お祭りの一コマ 〜一コマシリーズKAC2020−2

阪木洋一

花火の夜に彼が居ない


「……たーまやー」


 夏祭りの日のことである。

 この町の夏の名物とも言える、色とりどりの満開の花火が大きな音と共に夜空に咲いて、観衆が歓声を上げる河川敷の離れにて。

 小森こもり好恵このえが一人で漏らす、夜空を見上げながらのささやかな呟きは、観衆の歓声に混ざって消えた。


「…………」


 名物というだけあって、花火はとても豪快で、綺麗で、多彩だ。

 この町に引っ越してきてもうすぐ三年だが、何度見ても、思わず視線が釘付けになってしまう。

 でも。


「……陽太くんと、見たかったなぁ」


 どうしても、彼のことが頭から離れてくれない。

 平坂ひらさか陽太ようたくん。

 高校時代の一つ下の後輩で、好恵と男女の付き合いをしている、誰よりも大切な男の子。

 去年、一昨年の花火のお祭りは、もちろん陽太くんと一緒で、寄り添いながら花火を見上げていた。

 好恵にとっては、とても最高の夏のひととき。

 思い返すだけで、愛しい気持ちがあふれそうになるけど……生憎、今年の彼は、好恵の隣に居ない。

 もちろん、今年も彼と一緒に行く約束をしていた。

 何が何でも約束を守ります、と彼は言っていた。

 では、なぜ、彼は居ないのか。


 ――昼頃に、遠く離れた田舎に住んでいる彼の祖父が、病院に運ばれた、という報を受けたからだ。


『ごめんなさい。好恵先輩、オレ……!』


 電話越しで、とても泣きそうな声だったのは、記憶に新しい。

 彼は、家族や親類を大事にする人だと、わかっていたから。

 将来の話になると、どんな人間になったとしても、家族や親類に恩返ししたい、大切にしたい、とよく言っていたから。

 もちろん、彼が大切な祖父のことを放っておけるはずがない。


『……陽太くん、行ってあげて。わたしは、大丈夫』


 だから、迷わずに好恵は彼の背中を押してあげた。

 彼は、そんな好恵の気持ちを、しっかりと受け止めてくれた。

 だからこそ……お祭りの今、彼が隣にいないことも、好恵は納得していたのだけど。


「…………はぁ」


 やっぱり。

 ちょっぴり、寂しい。

 寂しさを紛らわすだけなら、友達や知り合いを頼れば良かったけど、みんな、今日は別の先約があった。

 彼女達は気にしないのだろうけど、流石にその輪に入りづらいし、それ以上に好恵自身がそういう気になれない。

 だから、彼の分まで花火を目に焼き付けようと思って、浴衣も着ないで私服のまま一人でここに来たけど……どうしても彼のことを思い浮かべてしまう。


 今日は、昨年、一昨年のような最高の夏のひとときにはならない。 


 わかっている。


 でも。


 会いたい。


 会いたいよ、陽太くん。


 一緒に、花火、見たいよ。


「…………あ」


 そのように思考を巡らせているうちに、花火はすべてのプログラムが終わっていた。

 もうもうとする煙を残して、夜空にもう、花火は咲かない。

 見上げながらも、最初の部分しか見ていなかった気がする。ものすごく、空回りした気分だ。

 気が付けば観衆もぱらぱらと散開となり、帰宅の道につく人たちの波に、好恵はしばらく一人立ち尽くしていたけど。


「……帰ろうかな」


 誰にも聞こえない声で呟き、好恵は踵を返して、パラパラと点在する人の波に紛れるかのように歩を進めようとした――その先で、



「――あともう少し、うおおおおおおりゃああああああっ!」



「……?」


 河川敷の向こう、この町と隣町とを結ぶ大きな橋の上で、絶叫をお供に小さな光がものすごいスピードで走っているのが見えた。

 一瞬、何であるかはわからなかったけど、よくよく見ると、その光は自転車の安全灯で、その自転車に乗っているのは――ちょっとクセのある髪で、女の子みたいな可愛い顔立ちで、好恵とは五、六センチくらいしか変わらない小柄な背丈。


