街と、ギルドと、冒険者と ~パイロット版短編~

西川 旭

第0話 街に住む者たち、その出会い

 1 赤髪のエルフ 



 冬にしては温かい、曇った昼のことである。

 長く赤い髪を持った、粗末にも見える服装のエルフが、馬車を御し、走らせていた。

 客車ではなく荷馬車である。

 荷車に胡坐をかいて乗っている者がもう一人いる。


「ドラック、城壁が見えて来たよ。やっと帰って来たという気がするねえ」


 エルフがそう言った通り、視界の先には白っぽい横長の石造建築物がある。

 ラウツカと言う街の北部に建てられた、巨大な城壁だ。


「早く帰って、寝てェよ……」


 荷台に乗っている、ドラックと呼ばれたトカゲ男がそう呻(うめ)いた。

 その左肩には包帯が巻かれていた。

 包帯にはかすかに血がにじんでおり、浅からぬ裂傷を負ったものだとわかる。


「傷口、まだ痛むかい? 出血はほぼ止まっていると思うのだけれど」


 案じた赤エルフがトカゲ男に訊く。

 慣れ親しんだ間柄のようで、二人の間には信頼感を感じられる空気が流れている。


「クスリが効いてるからか、大して痛みァしねえんだけどよォ。ひたすら、ダルいぜェ」

「強い薬だからね。もうしばらくの辛抱だ、街に入ったらそのまま医院まで送り届けるよ」


 医院、と聞いたトカゲ男のドラックは、びくりと体を震わせる。


「おィおィィ、ただの”カスリ傷”だっつうんだ、こんなもんはよォ!? 入院なんざ、まっぴらゴメンだぜェ!?」

「はっはっは、ドラックの弱点をまた一つ、見つけてしまったようだねえ」


 騒がしく反駁するドラックを尻目に、エルフはゆっくりと馬車を進ませる。

 そのままラウツカ市の北部城門へと向かった。


 ルーレイラという、この地域では珍しい名前を持つエルフ。

 そして荷台に乗る竜獣人のドラックは、冒険者である。


 魔物を討伐したり、遺跡や洞窟を探索したり、無人島や未開の山奥を調査したり。

 あるいは行商人や商船の護衛などを行って、対価を得て生きている。


 今回、少しばかり長くかかってしまった冒険の旅を終えた家路への途中である。

 自分たちの住処がある、ラウツカの街に帰って来たのだ。


「……医院に行くお金がないなら、僕が貸そうか?」


 心配になって言ったルーレイラ。


「そ、そういう話じゃねェッつーんだよ。第一、今回の仕事は”報酬”がでっけーだるォ? しばらく、のんびりさせてもらうぜェ」


 どうやら本当にお金の問題ではなく、単にドラックは医者を嫌いなだけだった。

 ドラックの傷はほぼ快癒に向かっている。

 しかし。


「そうだね、大きい仕事だった。なにせ、邪竜だものなあ……」


 ルーレイラの一行には本来、もう一人の冒険者がいた。

 当初は三人パーティ―だったのだ。

 この場にいない彼は深手を負ってしまったため、他の街で別れてそこで治療を今も受け続けている。


 ある国に現れた邪竜を討伐するために、近隣諸国から腕に覚えのある冒険者や武人が、数多く招聘された。

 ルーレイラたちは、その仕事を終えた帰り道なのである。


 それぞれの国や街に帰還できたものもいる。

 怪我をして動けなくなり、まだ帰還できない者たちもいる。


 そして、命を失ってしまい、永遠にその望みをかなえられなくなった者たちも。


「僕も、まだまだだなあ……」


 仲間に重傷を負わせてしまったことを、パーティーの仕切り役であるルーレイラは深く悔いていた。



