04



イルムヒルト様の誕生日パーティー当日、私が支度をしていると父親が部屋を訪ねてきた。


「お父様、どうかしました?」


「今夜もヘンリック君にパートナーをしてもらうのか?」


「そうですけど……」


いつものことを再確認され、私は首を傾げる。父親は一体何の用で来たのだろう。


「近々、エッシェンバッハ侯爵家と婚約することになる」


「え……」


エッシェンバッハ侯爵家はヘンリックの家だ。彼に歳の近い兄弟はいるが、私が親しいのはヘンリックだけ。必然的に彼が婚約相手だろう。

そこまでを父親の言から把握できたというのに、私は信じられない思いだった。

私が呆然としていることに気付いているのかいないのか、父親はこちらから打診をしているところだと言う。


「ヘンリック君は構わないと言ってくれている。あいつもお前のことは気に入っているから、いい返事が返ってくるだろう」


ヘンリックの父親であるエッシェンバッハ侯爵へ正式な申し出はまだらしい。だが、聞く限りほぼ確定だろう。


「どうして……?」


それでも私は訊いた。どうして今更婚約なのか。幼い頃からヘンリックと共にいたが、そんな話になることはなかった。相手の方が身分が上で、こちらのノイエンドルフ伯爵家に何らかの利がないから成立しないのだろうと考えていた。


「エッシェンバッハとは利害の関わりない付き合いをしたかったが、そうも言ってられん。お前が随分と社交的になって、ヴォーヴェライト公爵令嬢にも覚えよくなったから、自分でよりよい相手を見つけるかと見守っていたが……」


父親は渋い表情を見せ、私を憐れむような眼で見た。


「そろそろ潮時だ」


父親の言葉に、私は足下の地面がなくなったかと錯覚した。

私が行かず後家にならないかと、父親が心配してくれていると頭では解っている。娘を想って親友に頭を下げに行くのだろう。本来なら親の愛情に感激すべきだ。

けれど、私はどうしようもないことにどうしてと胸中で繰り返し問うていた。

私はどうしてもっと上手く立ち回れなかったのだろう。適当な男性を見繕って、父親を安心させておけばよかった。だが、そうなった場合、イルムヒルト様より先に結婚して疎遠になってしまう可能性もあるからしたくなかった。

こうしていれば、という後悔が湧いては、彼女といる時間が減る可能性が結局はこうしかできなかったと打ち消した。


だって、もう彼女は殿下と婚約している。


私が出会ったとき、既に彼女はヴィクトール殿下の婚約者だった。当然だ。次期王位継承者の相手は幼少の頃に決まっている。幼い頃は遠い存在だ、とその話題を流していた。

最初からあと少しの時間しか残されていなかったのだ。だから、内気な自身を奮い立たせて可能な限り彼女の姿を見、会える機会に臨んだ。

彼女が結婚してしまえば、王城で暮らすことになり、おいそれと会えなくなると解っていたから。

それまでは、盲目でいたかった。

けれど、父親に現実を突き付けられた。眼を背けていたものと向き合わなければならないときが、もう目前まで迫っていた。

私は絶望的な気持ちでパーティーに向かう。だが、今日はイルムヒルト様の誕生日だ。今夜ばかりは彼女のことだけを想って過ごそうと決める。

馬車を出る前、暗い気持ちを吹き飛ばそうと両頬を叩いた。私の突飛な行動に、ヘンリックは眼を丸くした。

ヘンリックのエスコートでホールまで行き、しばらくして一通りの招待客が揃ったのだろうヴォーヴェライト公爵から娘の誕生日を祝ってくれることへの感謝の言葉があり、イルムヒルト様の紹介があった。婚約者のヴィクトール殿下のエスコートで現れたイルムヒルト様は、気品に溢れ、美しかった。