「……陽太、くん?」

「花火、終わった後か!? 遅かったか……くっ……!」


 好恵にとっては誰よりも大切な男の子、平坂陽太くん。

 彼は人混みが近づくにつれて自転車から降りて、その人波の様子を見て、がっくりとうなだれていた。

 オーバーアクションで、彼の背負っていた大きなリュックサックがごそっと揺れていたけど……そんなことよりも、だ。


「……陽太くん?」

「え……あ、好恵先輩っ! こ、こんばんはッス!」


 慌てて好恵が声をかけると、うなだれていた陽太くんは即座に反応して、こちらを見て紅潮した顔で挨拶を返してきた。

 激しく息を切らして、全身汗でシャツが濡れていたが、ものすごく元気だ。


「……ど、どうして陽太くんが、ここに? お祖父さんは?」

「あ、はいっ。じっちゃん、めっちゃ元気でしたっ!」

「……え?」

「なんつか、朝の散歩中に車にぶつかりそうな子猫を助けて、カッコつけて三回転半捻りの着地を決めたところで、溝にハマって足骨折しただけらしくて、病院ではピンピンしてましたっ!」

「……そう、なんだ」

「んで、父さんと母さんは念のため、今夜は田舎にとどまるってことになって、オレだけは、ばっちゃんに自転車を借りてここに戻ってきました」

「……陽太くんもお祖父さんに付いてなくて、よかったの?」

「はい。じっちゃんに気にせず行ってこいと、背を押されたのもありますし、それに」

「? それに?」


 好恵がついつい問い返すと。

 陽太は、少し顔を赤くして緊張した様子ながらも、背筋を伸ばして、



「オレ、家族のことも大事ですけど、好恵先輩のことも大事にしたいって、いつも思ってますからっ!」



「――――」


 その言葉を受けて、好恵の胸中はとても、とっても熱くなった。

 なんだろう。

 さっきまで寂しくて泣いてしまいそうだったけど、今度は別の意味で泣いてしまいそうだ。

 でも。



「ありがとう、陽太くん」



 こういう時だからこそ、好恵は笑顔で居たかった。

 大好きな彼の一生懸命なところには、精一杯、笑顔で応えたかった。


「う……は、はいっ」


 そんな好恵の精一杯を感じてくれたのか、陽太くん、またちょっと赤くなる。可愛い。

 いつも一生懸命なところもだけど、彼のそんなところも、好恵は大好きで、大切だった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


「好恵先輩が大事と言いつつも、祭りと花火終わっちゃった後なんスよね……」


 愛しの先輩のために田舎から大急ぎで戻ってこれたはいいが、お祭りと花火の約束を果たせなかったのは、陽太にとっては悔やまれるところだった。

 八十キロも離れた道のりを自転車(しかもママチャリ)走行は、流石に時間がかかった。

 だからと言って、父は祖父についていてもらいたかったから車を出させるわけにも行かなかったし、電車の方も運悪く、車両の不調があったらしく復旧の目処が立っていなかったしで。


「……気にしないで。陽太くんが来てくれて、わたし、嬉しかった」

「でも、やっぱり、好恵先輩とお祭りと花火、楽しみたかったな……しかもこのリュック、微妙に重かったし」

「……そういえば、そのリュック、何が入ってるの?」

「ああ、ばっちゃんが持たせてくれたんです。いいものが入ってるからって。時間も惜しかったから、中身も確認せずに来たんですけど」

「……そうなんだ」

「結局、なんだったんだろう。ちょっと、この場で開けてみてもいいッスか?」

「……うん。わたしも、ちょっと気になる」


 そういうことで。

 陽太は背負っていたリュックをおろし、ファスナーを開けてみると。


「……花火セット?」

「あと、マッチ箱とポリバケツ?」


 大量の花火セットとマッチ箱、そして古びたバケツが、まるまるリュックの中に入っていた。

 しかも、バケツの中には『間に合わなかった場合、これで楽しむんじゃよ』とメモ書きのオマケ付き。


「……いいお祖母さん、だね」

「本当に、あのばっちゃんは……」


 好恵先輩が呆然と呟き、陽太は苦笑するしかない。

 陽太にとっては超の付くほどお節介で、いろんなお世話を今も昔も焼いてくる祖母だけど……それでも、やっぱり大切で、どこまでも愛すべき祖母の気遣いであるだけに。



「好恵先輩」

「……なに?」

「今からオレ達だけで、お祭り、しましょっか」

「……うんっ」



 どうせなら、そのお節介に全力で応えさせてもらうことにしよう。

 一昨年、去年のように、夜空に咲く花を二人で見上げる夜は、最高の祭りのひとときだったけど。

 今、この時。

 人の少ない河川敷、ぽつぽつとした電灯の薄明かりの下、二人で花火ではしゃぐこの夜も。


 陽太にとって、もちろん好恵先輩にとっても、最高の祭りのひとときだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お祭りの一コマ 〜一コマシリーズKAC2020−2 阪木洋一 @sakaki41

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