 2 門番の女衛士



 白い切石を無数に積み上げて築かれた長大な城壁。

 ラウツカ市を守るこの建造物には大小九つの城門が存在する。


 ルーレイラたちは中央の一番大きな門を通って市街地の内部へと入る。

 城門は開放されていて、出入りに制限がかかったり検問が発生するのは夜間だけだ。

 しかし、ルーレイラの馬車を門番の一人が静止した。


「失礼。冒険から戻られたギルドの方かな」

「見ればわかるだろう。急いでいるんだ、さっさと通らせてくれないものかな」


 ルーレイラは自分が首から下げている、冒険者の認識証を相手にかざして見せつける。

 ギルドと呼ばれる冒険者の組合を通して仕事を請け負っている者は、必ずこの認識票を持っている。

 門番は、黒く長い髪と少しばかり陽に焼けた肌を持った、並の人間族――並人(ノーマ)の女性だった。


「連れの方がお怪我をされているようだ。緊急の手当てが必要かな? ギルドの仕事以外で事件に巻き込まれた、などということは?」

「そんなことには巻き込まれてなどこれっぽっちもないし、結構お世話さまさまだよ。こっちで必要な処置や治療は済ませてあるからね。あとは食って出して大人しく寝るだけさ」


 目も合わせず、憮然とした態度で答えるルーレイラ。


「そうか。くれぐれもお大事に。なにかあった場合はすぐに最寄りの衛士詰所までご相談を」


 人形のような無表情の門番に見送られて、二人は門をくぐり市内に入った。


「なんだァ、あの”衛士”のねーちゃんが、気に入らねェんかよゥ?」


 門番に対するルーレイラの態度がやけにツンケンしていたので、気になったドラックが質問した。


「ふん、いつも真面目ぶって澄ましやがってさ。僕が中央通りの西横丁で飲んでた時に『立場のある冒険者なのだから、飲み方を少し弁えたらどうだ』なんて説教しやがって、何様のつもりだってんだい」


 ルーレイラは、街に一人しかいない「上級冒険者」である。

 過去の経歴やこなしてきた実績からそういう名誉ある立場に据えられた。


 もっとも本人はそのことを気にしていないし、鼻にかけるようなこともない。

 場末の飲み屋でしょっちゅう泥酔し、店の片隅で寝ていることがあるほどだ。


 城壁、及び門番の衛士は城壁に近い市内北部の治安活動も仕事のうち。

 へべれけになっているルーレイラの姿は、頻繁に衛士の目に留まり、その際に注意されることもあるのだった。


「そりゃァ、お前さんが悪ィ気がするぜェ……」


 そう感想を漏らすドラックは、中級冒険者である。

 冒険者の等級は上級、中級、初級という大枠の三段階の中で、更に五段階に分かれている。

 ルーレイラは上級四等冒険者、ドラックは中級三等冒険者というのが正式な階位だ。


「ドラックまで、あの女隊長の肩を持つのかい。なんだって言うんだ。いいじゃないか、たまには羽目を外したって。僕だっていろいろあるんだよ、これでも」

「たまには、じゃねえだろが……そうかィ、あんなに若い並人で、門衛の”隊長”さんなのかよォ。まァ小隊長なんだろうけど、大したもんじゃねェかァ」


 ドラックは、自分が豪快な性格をしていることもあり、街や国を守る衛士や軍人たちを尊敬する念が割と強い。


「ふん、どんな手を使って出世しているのかね。ああいう取り澄ました奴こそ、腹の中にはなにを抱えてるか、知れたものではないんだ」


 その後もルーレイラは悪態を止めることなく吐き続けた。

 