イルムヒルト様が、招待客に来てくれたことへの感謝を述べると、殿下と目配せし、殿下が一歩前へ進み出た。


「この機会に、皆に報せたいことがある」


ざわ、と期待と困惑の混じった声が控えめに響く。


「彼女へのプレゼント、という訳ではないが……、この春に式を挙げることが決まった」


めでたい報告に、一同からわっと歓声が湧いた。

イルムヒルト様の全体への挨拶が終わると、楽団が音楽を奏で始め、招待客たちがこぞって彼女に祝いの言葉をかけだす。

私一人が、めでたいはずの事実を死刑宣告のように受け取り、固まっていた。

今夜だけはイルムヒルト様の、そして自分の婚姻のことを考えずに、全力で彼女の誕生日を祝おうと思っていたのに。

主要な招待客との挨拶を一頻り終えたイルムヒルト様が、私の方に気付き、殿下とともにこちらにやってきた。柔らかい月の光のような微笑みで彼女が私に声をかけてくれる。


「ブリギッテ、来てくれたのね」


「……っ勿論です」


イルムヒルト様に暗い表情を見せる訳にはいけないと、私は慌てて表情を引き締めた。


「イルムヒルト様、お誕生日おめでとうございます」


「ありがとう。少しの間だけ、ブリギッテより歳上ね」


冗談混じりに笑う彼女が可愛らしいと感じる。出会った頃から、凛として大人びた容姿なのは変わらないが、今は彼女に年相応な面もあると知っている。同じ歳の少女だと感じるとき、美しいだけでなく可愛らしさもある方だと再確認するのだ。


「おめでとうございます。結婚の日取りが決まってよかったですね」


ヘンリックが次いだ言葉に、どくり、と心臓が嫌な音を立てた。彼の言葉を受け、イルムヒルト様と殿下が微笑みをもって答える。


「ありがとう」


「式に向けて、これから忙しくなるな」


「まぁ、ヴィクトール様ったらもうぼやかれますの? このまま行くと、わたくしとの婚姻までお嫌になりそうですわね」


「まさか。いよいよ君を妻に迎えられるんだ。その為ならば、どんな面倒なことでもしよう」


「お幸せそうで何よりです」


ヘンリックに同調するべきだ。そう頭では理解しているのに、口ははくりとただ空気をむ。


「そうだ。お二人には及びませんが、俺たちも……」


ヘンリックの言おうとしていることを察知して、私は反射的に彼の袖を強く引いた。小さく驚いて振り向く彼に、私は声を絞り出す。


「……っわ、私から、言うわ」


ヘンリックの瞳に必死な表情の自分が映る。彼は眼を丸くしつつも、私に発言の権利を譲ってくれた。

どくりどくり、と心臓が嫌な音を打ち続ける。イルムヒルト様に向き直ると、彼女は不思議そうにしていた。

いけない。今日は彼女の誕生日なのだ。彼女に笑っていてもらうためにも安心させないと。

一度、深く息を吸って、耳鳴りしそうな心音を無視する。


「実は……、彼、ヘンリックと婚約が決まりそうなんです」


「まぁ、そうなの。彼と親しかったものね。おめでとう」


イルムヒルト様が、自分のことのように表情を綻ばせ、祝いの言葉をくれた。喜ぶべき彼女の言葉が、ずしりと胸にのしかかる。彼女と自分の想いがどれだけ隔絶しているのかを思い知らされた。

そうではないのだ、と心が叫びそうになるのを無理矢理抑え込む。

笑え、と自身に言い聞かせた。今、この場で、彼女のために笑うのだ。


「はい。ありがとう、ござ……」


イルムヒルト様の満月のような瞳が瞠目する。そこに映る自分の笑顔の不恰好さが悲しかった。彼女のために、嘘でも笑えないなんて情けない。

言葉が途切れそうになった瞬間、イルムヒルト様に肩を抱き寄せられた。


「ヘンリック様、ブリギッテは体調が優れないようですわ。彼女をお借りしても?」


「え、それなら俺が……」


「あら、無粋な男性は嫌われてよ?」


自身の胸元に私の顔を隠すように抱きながら、イルムヒルト様はヘンリックがついて来ないようにあしらった。女性だけにしか解らないものとイルムヒルト様によって誤解した彼は、大人しく引き下がる。

そうして、私が戸惑っている間に、イルムヒルト様は殿下もその場に残し、客用の休憩室の一室に私を案内した。

メイドに温かいお茶を用意させたあと、下がるように指示をし、気付けば私と彼女の二人きりになっていた。ソファで隣に座るイルムヒルト様に勧められるまま、淹れられた紅茶に口をつける。


