祭りのあとのお約束
月波結
最高のお祭り
――あの時の約束が守られるなんてなぁ。
中野くんが思い出話の口火を切った。
ここはとある大学のサークル会館。大から小までのサークルがひとつの建物にギュッと凝縮して押し込まれ、なんとも言えぬ濃厚な空気を常に放っている。
別名『不夜城』とは名前だけではなく、どこかしらのサークルの誰かが二十四時間、どんな時間でもここには必ず存在しているのだ。
うちのサークルにも既に卒業した先輩が置きっ放しの寝袋があるし、その先輩は仕事で終電を逃すといまだ寝袋で寝ている。朝一番に新入生が部室のドアを開けると知らない誰かが寝ているというある種の都市伝説と化している。
わたしはここはいろんなものが混ざった不思議な空間だと思っている。
そんなサ館の我らが部室で、わたしたち五人はひとつのガスコンロを真ん中にして長机に着いていた。
数少ない女子の中でも出席者はわたしひとりだったので、仕方ない、今日は鍋奉行役だ。今日の鍋は手羽先メインの水炊きだ。
「やっぱり女子いると違うわ」
「違うなぁ、突っ込むだけじゃないもんなぁ」
「あんたらいつも何食べてんのよ」
白菜の不足分を投入しながらわたしは菜箸片手に言い放った。気を抜くとまだ火の通らない白菜の芯を持っていくバカがいる。
中野は度の強い眼鏡の向こうからこっちを見た。
「こいつらと鍋やる時はまさに闇鍋だよ」
「闇鍋っ!? 実在するの?」
ギョッとする。
闇鍋と言えばアレだ。各自持ち寄ったアイテムを暗闇の中、鍋に投入して煮込んで食すという……。
「暗闇でやったりはしないが、とりあえず好きな具が入ってればな」
「餃子があればなんでもいけるじゃん。味の素の冷凍餃子がいい。似ても焼いても上手い」
秋葉くんは飄々とした口調で、餃子の代わりに豆腐を取った。
「俺は〆がラーメンならなんでもいい」
「飯田くん!? 飯田くん、まさかスープが何味でもラーメン入れるの? 〆ならうどんも雑炊もあるんだよ」
「あー、神楽坂も苦労するよな。こいつ水炊きでもラーメン入れるからさぁ。ポン酢で食べるラーメンて何なの、って初めは思うよな。慣れるけどな」
わたしは湯豆腐の後に入れられるラーメンのことを考えていた。豆腐の欠片と共存するラーメン……シュールだ。
飯田くんがわたしの彼氏であることは周知の事実だ。彼は一人暮らしをしているのでたまに料理をしに行くんだけど、好き嫌いなくなんでも「美味しいよ」と言ってくれることが、例えあまり表情が変わらなくてもうれしい。無表情、とよく言われるけれど彼は彼なりに感情を露わにしてくれる。そして言葉少なげな彼のたまに聞こえる声はやさしい。
だがしかし。
ラーメンだったのか、ツボは。これからは鍋用麺をストック……ではない、たまにはラーメンを食べに行こう。帰ったらググろう。
「安心しろ、神楽坂。飯田はまだいい方だよ。竹橋と来たらさぁ」
「先輩、やめてください! なにも神楽坂さんの前でそんなことを」
「神楽坂がいるからに決まってるだろう? こいつ、なんでもハンバーグ入れるんだぜ? しゃぶしゃぶにも。ガキかよ」
「ハ、ハンバーグを? しゃぶしゃぶに? 肉団子じゃダメなの?」
「うわー、だからやめてくださいよ、元はロールキャベツが好きなんですけど、意外と高いからッ」
ハンバーグの、合い挽き肉から出た脂が浮いたしゃぶしゃぶを想像する。……あまり食べたくない。第一、しゃぶしゃぶしただけじゃ温まりそうにない。
ひとつ年下の竹橋くんは、元会長職だった中野くんのカリスマにいつも勝てない。かわいそうに、どんなに縋っても中野くんの湯気でくもった眼鏡の奥底に潜む悪意を打ち消すことはできないのだ。
「ロールキャベツの代わりに、竹橋が持ってくるのはいつもこれさ」
中野くんが差し出したのは白いパッケージに赤いにこにこマークが愛らしいマルシンハンバーグだった。やめてくださいよ、と竹橋くんは半泣きだ。
「竹橋くん、考えたんだねぇ。確かにイシイや丸大と違って、ソースに入ってないもんねぇ。……今日も入れるの?」
「意外とこいつ、小賢しいんだよ」
「神楽坂さんが来るの知ってたら持ってきませんでしたよ」
にやり、と中野くんは口の端で笑った。
「しっかしさぁ、なんで神楽坂は飯田なの?」
綺麗なお箸使いで鍋をつついていた秋葉くんが突然口を開いた。え、とか、お、とかそれらが混ざった声がわたしの口から飛び出た。飯田くんは黙々と食べ続けている。
「飯田なんていちばんつまんないやつじゃないの? つまんないって言っちゃったらなんだけどさ、『無個性』。これだけ
飯田くんはさすがに秋葉くんの顔をちらりと見た。ハンバーグがその箸先に挟まれていた。
「『無個性』なんかじゃないよぉ、やだなぁ。飯田くんは……」