 ドラックを家まで送ったルーレイラは、その足で冒険者ギルドの建物に向かった。

 ラウツカの街で、城壁のある北側とは反対側、南の港湾近くに冒険者ギルドの建物がある。


 城壁とほぼ同様の素材、石灰岩を使った白くまぶしい石造建築。

 鳥獣や草花の彫刻が壁面に描かれるなど、洒落っ気もふんだんに取り入れている。

 入口の門扉を押して開き、ルーレイラはギルド施設の中に入った。



 3 ギルドの受付嬢



「今帰ったよ! 良い子にしてたかな、リズ?」

「お帰りなさい、ルー! お疲れさまでした! よくご無事で!」


 ギルドの窓口に座っていた受付嬢が、席から立ってルーレイラのもとに駆けよる。

 リズという名の眩しい金髪を持ったこの女性、いやまだまだ少女のあどけなさを残した人物。

 彼女はこの世界、この国に地球から飛ばされてきた、転移者であった。


 本名をエリザベス・ヨハンソンと言い、リズは愛称である。


「本当に疲れたよ。それに、連絡が行ってると思うけのだけど」

「はい、足に重い怪我をされた人が、と」


 ルーレイラは街に到着する前に手紙をギルドに送っていた。

 今回の邪竜討伐の経緯や顛末、特に重傷人の情報を事前にある程度、報告するためだ。


「しくじっちゃったなあ……彼の医療費は、僕の報酬から出すように清算してくれるかい?」

「いいえ、それは本人が帰って来てから話し合ってください。ギルドからルーに出す報酬額は、ちゃんと決まっていますから」


 花のように可愛らしいリズであったが、仕事には厳格であった。


「こういうのは、さりげなく払っておくからこそ恰好がつくんじゃないか。じっくり話し合えなんて、ひどいことを言うねえ……」


 しかしリズの言うことはもっともである。

 ルーレイラもそれ以上食い下がらなかった。


「ところで、僕の留守中になにか変わったことはあったかい?」


 報酬等の手続きを済ませ、リズとルーレイラは揃って中庭に出た。

 雪が降らない土地とはいえ季節は冬である。

 花は咲いておらず、庭木も葉をつけてはいなかった。


「少しだけ。ラウツカの西の灯台から南西に船で行った先に無人島があるみたいなんですけど」


 リズが空中に地図を描くような動作で指を動かしながら説明する。


「確かにあるね。無人島って言うか、ただの飛び出た岩礁だよ。草木も大した生えてやしない」

「さすがに、よく知ってますね」

「鳥の糞だけは岩肌にたくさん積もっているかなあ。畑の良い肥料にはなるかもしれない」


 ルーレイラは、特にそれ以外でめぼしいことなどその島にはないと思っていた。

 しかしリズは次のように話す。


「ですけどその岩山の中に、干潮時だけ入れる洞窟があるとかで、ギルドに探索依頼が出ました」

「んん……? 潮が引かないと入れない洞窟?」

「はい。ですけど誰も請け負わなかったので、別のギルドの支部に回してしまえって、支部長が」


 潮が満ちれば海水に没する洞窟の探索など、危険極まりない話である。

 探索している間にうかうかしていると溺れ死んでしまう。

 ここのギルドの支部長が匙を投げるのも当然で、ルーレイラも呆れて口をぽかんと開けていた。


「あの島の持ち主、確か西の街の金持ちだったなあ……遊びに行ってイヤミの一つでも言ってやろうか」

「余計なトラブルを起こさないでくださいね。他の依頼もくれる、上お得意さまなんですから」

「わかっているよ。はあ、当ギルドの受付嬢は、しっかり者で実に頼もしく育ってくれたものだよ」

「ルーとお仕事をしていると、自然とそうなるんです」


 ふふふ、と少し意地悪な笑いをリズは浮かべて言い返した。


「ところでリズ、受付の仕事が終わったら夕食でもどうかな? その辺諸々の話もしておきたいし、いつもと違う飲み屋も開拓したいし」

「ええと、構いませんけど……」


 ルーレイラの誘いにリズは顎に手を軽く当てて、考え込む。


「どうしたのさ」


 ま、いいか、とリズは割り切って答えた。


「いえ、もう一人、実は先に誘われているんです。どうせならルーも一緒にどうですか? とても、カッコイイ方なんですけど」


 素敵な人からの誘いをすでに受けている、とリズのが言った。

 そのことにより、冒険疲れでやや沈みがちだったルーレイラの表情が、ぱあっと一気に晴れた。


