明日ベンチで会いましょう

真波潜

Uと老紳士の話

 何もする事がない。Uはだから、じっと広場のベンチに腰掛けていた。


 辺りはすべて廃墟となったビル群だ。中には倒壊しているもの、鉄骨が剥き出しになり折れ曲がっているもの、今にも倒れそうに傾いているもの、様々だ。


 夕陽が背から差し込み、細長い影をUの足下からヒビ割れ水も流さなくなった噴水に向かって伸ばしている。


 その影をじっと見つめていたら、もう一つ細長い影が現れた。


「こんばんは、お嬢さん。隣に座っても?」


「どうぞ」


 Uは無機質な声で答えた。


 ベンチの瓦礫を払って、杖をついた老紳士が隣に座る。そこには、人一人分の距離があった。


「世界というのは、終わる時には呆気なく終わるものですな。こうして意地汚く生きながらえていますが、独りは堪える。貴女を見つけられたのは幸運でした。どうか、老人の昔話に付き合ってください」


 Uは少し間を置いてから「どうぞ」と、先程と同じ程無機質に答えた。


 グレーのスーツと揃いの帽子を被っていた老紳士は、帽子を取って禿頭を露わにした。どうやら長い話になりそうだった。


「今から60年は前です。まだここにビルも無く、ただの広場だった時の話です」


 その時も夕暮れでした。


 たくさんの出店が立ち並び、提灯が吊るされた祭りの日。


 老紳士がまだ青年だった時、出店の端っこ、祭の入り口で初めて女性と待ち合わせをしました。


 緊張に胸は高鳴り、いつもより心臓も煩かった。それを表に出さないよう、格好をつけて胸をそらして立っていました。だれもかれも祭に夢中で、私の事など見ていなかったでしょうにね。周りの目が気になって仕方なかったのです。


 そして、待ち合わせの女性は時間ちょうどにやってきました。美しかった。青地に桃色と黄色の花柄の浴衣を着た彼女を見た時には、心臓が止まってしまうのでは無いかと思いました。あぁいうのを、息を呑む、というのでしょう。


「お待たせしました」


 鈴を鳴らすような声でそう言われた時には、もう、恥ずかしいほど狼狽してしまいまして。何せ彼女は待ち合わせぴったりに、私はその30分前にはこの場所で待っていたものですから。いいえ、と喉に絡んだ声で答えるので精一杯です。


 行きましょうか、と言うと彼女は私の腕に手を置きました。人混みですから迷わないように、ということでしたが、私は天にも登る気持ちでしたよ。


 祭は大盛況でした。屋台を流し見ながら、時々彼女が足を止めて眺めるのを、私は彼女の横顔を眺めていまして。


 周りの何もかもが彼女を照らすスポットライトのようでした。あぁ、今思い出しても本当に、彼女は素敵でした。


 彼女といっしょに一通り祭を見て歩き、花火を見るために良い場所を探して歩きました。既に見どころは満員で、私は彼女をつれてその日のために見つけておいた秘密の場所に向かいました。


 小洒落た下駄の彼女には少々厳しい道だったと思うのですが、彼女は文句も言わず、楽しそうについてきてくれましたよ。


 そして二人きり、今はもうビルに飲み込まれていますが小高い丘の上から、花火を眺めました。


 空に次々と華開く様は壮観でしたが、その光に照らされ次々に表情を変える彼女の顔の方が私は好きで、ずっと横ばかり見ていました。


 最後の花火が打ち上がった時の、楽しげで、それでいて少し寂しそうな彼女の表情に、もうすっかりやられてしまいましてね。


「好きです」


 言葉が思うより先に口をついて出ました。


 彼女は少し恥ずかしそうにしながら、それでいて困った顔をしていました。受け止めようか、断ろうか、彼女も悩んだのでしょう。


 そしてこう答えました。


「「私はアンドロイドです。子も為せませんし歳も取りません。それでもよろしいですか」」


 老紳士の声と、Uの声が重なった。


 Uは老紳士を見る。老紳士は、ずっとUの顔ばかり見ていた。


「構いませんでしたとも。貴女と生きる時間の幸福を思えば、人でも機械でもどちらでもよかった」


 老紳士がUとの距離を詰め、片手を重ねて握る。


「あの祭は最高でした。今もこうして思い出せるほどに。そうは思いませんか、夕さん」


 Uの、メモリの片隅に残っていた記憶が甦る。


 今はU自身ヒビ割れ、片腕はもげ、陽の当たる間しか活動できない。活動した記憶も、陽が落ちればリセットされてしまう。


 夕陽はもう落ちる。その前に、彼に伝えなければ。


「先に……壊れてしまって……ごめん、なさい……あなた。愛して、いま……」


 そこで夕陽が落ち、急に夜がやってきた。陽のよくあたるベンチに座った壊れかけのアンドロイドに、老人はそっと口付けた。


「また明日、お嬢さん」


 老紳士はそう言って帽子を被り直し、ベンチを去った。


 彼はこうして毎日、彼女のもとに通っては、あの最高の祭の話をして去っていくのだ。

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