ミラーボールに映る、君と君ではない誰か

南雲

 フロアに流れるダフト・パンクの「One More Time」に合わせて、君は体を揺らした。僕は、その場に立ち尽くして、君を見失わないように目で追っていた。映った君の姿ごと、ミラーボールを天井から切り落としたい気持ちになった。


 最初に僕が君と出会ったのは10年前で、そのときも君はクラブに居て、「One More Time」を踊っていた。そのころ、洋楽マニアだった僕はダフトパンクが大好きで、彼らの曲を何度もかけた。しまいには、レジデントの人に怒られていた。

 そんなことを毎回繰り返していたら、ある夜君に出会った。僕が見かける時、君はいつでも踊っていて、周りの目なんて気にしてなくて、そして一人だった。はじめは何とも思っていなかったけど、その夜からずっと、ここから毎日毎日君を見掛けた。僕のセットリストはいつの間にかダフトパンクだらけになっていた。


 あの時はダフトパンクって有名だったけど、今となってはほとんどの人は知らないみたいだ。君の周りのほとんどはただ立ち尽くして、踊る君を見ている。今の僕のように。


「いませんか?」


「いない。クソ、どこ行きやがった」


 警備員らしきこわもての男が前を通り過ぎた。

 彼らが僕の前からいなくなるまで、僕は激しく首を振って、音楽に乗るディスクジョッキーになりきった。じき本当のdjがここに戻って来て、僕は追い出されてしまうだろう。


 君はクラブで踊るのを隠したがった。

 

 ある日僕は彼女に会った。出勤前の、外に出るには早すぎた時間、雨の強く降っている朝、忙しそうに走る君の後を僕は追いかけた。変態的な妄想が僕にあったことは認める。

 君は唐突に振り向いた。僕は慌てて、隠れるため銀行の影に身を潜めた。その時、君の手から書類がばさばさと音を立てて落ちた。

 君も僕も会社員だったから、初めての出会いは何の変哲もないものだった。

 ただ僕は違った。

 吸い寄せられるような無意識に引かれて僕は彼女のもとに走った。急に走り出したから、紙を拾う前に僕は転んでしまった。恥ずかしかった。さらに、その時の僕の目には一瞬のことだったけど、スカートの中が見えた。見てはいけないものを見てしまった気持ちで、思わず顔を伏せた。


「えっ? ちょっと、大丈夫?」


彼女は驚いて、手を差し伸べた。


「あっ、えっ、はい、あの、大丈夫です」


「そう、いきなり転んでたから…ふふっ…」


 心配そうな顔が、すぐ笑顔になった。

 笑われたけど、君の笑顔が素敵すぎて、恥ずかしかったことは頭から飛んだ。


 僕らはすぐに付き合い始めた。付き合うまでにいろいろな努力があったことは省略して、すぐに付き合ったってことにしてもらいたい。

 付き合って3か月たっても、僕はクラブdjをしているんだということは話せなかった。君も、自分からクラブの話はしなかった。するのは決まって仕事の話や上司の愚痴で、趣味のことすら満足に話せないのかと、会話の後でいつも悲しくなった。


 いつこの距離感を壊せるだろう…


きっかけはすぐにやってきた。僕が、――――――――


 痛みを感じてうずくまる。幸いdjの異変に気付く人はいないようだ。

 余命を宣告された人間にとって、時間は短い。その短い時間の大部分も、痛みとの格闘ですり減っていってしまう。もう僕には時間が無かった。

 病院を抜け出して初めて、外の空気のおいしさを知って、フロアのうるささを知った。お腹に響くキックの重低音で、僕はふらふらになっている。


 僕は、君とフロアで出会わなければならない……


 痛みをこらえながら君を見た。君は色とりどりの光に照らされ、指先まで聞こえてくるリズムに乗っていた。外は夜中の1時を回って、何もかもが静まっている。付き合っている頃に君が教えてくれた君自身は、もう明日に備えて寝ているはずだった。今、僕の前に立つ女を僕は知らないはずだ。何か、知らない君になっていた。それを嬉しく思ったけど、その一方で悲しくもなった。


 もう無理なのかもしれない。僕はもう人に見つかって、フロアはざわざわし始めている。追い出されるのも時間の問題だろう。そして、二度と会えなくなる。


 君を見ていて思った。

 それでいいのかも。

 彼女はいつも一人だ。身を任せているのは音楽と、この場の空気だけ。彼女は完全無欠だ。少なくとも僕の目にはそう見える。

 曲が終わりに近づいてきた。彼女は一番の盛り上がりを終え、ゆらゆらと横に揺れる。フロアが一瞬静まる、これでいいんだ。僕の意識が遠のいていく…


…だめだ。


 僕は倒れる体を、最後の力をふりしぼり、きらびやかなコントローラーが乗っている台の後ろにかろうじて隠した。彼女に見えないように。

 すぐに警備員が来た。


「お前か」


「やっと見つけたぞ。パーティーを騒がせやがって」


「………」


 両脇を警備員に抱えられながら、消える意識の中で僕は見た。


 彼女は汗をしたたらせて、肩で息をしていた。僕に気付く様子は無かった。けれど、あのはにかみを、僕に初めて見せてくれた時のと一緒の笑顔を、君は見せた。ああ。やっぱり同じなんだ。


 これでよかったのだ。

 これが、ダンスホールでの君の全てなのだからと、djの僕はつぶやいた。

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ミラーボールに映る、君と君ではない誰か 南雲 @peternoiz

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