「えええ? やっと、やっとリズにも春が来たのかい? よほどの良い男なんだろうね? そうでなければ僕が許さないよ!?」


 ルーレイラはリズがこの世界に転移してきてからの、保護者のような存在である。

 良き友人や姉代わりとして、リズの暮らしの上での様々な相談に乗って来た。


 右も左もわからない異邦人だったリズが仕事にありつき、一人前の女性として自立する。

 そのためにラウツカの街で生活基盤を整えられるよう、ことあるごとに面倒を見て来たのだ。


 リズが良い人に巡り合ったというのなら、世話を焼き続けてきたルーレイラの喜びもひとしおである。


「ふふふ、楽しみにしていてくださいね」


 晴れやかな気持ちでリズとルーレイラと一旦別れる。


 リズは、なにか企みのありそうな笑みをその顔にたたえて、夕方の業務終了までを務め上げた。



 4 門番、受付、赤エルフ



「リズ、いったいどうしてこうなったのかなあ……?」


 顔をひきつらせながら、ルーレイラは指定された場所でリズと落ち合い、素朴な疑問を口にした。

 リズと並んで、もう一人、並人(ノーマ)が立って、こちらを見ている。

 昼ごろに無駄な検問を自分に行った、門番衛士の女が、集まりの場に来ているのだ。


「紹介しますね。彼女はフェイさん、北門衛士の」


 リズの言葉が終わらないうちに、ルーレイラは舌打ちして口を挟む。


「知ってるよ。一番隊の隊長さまだろう。ずいぶんと仕事がおできになるようじゃないか。暇な酔っ払いに飲み屋の入り口でイヤミな説教をするくらいにね」


 ずいぶんと慇懃無礼な放言を吐いていた。


「あのときは路地や店先で不埒な行為がないか、見回っていただけだ。転属したばかりで、まだまだこの街の地理に明るくなかった頃だったしな。随分と前のことを、よく覚えているな」


 フェイと紹介された黒髪の女衛士は、特に表情を変えることなく、事務的な口調で説明した。

 仕事は終わったらしく、衛士の隊服ではなく私用の平服を着ている。

 その腰には中尺の打撃鞭を提げていた。

 プライベートでも護身用具を持ち歩くこと自体、この街では特に珍しいことではない。


「とにかくお店に入りましょう? もうお腹ペコペコ」


 大きく育ってきた胸を弾ませながら、リズは二人を目的の店まで導くために、さっさと歩きはじめた。


「……いつ、リズと知り合ったんだい、きみ」

「貴殿が隣の国に冒険に出た、その次の日だったかな。商店街で出くわして、少し話した」


 不機嫌大爆発寸前のまま、ルーレイラはリズの案内する店に入った。

 黒髪の衛士女は、相変わらずの無表情である。

 楽しいのか、つまらないのか、表情からも言動からも全く読めなかった。



「キノコと木の実の鍋が名物なのか。肉料理も……あるな」

「ええございますよ。冬が明ければ『ニコミウサギ』が絶品なんですけど、今の時期は『一角鹿』の石皿焼きがオススメです~」


 フェイは肉料理が好きなようで、店員に勧められるままにそれを注文した。


 入った店は『怨霊庵』という名の、メニューが豊富で価格も手ごろな、比較的新しい店である。

 三人ともこの店は初めて。

 壁一面に掛けられてある品札を眺めながら、めいめい興味を引かれる食べ物を注文した。


 料理に先んじて、ルーレイラは白ぶどう酒を頼んで飲み始めている。

 リズとフェイは温めた林檎の皮の茶を。


「料理が来てないのに酒ばかりよくそんなに飲めるものだな」

「ええ? そんなの僕の勝手だろう。飲みたいときに飲むさ。そのために働いてお金を稼いでいるんだ。文句を言われる筋合いはないよ」 

「別に文句を言ったつもりはないのだが」


 さっそくルーレイラとフェイは険悪である。

 リズはなにか思うところがあるのか、そのやりとりを微笑しながら黙って見ていた。


「ところで、隊長さまはうちのギルドの可愛い若手の受付嬢に、いったいどういう理由があって興味を持ったんだい?」

「理由と言われてもな。立ち話をして、意気投合しただけだぞ」

「ハッキリ言うけれどね、リズにはなにも後ろ暗いところはないし、リズを探っても悪い連中と付き合っている情報なんて一つも手に入らないことを、他の誰でもないこの僕が保証するよ。ラウツカに一人しかいない、上級冒険者のこのルーレイラがね!」


