第3話 狩人エーリス
目を開く事は出来ないが、上の蜘蛛が顔を近づけてくるのを感じる。
微かな足音をたてながら周りの蜘蛛が近づいて来ているのも分かる。
どうにかしなければならない。だが身体をくねらせるのが精々で拘束を取るには及ばない。
もういつ牙を突き立てられてもおかしくはないだろう。今にも訪れるかもしれない──死。
緊張感の中でゴクリと喉を鳴らす。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
目的がある。仇を取らなきゃならない。あの男を殺さなくてはならない。
動け動け動け動け、頭の中で同じ言葉が繰り返される。けれど身体はクネクネと動くだけで拘束は解けてはくれない。
そしてその時はくる。
「っ……!!」
上の蜘蛛が私へと接触してきた。その軽い体重を私へと預けてくる。
牙と思しき物が私の頬へと触れていた。
死ぬ覚悟などできていない。するつもりもない。まだ諦めてなどやらないのだから。
糸が切れる事を祈り、より必死に身体をくねらせる。
だが、切れない。それでも抵抗を続けた。
しかし、少しして気付く。牙が動かない。
「……?」
ふと冷静となった私の耳に、風を貫く音が聞こえてきた。この音は矢だ。
ドサリと何かが地に倒れ込むのが聞こえる。
そして、足音が私の元へと駆け寄ってくると私の上の蜘蛛が退けられ、次に閉じられていた視界が開かれた。
「危なかったね! リア!」
「エーリス……」
「待ってて! 他の部分もナイフで糸切っちゃうから!」
「傷つけないようにしてね」
立ち上がった私は周りを確認する。
私の倒し損ねた蜘蛛は全て、頭部を矢で一撃されていた。
緊張感の名残で未だ掌はひどく湿っている。
「ねえ、その後ろに引きずってるのはなに?」
「おべんと!」
「弁当って現地調達するものだったかしら」
エーリスは人よりやや大きいぐらいの狼を引きずっている。狼には口から喉にかけて矢が突き刺さっていた。別れた後にでも狩ったのだろう。
とりあえず話を一度逸らしたが、今回は言っておかなければならないことがある。
「エーリス、言いたい事があるんだけど良い事と悪い事どっちからがいい?」
「うーん……良い事!」
「……助けてくれてありがと」
「えへへ、エーリス偉い?」
「で、次は悪い事ね。勝手に一人で走らな」
「リア! そろそろ行こー!」
話の途中で走り出すエーリス。
礼の言い損だった気がする。
「あーもう! 待ちなさい!」
仕方がないので、また追いかけるのだった。
今度は森に入った時とは違い足並みを合わせに来てくれる。
一応だが反省はしているのかもしれない。
試しに歩いてみたらそのまま走って行ってしまった。
考えを訂正する。やっぱり反省とは縁遠い存在のようだ。
再び走り出しエーリスの元へと追いつく。
「この先が祭壇だよー!」
言われて先を見ると、確かに何を模しているかは分からないが変わった形に加工された岩がある。あれが祭壇だろう。
祭壇には杯や綺麗な石が供えられているのが分かる。
「それじゃ、さっさとあれに林檎を置いて帰りましょ」
祭壇の周りは木が生えておらず、そこだけがまるで広場のようになっていた。
広場に入ると私達は一度足を止め、供え物を用意する。
林檎を懐から出す際、さっきの戦いで潰れたのではと不安になったが、幸い林檎は無事であった。
潰れていても置いていくつもりではあったが。
私達が広場を数歩進んだ時、エーリスが右腕を横に出し、進むのを静止した。
「どうしたの?」
「リア、何か気配がする」
「え? ……!?」
そいつは突然現れた。広場の横の方の木々から飛び出し、祭壇の前へと陣取る。
巨大。私を丸呑み出来そうな大きさの二足で立つ筋肉質な獣。顔と手足以外の全身が銀色の濃い体毛で覆われている。
仮に同じ大きさとしても勝てるか分からない。そう思わせる圧倒的な威圧感を放っている。
「エーリス、あれは?」
「フォレストコング──森の
「林檎をあげたら仲良くなれないかしら」
「小さくてお腹いっぱいにならないと思うよ! 私達食べればお腹いっぱいになるかも!」
「それは却下よ」
森の主と呼ばれたそれとつい目があってしまった。
すると奴は森を揺らす様な咆哮を上げながら、自らの胸を激しく何度も何度も叩き始める。
その衝撃だけで地面が軽く揺れている。なんていう怪物なのだろう。
祭壇は森の主の後ろ。快く通してくれるようにはとても思えない。
「エーリス、私が引きつける。だから両方の林檎を祭壇にお願い」
「それってなんだかズルっこくないー? 自分で置いた方がいいよ!」
「そんな事言ってる場合じゃ……!」
「森の主さんとはわたしも戦ってみたかったの! 狩人の血が騒ぐっていうのかな……成人の儀が終わったらわたしも村を出るから次はいつになるか分からない!」
「え? あんた村でるの?」
私の疑問の声は森の主によって掻き消される事になる。
再び咆哮を上げると大きく飛び跳ね、私達へと向けて落下してきた。
エーリスとは反対側へと回避し、森の主を間に挟む形で私達は離れてしまう。
「はあ……あの子に納得させるのは難しいわよね。こうなったらもうやるしかないじゃない!」
木剣を抜き、私はそれを森の主へと向けた。
アレリア嬢の怨恨 ありあす @ariren
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