飯田くんは、『無個性』なんかじゃない。無口で、あまり気持ちが顔に出ないけれどいつもやさしい。エスカレーターに乗る時にはわたしが乗れるまで待ってくれる。ランチのオーダーが決まらない時だって、自分も決まらないふりをしてメニューを見ていてくれる。雨の日には傘をなにも言わずに持ってくれて、しかも、二本のうち一本は彼の腕にかけて相合傘だ。出かける時はそっと手がぶつかってしまったかのように手を繋いで……。
「もういいよ神楽坂、心の声がダダ漏れしてるし。聞いた俺が悪かった。神楽坂なら飯田も安心だ」
「そうじゃなくて、飯田くんならわたしが安心できるんでしょう?」
「だからお前しゃべらなくっていいよ。ほら、春菊に火が通り過ぎてるし」
ひっと思うともう遅くて、春菊はくたくただった。くたくたになった春菊は香りが強すぎて繊維が気になる。仕方なく、自分の取り皿に入れる。皿と言っても深さのある紙皿だから、注意をしないとすぐにひっくり返りそうだ。
隣から飯田くんがなんでもない顔をして春菊をわたしの皿から取った。そしてわたしの目をそっと見た。
「しかしさぁ、四年ってあっという間だったなぁ。こんな風にバカみたいなことばっかやってさぁ、いつまでも暮らしてるわけにいかないしなぁ」
「四月から職場が分かれたら、滅多に会えないな。秋葉も中野も地方だし」
急に場がしんみりする。
いつもは調子のいい秋葉くんまで黙って、部屋には鍋がぐつぐつ煮える音だけが聞こえていた。ネギも白菜も食べ頃だという顔をして、鍋にドヤ顔で居座っていた。
「まあさ、会えばいいんじゃない? 月並みだけど、会いたいと思えば会えるんだよ。交通網は発達してるし時間は無ければ作ればいい」
「先輩、惚れそう」
「秋葉、俺はお前を誤解していた。たまにはいいことを言うんだな」
「やめろよ、恥ずかしくなるだろう!?」
思わず笑いが込み上げる。そうだ、いつもこうやって騒いで、四年間の嫌なことを吹き飛ばしていた気がする。三年生になって就活が上手くいかなかった時も、卒論に煮詰まって夜遅くなっちゃった時も、ここに来れば誰かがいて、嫌なことはなし崩しになくなって。どんな嫌な時でも飯田くんはここで待っていてくれて……。
「
「……ごめんなさい。でもこのメンバーでこんなに大騒ぎできるのって今日が最後かなって」
「また集まれるし、それまではいつでも俺がいるからいいだろう?」
しーん、と静まり返った。天使が通り過ぎたんじゃないかと思ったくらいの間があって、中野くんがパッと口を開いた。
「なんだよ飯田、いいとこ持っていきすぎだ。そういう〆の大事なところはやはり俺が」
「いやいや、そうじゃない。神楽坂は実はこれから先も飯田と付き合っていけるのかって悩んでて相談に乗ってたんだよ」
ううっ、秋葉くんたらなんで皆が集まってるところでそんなことを言っちゃうんだろう? 恥ずかしくて顔があげられないけど、このままだと豆腐にすが立ってしまう。黙って菜箸を持ち上げて、適当な誰かの皿に豆腐や、煮えすぎの春菊とエノキを放り込む。飯田くんの皿にも。
「そういうのは直接相談した方が飯田先輩も……」
「若輩者は黙っていろ」
なんとなく、みんなの視線が飯田くんに集まる。こころなしか彼の顔がほんのり赤く見えるのは鍋の湯気に当たって上気したからだろうか? 彼の気持ちの、先が知りたいと思うのは罪だろうか?
壁の薄い隣のサークルからはいつも通りのアニソンがかかり始めて、人の気配を感じる。
鍋は汁を減らしてぐつぐつとアニソンに対抗するように音を大きくした。
「……紗希のことはこの先も責任持って付き合うつもりだから、だから」
菜箸を持つ手が震える。
わたしたちは話し合ってお互いにすごく近くとは言えないまでも同じ都内の職場を選んだ。会いたくなったら会える距離、冬の星座を見上げながら彼は言った。
この先ずっと――。
そんなお伽噺みたいなことを信じてもいいんだろうか?
「だから、その時が来たらまた集まるだろう? 今日より盛大にやってくれ」
なんだよその時って、と秋葉くんは飯田くんの頭を抱えた。竹橋くんは、神楽坂さん、お嫁に行くんですね、と気の早いことを言い、中野くんは。
「決まったな。それぞれ持ち寄る鍋の具は考えないでいい。その時は飯田と神楽坂のチョイスに任せよう」
「ラーメンは勘弁な」
「だから泣くなよ、神楽坂」
泣くなよと言われて泣かずにいられるなら笑ってやろうと思ったら、えっ、えっ、えっ、と変な笑いになって、秋葉くんに小突かれた。
鍋も終盤だ。
大学四年間の集大成とも言えるバカ騒ぎが終わる。
飯田くんがわたしの手に、鍋用ラーメンを渡した。
しょう油と胡椒くらいしか調味料はなかったので適当に味付けしたけど、いつも彼らが食べている鍋に比べたらずっとマシだろう。
乾麺はすぐに汁を吸って箸でほぐし始める。
飯田くんが隣からわたしにしか聞こえない音量でぼそっと言った。
「いつでも〆はラーメンで」
こうしてわたしたちの大学でのお祭り騒ぎは、ラーメンで盛大に締めくくられた。
祭りのあとのお約束 月波結 @musubi-me
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