 すでにルーレイラは出来上がっていた。

 酒が好きなだけで、別に強いわけではないのだ。


「そんなことを期待して話しかけたわけではない。そうだな、最初のきっかけは確か」

「フェイさんも私と同じで、転移者なんですよ」


 今まで黙っていたリズがやっと口を開いた。

 酔って理性を半ば失いかけているルーレイラだが、さすがに少し驚いて目を見開く。


「外の世界から来たのかい……そういう雰囲気がなかったよ。すっかり『こっちによくいる並人』の顔つきだ。服装も、髪形も、化粧の仕方も」


 ルーレイラはフェイがラウツカに配属された当初から顔を見知っている。

 しかしフェイが異邦人、転移者であるとは、今の今までまったく気付かなかった。


「だろうな。もう八年……いや、九年かな? こちらに来てからそれくらいになる。最初は参ったものだ。言葉は通じるからいいものの、字が全く分からない。なんとか公用語の読み書きを多少なりとも覚えて仕事に就くまで、三年半はかかったからな」


 思い出を懐かしむようにフェイは話した。


「独学で、字の読み書きを三年半で覚えたのかい」

「独学ではない。こちらに飛ばされて来てから私の面倒を見てくれた老夫妻がいてな。教わった」


 心なしか、フェイが笑ったように見えた。

 異世界から転移してきたフェイを保護し、一緒に暮らして面倒を見てくれた老夫婦。

 大事な養親のことを思い、その話をするときに、フェイはとても優しく幸せな気持ちになるのだろう。


 その温かな空気はルーレイラにもリズにも伝わった。


 ルーレイラは自分の偏見や先入観を恥じ、軽い自己嫌悪を抱いた。

 ただの鉄面皮の無表情なだけの門番ではないのだ、と。


「私は、どうしてかこっちの世界に来たとき、話す言葉はもちろん、文字も最初から全部わかっちゃったんですよね。これが精霊って言う存在の、不思議な力なんでしょうか」


 リズは自分と他の転移者の違いを話す。

 フェイと違ってリズは、話し言葉に加えて、多種の文字、言語の読み書きに不自由しない力を持っている。

 この世界に飛ばされてきた最初の段階で、そう言う能力が最初から与えらていたのだ。

 それは地球からの転移者に与えられる「精霊の加護」とこの世界では呼ばれている。


 話す言葉以外でどのような加護を授かるのかは、転移者によって全く異なっていた。

 少なくとも文字、書き言葉に関しては、加護のまったくない状態でフェイはこの世界に転移した。

 そして、年月と努力によって、文字の読み書きを会得したのだ。


 並人にとっての三年半。

 決して短い期間でないことを、長命のエルフ種であるルーレイラだって知っている。


「きみも、苦労したんだろうね……」

「そんなことはない。老夫妻にはよくしてもらった。もうじき、この街に呼び寄せて一緒に暮らす予定だ。家ももう借りたしな。市内中央大通りの東だ」


 新居での、愛する家族との新生活を前にしたフェイの喜びが伝わってくる。


「そこ、かなりの一等地じゃないか……親孝行だなあ……」


 ルーレイラが胸に抱えていたフェイへの悪感情は、もう霧消している。

 それは酒の力のおかげか、はたまた額を突き付けお互い話し合ったゆえのことなのか。


「最初に会ったとき、フェイさん言ってたんですよ。ルーが時々酒場で酔っ払って寝てるけど、あれは危ないって」


 リズが複雑な表情で言った。


「危ない?」


 それにフェイが説明を続けた。


「いくら腕のいい冒険者でも、酔って寝てるときに物取りなどに狙われたら一巻の終わりだ。私の伯父は、酒場で他の客と喧嘩になり、腹を刺された傷が悪化して死んだ。まあ、流行り病にも同時に侵されてのことだったが」


 悲しげに、在りし日の思い出を語るフェイ。

 刺された伯父というのは、武芸の達人で知られた人物だった。

 しかし酒で酩酊しているときは、せっかく鍛えた技も台無しになってしまうのだ。


「ルーは特に上級冒険者でしょう? 大金を持っているかもしれない、価値のあるものを身に着けているかもしれない。悪い奴はそういうのを狙うんだって、フェイさんは言ってますよ」