「どう? 少しは落ち着いた?」


「は、い……」


私が紅茶で温まった吐息を一つ零したのと、彼女が気遣いげに声をかけるのは同時だった。私が反射的に首肯すると、真意を確かめるようじっと見つめられた。

見透かされそうな瞳に、私はどういう表情をすればいいのか困惑する。


「ブリギッテ。今回の婚約、貴女の意に沿わないものなの?」


心配してくれる彼女を安心させたくて、私は否定する。


「いえ、彼のことは嫌いでは……」


つぅ、と一筋、私の意に反して涙が伝った。そのことに、私に触れた彼女の指先が濡れたことで気付く。

あとからぼろぼろと溢れる涙に、私は眼を両手で覆った。


「違うんです……っ、彼との結婚が嫌なんじゃないんです……!」


そう、嫌ではない。他の男性ならともかく、ヘンリックは気を許せる数少ない一人だ。昔の私なら、受け入れ、彼への好意を恋と錯覚していたことだろう。

そうだったら幸せだった。

けれど、私は彼女に出逢ってしまった。

相手がいても消せない想いがあると知った。どんなに苦しくても、自身の幸せより克つ想いがあると知った。

私は、この想いに恋以外の名前を付けれなかった。

涙の理由は解っている。

この想いのせいで、彼女の幸せを祝福できないことが苦しい。

そして、何より……


「……イルムヒルト様」


「なあに?」


「イルムヒルト様は、ヴィクトール殿下のことが好き、ですか……?」


ずっと訊けずにいたことを問うと、少し考える素振りを見せて、イルムヒルト様ははにかんだ。


「ええ。幼い頃に決められた相手で、そう思うように仕組まれたのかもしれないけど、それでも……私はヴィクトール様への想いに胸を張れますわ」


「お慕いするイルムヒルト様が、好きな方と結ばれてよかったです」


涙を拭い、本心を告げると、イルムヒルト様が嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。私もブリギッテが好きよ。だから、できれば望む相手と結婚してほしいわ」


ああ、やはり私の想いと彼女の想いは違う。どれだけ私が想いを言葉に乗せても、彼女がそれに気付くことはないのだ。


「大丈夫です。ヘンリックは、どの男性よりも好きな相手です。ただ、急に婚約が決まったので、侯爵になる彼に相応しいのか不安になってしまって……」


叶わない恋に終止符を打つため、精一杯の嘘を吐き、笑ってみせた。少し弱ったような笑みが、照れ笑いに映ればいい。

イルムヒルト様は、納得してくれたのか頷き、励ましの言葉をたくさんくれた。その言葉の一つ一つが胸を刺すが、この痛みごと覚えておこうと心に刻む。

私の眼の腫れが落ち着いた頃、そろそろ戻ろうかと、イルムヒルト様が立ち上がった。彼女が差し出してくれる手に、そっと私の手を乗せた。


「イルムヒルト様、誕生日プレゼントがあるんです」


もう直接渡せる機会がないから、彼女がメイドを呼ぶ前に包装された細長い箱を渡した。

イルムヒルト様は、何かしら、と目の前で開けて中身を見る。


「まぁ、綺麗なリボン」


喜色に満月が輝き、よかったと思うと同時に見惚れる。

彼女が箱から青いシルクのリボンを取り出すと、部屋の照明を反射して銀の糸が煌めいた。


「ハンカチと同じ花ね」


「はい、リナリアの花です」


最初のプレゼントを覚えていてくれたことが、とても嬉しい。彼女は、私がどれだけ喜びにうち震えているか判らないだろう。


「可愛らしくてこの花好きよ。ブリギッテのふわふわの髪を思い出すわ」


伸ばしすぎると、うねってしまうので肩までしかない私の亜麻色あまいろの髪をそんな風に言ってくれるとは。この人は、本当にどこまでも私の心の柔らかいところを突いてくる。

最後に手渡したプレゼントで、彼女が私を思い出してくれるなら本望だ。

例え、彼女がリナリアに秘めた想いに気付かなくてもーー


「イルムヒルト様、ご結婚おめでとうございます」


今度こそ、私は笑った。

それに応えてくれた彼女の笑顔があれば、これからも私は生きてゆける。



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リナリアに秘めて 玉露 @gyok66

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