女子達が口々に春奈の噂話をしている。


ふと分かった。僕がこんなに落ち込んでいたのかが。


なぜ春奈は付き合ってる人がいるって言ってくれなかったのか。


友達だと思っていたのに。


いや、別に友達だからって全てのプライベートを明かす必要なんてない。隠し事だってあっていい。でも、一言そう言ってくれたらこんな想いに一年以上焦がされることも無かったのに。


どうしようもない愚痴だけどそう思わざるを得なかった。自然と涙が出てきた。自分が情けなくて、心が持ちそうになかった。春奈はいつも引っかき回す。そこが魅力的だったのだが。


「ちょっとトイレ行ってくるわ」僕は宇治公園の公衆トイレに入った。洗面台の鏡の前で泣いた。


そして河川敷に戻った。


「ずいぶん長かったな」男友達が喋りかけた。


「お前春奈ちゃんのこと好きだったんじゃねーの?」


「違うって。やめろ」


言い当てられた。僕は表情を見られないようにカメラを宇治川の方に回した。


一年前の花火大会の時、また一年後があると思った。また会えると。届かなかった彼女の右手。例えそれに触れていたとしてもこの恋は叶わなかっただろう。もうその時には彼女の心の中には別の誰かがいたんだから。


届かなくて良かった。もし彼女の右手に触れていたらどちらも深く傷つくことになっただろう。


僕はうつむいて泣いた。


「えっ? 直人お前泣いてんの?」


「直人くんどうしたの?」


「えっ……」


「直人くん……」


みんな静まり返った。


「ごめん……みんな……楽しい雰囲気台無しにして……」


「泣かないようにしてたんだけど……みんなとこうやって集まれるのが嬉しくて……」


本当だった。こうやって集まれる友達。それが……本当に大事なものだった。


僕は空を見上げた。暗い闇の色。その闇が涙で滲んだ。


ただ心残りだった。彼女との思い出があれで最後だと考えると。


僕が空を見上げていると一筋の炎が空へと昇った。


大きな花火が空に咲いた。


そして続くドーン! という衝撃音。


僕は啞然としていた。


「え? 今の花火?」


「え? 花火大会中止になったんじゃ」


「あれ本物の花火だよね。ロケット花火じゃなかったぞ」


口々友達が言う。どうやら友達も見ていたようだった。


それっきり花火は上がらなかった。一発だけだった。


きっと誰かがこの世間の陰鬱な空気を花火で変えたかったんだろう。僕は勝手にそう思った。


そして花火の上がったこの空を見知らぬ誰かも見ていただろう。多くの人とこの空で繋がっている気がした。


そして思った。


もう下を見て泣くのはやめようと。


前を見て泣いても、きっと転ぶだけだ。


もし泣くなら空を見上げよう。それなら誰かと繋がる事ができるかもしれない。


空に起きる花火を一緒に見ることができるかもしれない。


そう思った。

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