 リズにそう言われ、ルーレイラは、はじめて理解した。


「……まさか、心配してくれていたのかい? 僕を? 酔っ払ってクダ巻いて店先で寝てるような、どうしようもない冒険者を?」

「当たり前だろう。市民の安全を願わない衛士がどこにいる。そのために私たちは働いているんだ」


 はっきりとフェイは言い切り、その瞳に嘘や虚飾はなにひとつ混じっていなかった。

 ルーレイラは自分の誤解を恥じて、胸中の思いを打ち明けた。


「僕は……上級冒険者だからって、それを傘に着てお高く止まって行動するのが嫌いなんだよ。好きな店で飲みたいし、好きなところで暮らしたいだけなんだ。たまたま安居酒屋の雰囲気が好きで、ついつい飲み過ぎてしまうだけなんだ。そのために頑張って働いているのだから、少しくらい許してくれたまえよ」

「それにしても、限度というものがあるだろう。酒は快く呑むものだ。呑まれてどうする」


 飲酒論についてフェイもそれなりの哲学を持っているようだ。

 二人はさらに言葉を重ねて続けて、その議論はきりがない。


 やりとりを見て、くすくす、とリズは笑い、こう締めくくった。


「ルーはどうでもいいことを喋りすぎで、フェイさんは必要なことを口に出さなさすぎです。でも二人合わせると、ちょうどいいコンビで凄く相性が良さそうですよね」


 一番年下のリズにそうお説教されて、フェイもルーレイラも気まずそうに苦笑いした。

 その日の夕食は、酒に酔っていても格別に美味しかった。

 ルーレイラの思い出に永く長く残り続けた夜が、そうして更けて行くのだった。



 05 眠らない街、ラウツカ中央西横丁



 三人は店を出た。

 明日も仕事があるリズは先に帰り、二人は街に残る。


「ところでフェイも異界からのお客さんってことは、なにか特別な力や知恵の加護を精霊さまから授かっているのだろう? もったいぶらずに教えておくれよ」


 二軒目の飲み屋を探している途中で、酔ったルーレイラがフェイに絡む。


「別に隠して黙っているつもりはなかったが。そう言えば話してなかったか」


 この横丁は飯や酒を提供する店が数多く並んでいる。

 フェイも二軒目は少しくらい飲もうかと思っていた、そのとき。


 ドン。


 通行人の男たちに、ルーレイラがぶつかった。

 ぶつかったのは大柄な、茶栗色の髪とひげの男である。

 身なりからしてそれなりの人物、要するに金持ちか成り上がりに見えた。

 いわゆる、どこ見て歩いてんだこの酔っ払いが案件である。


「どこ見て歩いてやがんだ、この酔っ払いエルフが!」


 全く想定通りの啖呵を、ぶつかった男の取り巻が叫んだ。


「済まない、よそ見をしていた。悪気はないんだ」


 軽くフェイがそう言って、ルーレイラもその場を去ろうとするが。


「おいちょっと待てよ! 誰に失礼したかわかってんのか!」

「この方は、先のキンキー公爵が主催された武芸試合で、三位入賞された方だぞ!」


 取り巻きが騒ぎ立てる。

 どうやらすんなり解放してくれない様子だ。


 ルーレイラは酔い気味の頭が不愉快に覚めてしまった。

 今はギルドの冒険者証をたまたま身に着けていない。

 冒険が終わって着替えて洗濯した衣類と一緒に、家に置いて来てしまっている。


 権威や立場、肩書を盾にして物事を解決するのはルーレイラの好むところではない。

 しかし悶着の相手は、いっぱしの武芸者なのだろう。

 この国を治める公爵が開いた武芸試合で、良い成績を収めるほどの。


「いやいや本当に申し訳ない! ついついよそ見をしてしまっていたのだ、許してくれたまえよ! こんなつまらないことで騒ぎを起こしても、お互いなにひとつ得はないだろう?」


 腕っぷしでかなうわけはなかった。

 ルーレイラは上級冒険者であっても、戦闘方面に長けているわけではない。

 長年の経験から来る知識や魔法の力で仕事を成功させるタイプだ。

 入念な準備や魔法の道具がない今、一般人と同じだけの力しかないと言ってもいい。


 しかし、なんとか穏便にやり過ごしたいというルーレイラの懊悩や心配をよそに。

 フェイが何気なく、まったくの悪気なく、こう言ってのけた。


「三位か。それは残念だったな」

「な、なんだと……?」


 年端もいかなそうな華奢な女性に、そっけなく言われて、武芸者の男は面食らった。


「次の大会までにもっと稽古を積むのが良かろう。毎日の稽古は大事だ。では、失礼」


 その言葉で、相手は明らかに頭に血を登らせた。


「どこの馬の骨か知らん小娘が、俺を愚弄するのか!!」


 叫び、相手はフェイの襟を掴もうとした。

 脅すつもりでしかないのか、明確に攻撃の意志があったのか。

 それはもう今となっては、わからない。


 掴みかかってきた相手の手をフェイはするりと躱し。


「ごぶぁ!?」


 その顔面に、右の掌底突きを食らわせたのだ。


 攻撃を食らった相手の体が、一発で地面に仰向けに叩きつけられる。

 腰も背中も後頭部も、受け身を取る暇もないくらいしたたかに高速に打ち付けた。

 それほどの、速く強烈なフェイの掌底だった。

 霹靂と言っていい。


「あご、あふぁふぁ、ふがふぅうう!!!」


 国で三位の名も知らぬ武人は、地面に這い、言葉にならぬ叫びを上げ続ける。

 フェイに掌底一発喰らって、顎の骨が外れたようであった。

 自分の半分の体重しかなさそうな、小さく細身の女性の、たった一発で。


「さて、二軒目はどこにしよう、ルーレイラ。貴殿の馴染みの店を教えてくれてもいいぞ」


 もがき苦しんで倒れた武人。

 その周りで騒いでいる取り巻き。

 彼らを無視し放置して、フェイはそう言ったのだった。


 その一件だけで、ルーレイラは十二分に思い知った。

 精霊、この世界の神々がフェイに与えた、武芸武術の加護の力を。



「あんなに強いなんて、早く言っておくれよ……」

「別にことさらに言って回ることでもないだろう」


 二人は二軒目の飲み屋に入り、ゆっくりと酒を飲んでいる。

 今までルーレイラがフェイに取ってきた態度を思うと、背筋が少し冷たくなるほどの大立ち回りだった。


 ルーレイラは確信していた。

 おそらくフェイは、ラウツカのギルドに出入りしているどの冒険者よりも強い。

 今まで自分がこの街で見てきたどんな衛士、武人よりも強い。


 しかし当のフェイはなにを気にする様子も見られない。

 濃い味付けの干し肉をかじりながら、ちびちびと弱い酒を飲んでいた。


 こういう飲み方も、それはそれで良いのかもしれないな、とルーレイラは思った。

 肉は嫌いだけれども。


 話をしたり、黙ったり、ちびちび飲んだりの二人の時間が続く。

 これだけは言っておこうと、ルーレイラは思った。


「リズと仲良くなってくれて、ありがとうね。僕はエルフだし、元々この世界の生まれ育ちだから、彼女について寄り添えない部分がやっぱり多少はあると思うのだよ。きみがいてくれると、心強い」


 少し照れくさいが、酒の勢いもあってルーレイラは素直な気持ちを打ち明けた。


「そうか。まあ、あの子はよく気が付く良い子だ。歳の割には少し、大人びているが」

「きみも、そう思うかい」

「ああ」


 付き合いの長い短いという差ははあれど、リズを思う二人の気持ちは似通っていた。

 そのリズを通して得られた絆を、フェイもルーレイラも、ともに大事にしようと思った。


「今日は、酔い潰れて寝てもかまわないぞ」

「おや、どういう風の吹き回しだい、隊長さま?」

「私が借りた家はすぐ近くだ。泊めてやる」

「ありがとう。じゃあわが良き友人に乾杯だ」

「ああ、乾杯」


 フェイは非番、ルーレイラは自主的に休みとして、二人揃って明け方まで飲んだ。

 二人とも酔い潰れて店で寝てしまったことは、フェイにとっての苦い思い出になった。

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